EP32--悠野修一3――疑問→推測
2022年 11月25日 11時20分
「えっとー、白崎さんに悠野さんたちですよね? 」
――この子はいったい何を言い始めたのだろうか?
「初めまして! あたしは椎名優です! お姉ちゃんたちもおじさんも、よろしくお願いします! 」
まるで初めて会った遠い親戚の人に挨拶をするような、そんな口調。
「あ、あぁ……」
隣にいた静香が引き攣った笑みを浮かべながら言葉にならない声を漏らす。
更に隣、静香の横にいた白崎さんは声を出すことを忘れていた。
「んー?お姉さんたち、あんまり元気がないの? 顔色が悪いみたいだけどー」
にこにこと愛嬌をふりまく椎名君はその反応を体調不良だと思ったのか、しきりに私達の顔色をうかがってくる。
「椎名く――」
「ストップなんだよっ! 」
状況が理解できずとりあえず椎名君の名前を呼ぼうとした瞬間に大きな声で静止させられた。
「ふぅ、危なかったんだよ……」
心底ほっとしたようにため息をつく涼香。
「な、なんだねいきなり、あんな大きな声を出して……」
「事情はあとで説明するから、だから今は優の名前を呼ばないでほしいんだよ」
「あ、あぁ……」
有無を言わせぬ涼香の口調に一先ず黙る事にした。そのやり取りを眺めていた椎名君はきょとんとした顔を浮かべたままみんなの顔を交互に見ていた。
「それでしい――彼は一体どうしたんだ? 意識を失う前は何というかもっと……」
影がある、というのだろうか? 過去の出来事にトラワレ続けていたせいか、自己評価が低くおとなしい青年だったはずだ。
それは私が最後まで言う必要もなく、みんなが彼に抱いていた人物像なのだろう。黙っていた静香と白崎さんも頷いていた。
「それについても後で説明するよ。だけど……目を覚ましてからずっと、あんな感じだよ」
涼香の声は真剣で、嘘を言っているようではない。でも彼のあの豹変ぶりは信じられなかった。
「それは――」
「――待ってください」
より詳しく聞こう、そう思っていた私を今まで一切口を挟まなかった綺堂院君が止める。
「まずは落ち着いて……時間も時間ですし飯にでもしませんか? 」
「そんな状況だとは思えないんだが――」
「それでも! 今の椎名を見てください……あいつがあんな顔している状況で、続けるんすか? 」
そう言われて椎名君をみて、気付く。先ほどまで浮かべていた笑顔は完全に消え、私と涼香を泣きそうな顔で見ていた。
「す、すまない……そしてありがとう」
その顔を見て冷静になる。綺堂院くんにお礼を言っておとなしく引き下がることにした。
「話の腰を折るような真似して、俺のほうこそすみません。でもこの場はそうするべきだと思ったんで」
そう言ってくれたあと、綺堂院くんが背を向ける。そして自分の車の後部座席を開け、中からお弁当やおにぎりなどを取り出してみんなに配りはじめた。
「あ、私も手伝うんだよ! 」
「わ、私もっ! 」
それをみて、静香を除く女性達も手伝い始める。
「静香は手伝わないのかい? 」
しゃがみこみ、優の顔をいじって遊んでいた静香に訊ねると、
「食事を配る準備に4人もいらないだろ……それなら私は優の事を見ていることにするよ」
そう言って椎名君と一緒に近くに座り込んだ。
「静香お姉ちゃんといっしょー! えへへ……」
椎名くんは静香の隣に座って機嫌を直してくれたのか、にこにことした笑みを浮かべながら食べ物が用意されるのを見つめていた。
その姿を見ていると……やっぱり違和感がぬぐえない。椎名君の豹変、それになぜか私だけ椎名君の名前を呼ぶなと言われたことなど、理解できないことが多すぎた。
「椎名さんはおにぎりの中身、鮭とか食べられる? 」
「うんっ! あたしは好き嫌いとかしないんだー! 」
「昭徳、どうしよう……椎名さんが、かわいすぎる……」
「……あんまりべたべたするなよ? 俺が椎名に冷たい態度をとりたくならないように」
「それって、どういうこと? 」
「……聞かないでくれよ恥ずかしい」
「どういうことなのかなー? 」
「……興、しつこい」
近くで繰り広げられている恋人同士の微笑ましいやり取りを眺めていても、違和感の事ばかり考えてしまう。
「お父さんはお弁当でいいかな?……駄目と言われてももうそれしか残ってないんだけど」
「私はなんでもいいよ、ありがとう」
涼香がそんなことを言いながら差しだしてきたお弁当を一言お礼を言ってから受け取る。
「……優がいないところで必ず、説明するんだよ」
そう耳打ちしてから涼香が私と椎名くんの隣に座った。
「……よろしくお願いするよ」
私も涼香にそっと耳打ちを返してから気持ちを切り替える。
それから少しの間は何もない、穏やかな時間が流れていた。みんな椎名君の急激な変化をを気にしているようではあったけど、それでも自然体で過ごすことができていた。そんな中で、
「興、あのトラックの中に煙草はなかったんだよな? 」
「……うん、残念だけどなかったよ」
「ここから出るまでずっと禁煙か……キッツいなぁ」
食後の一服をしようとポケットを探っていた綺堂院君が渋い顔で白崎さんに話しかけていた。
「お兄ちゃん、煙草、なくなっちゃったの? 」
その会話に混ざっていく椎名君は綺堂院君のことが気に入ったのだろう。気づけば彼のことを『お兄ちゃん』と呼び、慕うようになっていた。
「あぁ、まぁ椎名が気にする必要はないんだ。俺が我慢すればいいだけで……」
そんな椎名君のことを綺堂院君も気に入っているのだろう。綺堂院君が椎名君を見る視線は誰が見ても優しい、お兄ちゃんのようだった。
「これ、昭徳お兄ちゃんにあげるよ」
そう言って椎名君が差し出したのはまだ未開封の煙草、1箱。
「あ、あぁ……椎名って煙草を吸うのか……にあわねぇ」
それを複雑そうな顔で受け取る綺堂院君。
「あはは……お兄ちゃんひどいなぁ。あたしはこう見えて21歳なんだし、大人だから煙草くらい吸うよ? 」
あっけらかんと笑う椎名君の笑みは彼の言う実際の年齢よりも干支が一回りも幼くて、
そんな彼から煙草を受け取るのが綺堂院君には受け入れ難いのだろう。だが次の一言でその感情は霧散する。
「お兄ちゃんがどのくらいの頻度で煙草を吸うのかわからないけど、あたしが2か月で吸う分くらい持ってるからほしいなら分けてあげるよー」
「マジか?! いい妹分を持って俺は嬉しいよっ! 」
「えへへ……感謝をするなら誠意を見せろー! 」
そう言って綺堂院君にじゃれつく椎名君。……?微笑ましい光景なのに何かがおかしいような……。
「……? あ、あぁ、撫でればいいんだよな? 」
その違和感に綺堂院君も気づいたのだろう。首をかしげながら彼の頭に手を伸ばす。
「……えへへ」
おとなしく頭を撫でられはじめた椎名君が小さくはにかむ。その顔が近くで椎名君たちを眺めていた涼香と白崎さんの心を掴んだのだろう。2人が手をわきわきさせながら近づいていく。
「昭徳、交代。椎名さんを私にも……」
「白崎さんずるい! 私も優く……優の頭を撫でたいんだよ! 」
徐々に詰まっていく距離を少しでも離そうと思ったのだろう、綺堂院君が椎名君を掴んだまま後ずさりしながら、
「駄目だ、お前らに椎名を預けるのはすごく心配だっ! 」
吠える。小さな子供に撫でまわされそうになっている子犬を守ろうとする親犬のように。
「大丈夫、痛くしないから……」
「私が優にひどいことをするわけがないんだよっ! 」
しかしそれで二人の足を止めることはできず、ついには追い詰められてしまう。
「白崎さん、ほんとは独り占めしたいんだけど……今回は共闘するんだよ! 」
「わかった、昭徳を捕まえておけば、いいんだよね? 」
「……ん?」
自らの身に魔の手が迫っているのに気付かず、首をかしげている椎名君を
「絶対に渡さないからな?! って興! 離せっ! 」
「昭徳、今回は、言うこと聞かない、よ? 」
「ばっやめっ! うわぁああー! 」
……そろそろ止めるべきか?……いや、悪いことをしているわけでもないし……
「さぁ優っ! 私にも頭を撫でさせてほしいんだよっ! 」
「いいけど……お兄ちゃんが……」
今にもとびかかりそうな涼香とまだ状況を理解していない椎名君。
「……ふぅ、昭徳をぎゅってしてたら、なんだか満足してきちゃった」
「……あの剣幕にビビっちまったけど、よく考えたら興の体力はこの程度だったな……」
綺堂院君と揉みあいを繰り広げて疲れたのだろう、息を整えながらも満足そうにふにゃりと顔を緩めている白崎さん。
そんな二人を眺めていると、いつの間にかどこかに行っていた静香が戻ってくる。そしてこの一種の修羅場とも呼べるやり取りを一瞥し小さく苦笑を漏らしながら私の隣に座った。
「どこに行っていたんだ? 」
私がそう聞くと、
「少しトラックのほうと……あとはまぁ、聞かないでくれ」
苦笑を崩さないままそう答えた。
「トラックの中、食料以外に何かいい物でもあったかい? 」
「まぁ、必要なものは一通りあったな……風呂に入れないことと夜は冷えそうだということ以外は問題らしい問題もなさそうだ」
「そうか……」
――よかった。些事を気にせずに彼と向き合うことができる事が。
私が何を考えているのか察したのだろう。浮かべていた苦笑を引き締め、
「――それで、優のことは何か分かったか? 」
真剣な声色で訊ねてくる。
「……だいぶ彼のことを理解できたと思った矢先にこれでさすがに参ってるよ」
「涼香からは詳しい状況を聞けたのか? 」
「いや、まだだ。椎名君本人がいる前でその話題を出すわけにもいかないからね」
「それはそうだが――なら少し待っててくれ」
そう言って静香が立ち上がり未だ続く修羅場に向けて歩いていき、
「涼香、私にも優の頭を撫でさせてくれ」
半ば強引に涼香を優から引きはがそうとする――だがそれは意外な人物から抵抗されていた。
「静香お姉ちゃんも好きだけどあたしは涼香ちゃんのほうが好きー! だからあたしは涼香ちゃんと一緒にいるっ! 」
「がふっ?! 」
「ぐあっ! 」
――子供の無邪気な発言とはなんと罪深いものなのだろう。その一言で2人とも急に胸を押さえだした。
「今のはズルすぎるんだよ……」
恍惚の笑みを浮かべながら椎名君の頭を撫で続ける涼香と、
「薄々気づいていたが……実際に言われるとこう……傷つくな……」
冷静な口調を気を付けているのだろう、だけど今にも泣きだしそうになっていて感情を隠しきれていない静香。
「……父、パス」
――たった一言で既に満身創痍の様相になった静香が私の元へ戻ってきた。仕方ない、やっぱり私自身が行くべきか。
「……パパさんはあたしが嫌がること、しないよね? 」
「ぐはっ?! 」
うるうるした目でそんなことを……パパさんって呼ばれるとは……っ!
「うんうん、パパさんはそんなことしないからねー? 」
「だよねっ! パパさんも大好きー! 」
「「「「……」」」」
……椎名君以外の全員に白い目で見られた。駄目だ、私に彼の説得は荷が重すぎる……。
「……なぁ悠野姉、お前ら姉妹はおやっさんのことを『パパ』と呼んでやったことはあるか? 」
「いや、二人ともないな……」
「ならおやっさんに椎名の相手は無理だ。あいつのあれは卑怯すぎる」
やれやれといった感じで軽く両手を上げながら断言する。
「綺堂院も勝てそうにないのか? 」
「俺にも無理だ。兄妹って居なくてさ、あいつはもう俺の中で妹分だ。思いっきり甘やかしてしまうだろうな」
静香の問いに答える綺堂院君は上げていた手をゆっくりと下げる途中で頬を掻きながらにやりと笑う。
「私も、かな。……ねぇ昭徳、私たちに子供ができたら椎名さんみたいになってもらいたい」
異口同音で白崎さんも綺堂院君の意見を肯定していた。
2人の態度を見て呆れ半分、微笑ましさ半分といったふうにため息を漏らす静香。
かくいう私も綺堂院君たちの意見に賛成だ。あの椎名君は何というか……父性本能というのだろうか?どうしてもそれが刺激されてしまう。
そんな私達を見かねたのだろう。椎名君に見えないように涼香が親指をぐっと立てた後、
「ねぇ優、私達これからちょっと大事なお話があるんだよ、だから白崎さんと一緒にちょっとだけお留守番しててもらってもいいかな? 」
椎名君の説得を試みる。椎名君は一瞬だけきょとんとした表情を浮かべた後すぐににっこりとほほ笑み、
「涼香ちゃんのお願いならあたしはお留守番ちゃんとできるよー」
快く了承してくれた。
「うんうん、やっぱり優はいい子なんだよ」
そんな椎名君の頭を一度だけ撫でてあげた後、白崎さんに『おねがいするんだよ』と言って椎名君を任せようとする、
「それは、構わないけど……なんで私、なの? 」
急に任されて戸惑ったのだろう、白崎さんがそう尋ねるのは当然の事だ、だけど涼香はなんでそんなことを聞くのかわからないといった顔で、
「白崎さんなら優のことをしっかり面倒見てくれそうだからなんだよ」
自信満々にそう答えた。
「おいちんちくりん、それは俺だと信用できないってことか? 」
「私はちんちくりんじゃないし……自分の胸に聞いてみるといいんだよっ!」
……また涼香と綺堂院君の口げんかが始まりそうになる――だがそれは、
「涼香ちゃんもお兄ちゃんもケンカしないでね? 」
「わかったんだよ……」「……すまん」
椎名君の鶴の一声ですぐに中止された。……やっぱり椎名君は手ごわそうだなぁ。
「じゃあ椎名さん、一緒に、車のほうに行きましょうか?」
「……やっぱり俺もついて行く、また地震とかが起きたとき対処できなそうだしな」
そういって綺堂院くんも立ち上がり、白崎さんと椎名君の後を追っていく。私達からゆっくりと離れて――3人ともカーブの先へと消えて行った。
それを残った全員で確認した後、ようやく本題へと移る。
「椎名君は白崎さんと一緒に席を外してくれたことだし……いったい私たちが戻ってくるまでに何があったんだ? 」
「たしか私が言伝を涼香に言いに行った時はまだ目を覚ましていなかったよな? 」
私と静香が涼香にそう尋ねるとゆっくりと頭の中で整理するようにしながら話し始めた。
「お姉ちゃんが食べ物を取りに向かって少ししてから優くんが起きたんだよ」
「それまでに何かあったとかはあるかな?その……ひどくうなされていたとか」
「えっと、お姉ちゃんが来る少し前はうなされていたんだよ……だけど頭を撫でたりしてるうちに落ち着いてくれて――それからは何事もなかったんだよ」
「それで、目を覚ましてすぐからあの状態になっていたわけか……」
「最初はあぁなっていることには気が付かなかったんだよ、だって普通に煙草を吸い始めたし……」
「どこからおかしかったのか、正確にはわからないんだね? 」
「うん……ごめんなさいなんだよ」
「いや、それは気にしなくていいんじゃないか? 優がいきなりあぁなってしまってるなんて誰も想像してなかったんだし」
「でもっ!私はみんなに優くんを任せてもらってたんだよ? それなのにわからないというのは……」
声を少しだけ荒げながら自責の念を漏らす涼香。
「私も静香の意見に賛成だね」
「でもっ! 」
「でも……?仮にいつからあの状態になっていたかわかっていたとしても対処出来ていたと思ってるのかな?」
「それは……」
私が少しだけきつい口調で涼香をたしなめると一度だけ反論しようと口を開いたのだが何も言えないと悟ったのだろう。おとなしく口を閉ざした。
「そういえば……私だけ椎名君の名前を呼ぶなっていうのはどういう意味だったんだ? 」
少しだけ重くなりそうだった空気を変えるため、強引に話を元に戻す。
「そうだった……おかしなことって言うか、また優くんが取り乱したんだよ」
「取り乱した? それは……アレを見たときのことを思いだしたということかね? 」
「そうじゃない……それとは別の理由だったと思うんだよ」
――別の理由?
「私が優くんのことを呼び捨てる理由とかお父さんに優くんを呼んでほしくなかった理由でもあるんだけど……」
そう前置きしてから、
「私が優くんのことを呼んだら急に取り乱しちゃったんだよ……お母さんごめんなさい、あたしが女の子になるからと叫びながら」
渋い顔でそう説明してくれる。
「お母さん?女の子になる? 」
でもそれは静香にも私にも理解できず鸚鵡返しに聞き返すと、
「今の優くん、たぶん小さい女の子になろうとしてるんだよ」
「……というと? 」
「あの性格は多分、小さい頃にお母さんに強制されたかなんかで演じてた頃の物なんだよ」
……椎名君は男の子だ。それが気に入らなかった母親――おそらく女の子がほしかったのだろう――が彼に女の子として振る舞うように強要されたということか。
「なんともまぁ……」
あまりのことに絶句する静香。
「……椎名君はもしかすると、あの歳で体験できる苦しみすべてを体験してるんじゃないか? 」
静香の気持ちに私も同感だ。……まったくもってどうにかしている。
「……それは笑えない冗談なんだよ」
そう言って涼香も苦笑いを浮かべる。
「でも優はあったときは間違いなく男の子だったぞ? 免許証でも確認したし、優自身もそう言ってたはずだ」
「……たぶんそのお母さんと別居することになったんじゃないかな? それで普通に戻ったんだよ」
……それならつじつまが合う――あれ?脳裏にある可能性が浮かぶ。
――椎名君は今まで母親と別居していた。多分両親が離婚をしたとかそう言う理由だろう。
事故が起きたころには既にそうなっていたのだろう。だから事故の日に椎名君の母親は車に乗っていなかった。
その事故で椎名君は意識不明の重体――意識を取り戻すまで時間がかかったことだろう。
その意識がない間に椎名君の母親が彼の妹だけを引き取っていたら。そのことを椎名君に隠していたら。
亡くなっていないはずの妹を亡くなっていると勘違いしていることの、今も彼がその過去にトラワレ続けていることのつじつまが合う。
「……お父さん、どうしたの? そんなに怖い顔して……」
……どうやら私は怖い顔をしているようだ。涼香が心配してくれている。だけどその気遣いに笑みを返してやる余裕は今の私にはなかった――。




