第一話 師匠〜別れ〜
この世界で一番、広い国、クルシクル。その北端にある小さな小屋の中で少女が目を覚ました。 年頃は14、15といったところだろうか。漆黒の髪は肩まで真っ直ぐに伸び、尖った顎はどこか超越した美しさを醸し出している。少し視線を下げると右腕は肘まであろうかという手袋に包まれている。
少女はぼうっとしたままベットからおりるとふらふらと隣の部屋にあるキッチンまで移動、棚にある卵を取ると適当に炒め始める。少女の名前はリル、この家で養母であるシルフィを師に魔法を習っている。そのシルフィは一年前にクルシクルの首都、サンタクリアに行くという書き置きを残して行方をくらましたままだが養母が長期間、家を開けることは少なく無いということを熟知していたリルはのんびりと毎日を過ごしていた。
のんびりと炒めた卵を食べていると大きな音でドアを叩く音と声が聞こえてきた。
「リルちゃん。大変だよ。早く開けとくれ」
声でお隣さんのポルノおばさんだと判断したリルはゆっくり立ち上がる。ポルノのおばさんは褐色な髪と肌に恰幅の良い体格をしており、留守がちなシルフィに代わり、いろいろとリルの面倒をみてくれている。ついこの間の15の誕生日には少しも女の子らしくしないリルに髪飾りを送ってくれたのもこの人だ。ドアを開けながらのんびりと挨拶をする。
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
しかし、いつも笑っているおばさんの青白く切羽詰まった様子にリルも僅かに、本当に僅かにいぶかしんだ表情を浮かべる。
「ああ、リルちゃん。何て言っていいか。とにかく、来ておくれ」
おばさんはリルの手首を掴むと大急ぎで村の入り口まで引っ張って行く。入り口にはリルのよく知る人が村の入り口にある門に寄りかかり座り込んでいる。
リルに気づくと笑みを浮かべた緑色の長い髪をした女性はリルの師匠であり養母であるシルフィだった。
「やぁ、リル。久しぶりだね」
落ち着いた口調で言っているが座り込んだ地面には血が池のように広がっている。リルは慌てて近寄り、膝立ちになると傷の様子を確認する。
「あなた程の人が誰にやられたんですか?」
驚き、怒り、悲しみ、戸惑い、その他様々な感情が混ざり合った結果、リルの口から出たのは無感情で抑揚の無い、冷たい声だった。
その声を聞くとシルフィは愉快そうに笑う。
「それでこそ私の娘だよ。魔法使いたる者はどんな時も冷静でいなくてはならない」
傷に障ったのか顔をしかめてシルフィは続ける。
「とりあえず質問に答えると答えは知らないだ。名前なんて聞かなかったからね」
「リルちゃん、あんた魔法使いなんでしょ。何とかなんないのかい?」
おばさんがリルに尋ねる。
「もう、手遅れですよ」
答えたのはシルフィだった。
「今、私自身の魔法で何とか痛みを止めて長らえてるだけなんです。それにリルはそういった魔法は使えないので」
シルフィはリルの頬に手を伸ばす。
「さて、リル。もう時間も無いようだ。師匠として、そして母として最後に頼み事をしたいのだが、クルシクルに弟がいるんだが厄介事に巻き込まれていてね。力になってあげてほしいんだ」
リルが頷くとシルフィは嬉しそうに笑いリルの頬を撫でる。
「ありがとう。弟の名前はアルセム」
そう言うとシルフィは眠るように目を閉じた。 しばらく、誰も動かなかった。リルは立ち上がるとシルフィを肩に担ぎ歩き始める。
「リルちゃん?」
おばさんがリルに声をかける。
「家に帰ります」
リルは立ち止まり振り返らずにそう言うと再び歩き始めた。
(少し一人にしてあげようかね)
そう思ったおばさんはゆっくりと家に向かい歩き始めた。
夜になると、ポルノおばさんは多めに作った夕食の入った鍋を抱えリルの小屋を訪ねた。
「リルちゃん、夕食を持ってきたよ」
そう言ってドアを叩くが中から反応は返ってこない。不思議に思いながらもドアを開けて中に入る。
「リルちゃん?」
再び呼びかけるがやはり、応えはない。代わりに机の上に何か書いてある紙の切れ端が置いてあることに気付く。手にとって読んでみると師匠がやられた程の相手が絡んでいるなら一刻も早くクルシクルに行かなくては手遅れになるかもしれないこと。だから止められる前に出発すること。裏庭に作った師匠のお墓の管理をお願いするなどのことが書いてあった。
「リルちゃん」
ポルノおばさんはただただ、呆然とするしか無かった。
はやくも退場のシルフィですが、書きたいエピソードの多いキャラなのでそのうち短編で登場するかもです。