隠れんぼ
ストーカー表現があります。苦手な方はご注意下さい。
ノエル様との夢のようなデートから、数日が経った。首元で輝くネックレスを見る度に、つい口元が緩んでしまう。
制約魔法が解けるまで、あと三日。本当に長かったこの三ヶ月がようやく終わると思うと、嬉しくて涙が出そうになる。あと数日で、ノエル様に好きだと伝えられるのだ。
そんな今日も朝からいつも通り仕事で、昼休みはシーラと共に街中でランチをしてお喋りを楽しんだ。そうして研究所に戻り、財布を仕舞おうと更衣室へ足を踏み入れた時だった。
「……どう、して」
見覚えのある封筒が挟まっているロッカーを見た瞬間、浮き足立っていた気分が一瞬にして冷めていく。
今日もお父様やノエル様が雇ってくださった護衛がついているから大丈夫だと自分に言い聞かせ、小さく深呼吸をした後そっと封筒を手に取った。
恐る恐る封を開けると、前回とは違い入っていたのは一枚だけで。少し安堵したのも束の間、折りたたまれた紙を開いた瞬間、わたしは悲鳴を上げて手紙を床に投げ捨てていた。
【もうすぐ、君を迎えに行きます】
そこにはたった一文だけ、そう綴られていたのだ。
こんなもの、攫いに来ると言っているようなものではないか。ぞわぞわと背中から恐怖が這い上がってきて、この場に一人でいるのも怖くなり、わたしはそのまま皆がいる仕事場へと駆け込んだ。
とても仕事が出来るような精神状態ではなく、所長に事情を話したところ早退を勧められた。前回手紙が来た時にも、更衣室のロッカーに挟めてあったことは伝えており、警備を強化していたはずなのだ。彼もひどく驚いている様子で、とても心配してくれているようだった。
迎えの馬車を呼んでもらい、お父様に頼んだ護衛の男性と共に馬車へと乗り込む。普段は姿を隠して貰っていたけれど、今は側に誰かがいないと不安で仕方なかった。
ノエル様は今日、大事な任務があるから遅くなると言っていたのを思い出す。早く彼に会いたいと思いながら、アンダーソン伯爵家へと向かう馬車に揺られ、半分ほどの道のりが過ぎた時だった。
「……っきゃっ……!」
突然、大きな音と共に馬車が左右に揺れた。
「シェリー様! 動かないで下さ、」
そこまで言った瞬間、目の前にいたはずの男性は視界から消えていた。馬車のドアは大破し、その反対側にも大きな穴が空いている。何が起きているのか、わたしにはもう分からなかった。ただ恐怖に支配され、声を出すことも指先ひとつ動かすことも出来ない。
馬車の周りには4人程の男性が倒れていて、彼らは皆わたしの護衛にあたっていた人々なのだと理解した瞬間、絶望で頭の中が塗り潰され、目の前が真っ暗になる。
逃げようとは思わなかった。逃げ切れると、思えなかった。そうしているうちに、いつの間にか背後から口元を布で覆われ、わたしの意識はぷつりと途切れたのだった。
◇◇◇
「………う、」
ゆっくりと瞼を開けると、視界いっぱいに見覚えのない天井が広がっていた。ズキズキと痛む頭を片手で押さえながら、ゆっくりと身体を起こす。ぼんやりとしながら部屋の中を見回しているうちに、自分が攫われたのだと理解した。
護衛も皆やられてしまったのだ、ノエル様も今頃わたしが攫われた事に気づき、心配してくれているに違いない。彼が用意してくれた護衛ならば、間違いなく腕は立つはずだった。それでも、一瞬で全員が蹴散らされるほどの人物が犯人なのかもしれないと思うと、余計に恐怖が増していく。
幸い身体は拘束されておらず、自由なままで。わたしは立ち上がると、所持していた魔道具の確認をした。アクセサリー型のものも全て取り上げられており、ノエル様に贈って頂いたネックレスも外されていて、心の底から泣きたくなる。
部屋の中にあるのは、今横たわっていたベッドと小さな木のテーブルと椅子だけ。窓は木の板が幾重にも打ち付けられていて、ここから脱出するのは無理そうだった。窓の外の様子は一切見えず、あれからどれくらいの時間が経ったのか、今が何時なのかもわからない。
意を決してドアノブに触れてみると、鍵は掛かっていないようで。そっと開けて顔を出せば、長い廊下が続いていた。しばらくドアの隙間から様子を窺っていたけれど、物音一つせず、人の気配もない。
「……どうしよう」
ここで黙って犯人が来るのを待つなんて、頭がおかしくなりそうだった。少しだけ、様子を見てみよう。そう思い、そろりと部屋を出た。耳を澄ましながら歩いて行くうちに、此処は古びた大きな屋敷だと言うことがわかっていく。
ほとんどの部屋に使われている形跡はないものの、何処も彼処も綺麗に掃除されている。一体誰が、何の目的でわたしを此処に連れ去ったのだろうか。もし本当に犯人がわたしに何らかの想いを抱いていたとしても、前回の手紙の内容を思い出すと、無事で居られるとは思えなかった。
「えっ?」
階段をゆっくりと降りていき、玄関ホールらしき場所に出たわたしは、目の前の光景に驚きを隠せなかった。
入口があるはずの場所もまた、先程の窓のように板で何重にも覆われていて、扉の部分は全く見えなかったのだ。
流石の犯人も、一生此処に二人で籠る気ではないだろう。正面玄関が塞がれていたとしても、どこか別の出入口があるはずだと、目眩がし始めた自分に必死に言い聞かせる。
そうして他の出口を探し始めたところで、不意にカツン、カツン、という足音が静かな屋敷の中に響いた。
目が覚めてから初めて感じた他人の存在に、一気に心臓が早鐘を打ち、手足が震え出す。わたしは周りを見回すと、近くに積み重ねられている木箱の影にそっと身を潜めた。
段々と近づいてくる足音に、震えが止まらない。どうか、見つかりませんように。此処に連れ去られた時点でもう手遅れだとはわかっていても、そう願ってしまう。
そんな願いも虚しく、足音はわたしがいる場所のすぐ側で、ぴたりと止まる。
怖かった。怖くて怖くて怖くて、がたがたと身体が大きく震え、視界がぼやけていく。どうして自分がこんな目にあっているのか、いくら考えてもわからない。そんな中でも頭の中に思い浮かぶのは、ノエル様の顔だった。
「見ーつけた」
やがて、まるで隠れんぼでもしているかのような明るい声でそう言うと、「彼」は木箱の影からこちらを覗き込む。
「……どう、して」
その顔を見た瞬間、わたしの口からはそんな声が漏れた。どうして、彼が此処にいるのだろうか。
「俺はね、昔から君を見つけるのが得意なんだ」
クリフ様はそう言って、無邪気な笑みを浮かべていた。