全ては君のため
本編より半年くらい前のお話です。
「ノエル様、お久しぶりです!」
そう言ってノエル様の元へと駆け寄れば、彼はふわりと花が咲くように微笑んでくれた。
一ヶ月と十二日ぶりに見た彼のあまりの尊さに、涙腺が緩んでしまい、じわりと涙が滲む。最近は仕事も忙しく連日徹夜続きだったけれど、疲れなど一瞬で吹き飛んでいった。
お父様に言われて嫌々参加した集まりだったけれど、本当に来て良かったとわたしは心の中で涙を流していた。
「シェリー、久しぶりですね。髪を少し切りましたか?」
「えっ? ど、どうしてそれを……?」
「見ればわかりますよ、似合っています」
「…………!」
友人どころか家族すら気付いてくれなかった変化に、一瞬で気づいて下さるなんて。正直、自分自身でも全く変化がわからず、あの美容師には二度と頼まないと思っていた自分を殴りたい。一生、彼女に担当してもらうことを誓った。
それにしてもこんな些細な変化に気がつくなんて、流石ノエル様だ。やはり騎士としてもそういうのは何というか、必要なことなのだろう。本当にすごい。
「実はわたし、こうして社交の場に出るのは先日ノエル様にお会いした夜会以来なんです。それなのにまたこうして偶然会えるなんて、すごいですよね。本当に幸せです!」
「確かに、偶然だとしたらすごいですね」
偶然だとしたら、という言葉の意味はいまいち分からなかったけれど、再び眩しい笑顔を向けられたわたしは、そんな些細な疑問など、どうでも良くなっていた。
「騎士団でのお仕事も忙しいでしょうに、沢山のお集まりに参加しているのでは? 大変ですね」
「そんなことはありませんよ、全く」
ノエル様はきっと謙遜でそう仰ったのだろうけれど、実はその更に一ヶ月前に参加した夜会でも彼に会ったのだ。思い返せば、その前にも。すごい確率だ。
わたしはたまにしか社交の場に参加しないのに、こうしてほぼ毎回彼に会えているのは、彼がそれだけ沢山の場に足を運んでいるからだろう。
「ノエル様とお話できたお陰で、また頑張れそうです」
「それは良かった。俺も頑張りますね」
「ノエル様も、ですか?」
「はい。あと少しなんです」
あと少しというのは、何のことなのだろう。けれどきっと、何か大切なお仕事を抱えているに違いない。
「無理なさらない程度に頑張ってくださいね。わたし、大好きなノエル様のことを誰よりも応援していますから!」
そう言って両手をぐっと握り、力を入れるようなポーズをしたけれど。何故かノエル様は顔を片手で覆うと、視線をわたしからさっと逸らしてしまった。
「……本当にシェリーは、すごいな」
彼は何故かぽつりとそう呟いたけれど、間違いなくすごいのはわたしなんかではなくノエル様だ。
やがて彼はこちらに向き直ると「ありがとうございます、シェリー」と蕩けるような極上の笑顔を向けて下さり、わたしはあまりのときめきと嬉しさに、目眩すらしたのだった。
◇◇◇
「ノエル様、お久しぶりです!」
そう言って子犬のように駆け寄ってくる彼女に、ぎゅっと心臓を鷲掴みにされたような胸の苦しさを覚えた。
彼女が会場に入ってきた瞬間からずっと見つめていたけれど、期待を含んだ表情できょろきょろと辺りを見回している姿にも、愛しさを感じずにはいられなかった。
──シェリーは今日も、俺を好いてくれている。
その事実は何よりも俺を安心させ、幸福にさせた。
「実はわたし、こうして社交の場に出るのは先日ノエル様にお会いした夜会以来なんです。それなのにまたこうして偶然会えるなんて、すごいですよね。本当に幸せです!」
「騎士団でのお仕事も忙しいでしょうに、沢山のお集まりに参加しているのでは? 大変ですね」
純粋な彼女は、どうやら本気でそう思っているらしい。
俺だって、正直暇ではない。けれど彼女は、まさか自分に会いたいが為に参加する集まりを調べ、それに合わせて俺がこうして足を運んでいるなんて、想像すらしないのだろう。
もしもそうだと知ったら、彼女はどんな反応をするだろうか。驚くだろうか。気持ちが悪いと思うかもしれない。だからこそ俺は今日も、笑顔で全てを曖昧にしていく。
「無理なさらない程度に頑張ってくださいね。わたし、大好きなノエル様のことを誰よりも応援していますから!」
そして、話をしているうちに不意に彼女が言ったその言葉に、俺は泣きたくなるくらいに胸が震えた。
「……本当にシェリーは、すごいな」
思わず溢れてしまった本音に対し、不思議そうな顔でこちらを見ている彼女にはやはり敵わないなと思ってしまう。
どんなに辛くとも、そんな彼女の言葉一つで俺は、いくらでも頑張れてしまうのだから。
◇◇◇
広間のテーブルに広げられた沢山の招待状をひとつひとつ手に取りながら、シェリーは首を傾げた。
「前は色々と参加されていたのに、最近はほとんど屋敷にいらっしゃいますけれど、大丈夫なんですか? あっ、もちろんわたしとしてはノエル様とずっと一緒に居られて、食事があまり喉を通らないくらいには幸せなんですけれど!」
そう言って、心配そうな表情から少し照れたような表情へと変わる百面相のような彼女が可愛らしくて、今すぐに抱きしめたくなってしまう。
「食事はちゃんととってくださいね。君は前にもそう言っていましたが、俺は元々たまにしか参加していませんよ」
「本当、ですか?」
過去に夜会で彼女に会った時の事を、ふと思い出す。
今思えば、ああして彼女に会いに行く労力を他に使うべきだったと思うけれど、あの頃はそれが自分の中での最善策だったのだ。本当に愚かだったと、心の中で自嘲する。
「はい。今後は最低限のものだけ君と参加するつもりです」
……もしも今、君に会うためだけに参加していたんだと伝えたら、シェリーは何と言うだろうか。もしかしたら泣いて喜ぶかもしれないなんて思うと、思わず笑みが溢れて。
「大好きですよ、シェリー」
だんだんと真っ赤なものへと変わっていく愛しい彼女の頬に、俺はそっとキスを落とした。
なんと先日、このお話が日間ランキング一位を獲得していました…!いつも読んでくださる皆様のおかげです。本当にありがとうございます。感想も楽しく読ませて頂いています。
引き続き番外編を更新していく予定ですので、今後もどうぞよろしくお願いいたします!