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地獄より愛を込めて

作者: 緒方あきら

 拝啓、愛しのマイハニー。俺は今日も元気に死んでます。


 ここは地獄の四丁目、強面獄吏に生唾ゴクリ。

 ポックリ死んだら贖罪スタート。

 水車を横倒しにしたような滑車をグウルグウルと押して回してくそったれなエブリディ。


 二年前にアル中の車に猛アタックされちまった俺はそのままポックリ逝っちゃって、あれよあれよと気づけば地獄行き。

 目が覚めたら死んでいました、なんてくだらねぇジョークが炸裂だ。

 こんがり焼かれた俺の身体は骨だけ残り墓場行き……とまぁそこまでは良かった。いや全然良くなかったんだが、そこに来て弱り目に祟り目。俺の魂ってやつは針山血の池どんとこいな最低な場所に招待されちまったらしい。


「生前はそれなりにいい子だったつもりだけどねぇ」

「おらぁ! 罪人ども、無駄口を叩くな! しっかり滑車を回せ!」


 馬鹿みたいに怒鳴り散らしているのはここ、地獄の四丁目担当の閻魔親父だ。

 俺が高校のころに働いていたパン工場の工場長にそっくりで、何度も工場長と呼んでは鞭打ちの刑にされていた。

 まぁ幸い死んでいる俺は今更鞭をくらったところで痛くもかゆくもない。閻魔工場長の顔も妙に懐かしくって嫌いになれず、それなりの地獄ライフを送っていた。


「毎日毎日こんな意味のないもん回させやがって。こいつはどでかいマニ車かよ」

「この滑車、押しづらいように地面のボルトで調整してるんだぜ、世知辛いよなぁ地獄は」


 となりで滑車を押す助六さんがのんびりとした口調でごちた。

 表情はわからない。というのも助六さんは地獄勤務の大ベテラン、いまやすっかり骨だけ人間になってしまっているのだ。


「にしても、啓やんもその若さで事故とはついてないねぇ」

「ほんとっすよ。おまけに清く正しく働いて地獄行きとは神も仏もないもんだ。閻魔はいるってのに」

「害虫駆除が大罪だなんて、道徳の教科書にも書いてなかったけどね」


 俺は生前、害虫駆除の仕事を行っていた。

 それによって、多くの罪のない命を奪ったなんたらかんたらってんでここに放り込まれたわけだ。


「助六! 啓一! 口を動かさないで身体を動かさんかー!」


 閻魔が目ざとく俺たちに鞭をくれる。いまや何かぶつかった程度にしか感じない鞭を受けつつ、この閻魔も全員の名前を憶えてマメな野郎だと感心してみたりする。住めば都とまではいかないが、ここの生活も案外悪くはなかった。

 これでタバコが吸えて酒が呑めりゃあ、もうちょっと地獄ってやつを見直しているところなんだが。


 ◇ ◇ ◇


「ひい、ふう、みい……。結構溜まったな」


 俺は針山地獄の横に浮かび上がった石版の字を見つめて一人で呟いた。

 ここには地獄での労働対価であるカルマとかいうやつが掲示されている。一人ひとりのカルマが毎日更新され、これを使うことで地獄の連中はカルマの量に応じた希望を叶えることが出来るらしい。


 例えば沢山のカルマを溜めれば、天国とやらに行く蜘蛛の糸を垂らしてもらえたり、生まれ変わりの順番待ちに入れたりする。

 少子化の影響で順番待ちは長蛇の列らしいが、今のところ生まれ変わるつもりがない俺にはそっちの事情はよくわからなかった。


「啓やん、カルマなんか数えてどうした? 二年目じゃまだまだなんにも出来ないぜ」

「でも、数時間くらい地上に戻ることが出来そうなんすよ」

「ほう、今更うえにあがってどうするってんだい?」


 骨だけの助六さんが首をひねる。今にも頭蓋骨が落ちるんじゃないかと不安になった。


「明後日、付き合っていた彼女の誕生日なんすよ」

「それで会いに行きたいってか。純愛だねぇ」

「会いに行くっていうか……。あれっす、一言お祝いが言えればいいんですよ。おめでとうって言えればいいかなーって」

「それだけのために二年分のカルマを使っちまうのかい? もう彼女さんだって、新しい生き方を見つけているかもしれないんだぜ」


 助六さんの言葉に、俺は苦笑した。


「俺もすっげぇ迷ったんですけどね。悔しいけど、俺のことなんか引きずらずに幸せになっていて欲しい気もしますし、そん時はそん時で。でも、誕生日だけは祝いたくって」

「そりゃあまた、どうして?」

「俺、ガキの頃は誕生日なんてくだらない、歳を取るだけだ、なりたくもない大人に近づく嫌な日だって思ってました」

「あー、そりゃあわかるなぁ。俺もそんな風に思ってた時期があったわ。もう何十年も前だけどな。カカカ」


 歯を打ち鳴らして笑う助六さん。俺は滑車を押しながら目を閉じた。

 まぶたの裏側に、今でも大好きな恋人であるしぃちゃんの笑顔を思い描くことが出来た。俺の誕生日を祝おうと言ってくれたしぃちゃんに、俺は誕生日なんて祝わなくていいって言ったっけ。

 そしたらしぃちゃん、すっごい真面目な顔をして言ったなぁ。

 『啓ちゃんが生まれて来てくれたとっても素敵な日じゃない! 私に思いっきり祝わせて』って。

 それから毎年、しぃちゃんは俺の誕生日を精一杯祝ってくれた。俺もしぃちゃんの誕生日を、しぃちゃんがこの世界に生まれてきてくれた日を心の底からお祝いしたもんだ。


「俺、今年もしぃちゃんの誕生日だけはきちんと祝いたいんす。彼氏とか出来てて迷惑だったら、そっと遠くから幸せを祈るだけでもいいっす。だから明後日……って、助六さん?」

「うっ、ううう。啓やんの彼女、良い子だったんだなぁ。そんで、啓やん。アンタもいいやつだなぁ。俺は感動したぜ。閻魔さーん!」


 出るはずのない涙をぬぐって、助六さんはでかい声で閻魔工場長を呼んだ。そして手早く俺の考えを閻魔に伝えてくれた。伊達に骨になるまで地獄にいない。


「明後日が大切な誕生日か……」

「やっぱ今のカルマじゃ難しいっすかね?」

「いや、数時間ならば地上に行くことも出来るんだが……」

「出来るんですか!? お願いします、閻魔工場長!」

「工場長じゃない! うむ、まぁ、わかった。明後日の夜、数時間の地上復帰を許そう」

「ありがとうございます、閻魔様!」

「ただし、今のカルマで地上に戻るとなると……」

「いやったー! しぃちゃんの誕生日を祝える! 俺、今日明日めっちゃ働くっす! ありがとうございます!」


 勢いよく滑車を押し始めた俺を見て、閻魔工場長は難しそうな顔をしてその場を去っていった。俺はしぃちゃんを祝えることで頭がいっぱいで、工場長のあの顔が何を意味するか、全く考えもしなかった。


 ◇ ◇ ◇


 二日後、現世日時では九月の十三日の夜六時に俺はカルマを使い切って地上に戻ってきた。

 貰った時間は六時間。地獄から這い上がって出た場所は、俺の墓場の前ときたもんだ。墓からずるりと抜け出した俺に、さっそく想定外の事態が襲い掛かった。


「ああ、ちくしょう。なんだこれ! 死んだときの姿そのまんまじゃねーか!」


 そう、俺はカルマ不足で身体の修復までは行えなかったのだ。

 墓場から這い出す事故直後の遺体。

 まさにリビングデッドってやつだ。オーマイガー。右腕と左足が折れて変な方向に曲がっているし、顔だって傷だらけだ。なんてこったい。


「しぃちゃんには顔を見せないほうがいいかもなぁ。クソ閻魔めー」


 俺が愚痴ると、空に輝く一際赤い星がきらりと光った。

 あそこが地獄の四丁目に通じる星らしく、現世に戻るやつがいる場合、常にああして見張りをしているらしい。

 ボロボロの服に満身創痍の身体。この見た目で、そもそもしぃちゃんの家まで無事に行き着けるのだろうか。俺の墓地は津田山で、しぃちゃんの家は川崎である。電車で一本、それなりに近い距離ではあるが……。


「人目につくのはヤバいかなぁ、救急車に乗せられたらお終いだし」


 心肺停止状態で運ばれてしまえば、しぃちゃんの家は夢のまた夢。俺の現世での数時間は集中治療室で終わってしまうことだろう。とはいえ、行くしかないのだけれど。

 ポケットに手を突っ込むと、中に500円玉がひとつ転がっていた。


「これが俺のカルマのお釣りってわけか。シビアだねぇ」

 

 なけなしの切符代を握り締め、俺はボロボロの身体を引きずって最寄り駅に向かい歩き出した。



 駅の券売機には数人の列が出来ていた。いきなりの難関であるが、ここで立ち往生している時間はない。止む無くパーカーのフードを目深に被り、券売機の列に並ぶことにする。


「やれやれ」


 出だしからアンラッキーで、ついつい独り言もこぼれようってもんだ。

 ちなみに俺は閻魔に頼み込み、声だけは生前と同じものが出るようにしてもらっていた。しぃちゃんにお祝いの言葉を告げるときは、かつての自分の声で祝いたかったのだ。


 ようやく券売機の前に到着すると、俺は動かしにくい腕で500円玉を取り出した。

 事故後の身体は震えてしまって、うまく硬貨を入れることさえ出来やしない。

 もたついている俺に、後ろの女子高生の視線が刺さる。なんとか切符を購入するとさっさと改札を通り抜け、電車を待つホームに立った。

 人が少ない場所を選んで並ぶ。それでも、あちこちからの視線が痛かった。


「やっぱ、目立つよな。なんもなきゃいいけど……」


 ホームに電車が滑り込んでくる。

 車内はそれなりに込んでいて、満員電車一歩手前といったところだ。

 こいつはまずい。どうしたって折れ曲がった足が邪魔になっちまう。

 複雑骨折して骨の浮き出た足に気づかれれば、席を譲られるではすまないだろう。

 しぃちゃんの家がこんなに遠く感じたのは初めてだった。俺はこそこそとやってきた電車に乗り込んだ。すぐに電車が走り出す。発車時の揺れは曲がった足にひどく響いて、よろけた俺は隣のサラリーマンの肩にぶつかってしまった。


「おい……。あっ、ひどいケガじゃないですか、大丈夫ですか!?」

「失礼、ちょっと足が悪くて」


 引き気味のサラリーマンの顔を見て、俺は電車の窓に映る自分の姿を改めて見返した。

 幽霊みたいな真っ白な顔色……いや、幽霊みたいなもんなんだけど。足も腕も変に曲がっていて、服はそこらじゅう千切れている。

 周りの目を気にしつつ、サラリーマンをやり過ごす。

 しかし、俺の地獄耳に「駅員さんを……」「ううん、救急車を……」と言い交すおばさん連中の声が聞こえた。


 束の間、俺は迷った。


 このまま周囲の目と声を無視して目的地を目指すか、それとも電車をあきらめるべきか。目指す駅までは、まだ少々時間がかかる。最悪なことに、向こう側の車両に乗客に連れられてくる車掌の姿があった。


「ああ、くそ!」


 車掌に捕まれば降ろされて救急車を呼ばれる可能性が高い。

 俺は慌てて電車のドアまで歩いて行った。幸いすぐに電車は次のホームに滑り込み、俺は人をかき分けて迫ってくる車掌から逃げるようにして電車を降りた。

 急いでホームの隅にあるトイレの個室に駆け込んだ。


「参ったな、どうやってしぃちゃんの家まで行こう……」


 頭を抱えた俺の耳に車のクラクションの音が飛び込んできた。個室の隅にある小窓から外を覗くと、タクシーの停留所に一台の霊柩車が止まっている。


「まさかお迎えじゃねぇだろうな。さすがに早すぎるぞ」


 眉をしかめて見つめていると運転席のドアが開き、小太りのオッサンが顔を出した。


「啓やん、俺だよ俺。乗ってかない?」

「その声は……助六さん!? なんでここにいるんすか?」

「細かい説明は後。急いでいるんだろ、乗った乗った」


 トイレを出て改札を抜け、一際目立つ霊柩車の助手席に乗り込む。

 俺が座ると助六さんはすぐに霊柩車を発進させた。


「助六さん、どうしてここに?」

「閻魔様が啓やんを手伝ってやれってさ。格安で現世に送り出してくれてね」

「閻魔が? でもせっかく溜めた助六さんのカルマを少しとはいえ……」

「いいのいいの、啓やんと彼女さんのために一肌脱がせてくれって。飛ばすぞ!」


 むしろ白骨から一肌着て登場している助六さんであったが、とにかく俺は好意に甘えることにした。

 霊柩車が物凄い速度で道路を走り抜けていく。

 助六さんはクラクションを鳴らしまくって、信号さえもお構いなしである。


「助六さん! 飛ばし過ぎっす!」

「ははは、なぁに、ちょいと事故っても俺たちは痛くも痒くもないさ! 死んだ時を思い出すねぇ!」


 豪快に笑いながら荒い運転を続ける助六さん。

 俺はジェットコースターの最前列に乗っちまったような重力を感じながら、助六さんの言葉の意味に気が付いてしまった。


「助六さん、死んだ時を思い出すって、まさか……」

「俺の死因、ハンドル操作のミスで事故死なの」

「はぁ!?」


 おいこら閻魔、どう考えても人選ミスじゃねーかこれ。


「安全運転! 安全運転でお願いします!」

「何言ってんの。青は進め、黄色は迷わず進め、赤は思い切って進め! だろ!?」

「だろ!? じゃなーい! おーろーせー!」


 爆走する霊柩車。俺を乗せた快速特急は結局一度も止まることなく、目的地へと一直線に走り続けたのであった。


 ◇ ◇ ◇


「ぶ、無事に着いた……奇跡だ……」


 助六さんの運転する霊柩車を降りる頃には、俺はすっかり目が回っていた。

 頭が重い、死人でも車酔いというものをするのであろうか。

 しぃちゃんの住んでいるアパートの前で、俺はすでに動いていない肺を膨らませるように深呼吸した。

 止まっているはずの胸がドキドキして、緊張に包まれる。しぃちゃんは今日、果たして家にいるのだろうか。それに、もう俺と死別して2年の歳月が過ぎている。可愛くて優ししぃちゃんには、きっといい相手が見つかっているに違いない。


「男が出来てたら、そりゃあつらいけど、でも……」


 それでも、例え全て徒労になったとしても――。

 俺はしぃちゃんを祝いたかった。

 もしも幸せを掴んでいたのなら、その姿をそっと見届けるだけでも良かった。俺に沢山の笑顔と幸せをくれたしぃちゃんは、今を笑って生きていてくれているだろうか。

 階段を昇る。

 301号室、彼女の部屋だ。

 表札の苗字もしぃちゃんのものだから、今もここで暮らしているのだろう。もう一度、深呼吸をする。その時、ドアの向こう側から大きな足音が迫ってきた。俺は慌てて四階に続く階段の影に隠れて廊下を覗き込んだ。


「じゃあ、また来るから」

「うん、ありがとう」


 男の低い声がして、そのあとに耳になじんだしぃちゃんの声がした。背の高い、しぃちゃんより年上に見える男の背中と足音がエレベーターホールへ遠ざかっていく。ドアの閉まる音が、俺の頭の中に重苦しく響いた。

 誕生日のしぃちゃんの家から、男が出ていった。

 それって、つまり――


「そっか。そう、だよな。もう、俺が死んで二年だもんな」


 覚悟はしていたはずなのに、心にぽっかり穴が空いちまったような寂しさと苦しさに襲われる。

 つぅ、と頬に汗が流れた。

 そんなバカな、そう思って指で触れると、俺の目から一筋の涙が零れ落ちていた。


「なんか、仲よさそうだったな。これでいいんだ。これで」


 折れ曲がった足を持ち上げるようにして、膝を抱え俯いた。

 閻魔さん、助六さん。俺の徒労につき合わせちゃってごめんな。もう、あの子に俺は必要なかったみたいだ。


「しぃちゃん……」


 生きているあの男と、死んでいる俺。

 比べるまでもなかった。

 一年にたった一回の誕生日。おめでとうくらい、伝えるべきだろうか。けど、そんなの俺のエゴでしかなくて……。

 車のクラクション。

 アパートの前で、助六さんが俺を見ていた。

 空を見上げると、赤い星がチカチカと輝いた。


 二人とも、俺のたった数時間のわがままのために苦労をしてくれたんだ。

 それに、元々しぃちゃんに彼氏が出来てるなんて覚悟の上だったはずだろ。

 俺はしぃちゃんの前に現れて、彼氏面をしたかったのか? 違う、そうじゃない。俺はただ、彼女の一年に一回の誕生日を祝いたかっただけだ。


「助六さん、閻魔さん。一回だけ、やってみるよ」


 階段から立ち上がり、しぃちゃんの部屋の前に座り込んだ。後ろ手にドアに触れる。

 俺としぃちゃん、二人だけの合図。ゆっくりと、二回。続けて素早く三回、ドアをノックする。きたよ、という合図を二人で決めた。お互いの背中を、戯れにノックしあったりしたっけ。


「なんだよ、くそ。なんかつれぇ……」


 戻れない時間。

 あのころの、特別な空間。懐かしさを感謝に変えて、俺は震える手でドアをノックした。


 コン。 コン。 コ、コ、コン。


 静寂に包まれたアパートに、ノックの音が静かにこだました。

 そして、音が消えた。長い静寂。諦めて立ち上がろうとしたとき、ドアの向こうから小さな足音が近づいて来た。


「どなた、ですか?」


 しぃちゃんの声が震えていた。

 俺は何も言えなかった。

 ドアに背を預け、向こう側から聞こえてくる懐かしい声と空気を全身で感じる。ドアノブがかすかに動く。


「……啓ちゃん?」


 胸が締め付けられる。

 生きていた頃だって、こんな切なさ味わったことはない。

 しぃちゃんは、俺の合図に気づいてくれたんだ。


「……しぃちゃん」

「啓ちゃん! 啓ちゃんなの!?」


 ドアノブが激しく回された。俺は背中でドアを押さえつけて言った。


「しぃちゃん、そのまま聞いてほしいんだ」

「啓ちゃん、どうして開けてくれないの? 顔を見せて! 会いたいよ……」

「俺、事故って死んだでしょ。今、その時のまんまの姿しててさ。見た目、やべーんだわ。それに、すぐにあの世ってやつに帰らないといけないんだ。でも、これだけは伝えたくて」


 息を吸い込んだ。

 ドアの向こうから何度も俺の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。

 ああ、なんてあったかいんだろう。


「俺、しぃちゃんに誕生日が大切な日だって教わってから、ずっとこの日が一年で一番大事な日だった。だから、今日だけは絶対お祝いしたかったんだ」

「啓ちゃん……、ありがとう。ねぇ、私、啓ちゃんにちゃんと会いたい。事故の傷なんて気にしないよ、顔を見せて」


 向こう側からの押される力が強くなった。

 ほんのわずかな隙間から、しぃちゃんの泣きそうな声がこぼれる。


「どんな姿でもいい。啓ちゃんがすぐそこにいるのに会えないなんて、そんなのないよ」

「でも、しぃちゃんは新しい彼氏もいるんだろ。俺のことは思い出のままにしてくれっていうか、その……」

「そんな人いない。私今でも啓ちゃんが大好きだもん!」

「えっ!?」


 思いがけない言葉に、俺は声のする方を振り返った。

 その瞬間、背中が離れてドアが開いてしまった。

 まずい……そう思った時、夜空の赤い星がひときわ強く輝いた。


「啓ちゃん! ほんとに啓ちゃんだ!」


 裸足のままで出てきたしぃちゃんが、俺に抱きついてきた。

 俺の曲がったはずの腕はなぜかまっすぐになっている。

 足もしっかりしていて、くっついてきたしぃちゃんを受け止めることが出来た。

 玄関奥の鏡に映る俺の顔は、生前の傷一つないものに戻っていた。

 あの光……。やれやれ、閻魔のオッサンが、またひとつお節介をしてくれたようである。綺麗になった俺の鼻に、しぃちゃんのいい匂いが飛び込んできた。


「しぃちゃん」

「啓ちゃん、また会えて嬉しいよ、ああ、どうしよう。大好き!」

「でもさ、さっきの男……」

「バカ、あれはお父さんじゃない! 啓ちゃん忘れちゃったの?」


 ああ、なんてこった。結局は俺の早とちりだったってわけか。

 俺はしぃちゃんを思い切り抱きしめて、ずっと言いたかった言葉を言った。


「しぃちゃん。誕生日、おめでとう。……死んじゃって、ごめん」

「ううん、いいの。こうして会いに来てくれたんだもん」

「でも、ずっと一緒にはいられない。すぐにあの世に帰らなきゃいけないんだ」

「また離れ離れになっちゃうのは、すっごく哀しい。だけどね」


 しぃちゃんが顔をあげる。

 両目から大粒の涙を流しながら、それでもにっこりと笑ってくれた。


「私ね、死に別れちゃったことより、私の人生で啓ちゃんに出会えたことが嬉しいの。だから、啓ちゃんも笑って。好き、大好き、好きじゃ足りないくらい、大好きだよ」

「しぃちゃん……。俺も! 俺も大好きだ! 愛してるより、愛してる!」


 俺たちは長い間、ずっと泣きながら抱きしめあっていた。

 俺は祝いの言葉と、普段なら言えないような恥ずかしい愛の言葉を囁いて。

 しぃちゃんは俺の今の地獄での不思議な生活を聞いてくれたりして。

 およそ信じられないような地獄の話も、しぃちゃんは頷きながら聞いてくれた。


「二年間、私の誕生日のために頑張ってくれたんだ。私、やっぱり幸せものだね」

「しぃちゃんのこと思えば、地獄なんてなんでもないよ。変な話だけど、閻魔も地獄の人たちも案外いい人たちだしさ」

「啓ちゃん……。また、会える?」


 しぃちゃんの言葉に、俺はどう答えていいかわからなくなった。

 もちろん、毎年だって俺は会いたい。でも、俺が毎年誕生日に会いに来るって思ったら、しぃちゃんはその間恋人を作ったりしないんじゃないだろうか。

 そうなってしまったら、年にたった一日のために、しぃちゃんの人生を縛ってしまうことになる。

 俺は唇をかみしめた。

 感じないはずの痛みが、胸の奥を苦しくさせる。

 俺がしぃちゃんの生き方を縛っちゃったら、俺は彼女に憑りついた悪霊になってしまう。

 そんなのは、絶対にいやだ。


「俺がさ。毎年こうして会いに来ちゃったら、しぃちゃんは俺を待つだろ?」

「当たり前だよ。ずっと待ってる」

「それって、しぃちゃんの人生を縛っちゃう。俺はもう死んじゃっているけど、しぃちゃんは生きているんだ。悔しいけど、恋人とか作って結婚して、幸せな家庭を築いて欲しい。俺、年に一度の再会のためだけに、しぃちゃんの人生を奪ってしまいたくないよ」


 しぃちゃんが下を向いた。

 俺の腕に添えた手を、ぎゅっと握り締める。


「あのね。私、啓ちゃんのこと今でも大好きで、ほかの男の人なんて皆、ごぼうとかお芋に見えちゃう。でも、啓ちゃんがそんな風に心配してくれるなら……。もし、とってもカッコイイごぼうが見つかったら、そういうこと、考えてみる。その代わり啓ちゃんは出来るだけ、私の誕生日に会いに来て」

「カッコイイごぼうが見つかっても?」

「うん、きっとごぼう君はわかってくれる。そういうごぼうを選ぶ。だから啓ちゃん。私がおばあちゃんになっても、会いに来てくれますか?」

 

 ああ、しぃちゃんは、やっぱり……。

 最高に素敵な女だ。俺は、死んでも幸せ者だ。


「必ず、会いに来る。毎年誕生日の夜は、しぃちゃんに会いに戻ってくる!」


 クラクションの音が響いた。

 道路を振り返ると、助六さんが腕を指さして時間だというジェスチャーをしている。


「もう、行かなきゃ。しぃちゃん、どうか元気で、いつも笑顔でいてね。俺、ずっと見守ってるから!」

「啓ちゃん!」


 しぃちゃんがつま先立ちで俺と重なった。

 冷え切った身体に、とびきりの熱いキス。

 永遠のような一瞬ってやつを存分に味わってから、俺はしぃちゃんから身体を放した。


「ありがとう、しぃちゃん。また次の誕生日に」


 寂しそうな顔をしたしぃちゃんの唇に人差し指を当てて、髪をなでた。

 また、来年。

 心の中でそう呟いて、俺は駆けだした。「啓ちゃん! 私、待ってるから!」しぃちゃんの言葉を背中で聞いて、俺は立ち止まっちまいそうな足を無理矢理前に出し、階段を降りて車に乗った。

 霊柩車はすぐに走り出して、赤い星に吸い込まれるように地獄へ戻っていく。心配そうにのぞき込んできた助六さんに、俺は笑顔で頷いて見せた。


 ◇ ◇ ◇


 拝啓、愛しのマイハニー。俺は今日も元気に死んでます。


「よっしゃあ、もう一周!」

「啓やん、張り切りすぎ、もうちょっとサボろうやー」

「何言ってるんすか助六さん! 俺、今までの二倍は働かないと来年しぃちゃんのお祝い行けないんですから!」


 無意味な滑車を押して回して、カッシャカッシャと二周三周。

 今日も明日も明後日も。全ては愛しいしぃちゃんのため。

 こんな生活、いやこんな死後活も悪くない。

 地獄の沙汰も愛次第。なぁんて、ガラじゃあないけど……。


 でもな、しぃちゃん。

 俺は来年の誕生日を想像するだけで、いくらだって頑張れる!

 しぃちゃんが例えババアになったって、俺はずっと愛してるから。

 一生一緒、いや、来世も一緒さ。

 しぃちゃん、いつか二人であの長い列に並んで、一緒に生まれ変わろうな!


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