一目見た時には、もう
ノエル様を好きになったのは、今から6年前。わたし、シェリー・グラフトンが魔法学園に入学してすぐの事だった。
運命的な出会いがあった訳でもない。ただ、一目見たときから信じられないくらいに彼に焦がれた。自分にはこの人しかいないと思ったのだ。きっと人生の中で、この人以外を好きになることは無いと思ったくらいに。
「シェリー、またノエル様のこと見ているの?」
「ええ、今日も彼が眩しすぎて目が潰れそうよ」
「本当に毎日毎日、ただ遠くから眺めてるだけでよく飽きないわね。手紙の一通くらい、贈ってみればいいのに」
「何を言っているの、わたしなんかがノエル様に関わるなんて有り得ないわ。こうして見ているだけで幸せなの」
彼、ノエル・アンダーソン様は伯爵家の長男で家柄良し、顔も成績も良し、そして国全体で片手に入るほどの魔力を持つ火魔法使いでもある。既に王国騎士団からも声がかかっているのだとか。そんな将来有望すぎる彼に、平々凡々な男爵令嬢である自分が関わるなんて恐れ多いにも程がある。
恋に落ちた日から、彼への思いは募り、膨れ上がっていく。それでも、遠くから見つめているだけで幸せだった。同じ世界に彼がいるということだけで、神に感謝した。
卒業まで残り二年半、こうして毎日彼を眺めて居られるだけで、自分の人生は満ち足りたものになると思っていた。
そんなある日の昼休み、いつもの様に学食で親友のクラリスと共に昼食をとりながら、わたしは今日もノエル様について熱く語り続けていた。
「ああ、今日もノエル様は素敵だった! 今朝なんてね、少しだけ眠そうに目元を擦っていたの。遅くまでお勉強なさっていたのかしら。そんな可愛らしい様子に心臓が破裂するかと思ったわ。彼をこの世に生み出して下さった神様と彼のご両親には、本当に感謝してもしきれないわね」
「そんなに、ノエル・アンダーソンが好きなんですか?」
「ええ! それはもう。世界で一番好きです!」
「そうなんですか、ありがとうございます」
「どういたしま、して……?」
そこまで言って初めて、わたしは自分は今、一体誰と会話しているのだという疑問を抱いた。目の前にいるクラリスは、口をあんぐりと開けたままわたしの後ろに視線を向け、石像のように固まっているのだから。
やがて恐る恐る振り返ると何とそこには、たった今「世界一好きです!」と言った相手であるノエル・アンダーソン様その人が立っていて。わたしは初めてこんなにも近くで彼を見たこと、彼と会話をしてしまったらしいことで、幸福度が限界を越え、意識が飛びかけた。
「……あ、あ、わた、わたし、」
「君、いつも僕のことを見ていますよね」
「ひっ……! す、すみません……!」
「謝らないでください。お名前を伺っても?」
「シ、シェリー、グラフトンです」
「シェリーですか。いい名前ですね、それではまた」
そう言って花が開くような柔らかい笑みを浮かべると、ノエル様はご友人達を引き連れ、その場を離れて行った。
わたしと言えば今起きた出来事を現実だと理解出来るはずもなく、息をするのも忘れ、遠くなっていく彼の背中を見つめることしか出来なかった。そんなわたしの頭をクラリスが思い切り叩いたことで、ようやく現実に引き戻される。
「……はっ……わたし、ノエル様、喋っ……名前……!?」
「ええ、そうよ! 良かったわねシェリー……!」
いつも見ているだけだったわたしを哀れに思い、応援してくれていた彼女は心の底から喜んでいるようだった。まさか彼に認知されているとは思わず、嬉しいような恥ずかしいような、申し訳ないような気持ちで胸の中がいっぱいになる。
ノエル様がわたしなんかに話しかけて下さり、その上名前を呼んで下さったのだ。例え一度の気まぐれだったとしても、わたしにとっては一生の思い出になるだろう。本当に、奇跡のような出来事だった。
そう、思っていたのに。
その日から、ノエル様は顔を合わせる度に「やあ、シェリー」と声をかけて下さるようになったのだ。
◇◇◇
それから一年半の月日が経ち、今日でこの魔法学園の最終学年である三年生になる。わたしと言えばもちろん今も変わらず、ノエル様のことが好きだ。むしろ好きを超え、もはやこの感情は愛と呼んでもいいだろう。
「っうそ……!」
そして新学期初日、目の前の掲示板で自分の名前と彼の名前を確認したわたしは、その場に立ち尽くしていた。
結局あまりにも信じられず、自身でも何度も何度も確認した挙句、隣に立っていた知らない生徒にまで三度確認してもらい、わたしはようやくその事実を受け入れることができた。
「ノエル様、ノエル様! 同じクラスです!」
「やあ、シェリー。そのようですね」
「夢みたいです! 毎日ノエル様と同じ空気を吸える上に、あっ…、前後の席になれば書類の受け渡しなんかで手が触れてしまうことも…!?」
「健気すぎて哀れになりますよ」
急いで教室へ行き、一際輝いている銀髪を見つけ駆け寄る。休み明けに見た彼は相変わらず素敵で、胸が震えた。同じ世界で生きていることを今日も神に感謝する。
……あれから少しずつ会話することも増え、今ではこうして自分から話しかけるようにまでなってしまった。なんとノエル様の方から、身分など気にせずに声をかけていいと仰ってくれたのだ。こんなわたしにまで優しい彼は、心まで美しい。ノエル様のお陰で、毎日が幸せすぎて死にそうだった。
熱心に毎晩祈り続けていたせいか、同じクラスにまでなれたのだ。毎日同じ室内に彼がいるなんて、間違いなくわたしの人生の中で一番幸せな一年間になるだろう。
「ノエル様、1年間よろしくお願いいたしますね!」
「……1年間、か」
「何かありましたか?」
「いや、なんでもありませんよ」
そう言って相変わらず美しく微笑むノエル様に、わたしは今日も蕩けるような幸せを感じていたのだった。