EP5--椎名優3――思い出の改変を求めて
2022年 11月25日 0時22分
――何もできなかったんだ。
僕の脳裏にもっとも忌まわしい、過去を書き換えることができるのであれば悪魔に魂を売っても構わないとさえ思う記憶がよぎった。
手の届くはずだった場所にいた、何をしてでも守りたかった2人。
目の前の光景はその記憶そのものに思えた――だから。
「今度は絶対にあきらめない……! 」
一も二もなく車のドアに手をかける。
右腕の痛みなど気にならない。思い出の中の2人が目の前にいるのだから。その2人は助けを求めている。
「僕が絶対に助けるんだ! 」
胸に湧き起こる決意を言葉にする。
大声を上げ、自分を奮い立たせながら運転席のドアを開け、中にいた男性へと手を伸ばす。
男性は完全に意識を失っており大きな声で呼びかけても反応を示すことはない。だが、
「脈はある、息もしている……まだ助かるんだ」
男性の生存を確認しほんの少し気持ちが軽くなる。
落ち着いた僕はそっと男性の腋に腕を差し入れ抱えあげる。
「くっ……重たい……っ」
僕はがたいのいいほうではない。学生時代に背の順で並ぶ時は必ず1番先頭にいた。筋力も男性の平均よりも見劣りしているだろう。
半ば後ろに倒れこむようにして男性を車の外へと連れ出す。
車の外に連れ出すことに成功した後は車から距離を置いた場所へと連れて行くために男性を肩に抱き、懸命に足を動かす。
途中何度もあきらめたいと思ってしまったがそれでも足を前に動かす。立ち止まることはできない。
男性を車から10mほど離れた位置へと連れて行きトンネルの壁際に座らせた。
ほんの少しだけ息を整え、再び車を見据える。
「あと一人……っ! 」
体はもうへとへとだ。だが休むことなく車へと走る。
「望……っ! 」
――妹を救うんだ!
車の前に到着し今度は助手席へと回る。
ドアを開け中にいた女性へと手を伸ばす。こちらも意識を失っているだけで目立った外傷もない。
男性と同じように女性の腋へと腕を差し入れ抱えあげる。――この時女性の胸などに軽く触れてしまい思わず赤面するがそんな余裕はないと邪念を払いのける。
車から排出されている黒煙は最初に見かけたときより徐々に勢いを増している。
男性と比べかなり軽い。それでも一人の人間を抱えあげるには万全の体調ではない。痛めている右腕が悲鳴を上げた。
「痛っ……」
痛みのせいで軽く力が抜ける。抱えている女性もろとも倒れそうになる。
「……っああああああああああ! 」
挫けそうになる心は叫んで奮い立たせる。
その咆哮とも呼べる声に反応したのか抱えていた女性がゆっくりと意識を取り戻す。
「んぅ……父、涼香……」
ひどくけだるげだが確かに意味のある言葉を発した。
「大丈夫だ! お父さんは助け出した!もう少しでお父さんのところに着くよ! 」
まだ足に力が入らないのだろう。抱えている僕の肩に寄り添い続けている女性はまだ虚ろな瞳を閉じないように努力しているようだ。
「もう少しだから、自分の足で歩いてくれ――!」
意識を取り戻したのであれば抱え続ける意味はない。自分で歩いてくれるのであればそうしてもらいたかった。
その希望は胸に秘め、肩を貸したまま前へと進む。
なんとか男性の元までたどり着く――そこで僕の体力は底をついてしまった。
女性もろともうつ伏せに倒れこむ。
ぞんざいな扱いをされたはずの女性は、その事を気にするよりも前に
「父……生きてる……よかった……」
目の前にいる男性の顔を見て擦れた声を出した。
女性は眠るように座っている男性を見て安心したのか再び意識を失ってしまった。
このまま一緒に倒れているわけにもいかず、疲れ切った体に鞭を打ちながら立ち上がる。
女性を男性の横に座らせ、僕も女性の横へと倒れるように寄りかかった。
「……はは、ははははは! 」
自分の中で使命とも呼べる、思い出の中の二人。
その二人を救えたことに安堵したのだろう。笑いが止まらない。
ほんの数十秒程度だろうか、ひとしきりあげ続けていた笑い声がふいに止まる。
――なにか大切なことを見落としているような。
最初に助けた男性はいまだ一度も意識を取り戻していないが脈はあった。
次に助けた女性は、再び意識を失ったようだが隣から聞こえてくる規則的な息遣いから大事はなさそうだ。
壁に背を預け眠っているような女性、その横顔に目をやる。
――優しい子なんだろうな。意識を取り戻してすぐにお父さんと涼香ちゃんだっけ、二人の心配をするなんて。
そこまで考えた時、先ほどの違和感がさらに大きくなる。そして、その事に思い至る――
……お父さんと涼香?助け出した女性は二人の人物の名前を呼んでいた。
僕が助けたのは男性、おそらくお父さんなのであろう。そして、言葉を発した本人である女性。ではもう一人、涼香とは。
疑問を抱いたとき、二人が乗っていた車から大きな音が聞こえた、どうやらガソリンに引火し車が燃え始めたようだ。
湧きあがっていた達成感が完全に消える。疲れから来ていた眠気も消え焦燥を覚えた。
気づく。まだ何も成し遂げていないということを。救うべきモノはもう一人いた――。