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愛も罪も  作者: 銀花。
1/18

第一章 報われぬ灰



        1



 その手には、冷ややかな銀色の光を放つ、冴々とした鋼を握っていた。それを両手で絞るように持ち替え、小さな音を立てたかと思うと、素早く振り翳して、一気に叩き込んだ。


 その反動で、月に照らされた艷やかな癖の無い髪が、サラリと揺れ動く。


 目の前の、二つに切り裂かれたその物体からは、勢い良く灰が飛沫を上げる。瞬間、その全てが弾けるように塵となり、軈て風に攫われて行くのだった。




        2




 暗黒の空には、何時もよりやや大きめの月だけが、グレープフルーツに似た黄色に輝いていた。


 住宅街から少し離れた、静まり返った駐車場にその人物はいた。


 口角のキュッと上がった、形が良く、縦に幾つかの線が入り、苺のように潤いのある美味しそうなその唇から、静かな息が零れる。


「………愚かな」


 吐き捨てるように呟いた。


 左手にだらりと下げた鋼は、先程奪った生気を吸い込んだかのように、怪しく冴えた光に満ちて、美しく映えていた。そして、その柄を持つ親指の位置をずらし、握り方を変える事によって、8センチ程度の小さなチップへと原形を戻すと、それをベルトに装着してあるケースへと嵌め込んだ。


 その時、小さな電子音が鳴る。


 顔半分が隠れる程のゴーグルの色は、反射する濃いブルーグレーで、その縁は銀で出来ている。縁にある薄いボタンに手を伸ばし、動きを止めた。


「………了解」


 誰かと会話をしたのか、少ししてから、低い声で言葉を返した。


 唇から零れていた呼吸は既に静まり、無表情に覆われたその顔からは、己の起こした行動に、少しも動じていない事を窺える。


 そして、ゆっくりと体を翻し、月に背を向け、しなやかに歩き出す。その身に纏っている黒い服は、月に照らされて濡れているかのように、怪しく光っていた。





          3





 扉を開けて右足を一歩踏み入れると同時に、心臓を突き刺す様な殺気を感じた。瞬間、背中に悪寒が走り、全身鳥肌が立つ。


 もう自分の意思で体を動かす事は不可能になっている。体がこれ以上前に進む事を拒んでいるのだ。


 胸が苦しいっ!


 突然の衝撃に呼吸する事を忘れていた。大きく息を吐き出すと不足した酸素を取り戻す為、必死に呼吸を始める。


 荒い息遣いに合わせて、まだ若く、程よく引き締まった胸としなやかな肩が、大きく上下した。


 こんな感覚は初めてだ。今迄こんなに強い恐怖を感じた事があっただろうか。体が硬直して動けない。


 扉を開け殺気を感じたその瞬間から一気に体の血の気が退き、既に指先は冷たくなっていた。押し潰されてしまいそうな程強い殺気を出自しているその先に視線を向けた。


 殺される!


 直感で思った。


 そこには美しく冷たい眼が、獲物を狙うかの様に、鋭く冴々とした光りを放っていた。


 全身から汗が噴き出し震えが止まらない。腰が退けて左足が少しだけじりりと後退する。 


 殺される! 早く逃げなければっ!


 その人物から逃げる為、引き返そうと背を向けた瞬間、背中に鋭い痛みを感じた。激痛に体を反らせて体勢を崩す。


 彼を凝視する美しいその眼には、軽微の哀れみと共に愚弄した光があった。


 何故オレが…っ?


 己がそうされる事に、全く理解が出来なかった。


 朽ちて行く意識の中に、誰かが自分の名前を絶叫する、悲しい声が僅かに耳に届く。体は軽く緩やかに周りの空気に溶けて行く。


 あぁ…、自分は塵になるんだな……。


 全てが淡雪の様に、果敢無く散り、消えた。


 



          4





 勢い良く上半身を起こし、目を見開く。体は汗で全身濡れていた。荒い呼吸とは逆に、気を鎮めようと努めている。



 なんだあれは! 今のは…夢?



 リアルな錯覚に現実が掴めないでいた。


 そこは間違い無く、何時も過ごしている彼の見慣れた部屋だった。ベッドの上に屈み込み、乱れた布団が今にも床へずり落ちそうだ。夢だと判っていても、あまりの恐怖だった為、気を緩ませる事が出来ない。



 不吉な…。誰かに狙われている?



 今、見た夢の持つ意味を考えようとするが、脳裏にある映像を思い浮かべる事を恐れて、心がそれを拒否した。


 疲労が漂うその顔の、こめかみから流れ落ちる汗を拭った。





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