表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛も罪も  作者: 銀花。
9/18

第九章 忘却の歩み



        1



「いました。…どちらとも、まだ存在しています。…恐らく。はい…、了解」


 低く、響きの良い声で返答すると、速やかに実行へと遷す。


 均整の取れた長身の広い歩幅に合わせ、黒い上着の裾がテンポ良く翻る。そして前方を歩いていた彼との距離は徐々に縮まり、直ぐにその姿を捉える事が出来た。


「住田要さんですね」


 声を掛けられ振り返ると、そこには身長180センチ以上はあるであろう、三十代半ば程の全身黒ずくめの人物が立っていた。


 ディスポウザー、E33。清潔感の漂う短い黒髪に小麦色の肌。細く知的な眉。切れ長の奥二重瞼。鼻筋の通った高い鼻。歯並びの良い白い歯に魅惑的な薄い唇。182センチの長身に長い手足。広い肩幅。厚い胸板。ゴツゴツとして血管の浮き出た大きな手に、形の良い短い爪と長い指。渋さの中に危険な香りを感じさせる。


「…え、はい?」


 見覚えの無い、しかも相手の出で立ちに圧倒され、要は警戒視して答える。


 そんな彼の心情に気づき、誤解を招かぬ様、E33は口元に微笑を含み丁寧に接する。


「貴方にお尋ねしたい事がありまして、少々お時間頂けますか?」


 丁寧な言葉とは裏腹に、冴えた光を浮かばせる眼が、断われぬ空気を醸し出している。


「はぁ…」



 新手の宗教か? 何かの勧誘か? 厄介なのに捕まったな…。



 学校に遅れない様に歩きながら、疑心を抱いた要は興味なさそうに答えた。


 住田要。近郊の専門学校に通う19歳。伸びた天然パーマの煩わしそうな髪。自然に放置している三角眉毛。長い睫毛に眠たそうな二重瞼の垂れた眼。口角が下がった太い唇。身長172センチの痩せ型。力の抜けた印象を与える少年だ。


 相手が協力的では無いと露骨に態度に出ていたが、任務遂行の事だけを考え、E33は表情を変える事無く相手の横に並び歩幅を合わせた。


「君は運命の赤い糸を信じる?」


「はぁ?」


 突然、突拍子もない事を訊かれ、呆れた様に驚く。


「もし、運命の赤い糸が何らかの事情で二本になったらどうする?」


 呆気に取られている要を余所に、E33は視線を合わせる事も無く、正面を向いたまま淡々と話を進めて行く。


「…どうって…」


「本来結ばれるべき相手と、突如現れた人物。どちらかを選ばなければならないとすれば、君はどちらを選ぶ?」


「………」



 一体何を言ってんだ、この人は? …赤い糸とか言って…毛糸屋の宣伝か?…て、そんな訳無いか。浮気の意識調査とか? にしても、朝っぱらからするような事じゃないだろ? それに人選ミスじゃね? オレに訊いてどうすんだ、っての!



 質問には全く興味を示さず、要も視線を合わさない様に俯いて、煩わしそうに無視をしてそのまま進んで行く。そんな態度を取られたからといって、素直に引き下がる訳もなく、E33は顔色一つ変えず平然と構えている。


「選ぶんだよ、どっちだ?」


 僅かだが語尾が鋭くなった。それに反応して要は相手の顔を見上げた。


 その時、相手と目が合う。


 相変わらず口元には笑みを含んではいるが、その眼光は鋭かった。要は背中に悪寒が走るのを感じ、ここは逆らわない方が無難だと思い、相手を怒らせないよう態度を改める。


「え、えっとぉ…、そういうのは余り拘らないので、どちらでも良いです」


 あからさまに感情を声に表すと、引き攣った愛想笑いを浮かべてみせた。


「それで、どっち?」


 当人の意思を無視して糸の相手を勝手に選ぶ訳にはいかない。はっきりとした答えを求めてE33はもう一度訊き直した。


「あ、じゃあ…本命で…」


 要は質問の意図を理解していなかったが、とにかく相手を怒らせない様にして、早くこの場から逃れる事しか頭にはなく、それで深くは考えずに適当に答えた。


「そう、御協力ありがとう」


 E33は笑顔で言って、要の肩をポンと叩く。そして踵を返すと足早に去って行った。


 取り残された要は安堵と呆気に取られて半開きに口を開け、去って行く相手の後ろ姿を見送った。


「恐えぇ…」


 念わず口から零れた。




            ✳          ✷          ✴

 



「…そうか、ではそのまま始末に入ってくれ。頼んだぞ」


 通信を切り、大きく息を吐く。


「一体、何処へ消えたんだ? まだ行方は判らんのか?」


 司令室で痩せた高齢の指揮官が、嗄れた声で部下を急き立て、苛立ちを顕にしている。


 壁一面が防音硝子で通路と隔ててあるその部屋は、無機質な機材に囲まれ、周囲では人が慌ただしく出入りしており、緊迫した空気が漂っていた。


「何度呼び出しても、通信は途絶えたままで応答はありません」


 指揮官の横に座っている、短髪で小柄な人物が、耳に取り付けているイヤホンマイクを触りながら、指揮官に視線を送る。


「怪我と高熱を併発して体力も低下しています。解熱鎮痛剤を服用していますが、その効果が切れたまま放置しておくのは危ういです」


 背中まであるウェーブした髪を一つに纏め、細長く小さなレンズの眼鏡を掛け、白衣を着た医師らしき人物が症状を語った。


 それを聞き、指揮官は眉間に皺を寄せる。監視カメラで録画された画像には、病室を出て行く人影が捉えられており、それをスロー再生しながら、皺の多い痩せた指で画面をなぞる。


「…全く、その体で何処へ行ったんだ…」


 画面に向かって、独り言の様に声を押し殺し言葉を吐く。その眼には強い責任感と共に、哀矜の光が垣間見えた。




         2




 理奈は非常階段の踊り場にいた。


「ごめんなさい。一緒に回る事は出来ないから…」


 相手と視線を合せる事無く俯いて告げた。


 朝のホームルームが始まる前に芳朗を呼び出し、先日の文化祭の件の返事をしていた。


 平日が創立記念日で休校だった為、その替わりとして、本日の土曜日が午前だけの登校日となっていた。


 昨日に引き続き、空には太陽の姿は無く、停滞した雲が空全体を低く見せている。それは昨日の出来事を連想させ、理奈の気分を沈ませた。


 昨日の出来事は理奈にとって余りにもショックが大きすぎて思考回路が止まってしまった。あの場では涙を堪えていたので、家に帰ると泣き叫び悲しみに打ち拉がれるかと思っていたが、確かに悲しいのに、何故だか一粒も涙を流す事は無かった。それに何の想いも溢れて来ない。もしかしたらそんなに好きでは無かったのかもと自問する。けれどその方が理奈にとっては都合が良い。


 どうしてしまったのだろう…自分でも判らない。心が何処かへ行ってしまったみたいだ。このまま何も考えずに裕弥への想いが消えてしまえばいい。そう願うだけだった。


 ただあの場の二人の姿がずっと脳裏に浮かぶだけ。その意識は自分ではどうする事も出来ないでいた。


 もう全ての厄介な問題から逃避したかった。


「判った…」


 芳朗は力無く答え、彼もまた理奈を直視出来ないでいた。二人の間に重たく気不味い空気が流れる。


 細かくその理由を伝えた方が良いだろうか? けれど、何か言った所で断るという事に変わりは無い。理由を述べたからといって、彼の気持ちを和らげる事など出来ない。それはまた理奈も同じ立場であり、その想いは充分に理解していた。



 どうして世の中上手くいかないんだろう…。皆が両想いだったら、武田もあたしも苦しい想いをしなくても済むのにね…。

 赤い糸が見えたら…そこだけ目指して進むのに……。



 色々な想いが交差して理奈は居た堪れなくなり、そこから去ろうとした時、擦れ違いざまに芳朗の顔を盗み見て念わず目を奪われた。



 おっ?



 レンズの向こう側には、理奈を真っ直ぐに見つめる瞳があった。近眼のせいか、(と、これは理奈の勝手な持論だが)その眼はキラキラと輝きを放ち、長い睫毛とはっきりとした二重瞼のその眼は、理奈を切なく映し出し、そこから彼の想いが伝わってきた。それで、その眼に見惚れてしまった。


 それは時間にするとほんの僅かな数秒だろうが、理奈にはそれが数分にも感じられる程、心に強く印象づいた。


「じゃあ…」


 声を掛けたのは芳朗の方だった。その声で理奈は我に返る。


「あ、うん」


 何を言われたのか判ってはいなかったが、心情を気づかれまいとして慌てて返事をした。勿論、芳朗は断られた事にしか意識が働いていなかった為、理奈の思いには気づかず、そのまま背を向けて力無く去って行った。芳朗の背中が見えなくなった後も、理奈の頭の中では彼の眼が印象的で忘れられないでいた。



 武田って、眼鏡を外したら、もしかして結構可愛いかも…。



 理奈の頭の中に眼鏡を外した芳朗の顔が思い浮かぶ。


「………」


 実物を無視した勝手な想像にも拘わらず、描き出されたその端正な顔立ちに、思考回路が一時停止する。



 !

 いかん、いかん。あの眼に絆される所だった…。



 理奈は必死に残像を振り払おうと、頭を横に振る。しかし再びその形貌を浮かび上がらせた。そしてつい、過去の恋愛未然の歴代の男の子達の顔を思い浮かべて、その中に眼鏡無しの芳朗の顔も加えてみる。すると断トツにそのレベルが違う。


 やや首を傾げて顔を顰め、


「…あぁ、ちょっと勿体無かったかな?」


 本気とはいかないまでも、ちょっとしたミーハー心が口から漏れた。


 予鈴が鳴り、理奈も教室へと足を急がせる。


 逃した魚の大きさを考えながらも、一つの問題が処理出来た事に、内心安堵していた。

 



         3




 土曜日の午後から悠はサッカーの部活に出ていた。明日は練習試合が行われる為、今日は何時もより早めに練習が切り上げられた。


 深重な曇り空は今にも悲鳴を挙げて、焦慮の粒が飛箭の様に降り注ぎそうだ。大事な試合前、雨に濡れて風邪を引いては困る。悠は家路へと足を速めた。


 高台の坂を何時もの様に下って行くと、前方のガードレール脇にある、黒い物体が視界へと入って来る。天候が悪く辺りはすっかり暗くなっていた為、それが何かは直ぐには理解出来なかった。しかし徐々に近づいて行くにつれ、それはこちらに背中を向けて屈んでいる人だという事に気づく。


 その人影はガードレールに右手を伸ばし体を支え、頭を項垂れて、微動だにせずそこに小さく蹲っていた。


「?」


 こんな所で一体何をしているのだろうかと不審に思いながらも、遠目に様子を窺った。


 その者の横まで来ると顔の表情が見え、顔色が優れない事に気づき、心配になって更に近づいてみる。


「あの…大丈夫ですか?」


 顔を覗き込むと、それは二十代くらいの、とても綺麗な顔をした人だった。だがその美しい顔は血の気の退いた蒼白となり、この時季にも拘わらず、薄っすらと額に汗を浮かべ、僅かながらに荒い吐息を漏らしている。


 尋常ではないその様子に慌てて悠も身を屈め、相手の肩を起こし頭を擡げた。


「あの! 大丈夫ですか?」


 再び強く返事を求めるが、相手は顔を歪めたまま何も反応をしない。そして見る間に汗はどんどん粒を大きくし、額からこめかみへと伝い落ちた。


 悠は不安になって、ガードレールに掛けているその者の手を取った。その手の冷たさに驚き、念わず体が小さく退く。


 そのすらりとした白い指先は氷の様に冷たく、血の通っている人間の手とは思えない程だった。


「待ってて下さい。今直ぐ、救急車を呼んで来ますから!」


 学校では携帯電話の持ち込みは禁止されている為、生憎今は携帯電話を持ち合わせていなかった。何処か近くの家に助けを求めようと立ち上がると、履いているジャージを掴まれた。


「………いい」


 喉から絞り出す様に、声にならない声で相手が拒否をする。


「えっ? 何?」


 余りにも弱々しい声に、言葉が聞き取れず訊き直した。


「救急車は呼ばなくていい。大丈夫だ」


「大丈夫って…。そんなに苦しそうじゃん。病院へ行った方が良いよ!」


 悠が心配してそう促すが、相手は悠を掴んだ手を緩めず、より一層力を強くして引き寄せる。


「…………」


 二人の言葉の空間を埋める様に、昨日から機嫌を損ねていた空は、遂にその蓄積していた不満を漏らし、アスファルトにポツポツと染みを作り出した。


 この天候で、見るからに体調の悪いこの者を、このまま放って置く訳にもゆかず、悠はその手を引き寄せて、自分の腕を相手の脇に滑り込ませ肩を抱えた。


「オレん家に行こう。ほっとけないから」


 言って、立たせようと体を押し上げる。


 相手は少し不審に顔を眺めていたが、悠の真剣な眼差しに思いが伝わったのか、今度は何も言わず、肩を借りて素直に立ち上がった。


 悠は体を寄せると、相手の体に硬い違和感を感じた。そして自分の肩に掛かる右手の指には包帯が巻かれている事に気づく。



 この人、怪我をしてるんだ…?



 それでこんなにも顔色が悪いのだと悟る。


 悠は荷物を右肩に掛け、左肩で相手を支え、足元をふらつかせる相手を気遣って、ゆっくりと家へ向けて歩き出した。




 軈て雨足は徐々に強くなって行き、二人の姿はそれによって掻き消されて行った。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ