88.彼は挨拶回りをする。
ベルナディータさんの護衛依頼を受けた3日後、俺はこの街を出ることを主に関わった者たちに説明することにした。
カナ、ロメオさん、ウィルフリッドさん、レオンさん、クリークさん、マリーさん、フィオンさん、ラヴィさん、ランドルフさんがその面々である。
クラリネスやレリアさん、そしてサモンド子爵は気軽に会うことができないため、手紙を出す予定だ。
まずは食堂で机を拭いていたカナへと説明すると、彼女は悲しそうな顔をした。
「セイランスお兄ちゃん、もうすぐ行ってしまうのですか?」
「はい。俺はこの世界を旅することが目的ですから。」
「分かりました。悲しいですが仕方がないのです。またいつか、この宿に泊まりに来てください。」
そう言って抱きしめてきたカナの頭に、肯定の返事をしながらそっと手を置いた。
彼女は普段から宿で働いているために、こうして別れを受け入れられる程度には大人びており、そして笑顔で手を振れない程度には幼いのだろう。
彼女の頭を撫でていた俺はふとどこからか視線を感じ、そちらを見るとロメオさんが目から涙を流して顔を濡らしていた。
「セイランスちゃん!どうして行っちゃうのよ!?」
「いや、ちょっと待ってください。どうして子供のカナが受け入れているのに、大人のロメオさんがそうなっているんでしょうか。」
「大人だからこそ、この宿に泊まり続けてくれたセイランスちゃんの良さが分かっているのよ!!」
彼はそう叫びながらこちらへと走ってくるのだが、未だ抱きついているカナがいる以上は躱すことも出来ずに覚悟を決めたのだった。
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何とかロメオさんを落ち着かせて次に向かったのは、クリークさんの部屋だった。
仕事の話をしていたのか都合よくレオンさんとウィルフリッドさんもその場所にいたため、彼らにこの街を出ていくことを告げた。
「あぁ?街を出てくだぁ?んなこといちいち知らせにくるんじゃねぇよ。」
「そうかい、行ってしまうのか。まだこの街に来てから数ヶ月だというのにせっかちだね。」
ウィルフリッドさんは随分と極端だが、さすがに彼らの反応は冷静なものだ。
クリークさんの反応もまた落ち着いたものだったが、こちらは冒険者ギルドの支部長らしいエールを送ってくれた。
「王都に向かうならばあちらのギルドには私から軽く連絡しておきましょう。」
「ありがとうございます。幼気な新人冒険者が向かうので優しくご指導下さいと伝えてください。」
「・・・伝えておきましょう。」
俺も一応王都に到着したら、ギルドに菓子折りを持って挨拶をした方がいいだろうか。
ウィルフリッドさんは既に早く出て行けと手で合図しており、実際長居しても邪魔になるため、最後にもう一度だけ挨拶をしてから出ていくことにした。
「それじゃあ、失礼しますね。クリークさん、レオンさん、ウィルフさん。またいつかお会いしましょう。」
「おい待てコラ。何さり気なく俺のことを愛称で呼んでやがるてめぇ。」
「いやですね、俺とウィルフさんの仲じゃありませんか。」
Aランクのウィルフリッドさんが新人の俺を認めて仲良くなるパターンと言うのは王道だと思うのだ。
それに過激なツンデレキャラとしてはそろそろデレに入って欲しいところである。
彼は腰に帯びている剣の柄に手を置いてしばらくこちらを睨んでいたが、やがて柄から手を離して頭を掻いた。
「チッ。好きに呼びやがれ糞ガキ。」
「ありがとうございます。許可をもらえたので更に親しみを込めてウィルウィルと・・」
「てめぇ死にてぇようだな!!!」
もう一歩だけ踏み込んでみたのだが失敗したため、ウィルフリッドさんが抜いた剣に斬られないうちに部屋を出た。
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次に訪ねたのは同じギルド内で仕事をしている受付嬢のマリーさんである。
「そうでしたか。王都までの護衛依頼を受けたことは知っていますが、そのまま旅立ってしまうのですね。デルムを拠点に活動するつもりはないのでしょうか。」
「はい。正直なところ、ギルドに登録したのも旅をする際に便利という理由が大きいですから。」
「分かりました。本来ならばどこかに腰を落ち着けて活動することを推奨しているのですが、セイランスくんの実力ならば多くを言うつもりはありません。それに、肉屋の店員をしているよりは冒険者らしいと思います。」
どうやらマリーさんは二つ名を手に入れた冒険者が肉屋の店員として働いていたことが余程衝撃的だったらしい。
彼女は幾つか小言のようなものを告げた後、説明を始めた。
「活動拠点を移す場合には一度新しいギルドに訪れて受付でカードを提示してください。冒険者の主な活動記録はギルド間で共有していますので、特に自ら説明する必要はありません。」
「分かりました。けれど、俺ってほとんど活動記録がないですよね?」
「安心してください。二杖の光絡みの一件が濃すぎますから。正直細々とした依頼を何十件もこなすよりよほど活動的な記録ですよ。」
そう言って笑顔を向けられるのだが、一体どういう反応をすればいいのだろうか。
つまり量より質を体現しているということなのだから、マリーさんは褒めているに違いない。
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フィオンさんの店を訪ねると、そこではラヴィさんとランドルフさんが親子仲良く働いていた。
もっとも、ランドルフさんは随分と長く歩いていなかったせいで筋肉が弱り杖を付きながらだが、こうして働ける程には回復したようだ。
「こんにちは。ランドルフさんもこちらで働き出したんですね。」
「セイランスさんか。一応こうして働けるくらいまで回復したんだが、この年で杖を付きながらだと就職先が無くてな。もう少し普通に活動できるようになったらまた改めて仕事を見つけることにしたよ。」
いつの間にかさん付けで呼ばれているのだが、これは彼なりの感謝の気持ちということなのだろう。
カウンターの奥に座っていたフィオンさんは、ランドルフさんを見ながら呟いた。
「全く、むさい男が一人いると店の雰囲気が悪くなるのだけど仕方がないわよね。」
「いや、この店にいる男はフィオンさんと俺で二人だぞ?」
「私がなんだって?あぁん?」
フィオンさんも相変わらず元気そうで何よりである。
「ところでセイランス、今日はどうかしたのかしら。」
「あぁ、この街を出て行くつもりだから挨拶回りをしているんです。」
「え?出ていっちゃうの!?」
そういえば、彼女たちには自分のことを話したことはあまりなかっただろうか。
俺はこの街に冒険者登録をしに来たこと、もともと世界を見て回るつもりでいたことを話していく。
「そうなのか。セイランスさんは探検者気質なんだな。」
「みたいねぇ。まぁ、ランドルフを治して見返りを求めなかった時点でそんな気はしていたけれど。探検者連中って利益に疎いもの。アルセムの大魔窟に興味がないなら、セイランスちゃんにとってこの街は狭すぎるわ。それに、いつかまたここに戻ってくることもあるのでしょう?」
「はい、それは必ず戻ってくることになると思います。」
なにせ俺はいつかまた、トキワの集落に戻るのだ。
それがいつになるのかは分からないが、この街を訪れることになるのは間違いない。
その時にはきっと、土産話をたくさん持っていると思うから楽しみにしていて欲しい。
本来ならばクリークも気軽に会うことができない人物なのですが、本人は気付いていないようです。