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3年3組のカノン  作者: 梅田ヨシ
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第一章

―第1章―


 ある少年が、柄にもなく感慨深げになってふと空を見上げたら、その目線の先に女の子がいた。なぜかその子は、遊びに飽きられて放り出された人形のように大木の枝に引っかかっていて、少年はその子と目が合ってしまった。木に引っかかっている少女が少年に向かってこう言うのだ。


「君と運命の出会いを果たした」


 ……というような、どこか異国の森のおとぎ話みたいなことがあったんだ――と語った場合、誰が信じてくれるだろうか。オレがそんな話を聞いたら真っ先に疑うね。そいつの頭の中身と、そんなことを言い出す男が現実にいるという気持ち悪さを。


 まず、中途半端すぎる。


 メルヘンチックな部分といい、シチュエーションといい。そしてベタすぎる展開に誰もが耳のない猫型ロボット並みに真っ青になるってもんだ。


 それに『運命』って何だよ、と。

 

 まだ14年しか生きてない身上の少年が、これまた同様にたいした年数しか生きていない人間に、〝運命〟って決めつけられて決めてしまうその根性、もうちょい生きてみてから、そう感じて断言すべきだ、とオレは強く思うんだが……。





 ――そういう風に、今、現実に目の前の大木にぶらさがっている女の子に説教をした。



ーー◆ーー◆ーー◆ーー◆ーー◆ーー



 明日から中学3年生になるってのに、母親から使いっ走りにされて近所の寺まで届け物をした。それはいい、そこまでは、思春期かつ反抗期の最中なのに素直に親の命令に従う、健全たる青少年の姿と言っても過言じゃないだろう。


 しかしその帰り、境内にある大きな松の木の下にさしかかったときに空を見上げたら、その大木に女の子が引っかかっていたというか、鉄棒の前回りの途中よろしく、腹からくの字にして枝にだれんとぶら下がっていたから、よろしくない。


 不健全たる世界よ、こんにちは――だ。


 一目みた時は、逆光で影のようにしか見えなかった形に思わずぎょっとした。マネキンか死体か、いやそんなのは嫌だし困るしめんどうだから、どうか人の形をしたごみ袋の類であってほしいと願って凝視してみても願いは叶わず。


 もたげる頭から細やかに幾重にも垂れ下がる長い黒髪、桜色のワンピースから出ている白い腕、白い足――そんなのが木漏れ日の光と影でちらちらしながら確認できた。


 どう見ても、まずい状況だろ、パトカーか、いや救急車かマスコミや新聞記者かと、テレビのニュースで見るような景色が頭の中を駆け巡りながら、高鳴る鼓動とともに一瞬何かしらの覚悟を決めたとたん、死体的なものの首と手が動いた。


 ――にやっとした赤い口元と爛々とした黒い瞳。


 笑ってる。


 目が合った。


 そして、5歳ですよ、と表現しているかのように、こちらに向けて大きく振られる手。


 瞬時、ぎょっとして、ほっとして、和みつつも、どうもイラッとしてしまった。


 オレの心も忙しいなあ……

 死体が動いた?なんだ、きちんと生きてたのか……っていうかお前は何なんだ、といったところか。和んでしまった感情の説明はできないけど。


 意表を突いた遭遇のせいで、体は凝り固まってしまい、心はめまぐるしく不安定にグニャグニャと変形し動きまくっているというのに、ぶら下がり女の子がオレに向かって開口一番に言い放ったのが




 「やったー、出逢えた!君って私の運命の人だよ、お待ちしてましたっ!」




 ……まずは、どこからツッコミを入れたらいいんだ。

 とっさにそう思った。



ーー◆ーー◆ーー◆ーー◆ーー◆ーー



 説教を終え、もう一度、空を見上げ直してうんざりする。


 現実だよなあ。そこに女の子がいることも、オレがそれを見上げていることも。そして


 「うんうん、言いたいことは分かったよ。やっぱりね、私の見込んだとおり、来ると思ってたよう。運命の出逢い、果たしたり!」


 ……運命と言いまくっていることも。


 「――あのなあ、人の話を聞いてたのかっ。それとも、お子様には難しい話だったか。悪いなあ、頭のレベルを合わせられなくて」


 ぶらさがっている位置が家2階分くらいの高さがあるとはいえ、女の子の体つきは小さく見える。小学生か?まいった、どう相手したらいいんだ?――ああそうか、相手をしないという選択肢もあった。


 「かかわりたくないから、オレは帰る……でも今ひとつ、確認しとくぞ。実は木登りして降りられなくなって困ってるんじゃないのか?

 というかお前誰だ、何様のつもりなんだ?そんな運命とか恥ずかしげのない調子の良いこと言って、オレが助けるように仕向けるっていう手段じゃないだろうな」


 「違うよう」


 そう言って女の子は動き出し、幹にずるずるとしがみつき、さながら芋虫のようにもぞもぞとした動きで下へと降りはじめた。おせじにも運動神経がいいとはいえない動きで、どうにも目が離せずじっと見守っていた。


……まあ女の子のスカートの裾が気になってしまい、もし中身を見たとなれば何を言いだすか分からないので、時々目をそらしたりはした。女児には興味ないしな。


 「ちょっと〜、見てるだけなら助けてよう」


 あと少しで足が地面につきそうな高さで幹にしがみつきながら、こちらに手を伸ばしていた。


 しかたがない。その小さな手をとってやると、その子は勢いよく幹から体を離して地面に着地した。


 頭のてっぺんで中途半端なポニーテールよろしく結わえられた長い髪、耳の横から伸びるかぐや姫みたいな髪をなびかせ、真っ直ぐに切られた前髪を手で直しながら、もじもじした様子でこちらを上目づかいで見てくる。オレの近くに立っているその子は、改めて実感するほど身長が低く、赤いランドセルが似合う年頃――。


 「ほらっ。私が降りるのを助けてくれるなんて、君も運命って思ってくれてるんでしょ、わっかるよう、その気持ち」

 「そんなことあるかっ」


 なんだこのませた小学生。恥じらうような仕草をしながらオレににじり寄ってくるなと思っていた矢先。


 「だって、君の名前はサトシ、でしょ」


 拝まれるように両手を合わせながら、オレの名前をズバリ言われたのは、若干焦った。


 「……何で、知ってる」

 「ほうら、やっぱり運命の人!もしかして、漢字で、〝覚える〟って書いて、サトシって読むんでしょ?」

 「……だから、何で知ってるんだ」

 「――漢字もそうなんだよね?ねっ?」


 ああそうだよ、それがどうかしたか、と言いかけてやめる。それを認めたら、重たいのに軽いフリして多用するこいつの〝運命〟とやらも認めなければならない気がして、何か嫌だ。


 「絶っっっ対そうだっ!ほらほらっ、それもこれも運命だからよ。これから先よろしくっ」

 「悪い。よろしくしたくない」


 即答。

 そりゃそうだろ。

 勝手に出会いを運命扱いする、得体の知れない女の子とよろしくしたいロリコン中学生がいるなら、いますぐここに来てほしい。そして代わりにこの小っこいのとよろしくしてくれ。


 「何で?どうして?」

 「――オレは運命とやらを信じていないし、その信じていない言葉を連呼する人も同じように信じられないね。だからよろしくは遠慮するのが筋ってもんだ。それにフルネームでオレの名前を当てたわけじゃないのに運命を立証したとは言えないだろ?……今の話、分かったか?」

 「わかった、わかったよう。私の天命の人」


 てんめい?……ああ、店の名前じゃなくって、天から命ぜられたほうの、天命……。


 オレは、はあぁーーっとあからさまに大きなため息をついてみせた。最近の小学生ってのは、ませてる上に語彙力豊富なのか。すっとぼけて類義語を出してきたのがイラッとする。そもそも、ガキ相手に真面目に相手したオレの頭がおかしかったんだ、女の子とはいえ見ず知らずの不審者を相手になんかしてられん。


 「帰る」

 「……ふうん、そう。じゃっ、またねっ」


 意外にも、女の子は運命とか言っておきながら、まるでまたすぐそこで会えるかのように、軽やかなお辞儀をして、オレの前をすり抜けて正門へと走っていった。

 切り替え早っ。そして妙にニヤニヤ笑いながら去って行く。


 もしかして、小学校ではこんな風に年上をからかう「運命ごっこ」というたちの悪い遊びでも流行っているのか?そんな考えが浮かんできた。


 それにしても、この遭遇劇を誰に言っても信じて貰えんぞ、笑われるだけだ。というか、めんどうだった、こういうことが。


 一人残されたお寺の境内。観音様がまつられている古式ゆかしいお堂の屋根には夕日が射しはじめ、瓦がオレンジ色に光っていた。



 ――どうかあいつと二度と会いませんように、〝また〟がありませんように。あってたまるか。

 


観音堂に向かって、信仰心など形ばかりの愚痴を、軽く心のなかでつぶやいておいた。




 ――◆――



 「信じるものは救われる」


 そのうち慣用句やことわざとしての市民権を得そうな言葉があるが、オレはその台詞を信じちゃいない。この言葉だけ聞いて、素朴にこう思う。大体、何を信じればいいんだ?神様?家族?友達?……特に自分自身なんて一番信じられない。

 いつだったか、この言葉の原型が聖書に載っているというのを聞いて、ますます信じる気が薄らいだ。いや、聖書を信じている人間が言う分にはいいんだ、筋が通っているから。


 しかしこの日本、仏教にはじまり八百万の神よウェルカムな社会では、キリスト教でないのにクリスマスを祝うような軽さと同様、聖書から引用された言葉を、何でもかんでも平気で当てはめて都合のいいように使ってるあたりからして、意味合いも薄っぺらいと思わざるを得ない。


 薄っぺらいのは髪の毛とそのお言葉くらいで、あとは体と神経は太く厚いといっても言い過ぎじゃないんだけどなあ。


 ――と心の中で御託を並べながら、始業式、校長の長ったらしい話を意識の中でスルーしているのだ。


 「中学校生活最後の年となる3年生の皆さんは、特に高校受験を控えていますからね。勉強もスポーツも、何事にもおいて全身全霊を込めて努力し挑んでくださいね。信じるものは救われるのですよ。

自分を信じるのです。信じて己の道を突き進むのです。さすれば何事も……」


 春の陽射しが体育館に入り込み、校長の頭頂部もそりゃリアル後光が射しているように光っている。

 校長先生、信じてますから早く話を終えてオレの暇さ加減を救ってください、と心底念じたおかげかどうかは分からないが、始業式が無事に終わり、まだどこか居心地がつくれていない新しい3年3組の教室へと戻ってきてホームルームへと相成った。


 我が校は、ごく一般的な地方の田舎に公立中学校なわけで、前年と教室の場所が第一校舎の2階から3階へと変わっても、2年から3年生にかけての進級では受験を控える生徒たちのためか、クラス替えや担任替えなどは行わない。なので



 「グッモーニン、エブリバディッ!どうも〜、まいどおなじみの担任ですっ、3年生になってもよろしく!」



 去年からお世話になっている、タイトスカート愛好者の小太り女性英語教師が教室に入るなりそう言い放つ。


 「え〜、今年もバク子が担任なの〜?」

 「バクちゃんよろしくー」


 若干ノリのいい生徒が笑いながらそんな野次を飛ばすくらいで、大部分は花も恥じらう中学生のお年頃よろしく、しらけムードを漂わせている。


 「今年も〜とか言うなっ!今よろしくって言ってくれた子には英語の点数上乗せしといてあげるわ」

 「んなこと言うなら教頭に言いつけっぞ〜バク子」

 「わっ、それは勘弁!みんな、さっき言ったことは記憶の彼方にあるブラックホールに突っ込んでおいてくださーい」


 生徒も野次を飛ばすし、バク子もまた適当なことを……

 クラスメートに「バク子」とか「バクちゃん」とあだ名で呼ばれても眉一つ動かさないこの担任。『夢』とか『愛』『希望』『理想』とか、中学生にとってモザイクをかけたい恥ずかしい言葉が大好きで、デブっているのは食べ物のせいじゃなくてバクのように生徒らの夢を食って肥えるため――というメルヘンチックな生徒たちからの〝提言〟によって、そのあだ名が浸透している。

 あだ名の呼び捨てや後ろに「子」とか「ちゃん」付けは、教師の中でも若い方で年齢がそんなにオレたちから離れていないのと、何気に人気がある証だろう。


 「はいっ、私に飽きたという生徒諸君。きょうはスペシャルブレンドなイベントがありまーす。ここからドラマが生まれること必須ね、うんっ。それじゃカモーン」


 ……といい加減なバク子のコメントとともに、教室前側の戸が開く音がした。


 音はするけど姿は見えず。一瞬、透明人間が戸を開けて入ってきたのかと思った。


 しかし、それは勘違いってやつで、前の席にいるクラスメートたちの陰になってよく見えなかっただけ、前方の生徒からは「ちっちゃーい」「かわいい〜」という言葉が聞こえてくる。

 感嘆に近い声が渦まく中、教卓の隣に立ったのは、小柄な女の子だった。色白の、パッツン前髪で、中途半端なポニーテールでサイドの髪がかぐや姫みたいな……



『運命』の、あいつが。



 ……っていうか、ちょっと待て、本当に、昨日の大きな松の木の下で向かい合った、あいつなのか?あのちっこさで同じ中3だったのか?


 いやいや、その前に〝あいつ〟とは限らない。そっくりさんであってほしい。もしくは昨日会ったやつとは性格が正反対の双子の片割れとか。そうじゃないと、めんどうなことになりそうだ、何かと。


 風が森をすりぬけるようなざわざわとした声が起こる中、「じゃあサトミさん、転校生らしく黒板に名前書いちゃって、名乗ってちょうだい!」と言い放つ声。おいおいバク子、本人が名乗る前にサトミって名前バラシしちゃってますよ。

 そして、担任がやらかした転校生への演出台無しな凡ミスに気付いているのかいないのか、あいつは素直に頷いて黒板に名前を書き出す。



 里見 花音



 頑張って背伸びしても、大きく書いても、黒板の下側に書かれたその文字は、若干見づらい。


 「あのっ、サトミカノンです。よろしくお願いします」


 振り向いて正式に名前を名乗った〝あいつ〟は、す、の口の時、オレを見つけたのだろう、目だけでニヤリと笑ってきた。


 慌てて目を逸らす。


 あーもう、絶対に気付かれた。

 確定してしまった。

 昨日の〝運命の人〟ってやつだ。

 近づいてきたら、何かを言ってきたら、『いやぁ赤の他人ですよ〜』……とその場を逃げられないだろうか。それにつけてもあの寺――浄土寺の観音はオレの願いを却下したようだ。ジョーク程度のぼやきだったけどな、そこでかなえてたらオレという信者が増えていただろうにさ。しかし何でまた同じクラスに。


 「里見さんは、両親の都合で、遠縁にあたる浄土寺の住職さんのところで暮らしています。もし万が一いじめてごらんなさい、あのモーロク住職にこっぴどく追いかけ回されますからね。注意してくださーい」


 ほうぼうで「いじめないよう」「バク子こそいじめんなよー」と声が飛び交う。


 皆、花音に好奇の目を向けているが、本人は至って気にしていないようで、逆に教室中にある全ての物体に興味津々のように視線を隅々にまで行き渡らせているようだった。体の割に度胸は大きいらしい。

 そりゃそうだろ、初対面のやつに『運命の人』ってふっかけるくらいだからな。

 

 「じゃあ里見さん。ようこそ3年3組へ!33人目のクラスメートということで、廊下側の一番後ろの席に座ってくださーい」


 バク子が変なテンションになってきた。


 「さてさて、この時間は私のものってことで提案、きょうは里見さんの歓迎会をして、さっさと帰っちゃいましょう!先生も給食ナッシングな日は浮かれてちゃちゃっと帰りたいから」


 うざくなりがちな夢見る教師だが、こういうゆるいところは大歓迎だ。そりゃ人気も出るさ。クラス中から拍手がわき起こったものの、


 「はいっ、じゃあ皆さん。里見さんへの自己紹介も兼ねつつ、改めて中学校生活最後の年をどんな夢見てはりきって生活していくのか、どーんと理想を述べちゃってください!」


 えーーーーっ!とクラス中からブーイングが飛び交う。先生、オレたち思春期真っ直中なんだぜ。んなもん箸が転がっても恥じらったりする年頃にやらせるなよな……と心の中で一人ごちた。


 「ちなみに先生の場合は、今年中に結婚して、3組のみんなに私のウェディングドレス姿をてんこ盛りに褒めちぎってもらうことでーす」


 「先生、それって学校生活に全く関係ないですよね」


 クラス委員長が自由奔放すぎる担任に対して苦言のようなトーンで発言した。遠巻きに〝僕たち受験生なんですよ?もっと真剣に考えてください!〟ってことを言いたいのかもしれないなあ、世話焼きで心配性の委員長様、ご愁傷なことで。


 「あら、関係あるわよ。私はほかの誰よりも3組のみんなに祝福してもらいたいのよ!でも、今年中に結婚するためには、私がオンナ磨きをしたり合コン行って彼氏ゲットが心おきなくできるよう、みんなにはキリキリと勉強してもらって、進路をきっちりと決めてもらいますからね。よ〜く覚悟しときなさいよ〜」


 クラス中にブーイングの余韻のようなざわめきが残る。彼氏いない上にオンナ磨きって、ゼロどころかマイナスからのスタートか……頑張れ先生!その苦難を乗り切ってこそ、生徒に確たる無謀な夢と進路を突きつけても説得力が違うってものだ。きっとな。


 「はいっ、ぐずぐず言わない!そんなんじゃあ、ぐずぐずなくず湯みたいな人生歩むことになるわよ。あっ、でもそれって結構ぬくくておいしい人生かも……それはさておいて、じゃあ早速、窓側の一番前から後ろに、一番後ろに来たら隣の列の一番前から順序に発表!」


 「えっ、ええ〜……私から〜?」


 バク子に指差された窓際前列の女子はしどろもどろしつつも起立しつつ、名前と簡単な自己紹介と、最後に申し訳ない程度に〝夢〟というかある種の願いごとを添えていく。


 「人のためになるような仕事に就きたい」

 「将棋が好きだから竜王戦に出るのが夢」

 「科学者になって、未知の物体を解析してみたい」


 ……と、はじめのうちは聞いていたが、途中からはうんざりしてきた。そもそも夢どころかクラスメートにさほど興味がなかった。義務教育という因果で、たまたま一つの空間に強制的に押し込められた同い歳の30数人。ただそれだけのこと、だ。

 比較的廊下側に近いオレの席に順番がくるまで、まだ時間がかかる。こういうのは始めに発言して、あとはぼーっとしているに限るってのに。困ったもんだ。


 それにしても、さすが受験を控えた中学生、ぶっ飛んだことを言うやつはほぼ皆無。幼稚園や保育園児たちの「大きくなったら何になりたい?」の解答を見習うべきだな。――そういやあの頃「にんじんになりたい!」って言ってたやつがいたっけ。そいつは今何になりたいって言うんだろうな。


 そうそう、現実を見始めている14歳たち、クラスメートの発言は、大まかに分けるとこんな風だ。


 「希望校に合格したいです」

 「インターハイ出場」

 「中学校生活最後にふさわしい充実した一年を過ごしたい」


 この辺は現実的というか、優等生タイプ。


 「お金持ちになりたい」

 「好きな漫画本とゲームソフトを全部買いたい」

 「身長が欲しい!」

 「今が楽しいんで、時間が止まればいいと思ってまーす」

 「読心術とか身についたら楽しそうです」


 物欲タイプというか、それでも実直な夢だねえ……。それに中盤ともなると、だらけた答えも増えてくる。ストップ・ザ・タイム・オブ・ザ・ワールド!ってのいうのは、何だ、超能力者的なものに対する憧れかよ。


 「パティシエになるのが夢です」

 「Jリーガー」

 「アイドルになって女子にもてまくる」


 あー、なりたい職業ってのも夢の一つか。本気かおふざけでその仕事を言ってるかは別として。とりあえず誰かが発言を終えるたびに、どこからともなく拍手が起きるのは何なのだろうか。敬意を表すってやつ?いや、バク子に至っては誰が何を言おうとうなずきはしゃぐように拍手を送っているから、それにならって、つられて拍手しているのか。

 そんな分析をしていた矢先、一気に場の空気が変わったのが分かった。


 「大久官太朗おおひさ・かんたろう。僕はみんなが知っている通り、ゆくゆくはダイクグループという主に建設及び建築業を運営・経営している親父の跡を継ぐだろう。

 だからそれまでに世界中を旅し、見聞を広め、一企業の経営だけでなく、このふるさとが世界で一番住みやすく愛されて平和な土地となるよう、地元貢献ができる企業に発展させ、生涯をかけてその指針に向かって戦える人物になりたい。それが夢であるとともに現実に成し得るべき自分自身の使命と考えている。

 里見さんは慣れないこの街で暮らすと思うが、微力ながら力になりたいと思っている。以上」


 おっ、さすが同い年とは思えない毅然とした立派な話が出てきた。官太朗のヤツ、平然と彼女を見据えつつ笑みを浮かべてから着席している。いつもながら、座る時に出る椅子を引く音が「キザ」って聞こえるような仕草してるな。


 官太朗の発言には一段と高い拍手が上がった、特に一部の女子から。

 「さすが大久くんよね〜」「里見さんいいなあ、あんなこと言われて〜。私も言われてみた〜い」などとつぶやいてぽ〜っとしている女子がいるのがしゃくに障る。

 この盛り上がりに、言われた本人はどんな反応をしているのかと、チラ見してみると、手に鉛筆を握って、ふんふんとうなずきながら何かを書いているようだった。番記者みたいなヤツだな。もしくは工場見学を熱心にしている小学生か。もしや終始あの調子でみんなの発言を聞いているのか?

 その後も何人か紹介が続き、ついにオレの番となった。


 「間堂覚。帰宅部。今年も何事もなく無事に過ごせればいいと思ってる。しいて言えば将来は姉さん女房が欲しい。

 しっかし夢や願い事なんて、みんないい加減とはいえ先生に言われて真面目に答えているのが信じられないけどな」


 発言を終えて座るオレの椅子の音しか聞こえない教室内。拍手もなしときた。

 気まずそうな空気が漂っている中、急にバク子が立ち上がった。


 「素晴らしいわっ。控えめに世界の安泰を願うとともに、教師の言葉を鵜呑みにしない根性とその発言力!大人の言うことでも素直に聞かず疑う性格は見上げたものだわ。

 そんな間堂は刑事になるべきよ、っていうかなりなさい。ついでに姉さん女房が欲しいならコロンボ刑事みたいなのになっちゃいなよ〜……はい拍手!」


 先生の超ポジティブシンキングな発言と空気を読まない勢いに、クラス中からまばらに拍手が起こった。


 「最後のコメントはいらないよな〜」

 「これだから間堂は……」

 「何かさー、冗談とはいえ夢を言った私たちがバカみたいじゃん」

 「いつもながら興ざめな発言だよなあ……」

 「あいつってさ、バクちゃんが担任だから救われてるよね」

 「あんなのが刑事になって私たちの街の治安を守るなんてやだなあ〜」

 「刑事なんて無理無理、間堂がそんな志高いわけないし。ってかコロンボ…って何?」

 「ただでさえ発言めんどくさいのによ〜……このあと言いづらいっての……」


 クラスの皆さん、しかたがなしと言わんばかりのしけた拍手しながら、こそこそとさんざん言ってくれるじゃないか。


 と、突然オレの後ろで激しく机と椅子が動く音がした。


 「三ツ面木春みつも・こはる、演劇部っ!なんでこんなヤツの後に話さなきゃならないかと思うと腹が立つけど、まあ幼なじみのよしみとして許してあげる。

 私の夢はね、こんな余計なひとこと言って、してやったりな顔する無神経なヤツのせいで傷つくような、善良な人たちの心を助けるカウンセラーになることよ。

 里見さんも、こいつのせいで不愉快な思いをしたら私に言って。私が成敗してあげるから」


 おいおいおい、成敗って。カウンセラーは暴力で物事解決するのが仕事なのデスカー。

 っていうか、沸き上がるような拍手の多さはなんだ!

 花音もふんふんうなずいてメモるなよ。そのメモをまかり間違って永遠保存されてたら都合が悪いじゃないか。


 「夢を述べるだけでこんなに教室内が盛り上がるなんて……先生も提案したかいがあるってもんよ。いいわっ、みんな素敵!三ツ面も夢を交えての自己主張、ナイスよ!」


 バク子的超プラス思考解釈で盛り立てているし。ああもう、めんどうくさい。

 何がどう、めんどうなのかは具体的には表せないが、めんどうくさいことこの上ない。

 そんなことを思いながら、残りの生徒たちの自己紹介も聞いていた。


 一番最後は花音だった。


 「改めまして、里見花音です。ええと、前の学校ではボランティア部にいました。夢は……夢だから何言っちゃってもいいんですよね?

 私の夢は――転校してきたばかりなので、みんなと仲良くすることです。


 あと、自己紹介を聞いていて、みんなの夢が叶ったらいいなって思ったので、それがまるっと全部叶いますように」



――◆――



 バク子が職員室に戻っている間、廊下側一番後ろ――花音の席の周りには人だかりができていた。

 オレはといえば、新居に引っ越してきたごとく、一番窓際の一番後ろの席に座っている。春の日の光も差し込んで、ああ本当に居心地が良い。こういう時は寝るに限る。


 ありがたき幸せ、それもこれも花音の自己紹介の後、新学期恒例、席替えが行われたおかげだ。


 「なんって欲のない子なの!?さすが寺に居候しているだけあるわ。そして大トリであんなこと言うとは、里見さん、やるわね!先生言うことなくなっちゃったわ」


 バク子から絶賛を浴びていた花音は、しれっとした顔をして、


 「先生、私の名前もみんなみたいに呼び捨てでお願いしますよう」


 ――なんて言って担任からの異常なまでのアクティブな褒めっぷりをかわしていると


 「バクちゃーん、新学期なので席替えがしたいでーす!」


 そんな声がクラス内からちらほら上がり、以後転入生歓迎会はえんもたけなわとなり、席替え抽選会となった。

 その名残が今でも黒板に残っている。でんと書かれた机の配置と、1から33まで列の順番どおり整然と書かれた数字。

 そしてオレは見事、窓際最後列の数字を獲得、してやったりだった。

 うつらうつらしていると、遠く離れたちょうど真横に位置する花音の席から、さまざまな声が聞こえてくる。


 「前の学校ではなんてあだ名だったの?なんて呼んだらいいかな」

 「私は里見さんのこと、カノンって呼んでいい?何かかっこいい名前だよね!」

 「花音さんって、小学生に間違えられたりしない?」

 「こういっちゃ失礼だけど、ほんっとちっこいよね〜身長何センチ?」

 「運動部って興味ない?あっ、でも3年生だからすぐに引退だけど」


 そんな他愛もない会話から


 「さ、里見さんって前の学校に彼氏とか…いたのかな?」

 「げっ、男子最悪〜、そんなの聞くなんて失礼極まりないっての」


 ――とまあ、さまざまな質問攻めで、花音が何かを言うたびに、集合地帯から歓声が上がる。

 しかし転校生ってだけで、あの集客力は何なのだろう。新しいモノに群がるクラスメートたちよ、転校生にこれだから田舎の学校は~って思われるぞ。まあいいさ、どうであれ、きょうも平和でなによりだ……と思ったところ、一際高いどよめきが起きた。


 机に伏せていた頭を思わず上げ、反射的にその方――花音の机の方向を見ると、集団の中にいた木春と目が合った。


 「げっ」

 と声を出したのが運の尽きか、慌てて目を窓側へと逸らしてももう手遅れ、木春がずんずんこちらに向かって歩いてきた。


 「さては、ふて寝をしつつも花音ちゃんが気になるのね」

 「んなことあるか。あんな大きなどよめきに条件反射してしまっただけだ。オレはこう見えても前世は音に敏感な一匹オオカミだったからな」

 「臆病なヒツジの間違いじゃないの?……まあいいわ。特別に教えてあげる」


 ふふん、と木春は、自慢そうに両方の手で3、3、と三本指を突きつけてきた。


 「33センチ?お前、それしかバストなかったのかよ……」

 「ばっ!……違うわよっ、花音ちゃんの誕生日が、3月3日だって言ってんの!」


 ばっ、の後には木春の肘がオレの後頭部を直撃していた。


 「痛ってーなー!…それのどこがすごいんだよ。ひな祭りだからか?誕生日が3月33日だって主張するならその頭の中身に驚くけど」

 「はぁ?なにひねくれたこと言ってんのよ。普通にすごいでしょ?だって、3年3組、出席番号33番、それで3月3日生まれなのよっ。3が6つ、ゾロ目よゾロ目!」

 「……はあ。んなもん、今年1年ぽっきりの限定商品みたいな価値だろ」

 「だーかーら、それがすごいって言ってるんでしょう?たまたま転校した学校でゾロ目っていうのがさぁ。何で素直にこの驚異を喜んで分かち合えないのかしら。共感や反応が薄いと幸せと髪の毛まで薄くなるんだからねっ!」

 「バク子みたいなこといいやがって……んなことよりくじ引きして、同じ廊下側の一番後ろの席ってほうが、運がなさげで確実にすごいんじゃないのか?席替えなくても、きっとあの席に座らされてたぞ」


 それでも木春は食い下がらない。


 「それも含めて〝すごい〟って言ってるんでしょ?くじで33の番号を引いちゃうんだしっ」

 「ああそうですかいっ――なあ、あかりはゾロ目と同じ席になるのとどっちがすごいと思う?」


 ここは逃げの一手を打つべく、斜め前の席、オレ以上に反応の薄い無口系運動女子に声を掛けた。


 「――くじ引きは33分の1だけど、短距離でもリレーでもゾロ目を出したことはないから、すごいと思う」


 それだけ言って、灯はつい先ほどまで眺めていた体育の教科書に目を落とした。なるほどな、陸上部の無口ッ子はそういう判定方法できたか。というか、授業もない日にそんな本を持ち歩いて眺めているとはどれだけ運動マニアなんだか。


 「ほらみなさい!灯だってすごいって言ってるんだから、本物よ、ほ・ん・も・の!」

 「灯はすごさの鑑定士なのかよ」

 「せっかく教えてあげたのに、そんなへりくつばっかりじゃあ、ほんっと興ざめよね。教えがいってものがないわ」

 「本当にそうだよなあ。……悪い悪い、数字には興味なくて。しかし木春、本当はオレと席が離れて寂しいから、ゾロ目情報教えるのを口実にしてオレに声掛けたんじゃないのか?」


 そう言ってやると、木春はふいににっこりと笑い、表情を崩さぬままオレの机の上にバンッと両手を叩きつけて、髪をなびかせて再び花音の方へと戻っていった。

 おー、怖っ。そしてお気の毒さま、オレの机。かわいそうだからお前を慈しんでやるべく有効活用してやるから……と机を抱え込むように再びうたた寝しようと顔を伏せた矢先。


 「おしどり夫婦とは、間堂と三ツ面さんのような関係を言うのかもしれんな」


 中学生らしからぬ上から目線のような語尾、官太朗が腕を組みながら近づいてきた。


 「そうだな……といいたいところだが、分かってないなあ。オレはおしどりみたいに毎年幼なじみをとっかえひっかえ携えてはないからな。官太朗様ともあろうものが、鳥の生態も知らないのか」


 惰眠を妨げてきた官太朗にそう太刀打ちした。


 「国語的なたとえをわざわざ生態学的見解で否定しても何にもならん。間堂は逆に感謝すべきだ。特段に君を相手にしてくれる三ツ面さんと、この僕に」

 「……ああそうだな、感謝してるよ。常々いらない一言を発しているのは分かってるつもりなんだ。でも懲りずにオレの相手してくれるってことは、言葉攻めを受けたいマゾ的な性格を満たしているのかと思ってさ」


 そう言ってやると、官太朗の右目が渋柿でも食べたかのように閉じられた。官太朗のクセの一つだ、心のどこかがイラッとしたのだろう。


 「前半の感謝と自戒の言葉だけ受け取る」


 偉そうな口調しやがって。まあいいさ、それも官太朗の個性だからな。


 自己紹介でも自負していたように、官太朗はいわゆる「おぼっちゃま」や「御曹司」の部類に入る。「ダイク・グループ」といえば地元民ならひれ伏す、そんな企業。父親が会社の創設者、つまり初代社長なもんで、学校の中でも一線を画している存在だ。

 噂では金持ちがやるような道楽――テニス、ゴルフ、乗馬、ヨット、カジノなどの類、酒池肉林は当然のごとく、ハーレムなんかも体験してるんだろ――は一通りこなしているとかで、確かに世の中を俯瞰してますって風情だけはあり、常にしたり顔だ。


 しかし、その風情がいまいち様になってないのは身長のせいだろう。身長155センチということを除けば平均的な一般市民とはかけ離れた暮らしをしている。世の中、チビ男子には手厳しいからな。

 それでも女子に根強い人気があるのは育ちの違いからか、はたまた気品ってやつ?もしくは玉の輿狙いってこともあるな。まあその分だけ、一部男子からは若干遠巻きにされている。だからなのか、友達が少ないからなのか、やたらとオレに突っかかってきては、自論を展開し始めたりする。そんな官太朗が、


 「確かにさきほどの話といい、里見さんは興味深い」


 と、右手の親指をあごに付きたてながら小首を傾げてきた。やれやれ。


 「木春が言ってたやつか?それとも一目惚れってところか?まあ、恋愛はオレの分野外だから、口は挟まないが、確かにゾロ目は本人が狙ってできることでもないしなあ……それなのにさ、木春のやつ、あそこまで言うのにゾロ目が10個になるってことに気付かないのがわけわからん。というか官太郎も数字崇拝者なのか?」

 「経営に数字は欠かせぬため注目はしているが信仰心はない――それにしても、ゾロ目が10個とはどういうことだ?」


 何だ、こいつも気付いてないのか。


 「花音の苗字は里見、音だけでいえば、さ、と、み、〝三十三〟とも書ける。名前にも3が入ってる」

 「……なるほど。言われてみればそうだな。君が数字に興味がないというのは嘘だったようだな」

 「お前、どこからオレたちのやりとりを注目してたんだ。油断ならないな。オレか木春のいずれかに恋心でも抱いてるのか」


 オレがそういうと官太郎はかぶりをふって去って行った。何だ?図星だったか?それともさすがに愛想つかされたかな。

 3または33に縁のある女子、か――何ともなく花音のいる人だかりの方をみると、右手を頬に当てて微笑む花音と目が合った。……しまった、慌てて目を逸らす。


「里見さんって、間堂と知り合いなの?」


 そんな声がして、ぎょとした。目が合っただけで何でそうなる、と思ってさりげなさを装って周囲に気付かれぬよう花音を見直してみると、片手でほおづえをしながら、もう片方の手を軽く、こちらに向かって振っていた。それも大好きな食べものにありつけます、っていうような、満面の笑みで。


「あいつって誰のこと?」


 花音が笑いながらすっとぼけたような声で疑問を投げかけたクラスメートに聞く。


「間堂くん」


 いいえ、違います、とオレは心の中で代わりに返事をしてやったのに、 


 「うん、知り合い」


 

 と花音が平然と、さらっと笑って答えた。

 ええ~~っ!と女子たちの悲鳴と男子のうめき声が響き渡る。


 「なになに?どんな知り合い?」

 「あんなのと会話するの?」

 「いとことか、親戚とか?」

 「まさかまさか、彼氏だったりしないよね?」


 勘弁してくれ、そう、何かめんどうなことが起こる予兆がした。


 女子が意味ありげに男子に手を振るなんて、恰好のネタにされる、そんな、恋愛がしたくてうずうずしている年頃になっているクラスメートたち。その思春期のうずうずした感情の犠牲になんて、なりたくない。


 どうか、運命とか何とか変なこと言い出すなよと、信じてもいない神様に心の中で十字架を切っていると


 「天命の人なの」


 さらりと花音が言い放った。ああこれで終わった、オレの平和な中学校生活――。


 「てんめい?……ああ、間堂って、確かにお店の名前っぽいよね。〝堂〟ってあたりが」

 「あー……なるほど。店名の人。花音さんって面白いのね」


 神様、ありがとう!崖っぷちで助けてくれたのはしゃくに障るが……とオレは心底そう思ったのだが


 「ううん、天に命って書いて、天命の人。運命の人ってことだよ!」


 花音は漢字覚えたてで自慢したがりな小さな子どものように、無邪気な笑顔で言った。

 刹那に無音となった教室内でオレは悟った。

 今度こそ、トドメを射された。終わったぜ、オレの平穏な学校生活が――。



――◆――



 「まったく、ふざけんなっての」

 「えー?ふざけてないよう。激烈大真面目にまっすぐ歩いてるよ?」

 「もう存在自体が大ふざけだ。困る。大いにオレは困ってる」

 「なにが?」

 「意味深にオレに向かって手を振るなっての。その結果が、これだ」

 「意味なんてないよ、条件反射的だもーん」

 「とぼけるなっ、ほんっとふざけんな。仮に条件反射だとしたら本当にたち悪い。迷惑極まりない」


 おれはそう言葉をこぼした。


 花音が〝魔の宣告〟を下した後は、そりゃあもう教室中上へ下への大騒ぎだった。そしてクラスメートたちの粋で斬新かつ残酷な計らいにより、花音と2人で下校している。これが気の弱いいじめられっ子だったら、明日から登校拒否、あわよくば自殺しかねないぞ。しかしオレはそんな繊細な精神の持ち主じゃあないからな。感謝しろ、同級生という名の悪魔の申し子どもがっ。


 それにしても木春に至っては「どっちにしてもいい機会じゃないのっ。花音ちゃんはまだこの辺りの土地勘がないだろうから、黙ってしっかり家まで送ってあげなさい!」だとさ。何で目を吊り上げて命令口調で言われなきゃならないんだ。しかも、どっちにしてもって何だよ。


 あの騒ぎの中で木春と二言三言やりあったのち、「羨ましいのは分かるが、お前も早く送り迎えしてくれる彼氏をつくればいいんだ」とつい余計なことを言ったのが悪かったのか?……。官太朗に至ってはあごに手を添えて鼻で笑いやがった。ああもう。


 しかたない、この状況は〝困る〟のだが、事は成り行き、世は情けと割り切ることにした。ぶち切れて下校をボイコットしても、どうせ後にその事実がばれて邪悪なクラスメートからまたどうでもいい非難をされ痛い目を見るわけだ。だったらこうして諸悪の根源に対して愚痴の一つくらい面を向かって言わせてくれ。

 ――そんなことを回想していると、横からこんな声が聞こえてきた。


 「どうして?どのへんが困るの?」


 花音が真っ黒な瞳で真っ直ぐにオレを見上げてくる。サンタを信じているような子ども目線でこちらを見てくるなっ。お前は本当に思春期えんたけなわな中学生なのか?この状況を察してくれよ。


 「こうしているだけでも大いに困ってる」

 「え〜私困ってないから大丈夫」


 こいつは会話を自己中心的に考える性分なのか。


 「オレは大変困っている。ほんと迷惑だ」

 「ぜんっぜん理由になってないよう」

 「あのなあ、こうして男子と女子が2人っきりでいる状態が、めんどうなんだよ」

 「ええ〜?私めんどくないよ、気にしない気にしない♪」

 「オレは極めてめんどうだっ」

 「ただ一緒に歩いて帰ってるだけなのに?全然めんどうかけてないよっ、私自分の足で歩いているし、手間取らせてないもーん」

 「介護的な手間暇じゃなくって、こう……精神的な問題なんだよっ」

 「精神的なめんどくささで困ってるなら、私相談にのるし。それにそんな理由じゃあ何人たりとも納得しないと思うよ〜?」

 「お前と歩くのがめんどうなだけで、何で、そのめんどうな根源に相談しなきゃなんないんだよっ」


 ああ、なんだこの会話のクロスカウンターはっ。もう仕方ない。正当なオレなりの理由ってやつを言い渡してやるしかない。


 「あのなあ。都会の学校はどうだか知らんが、こんな田舎の中学生にもなると、男女2人きりで帰るってのは、事実はさておき、そういう仲だって周りに冷やかされて、ヘタすりゃつるし上げ状態にからかわれるんだよ。ばかばかしくてめんどうな話だけどさ。オレは同級生の女子とその――付き合ってるとか、恋愛とかって心底興味ないんだよっ。

……基本的にオレは一人で帰宅するのが好きなんだ。それにオレの数少ない出会いの機会をお前のせいで逃してるんだ」


 花音の耳にかかった黒い髪の束が若干ゆらめいた。きょとんとして首をかしげている。はあ、とため息をつきたくなるほどのおとぼけ顔だった。


 「――オレは年上が好みでさ。そんな好みのお姉さんと出会える唯一の機会が登下校時間なんだ。高校生は登下校、大人は出勤帰宅とかでさ。

 お前みたいな女子と歩いていたら、彼女とかロリコンと思われてみすみす出会いをなくしてしまう。だから迷惑だ」

 「大丈夫だよ~、運命と恋愛は別物だから。私と間堂くんは運命で結ばれてても、他人からみればきっと兄妹に思われるから問題ないよう」


 運命のくだりは無視するとして、全然大丈夫じゃない。花音よ、さっき向かいの道路を歩いていた女子高校生の集団は『やだ~あのカップルかわいい~』『若干遠めの2人の距離が初々しい~』『私も早く彼氏ほしい~』と言ってたんだぞ。ああなんでこんな初対面同然の相手にオレの恋愛対象や好みを披瀝しなきゃならないんだ。


 花音のことなど気にもせず、ずんずんと歩いていく。花音は時々小走りになりながらもオレのあとを付いてきていた。一体どこまで付いてくるんだ?……そうか、浄土寺までか。どうあがいても自宅に帰るには寺の前を通り過ぎるルートだった。


 一歩一歩足を前に踏み出す。寺が近づいてくるごとに、もう少しでこの状態から開放されるという気持ちとともに、いい知れないイライラがわき上がってくる。

何でオレがこんな不本意な目に遭ってるんだ?そうだ、そもそも昨日寺であいつに会わなければ、こんな状況にはならなかったのに。


「もう送ってやるのは今日だけだからな、オレにつきまとうな」


 寺の塀にさしかかったとき、思わず口について出た。

 マンガやドラマの登場人物とか、男前が言う台詞と思ったのになあ。まさかこのオレが言うとは。

 言われた花音は一瞬、ひるんだような顔になり、その表情は急ぎ足で歩くオレの後方へと過ぎていく。

 ようやく傷ついたのだろうか、歩みを止めたのだろう。

 これで俺は自由の身、気にせずに早足で歩いて花音を振り切ろう……と思ったら、背後から下駄のような足音が聞こえてきた。



 「だったら……一緒に歩いてもいいかしら?」



 「は?」



 若干ハスキーな女性の声に驚いて振り向くと、目の前に、白い唐傘を差した深紅の着物姿の女性がいた。

 歳は大学生くらいだろうか、高く結い上げた黒い髪、白い肌、憂いを含んだような涙目の大きな瞳、ぽってりした唇。

 大和撫子という言葉がふさわしいような、そんな女性が胸元に手を重ねて、肩にかけた唐傘をくるくると回している。


 「一緒に歩いてもいいかしら?」


 再度そう言う声が、息が、オレの顔にかかりそうな近距離で、思わずオレはのけぞった。その時、女性の帯から下の風変わりな状態に気づく。


 「歩くのはいいけど……何のコスプレ?もしかして変質者?」

 「コスプレって何?」


 そう聞き返してくる目前の女性は、帯から上が和風美人、帯から下が制服らしきスカートというちぐはぐな恰好であったのだ。

 こちらの目線の先の行方に気がついたのか、女性は自分のおへそをのぞき込むように帯の下を見た。


 「あっ、しくじった〜」


 女性はそうつぶやき、おほほと袖口で口を隠して笑いながら、オレが歩いてきた道の方向へそそくさと去って行く。その後ろ姿を、ただ呆然と見ていた。その女性が遠くの塀の角を曲がり、姿を消してからようやく我に返った。


 一体なんだったんだ?


 『しくじった』って何だよ。

 気にはなるが、追いかけるか?塀の角の向こうを見てみるか?

 というか、そんな躊躇して考えをめぐらせている場合か?

 意表を突いた出来事で呆気にとられて固まった体を、動かす。駆け出して塀の角の向こう側を確認する。

 そこは誰もいない、見慣れた登下校の道しかない。


 一体どこへ?さらに戻って探すか?


……いや、やめておこう。触らぬ神に祟り無しってやつだ。新手の変質者かもしれないし、単なる頭のおかしいやつかもしれない。自らめんどうで危険な可能性のあることに首を突っ込むまでもない。


 というかここでさらに見に行こうとしたら、反応したら負けになるような気がする。何に負けるのかといえば……こう、さっきの状況を仕組んだ張本人、あの女性とか、陰謀者とか、神様とかってやつに?


 それにしても、さっきの女性、若干好みのタイプだったんだよなあ。ただし上半分に限るけれども。

 人というのは思いがけない状態に遭遇すると思考も身体もこりかたまるものなんだな……と妙に納得しているうちに、素朴な疑問がわいた。


 ――花音はどこへ行った?


 そんな考えが頭をもたげたが、それはなかったことにする。あいつについてくるなと願ったくせに、所在を気にするなんてのは野暮ってもんだ。ああ良かった。願いが叶った。

 それに、そう、おおかた、あれだ。

 オレにあしらわれてしょぼくれた挙げ句、あんな変な女性を見て思わず逃げたってところが妥当かもしれない。でも逃げたとしたらどこへ?

 路上で足に絡まったコンビニ袋みたいに、ずるずると花音のことを考えている自分に嫌気がした。


 きっと、そう、寺の塀づたいに裏手から入っていったんだろ。そう結論づけて無理やり考えを終わらせた。


 浄土寺の正門にさしかかる。そこからはみ出さんばかりに立っている大松を見上げた。


 ――あのとき、松の木なんか見上げるんじゃなかった。


 そう愚痴って、今言ってることとやっていることが矛盾しているのに気がついて、 慌てて松から目を逸らした。


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