◇「ライフ◆ゲーム」◇
◇「ライフ◆ゲーム」◇
◆深夜11:00
□メールBOX:一件
虚構と現実の狭間で生きる貴方が、今夜もすこやかに過ごせます様に。
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☆「存在の定義に欠ける理論」
気持ちの悪い時に限って、嫌なことが頭の中で
グルグルと周り、自分本来の野生とも言える孤独が
心の中で暴れまわる。
常に自分は物語の主人公であり、常に自分は自分の
価値観で物事を把握し、吟味する。
朦朧とする現実という殻の中で、
理論的な思考を働かせては、結局は空しさで
身体を満たしていく。
思考は無限に集合しては消える。
嘘をついては消え、嘘をつかれては消え、
やがてそれが愛や憎しみであったとしても、
つまるところ、それらは多くの矛盾を抱えて返ってくる。
歳を重ねるたびに増えていくのは、
金属の様に冷たい、凝り固まった理念。
自分の周りに鎧を纏い、
時に歪みきったその鋭利な刃物で他人を傷つけ、貶めては、
それを正しいと叫ぶのだろう。
区別するものは誰もいない。
他者から別離するものは、空想と現実の狭間にいる、
「いていないもの」でしかない。
自己を区別するものは、「見かけ上の定理」でしかない。
それが正しそうに見えても、現実の意図に反した者は、
間違っているという結論として判断される。
そうした者たちの「存在」が、
結局は正しくても、間違っていても、
この世界の現実は興味すら抱かない。
そこにあって、いないものは、
永遠に、空想と現実の狭間にしかいない。
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☆第一話 「50%以上の変化」
その夜は、晩くまで本を読んでいた。
両親のいない、住宅街の密集する場所に佇んでいる自分の住まいは、
大学生である自分には広すぎるくらいだ。
度重なる不運が重なったのか、気が着けば自分は家族の住む家に
ただ一人。
両親の生命保険の保険金のおかげで、金だけはあって、自分一人が
食べていくのには労することはない。
顔もよく知らない親戚と暮らすことには苦痛しかないと判断し、
親戚の話もすべて空言に聞き、断った。
一軒家に、ポツリと一つの光。
それは、自分の部屋だけを灯す孤独の光だ。
一人になって塞ぎ込むことはなかったが、
妙な空虚感が心に風通すのがわかった。
それはこれまで感じたことのない空しさで、
それを感じた時から自分が変わっていったことに気がつく。
無駄に広い一軒家は、一人で住むと不気味で、
夜になると暫くは恐怖心さえ覚えた。
しかしそれもやがては慣れ、その闇すらも家の中であれば心地良く感じる様になった。
自分は本を一度閉じ、一階に下がり、冷蔵庫から飲料水を探す。
冷蔵庫にはペットボトルが一本、もう中の水も残り少なかった。
喉の渇きをそれだけで満たせないと判断した自分は、
肌寒い12月の夜の世界へと赴く。
厚手の黒い上着を羽織り、地味な色のマフラーを巻いて外へ出る。
外の風は案の定、肌を刺す様に冷たかった。
時刻は12時を回っていた。
あまり深夜に出歩くのは気持ちの良いものではなかったが、
今はなにより喉渇きを癒したい。
夕方から本を読み始め、それから一度も水分をとっていなかったからだ。
夜の住宅街を抜け、家から15分ほど歩いた場所にあるコンビニで、
500mlのペットボトルを2本と、350円のペペロンチーノを明日の朝の
朝食として買う。
その住宅街の一角にポツンとあるコンビニは、遠くからでも確認できるくらいの
強い光を放ち、自分を安心させた。
コンビニの外へ出ると、コンビニ袋の中から一本のペットボトルを取り出し、勢いよく
飲み干す。
冷めた夜空に冷たい飲料水が身体の中へ流れ込んできて、それが聖水か何かの様に
身体が浄化された感覚に陥る。
久しぶりの水分をとって落ち着くと、自分は元着た道を歩き出す。
コンビニを離れると、またそこには闇が襲ってくる。
そこは、天国から落ちた人間をすぐに闇へと招く様な悪魔の如き空間だ。
心なしか、夜の風がより一層冷たく肌を刺してくる。
自分は少しばかり早歩きをして、弱弱しい電灯だけが道を灯す住宅街を駆け抜ける。
そして、自分の家へ着くための最後の角を曲がった後、心臓が飛び跳ねる様な衝撃を受ける。
自分の家の前に、人間がじっと立ち尽くしている。
暗い闇の中、人影だけが確認できる。
全くその場から動き出す様子がない。ただ、微動だにせず、じっと自分の家を見つめて立っている。
近くの電灯が、チカ、チカ、と弱弱しい光でその人物を照らし、遠くからその人物を
凝視する。
オレンジ色のダウンジャケットに、短いスカートを穿いている。
体格は小柄で、肩までかかる長い髪をしている。
女の子だった。
自分がその場に立ち尽くしていると、その女の子が急に苦しみだした様に倒れ込む。
自分にはそれがとても異質なものに見えた。
深夜、見覚えのない人間が自分の家の前で苦しんでいる様が、異様すぎて、自分は来た道を
引き返し、しばらく光の強いコンビニの中で時間を費やす事にした。
人命がかかっているとか、そんなことは知ったことじゃない。
自分の身が危険であると、身体全体が叫んでいるのだ。
もう一度、戻って、まだ自分の家の前にあの人物が倒れている様ならば、
コンビニの定員にでも言って、警察なり救急車なりを呼んでもらえばいい。
いや、それ以前にコンビニにいる今言ってしまえば良かったのだが、
コンビニに流れるいつもの平和な現実感が、それを訴えかけるきっかけを躊躇させていた。
見間違いではないにせよ、もう、自分の家の前にはいないかもしれない。
そんな淡い希望が、多分心のどこかにあった。
自分は再び、元着た闇へと帰っていく。
コンビニで暖めてもらったペペロンチーノはとうに冷え、それを持つ
腕も段々とだるくなっていた。
相変わらずの便りのない光を辿って、家路を目指す。
すでに時刻は午前1時を回り、住宅街はまるで人が住んでいないかの様に静まり返っていた。
やがて、最後の角までやってくる。
ここを曲がれば、また見えてしまう。
家の前に倒れ込んだ人影が、もう存在しない事を漠然と祈って、自分は角を曲がった。
そこには、人影はなく、さきほどの女の子は影も形もなかった。
それがやや逆に不気味ではあったものの、とりあえずは周りを警戒しながら自宅に急ぐ。
自宅の前まで小走りに走る。
僅か数メートルが、その時だけはやけに長く感じられた。
敷居の周りに誰もいないことを確認し、ゆっくりと玄関へと向かう。
「待って」
その時ほど、身体がビクついた時はないだろう。
おそらく自分は、漫画の様に身体を震わせていたに違いない。
さきほどの人物は、自分の家の敷地内に蹲っていたのだ。
そこは影になっていて、人間がいるなど、敷居の外からは分からず、完全に死角だった。
警戒心は100パーセントだっただろうが、思いよりも身体はうまく機能せず、
寒さも相まって、完全に強張っていた。
「はぁ・・はぁ・・」
女の子はやはり苦しそうで、胸元に手を当てて俯いている。
「怖がらないで・・、私、昔、同じクラスだった、二ノ宮 麗子 、少し、話もしたこと
あったと思うんだけど・・・、覚えてる・・かな・・」
こちらに顔を向けた彼女は、疲れ果てた顔をしていたが、そのパッチリと大きい目には
見覚えがあった。
高校の時に、同じクラスだった女の子だ。
特別顔が綺麗だったのでよく覚えている。
クラスで同じ班になって会話をした時は、それは緊張したものだった。
しかし、何故彼女が今ここにいる?
昔の知り合いとは言っても、特別親しかったわけでもない。
それは、自分の中に妙な肌寒さを覚えさせた。
「えっと・・ね・・」
彼女の喋る、一語一語が、死の呪文の様で聞こえるだびに全身に緊張が走る。
「おなか・・すいた・・・」
ぎゅるるるるるるるるるるるる
彼女のお腹から、結構に大きい、音が鳴った。
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☆考察1 「二ノ宮 麗子と言う人間」
多くの意味を内包する言葉は、上っ面で、安っぽいものかもしれない。
けれども、男というものは、それが直感的に間違っているとわかっていても、
本能的に女の嘘を許してしまうものなのだ。
それが、美しく、魅力的な女であればあるほど、結論を希望へと変換してしまう
数式を身につけていて、
勝手に幸せの定理を築いてしまう。
しかし、そこに「矛盾」という亀裂を走らせてしまった時、
それは単なる「定理」ではなくなり、「本当の推論」を組み立て始めて、
やがてはそれが「勘違い」であることに気が着く。
重大な結論に、直感を混ぜた仮定が、男の中から「真実」をなくし、
正しい選択を導けるのにも関わらず、「正しそう」な道を選ばせてしまう。
きっと、「二ノ宮 麗子」 という女もそんな女の一人。
けれど自分は、それが分かっていても、結局は適当な解釈を加えて、
「矛盾」とは異なる「間違った答え」を信じてしまうのだろう。
それが男であり、簡単な問題を重大な問題に摩り替えてしまう悪魔の囁きなのだ。
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☆考察2 「連続するジレンマ」
目の前には、さきほど自分が買ってきたペペロンチーノを、
掻き揚げるという言葉の表現が正しいくらいの、
そんな女の子らしさの欠片もない食べ方で、それを平らげる二ノ宮麗子の姿があった。
そこは家の憩いの間で、半年前まではここで家族が団欒し、
TVを見たりして、くだらない話でもしていたのかもしれない。
そこには、自分と、高校時代の知り合いの女の子しかいない。
妙な空間が、あった。
しかし、この状態に至るまでに、用心深い自分はそこそこの時間を費やした。
今から遡ること30分前。
☆考察1.5 「誕生日が同じである可能性」
それは、二ノ宮麗子のお腹が、大きな音を立てて鳴り響いたことから始まる。
状況を把握する。彼女は二ノ宮麗子にとても似ている。
声も、こんなにも魅惑的な優しい声だったかもしれない。
けれど、夜の闇は彼女の身体をすっぽりと包んで、お腹を押さえて俯く姿は、
とてつもなく異様なものだった。
高校時代の知り合いとは言っても、とても親しい間柄というわけではないし、
同じグループになった縁で交流があっただけで、知り合いと言うのも気恥ずかしい部分がある。
それに、あれからそれなりの年月が経過しているので、彼女が本当に二ノ宮麗子であると
確信できる部分も少ない。
どうして家に着たのか?どうしてこんなに夜更けなのか?どうして自分なのか?
どれをとっても不自然で、気味が悪い。
しばしの沈黙の後、自分はある結論に達して、一言声を発する。
「警察を呼ぶよ」
警察など、生まれてこの方一度も呼んだことがなかったが、こんな時のために存在する110番だろう。
「ちょ・・ちょっと待って・・・」
暫く沈黙を保った彼女であったが、「警察」という言葉に反応して体制をこちらに向けた。
「警察には連絡しないで、居場所がばれる」
相変わらずの美しい顔立ちだったが、顔色も悪く、やつれ気味だった。
服装もよく見れば、薄汚れていて、どうにも様子がおかしい。
自分はだまってそこを立ち去り、家へ入り、電話をしようと考えた。
けれど、彼女は執拗にこちらに話しかけてくる。
「確かに、こんな夜更けに来てしまって変だと思われても仕方ないけど・・・・、
さっきね、この家から君がでてくるのが見えて、ああ、助かるって思ったの」
「助かる」の意味がよく分からなかったが、どうやらさきほど家を出て、コンビニへ向かう
ところを目撃されていた様だ。
「私も、半信半疑で、自信がなかったけど、見間違いでもいいから賭けてみようって、
ねぇ、高校の時、同じ誕生日だねって、話たこと覚えてる?12月の1日の、誕生日のこと」
それを聞いて、ドキリとした。
それは確かに、遥か昔、二ノ宮麗子と会話した数少ない思い出の一つに入っている。
というよりは、正直、話の内容事態はその、「誕生日が同じ」ということの話の内容以外は
覚えていないのだが。
この話をしたことは、自分と数人の友人しか知らない。
急に何故誕生日のことを話しだしたのか不明だったが、彼女なりに本人である証明をしているのかもしれない。
彼女が、二ノ宮麗子である可能性が、少しばかり信憑性を増した。
「どうして二ノ宮さんがここに」
そんな当たり障りのない言葉を吐き出してみるが、それ以上に彼女に語りかけようとは
思わなかった。
「ちょっと、家出・・、じゃないけど、フラフラいろんなところに回って、気が付いたらここに辿りついてたの・・」
彼女は俯いて、それだけしか言わなかった。
あまりにもその出会いは奇妙で、ただただ恐ろしかった。
TVドラマでだって使いやしない。そんな脚本家の、矛盾に満ちた出会い方。
そして、こんなあり得ない出会いが、自分の様にありふれた日常生活を送る人間に、
巡ってくるだろうか。
両親を同時に亡くしたあの日から、自分に「ありふれた日常」など、とうになかったのかもしれないが、
それはおそらく擬似問題にも似た問いで、結局のところ、答えなど存在しないのだろう。
誤った仮定は、それが理解できた時点で、仮定でもなんでもなく、大きな問題を
呼び寄せるものだ。
自分には、それが彼女の「嘘」であると直感的にわかった。
現実的に考えて、何かの偶然だけで自分の家に辿り着くハズがない。
何かの確信があってこの場所へ辿り着いたハズだ。
コミュニケーションを成立させるために、人間は時に「嘘」という
虚構の現実を作り出す。それは、自身にも無意識についてしまう様な曖昧なものだ。
心理的に嘘ばかりを自然とついてしまう人間さえいる。
しかし、今の場合は、明らかにわざと事実に反する嘘をついている。
また、可能性として、この「嘘」の否定が真実であるという確信もない。
「身分を証明できるものとか、持ってる?」
自分の結論は、「わからない」だ。
ならば、現状できる範囲では、彼女が本当に二ノ宮麗子であるかどうかの確証が必要だ。
「え?・・・えーと・・・・」
暗闇に半分の身体の造形をもっていかれている彼女は、肩掛け鞄をごそごそとかき回す。
月灯りが出ている部分に鞄を置いて、懸命に「それ」を探している。
しばらくすると、その中から、財布らしきものを取り出し、中から一枚のカードをこちらへ差し出す。
「君が警察官?」
二ノ宮麗子は上目使いで、少し眉に皺を寄せている。
自分は黙ってそれを受け取り、確認する。
そこには、「一橋 麗子」と書かれた文字と、彼女の顔写真、武蔵野大学と書かれた大学の身分証名称
らしきものだった。
苗字が違うが、顔写真は二ノ宮麗子本人に見える。
「苗字が違うんだけど?」
自分が少し疑わしい目で見ると、彼女は無表情でこちらをじっと見る。
「両親が離婚して、今は一橋って言うの、さっきは高校の時が二ノ宮だったから・・・」
嘘を付いている可能性は否めないが、これ以上疑い出せばきりがない。
「わかったよ、本当に家出?」
「うーん・・、まぁそんなところ」
彼女は目をそらして、弱弱しい返事をする。
実にまどろっこしくて、ハッキリしない返答ばかりだ。
「こんな夜中に、用事はなに?」
自分は、結論だけを聞いた。
「助けてほしいの」
また先ほどの「助けて」という言葉が出てきた。
相変わらず意味がわからない。
「後、お腹がすいて死にそう、何か食べさせてほしい」
すがる様な瞳で彼女はこちらを見る。
その瞳には「嘘」は感じられなくて、家にかくまって欲しいという意思は
強く感じられた。
大方、夜遅くに家出をしたものの、誰とも連絡が付かず、困っていたという
ところではないだろうか。
後から聞いて知った話だが、彼女の実家と、自分の自宅は割りとすぐ近くにあって、
「偶然」ここにたどり着いてもおかしくない距離だった。
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☆考察3「虚構がファンタジーだった場合」
ペペロンチーノを食べた後の彼女は、一瞬満足そうな顔をしたが、
再び物足りない様な顔をした。
「うーん、やっぱ足りないなぁ・・・」
彼女は先ほど自分が買ってきたペットボトルの中身を飲みほす。
「ああ、ごめん、これ君のだったね、いや、大変おいしかったよ」
彼女は周りをチラチラと見ながら、こちらを気にしている様だ。
「あ・・・と、やっぱりまだなんかない?」
彼女は少し恥ずかしそうにこちらを上目使いで見てくる。
正直、飲み食いするものが足りないからこの夜中の寒い時にコンビニに走ったのだ。
ただ、自分は面倒くさがりの性分だから、棚の中には少し手間のかかるインスタント食品が
手付かずで入っている。
「少し手間のかかるインスタント食品なら、棚にあると思うけど?」
そう言うと彼女は嬉しそうに手をパチン!と合わせる。
「何だ、あるんじゃない!それ、私が作る!」
彼女は台所の棚の前まで、嬉しそうにかけていく。
「どの棚ーーー?」
奥の方から声がする。
一応心配なので見に行く。
「ああ、そこの上の棚だよ、でも飲み物がない」
それを聞くと彼女は何か考える様に「うーん、さっきのは飲み干しちゃったからなぁ・・・」
と呟く。
「自分の、半分残ってるから、それでよければあげるけど?」
他人の飲みかけなんて嫌がるかと思ったけど、彼女はそれを聞くと大変に嬉しそうに笑う。
「ほんとに!?やさしい!」
ただ、なんとなくそのリアクションはわざとらしくて、少し心の中で笑ってしまった。
しばらくすると、彼女がインスタントのカレーを作り始める。
お米をといで、水を流し、炊飯器に入れる。
「とりあえず、お米が炊けるまでのガマンね」
彼女は先ほどまでと違って、少し元気を取り戻した様だ。
しかし、彼女、二ノ宮麗子、いや、一橋麗子はこんなにも活発な印象を受ける女の子だっただろうか。
記憶の中の彼女は、活発というよりかは、おしとやかで、可憐なイメージがあった。
それは、脚色すれば漫画の中のヒロインにでもなれそうな、そんな雰囲気だ。
二人共、落ち着くと特別話すこともなく、しばしの沈黙が流れる。
「ねぇ、それにしても、どうなってるのかしらね」
その沈黙を破ったのは彼女で、そして第一声の意味がわからなかった。
「どうなってるって、何が?」
彼女がその返答に意外そうな顔をする。
「え?」
自分はひとまず彼女が明日には自分の家に帰ってくれるのかどうかが心配だった。
一人暮らしの男の家に、他人の家の女の子を長い間おくわけにもいかない、
何より、家の人が少なからず不安を持っているだろう。
自分はそんなことを彼女に問いかけてみたが、
当の彼女は上の空でこちらの話を聞いているのかいないのか微妙な反応だ。
まるで、自分が何の話をしているのかを理解をしていない様な、そんな空虚な印象。
「さっきの・・・、その家出ってのは、言葉のあやで、家にはいられなくなりそうだったから、出てき
たってことよ」
それを「家出」というのではないのだろうか。
そんなことを彼女に聞いてみるものの、再び妙な顔をされた。
「だって「ホーム」を出てきたのよ?それってよっぽどのことじゃない?だから君は
不審がってたんじゃないの?」
「ホーム」?何か意味有り気な単語を使われたが、彼女の言い回しは意外とニ次元的なんだろうか。
TVゲームやネットゲームをする人間などは、それらに感化された言語を日常言語として自然と
組み合わせてしまう傾向があるらしいから、これも一種のそれかもしれない。
もっとも、彼女がそれほどのゲーマーには見えないが。
「・・・あ」
彼女が自分の神妙な目線に気がついたのか、少し顔を下げて、恥ずかしそうにする。
「いや、「ホーム」って、そういうマニアックな単語じゃなくてね・・・えーと、君は聞き覚えないの?」
「・・英語?」
「いや、違う、わかってるでしょそんなの」
今度は彼女は神妙な顔で自分を見る。
「ごめん、本当に知らない?」
彼女が不安気な顔で、改めてこちらに問いかけてくる。
「全然なんの話だか」
「私も、正直よくはわかってなくて・・・、でも、「外」に何かいて、近隣の住人が一人もいない
なんてこと・・・」
「・・ん?」
この時、自分がどういう顔をしていたかは覚えていない。
彼女の言っていることが、日常では使われない様な言い回しすぎて、頭がついていっていない。
近隣の住人が一人もいないなんてことがあるわけがないし、「外」に何かいるというのも
よくわからない。
フィクションの物語には、巻き込まれ型の主人公という設定はよくみかけるが、
それは絶対的に虚構であり、作り話であることを受け入れて見ることが前提にある。
しかし、自分の現実において、架空の出来事などあり得ない。
このノンフィクションの世界にロマンスもサスペンスもあるわけがない。
「ねぇ?何か知らない?」
「と、言われても、とりあえず明日には帰った方がいいと思う、カレーを食べたらもう寝て、部屋を
用意するから」
さきほどの話は気にせず、彼女を泊める部屋を用意することにした。
とりあえず姉の部屋を使って貰えば問題ないだろう。
本当は彼女の家族に電話の一本でもかけたいところだが、時間帯が時間帯だ。
誰も電話になどでるハズがない。
「待って、これだけ教えて、最近ここらへんで誰かにあった?ううん、外、外で他に誰かに会った?
誰でもいい、知り合いでなくても、通りすがりとかでも、とにかく人を見た?」
すごく妙な質問なのに、彼女の目が真剣そのものだったので、少し圧倒されてしまう。
よくよく考えると、最近は大学が冬休みということもあって昼間に外に出ていない。
出るとしてもいつも深夜で、行くところといえばいつものコンビニだ。
確かに、変な話だが、人を外で見かけていないかもしれない。
それは深夜だから、人がいないのだろうと思ったが、いや、そこまで周りを気に止めても
いなかったのだから、わからないか、というか、何の話だこれは。
「最近は大学が休みで、深夜にコンビニに行く時にしか家を出てないけど、コンビニに店員はいるし、
電気もついてるよ」
当たり前のことすぎて、自分で言っていてなんだか恥ずかしかった。
「ほんとに!?君以外に人がいた!?」
とてつもなくしょうもない現実の状況を説明しただけなのに、彼女が異様なほど食いついてきたので
改めて自分は顔をしかめていたことだろう。
「今から、そこに連れて行って!」
「・・え?今から・・?」
正直外は寒いし、時刻は深夜2時を回ろうとしている。
確かあそこのコンビニは24時間営業だっただろうけども、さすがにこの時間に出歩きたくはない。
「いや、とりあえず今日は、明日自分の家に帰る時にでも確認してきなよ」
冷たく、というか、なんだか面倒になってきたので適当にあしらってみたが。
彼女が、涙目になっていることに気が付いて、自分はとても焦った。
改めて、彼女のなりを見てみる。
やっぱり服装は、顔の美しさに似合わず薄汚れていて、顔色も少し悪かった。
彼女はもしかしたら、何か悪い病気にかかっていて、そう、
あるいは精神病の類で、感情が不安定になっていて、得たいの知れない恐怖に怯え、
療養していた家を飛び出してきたのかもしれない。
やっかいなことに巻き込まれてしまったと、次の瞬間後悔したが。
彼女の弱さを見てしまった自分は、不謹慎にもどこか少し、安心してしまっていた。
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☆第ニ話 「ライフ・ゲーム」
当初、深夜のこの時間にコンビニに出て行くと言っていた彼女だったが、
夜中にあまり出歩くのも危険だから、と説得するとあっさり了承してくれた。
正直、このような住宅街に危険もないと思うのだが、
「危険」という言葉に敏感に反応した彼女にどこか違和感を感じた。
「ねぇ」
インスタントのカレーを食べて、そろそろ眠たそうな顔をした彼女がこちらに
質問があるような声を向ける。
「ご両親は在宅なのかなぁって思って」
木作りのニスの良くきいたイスにもたれ掛かりながら、流し目でこちらを見てくる仕草は
そこはかとなく色気を感じさせる。
「どうして?」
言葉にすれば簡単なのに、つい一言はぐらかしてしまう。
「わからないけど・・・、なんだか、この家、家族が生活している雰囲気が感じられないというか・・」
彼女が室内をまじまじと見回す。
多少こまめに掃除はしているものの、母親が生きていた頃はもっと整理されていたし部屋も綺麗だった
かもしれない。
父親が生きていれば、そこら辺に捨て置かれた新聞や湯のみがあってもおかしくなかったのかもしれない。
姉が生きていれば、流行のお菓子や好きだった和菓子などがたくさん置いていたかもしれない。
「みんな他界したよ、もう随分と前のことだけど」
淡白に、そう答えた。
彼女の様子を伺ってみると、やはり彼女も少し同様を隠せない表情をしている。
あるいは、自分の冗談だと思っているのだろうか。
「そう、なんだ・・・」
彼女は伏し目状態になって、視線を冷たいフローリングの床に落す。
「家族を失うって、どういう感じ・・・?」
彼女がポツリと言葉を漏らす。
「・・・さぁ、まだ実感というには程遠い、虚構な感じだけど、慣れたよ」
「家族のことは好きだった?」
伏せた目をこちらに向けて、彼女が再び自分に問いかける。
まるで懺悔室にでもいるような、妙な空気が漂う。
「どうだろう、わからない」
「・・ふーん」
自分の答えが非常につまらないのか、彼女はあまり興味のなさそうな顔をする。
「というか、もしかして眠い?」
はっと目を開く彼女。
「いや、えーと・・・・」
自分の話をあまり聞いていなかったことにバツが悪かったのか、照れ笑いをする。
「・・眠いには眠いんだけど、その前にお願いがあるんだ」
「お願い?」
彼女が少しハズカシそうに洋服の袖を見せる。
端々が汚れていて、全体的にも薄汚れた印象がある。
「シャワーと何か着替えを借りたいんだけど、駄目かな」
またいつもの上目使いでこちらを見てくる。
彼女はどうやら願いごとがある時に上目使いをする癖がある様だ。
男心をくすぐる単純な動作だが、容姿の良い女の子にされて悪い気はしない。
「着替えなら、姉さんの洋服があると思う、シャワーは勝手にどうぞ」
「そっか、お姉さんがいたんだ、じゃあ悪いけど使わせてもらおうかな、パジャマみたいなのとかあるかな?」
「さぁ?多分あると思うけど、姉さんの部屋に案内するから適当に選んでよ」
彼女を連れ、廊下の電気を付けて二階に上がる。
久しぶりに姉の部屋の前に立つ。
姉の部屋は自分の部屋の隣で、廊下の行き止まりにあった。
「・・・どうしたの?」
姉の部屋の前でしばし立ち尽くす自分をきょとんとした顔で見る彼女。
「いや、つい、ノックして声をかけてしまいそうになるなって」
特別悲観して言ったつもりはなかったのだが、彼女は月並みに伏せた表情になる。
使用することがない部屋というのもあって、ごくたまに掃除をする時ぐらいにしか
姉の部屋に入ることはない。
だから、久しぶりに姉の部屋のドアを開けた。
真っ暗な部屋の電気を付けると、生前の姉の性質を思い出させる様な、さっぱりとした部屋が
姿を現す。
緑で統一された清潔な部屋で、姉が生きていた頃は観葉植物なんかもあった気がする。
「綺麗な部屋ね」
彼女が一言感想を漏らす。
「今夜はここを使って、でも普段使わないから、多少ホコリっぽいかもしれないけど」
「十分、雨風が防げるだけでも感謝してるんだから、あ、このタンスに洋服があるのかな」
彼女はどこか嬉しそうに室内を見ている。
「・・あ」
タンスの取ってに手をつけると、そっとその手を離す。
彼女はタンスに向かって手を合わせる。
「部屋と洋服をお借りします」
そう言ってタンスを開けた。
自分は姉のものと言えど、あまり女性のタンスの中身を見るのも気が引けたので、
しばらく部屋の外の廊下に出て時間を潰していた。
外は真っ暗な闇で、街灯だけが世界を照らす光の様に思えた。
誰もいない、そんな寒気の走る想像が一瞬浮かんだ。
ふと、彼女のさきほどの言葉を思い出す。
最近ここらへんで誰かにあった?ううん、外で他に誰かに会った?
誰でもいい、知り合いでなくても、通りすがりとかでも、とにかく人を見た?
あまりにも唐突で、不可思議な言葉だった。
やはり彼女は何か心の病を患っているのかもしれない。
あんなにも笑うと可愛らしい、年頃の女の子だと言うのに。
「ごめん、お待たせ」
しばらく待ってから、彼女は万遍の笑みを浮かべて部屋から出てきた。
「お姉さんの趣味が良くって、ちょっとしまってあった洋服を眺めちゃった」
確かに、生前の姉の着用していた洋服はどれも趣味が良かった。
着飾るわけでもなく、シンプルでさわやかな服装を好んでいた様に思う。
「えと、シャワーは・・・」
そんなやり取りがしばらく続き、彼女は風呂場に入り、自分は姉の部屋の中を掃除しながら、
ベットメイキングをしていた。
一人になって我に返れば、深夜に出会った、昔の知り合いを泊めるという行為自体に
恐ろしさを感じる。
知り合いといっても特別仲が良かったわけでもない女の子となれば、やはり気味も悪い。
こういう時に、家族でもいれば心の負担は大分と軽かっただろうに。
自分が一人になって感じる孤独は、自分が一人だと自覚した時に襲ってくる。
彼女がたちの悪い物取りや、狂人には見えないが、元クラスメイトというのは
どうにも微妙な立ち位置だ。
そんな事をふつふつと考えながら部屋を掃除していると、廊下を歩いてくる足音が聞こえる。
コンコン。
控えめなノックが音を立てる。
「どうぞ」
湯上りの彼女が満足そうな顔で表れる。
姉のパジャマもサイズはそれなりに合っていた様で、特に違和感がない。
「お風呂貰いました、あ、掃除してくれてたんだ、ありがと」
相変わらず自然にこぼれる笑みが可愛い。
やはり男は単純なもので、面倒だと思っていてもこの笑顔に騙される。
「はぁ~!」
ごろりとと布団に倒れ込む彼女。
「掃除はあらかた終わったから、もう寝ていいよって、もう寝てるけど」
「あはは、だからそんなに気にしなくてもいいの」
ベッドに倒れ込んだ彼女のパジャマがやや乱れ、風呂上りの髪の毛の良い匂いが漂う。
仰向け姿でこちらを見る彼女は、実に無邪気だった。
「安心した」
「・・え?」
彼女は横向きになってベットに肘を突いて、こちらを見る。
「最近は気持ちがずっと張りっ放しだったから、少し安心したって、そう言ったの」
「そう、とりあえず明日になったら、ご家族に連絡入れるけど、それでいいよね?」
その言葉を聞くと、彼女は以外そうな顔をしてしばし押し黙る。
「・・・・本当に何も知らないんだ」
彼女がポツリと小さな声で呟く。
「ん?なんて?」
「なんでも、それでいいけど、先にコンビニの件は確認させてね」
そんな事をまだ言っているのかと多少呆れたが、彼女がそれで満足行くなら仕方ないと思い、
しぶしぶ了解する。
彼女が布団に納まったことを確認して、電気を消そうと部屋の入り口に立つ。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
彼女は微笑んでそう答えた。
部屋の電気を消して、ドアを静かに閉める。
時刻は深夜4時を回っていた。
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☆考察4 「継続しか許されない世界」
その日の朝は実に晴れやかだった。
目覚めると窓のカーテンから差し込む光が眩しく、
どこかしら小鳥のさえずる声さえ聞こえてくる。
自分はゆっくりと布団から起き上がると、昨日の出来事を
頭に復唱する様に思い出していた。
昨日、いや、正確には今日なんだが、高校時代の元クラスメイトの
「二ノ宮 麗子」、現在は性を変え、「一橋 麗子」と名乗っている彼女が、
突如家の前に座り込んでいて・・・・。
考えば考えるほどあり得なくて、思い出せば出すほど信じられない話だ。
自分の行動の軽率さは、彼女が女性であるというところからの妙な
安心感からだろう。
とりあえず彼女を信じるにしても、今日でお別れだ。
全く、人騒がせすぎる、と自分は思っていた。
一階に下り、洗面で顔を洗う。
「今日はうっとおしいくらい陽の光が強いな・・」
台所の小窓から差し込む光をしかめっ面で見る自分。
寝覚めには本当に眩しいくらいの天気の良さだった。
家族や恋人、友人と外へ出かけるには絶好の日和だろう。
自分はかつては家族が集まったゲストルームに入り、喉を潤すために湯を沸かす。
ソフトドリンクは、昨夜すべて彼女が飲み干してしまったからだ。
台所の食器置き場の横には、ちょこんと中まで洗ったペットボトルが蓋を取って置いてあった。
なんだろう、さすがは女の子かなと思った。
電気ケトルに水を入れ、数分の後に沸騰したお湯が出来上がった。
パチン!とやや大げさな音を立てて、電気ケトルの電源が自動的に落ちる。
紅茶のティー・バックを取り出し、カップに入れ、お湯を注ぐ。
ペットボトルの飲み物を飲まずに、こうして紅茶を飲むのも実に久しぶりだ。
相変わらず作らないと食べ物がないなと、冷蔵庫や棚を開けて思う。
紅茶を飲みながら周りを見回したが、彼女、一橋麗子が起きてきた様子がない。
まだ姉の部屋で寝ているのだろうか。
彼女が寝ている間に電話をかけたいものだが、
彼女の家族に連絡を取るにも電話番号がわからない。
どうせ連絡を入れるのだから番号を聞いておけば良かったと今更後悔する。
紅茶を飲み、一息つくと、時刻は午前11時を回っていた。
とりえず自分はしぶしぶ朝食を作ることにした。
朝食と言っても昨日炊いたお米に、インスタントカレーを煮てかけるだけだ。
小さな鍋にインスタントカレーをつけ、火をかける。
グツグツと沸騰するまでは、ただ黙って待っている。
朝食をとったら、彼女の家族に連絡を入れ、彼女を家に帰す。
コンビニの件はどうしてもというのならば、買い物ついでに付き合ってもいい。
今日は本当に天気が良く、外を歩きたくさせる陽気だった。
インスタントカレーを食べ、満足した自分はそろそろいいのではないかと思い、
彼女を起こしに二階へと上がる。
誰もいなかった姉の部屋の前へと立つが、今は他人の女の子が寝ていると考えると、
ノックを入れる手にどこか緊張の色が出ていた。
コンコン。
自分の心境とは全く逆に、なんのためらいもなく響くノックの音。
しばしの間があった後、中から返事があった。
「どうぞー」
自分はゆっくりと部屋のドアを開けた。
部屋の中は、開け放たれた窓から外の光が差し込み、部屋全体が光に包まれている様だった。
ベッドには昨日のパジャマ姿のままの彼女がなにか手帳の様なものを見ている。
「おはよう、あ、寝起きの顔、見られちゃった」
照れくさそうに笑う彼女の笑顔は昨日のままで、それがどこか自分に安心感を与えた。
「それは?」
自分は彼女が大切そうに手に持つ手帳を見て言った。
「昔の写真、プリクラとか、書き込みとか、いろいろな思い出が詰まってるの」
「ふーん」
彼女の愛おしそうな表情とは裏腹に、自分はさして興味もなくその手帳の裏側を見る。
「これ」
彼女が手帳の表側をこちらに見せる。
そこには、今よりも若い彼女と、彼女の家族らしき人間たちが笑いながら映っている。
「これが私、これがお母さん、お父さん、兄さん、当時、まだ中学一年生の時の写真なんだ」
彼女は自分と同い年のハズだから、現在は23歳ということになる。
この歳で家族の写真を微笑みながら他人に見せてくるというのは結構に珍しいのではないだろうか。
しかし、自分は昨日の彼女の言葉を思い出す。
彼女は現在は一橋麗子、つまり、両親の離婚のために、今の性になっている。
自分が知っている彼女は二ノ宮麗子だったから、少なくとも、この写真は彼女が二ノ宮であった当時の
写真だろう。
そう考えると、他人に家族の写真を見せる彼女の心境が少し分かる気がした。
「何者にもすがれないって、とても苦しいことなんだって私は高校の時に知った、君と同じクラスだった
のは高校二年の時だったけど、多分あの時には、もう今の結末を迎える状態にはなっていたんだと思う」
それは両親の離婚が近かったということだろうか、と思ったが、それを自分が追求するのは
違う気がして言葉を飲み込んだ。
「君は何も知らないのかもしれないけど、多分今日すべてがわかると思う、私たちが何を奪われたか、
今がどういう状態なのか」
彼女は伏せた目で、昨日同様意味深な言葉を使う。
それが冗談とも、あるいは何かを啓示しているものなのかもわからないが、彼女は案外現代っ子ならでは
の不思議癖があるのかもしれない。
「君は私がずっと妙なこと言ってると思ってるでしょう?」
彼女はややイタズラな笑みを向けてこちらを見る。
「違うの?」
自分はその問いになんでもない様に答える。
「まぁいいよ、とりあえず今は」
うーん、と彼女が両腕を上げて力いっぱいに伸びをする。
彼女がお腹がすいたとい言ってきたので、またインスタントカレーを作るはめになった。
昨日洗濯した彼女の洋服は乾いていたので、それを渡す。
洋服に着替え、朝食を食べている彼女に、ずっと聞き忘れていたことを聞いた。
「電話番号?」
彼女は何故かきょとんとした表情で自分を見た。
「別にかけてくれてもいいけど、誰もいないよ、今、家は私だけしか住んでいないから」
自分はその話を聞いた時、少し心臓の鼓動が上がった。
なんだろう、ずっと感じているこの違和感は。
「私の母親ももういないの、兄さんは就職して一人で暮らしてて、あの家には私一人で住んでた」
「本当に一人で?」
「そうよ、ここから近いから案内してもいいけど・・・」
案内も何も、君はそこへ今日帰るのだろうと言いかけたが、その言葉を言う前に彼女が制した。
「今日帰れって言うんでしょ?分かってるよ、でも、その結論は、外を見てから決めてほしい」
真剣で自分を見る眼差しにやや動揺したが、彼女はずっと外にこだわっている様に思える。
「いいよ、コンビニにどうせ行くわけだから」
正直、彼女の遠まわしなやりとりにはうんざりしていたので、特別追求せずに投げやりに答える。
自分は自室に入り、外出用の衣服に着替える。
しばらく彼女の着替えを姉の部屋の前で待ちながら、すべての馬鹿げた妄想を整理していた。
■一つ
外には人間が存在しない可能性。
■二つ
彼女が敏感に外を怖がる可能性。
■三つ
彼女が偶然にも自分の家へ迷い込んだ可能性。
正直、整理してはみたものの、不確定なことばかりではある。
確かなことと言えば、外に人がいない、などという現実が存在しないことだ。
だから、ここから確かな答えを導き出すのならば、やはり彼女は心の病か何かを患っている、
というところだろうか。
つまらないことを考えていたおかげで、そこそこ時間を費やせた自分の前に、ここへ着た時に着用していた
オレンジ色のダウンジャケットを羽織った彼女が部屋から出てきた。
彼女の顔色を見たが、特別悪い様には見えない。
ここにやって来た時は、多少顔色が悪かった様に見えたが、回復したのだろうか。
彼女は何食わぬ顔で自分を見つめる。
「さあ、そろそろ現実を見に行きましょう」
そんなセリフでも言い出しそうな、そんな顔だった。
「じゃあ行こうか、家が近いなら一応家まで送るよ」
「そうね、お願い」
彼女も自分の意見を通すのが疲れたのか、特別妙なことは言い出さない。
しかし、逆にそんな彼女が不気味に思えた。
自分たちは二階から階段を下り、玄関に置いてあった靴を履く。
玄関の扉を前にして、ここに来て何故か緊張する自分がいた。
あり得ないことだと分かっていて、なのにどうしてここまで動揺してしまうのだろうか。
彼女に出会ってからの自分はどこか曖昧で、判断力に欠けている気がした。
自分も彼女の病にあてられたのかもしれない。
その時は、そんな風に思っていた。
玄関の鍵を開け、取ってを手で掴む。
そしてゆっくりと、その世界の扉を開けた。
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