EP9--悠野涼香2――こんな事をしている場合じゃないのに!
2022年 11月25日 0時55分
――あったかい、ずっとこのままでもいいや……。
私は今、絶賛温もり中だった。何も考えたくなかっただけなのかもしれない……だが、このまま抱き合っていたいというのも事実だった。
この温もりの主はまだ意識がない。今は冬。だから、怪我をして体力を消耗したときに体温まで下げてしまったら、命を落とすリスクが上がる――などと理由をつけて少年を抱きしめ続ける。
しばらくすると荒かった呼吸が徐々に穏やかなものになってきた。
――過去にここまで男性と密着したことはあっただろうか? いや、ない。父を男性に含めても一度もない出来事だった。
ここまで穏やかな気持ちにさせてくれる異性は、今まで私が生きてきた18年弱の中で一度も出会ったことがなかった。
だからここまで貪欲に温もりを求めてしまうのだろう。普段の私ならもっと理性的に――こういった状況なら、学校で毎年行われている避難訓練の時のように、[おはし]のルールを守って出口へと向かっているはずだ。
――出口、探さないとなぁ……。
頭では理解していたのだが甘受している温もりが理性的な行動を拒む。
だらだら、ぬくぬく、浸る、浸り続ける。
その時間は、理性が働き始めてからも10分ほど時間を浪費させた。
ずっとこのままでいられると思っていたのだが突然湧きあがるもう一つの欲求、生理的欲求の発生とともに終わりを告げた。
「うぅ……」
胃の中がかき回されるような違和感を感じる。なんとか我慢をしようと思ったのだが堪えられくなり、決壊しそうになる。
慌てて青年から身を放し、少し離れたところにあったクッションドラムのそばまで走る――目的の場所までたどり着く前に、胃の中のものを吐き出してしまった。
「うぷっ……うぅ……」
すべて吐き出した後、一息つく――ずっと平気だと思っていたのだが、地震直後の車の回転、無防備に黒煙を吸い込み続けていたこと、慣れない体勢で20分以上過ごしたことが影響したのか、強烈な吐き気が沸き起こってしまったようだ。
呼吸を落ちつかせ、少し冷静さを取り戻した途端に、さきほどの吐き気とは比べ物にならないような恥ずかしさが襲う、気付いてしまったのだ。
――私、初めて会った男の人と、今までずっと抱き合っていたんだ……。
冷静になった頭がそのことに気付いた途端、私の顔が茹蛸のように真っ赤に染まる。
「う……うわぁ……」
冷え切った手を頬に当て、熱を覚まそうと努力する。だが私の意思とは関係なく動き続ける感情の波がそれを拒んだ。
だから私は、感情を断ち切るように現実に目を向ける。
すぐそばで座ったまま意識を失ってる2人、この場所がどういった場所なのか、完全に壊れてしまった車など、現実に目を向けると問題は山積みだった。
その中から優先順位をつけていく――。
まずは、お父さんとお姉ちゃん、 2人の体調確認。そのあとは出口の確認をして……それと、お兄さんを――。
少年の顔を見る、頬の熱が増す、慌てて目を逸らした。
「だめだめ! 今は気にしたらダメなんだよ! 」
慌てて叫ぶことで理性を呼び戻す。今の私は少年の顔を見ると駄目だ。恥ずかしさと先ほどまでの温もりを思い出してしまう。
「ふぁいと涼香っ! まずはお父さんたちの手当をしないと! 」
2度目の叫びで理性を強く手繰り寄せながら、お父さんたちの元へと向かう。
まずは一番近くにいるお姉ちゃんのもとへと向かい、頬に手を当てる。
……暖かい、問題なし。次は口元に手を近づける。
「すぅ……すぅ……」
穏やかな寝息をたて続けている、問題なし。
念のために額に触れて熱の確認や手首を握って脈を測ったが、全部問題なし。
お姉ちゃんの無事を確認できた事に安心したがまだ終わってはいない。次はお姉ちゃんの横に座っているお父さんへと手を伸ばす。
お姉ちゃんと同様の確認を済ませ、こちらも問題がなかったことで、ようやく安堵する。
「次は……うぅ……」
少年の顔を見る。また頬が熱くなる。
近づき、少年の倒れている横に座った。
「お待たせしてごめんなさい、お兄さん……」
理性的になった頭は、家族を優先する選択を選んだ。でも……。
「お兄さんのことも大切になっちゃいました……」
聞こえないだろうとは思ったのだが、口にする。言葉にし、沸き立つ感情に名前を付ける。
「単純だなって笑われちゃうかもしれないけど……お兄さんのこと、好きになっちゃいました……」
恋、だと思う。触れたくなる、抱きしめたくなる……それ以上のこともしたくなる。そして、私のことを見てほしいと、強く思った。
意識のない人に湧きだす欲望をぶつけるのは、道徳的に許容されることではない。だから――
「せめてこれくらいは、してもいいですよね?」
そう言って、青年の頭を私の膝に乗せる。
「私の初めての膝枕……こんなことでお礼になるなんて思わないけど……」
それでも、何かをしたいと思った。しなければならなかった。
青年を前にして、溢れ出る初めての感情が、暴走しないように。
理性的に、頭を撫で続けることにした――。