87.彼は神殿を訪れる。
今朝の場面は余りものを出すことで角を立てずに、かつそうすることで積極的に協力はしないという意思表示をするのがうまい切り抜け方であったらしい。
もっとも、今更そんなことを知ったところで今の俺には意味がないのだ。
「あぁ、これで私も安心して眠る事ができます。」
「それは何よりです、ベルナディータさん。」
ベルナディータと名乗った少女は朝食を食べ終えた後、獲物を逃さぬとばかりに俺と共にギルドへと向かい、そして受付で護衛依頼の申請を行ったのだ。
本来掲示板に貼られるはずの依頼書をすぐにこちらへと持ってきた彼女は、受理を迫るという積極的な行動を取ってきた。
女性に迫られるともう少し甘い気持ちになれると思っていたのだが、実際は随分とほろ苦いものであるようだ。
無論依頼料は銀貨1枚という宿代にもならない金額であることを考えると、砂糖など全く含まれていないに違いない。
その行動力はしっかりとしていて素晴らしいと思うのだが、いささか詐欺にでも遭った気分である。
「詐欺とは無縁だと思っていましたが、きっと皆こうやって遭遇するんですね。」
「何かおっしゃいましたか?」
「いえ、何でもないです。けれど、実際のところ断れませんよね。」
ひと仕事終えたような表情をしているベルナディータさんを見ながら、最後にそう小さく呟いた。
独りで危険地帯に挑んでララやダルク様に助けられた俺が、独りで旅立てば命を落とすかもしれないと言われれば出せる答えなど決まっていたのだ。
「いつ頃王都に出発致しましょうか。セイランスさんの都合の良いようになさって下さい。」
「そうですね、さすがにデルムを発つならば挨拶回りもしなきゃいけないので、近日中としか言えません。」
もっとも冒険者という立場上出会いと別れはセットになっているようなものだから、そこまで大げさな挨拶をする必要はないだろう。
俺がこの街に永住するつもりが無いことは、皆理解しているはずである。
「分かりました。それではとりあえず、私はこの街の神殿におりますので目処が立ちましたらいらして下さい。」
「神殿ですか?よければ一緒にいってみてもいいでしょうか。」
「えぇ、もちろんですよ。ゼファス神も信心深いあなたの訪問は歓迎なさることでしょう。」
信仰した覚えはないのだが、せっかくの出会いなのだから一度神殿を訪れてみたい。
もしも神殿から出てきた俺が、『あぁ、神よ』と祈っていたらそっと何かを察して欲しいのだ。
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ゼファシール教の神殿はクラリネスの屋敷のように富裕層が住まう地区にあるのかと思っていたのだが、意外にも庶民が住まう地区にあった。
もっともその佇まいは庶民の住宅とは異なって幾本もの柱に支えられた見事な入り口が存在しているのだが、神の神秘性を表現するにはそういったものも大切なのだろう。
中に入るとまずは礼拝堂のようなものが視界に入り、そこでは何人かの者達が腕をクロスさせて祈りを捧げていた。
「宗教とは人々にとって身近な心の拠り所でもあります。神に祈ったところで何も変わらぬと言う者もいるでしょうが、人は何の支えもなしに生きていくことは出来ません。祈るというその行為自体が救いとなるのです。」
さすがに只の詐欺師というわけではないようで、ベルナディータさんは神官らしくそう説明をしてくれる。
別段宗教に関心があるわけではないのだが、彼女の言いたいことは何となく分かる気がした。
俺も独りでアルセムの大魔窟に向けて旅をしていた時は発狂しかけたし、誰も彼もが祈りなど必要ないと断言できる程に充実した生活を送っているわけではないのだろう。
彼らが祈る先にある像はおそらくゼファス神を現したものなのだと思うのだが、その像は少年の姿をしており手には短い杖を持っていた。
さすがに容姿や杖の細かな形こそ異なるものの、俺が昔出会った少年神様の特徴を捉えている。
「ベルナディータさん、あれがゼファス神ですよね?」
「えぇ、始めて見た方は意外に思うかもしれませんが、ゼファス神はあのような姿をしているとされているのです。」
ゼファス教の話を聞いた時から頭の片隅で思ってはいたのだが、ゼファス教もそこから派生したこのゼファシール教も全くの出鱈目というわけではないのかもしれない。
そもそも獣人が神から見捨てられた存在、魔人が神から拒絶された存在というゼファス教の考え方は、全く見当違いというわけでもない。
少年神様からの裏事情を知っていれば、確かに魔力を回収できない獣人など見捨ててもおかしくはないし、魔力が底をついたら命を落とすような魔人は拒絶してもおかしくはないのだから。
魔力を回収するというシステム的には数が多くコンスタンスに魔力を回収できる普人と、魔力量が最も多くその身体能力の低さ故に使用率の高い妖人が優良資源である。
無論少年神様がそういった考え方をしているという意味ではなく、裏事情を知った誰かがそう解釈をしてもおかしくはないという話だ。
「ベルナディータさん、ゼファス教の話をして申し訳ないのですが、この宗教を創った人はどんな人物だったんでしょうか。」
「ゼファス教は私達にとって反省すべき過去ですが、その流れを汲んでいるのも確かなので気にしないでください。ゼファス教の創始者とされているのは『使徒』です。名前は伝わっていません。」
彼女の話によると、使徒はこの世界の神に会ったとされている人物のようだ。
無論それだけならば妄言を吐く怪しい人物で終わっていたのだろうが、彼が神から聞いたとされる事象の尽くは、その時点でまだ謎であったことも含めて全て真実であったらしい。
それ故に彼が語った各種族に対する神の思想もまた真実味を持ち、多くの人々に信じられ、世界へと広がっていった。
「ゼファシール教では使徒が語った神の思想が偽りであったという考えを持っているのです。神の思想を人の身で読み取れるはずもなく、また徒に下界を混乱させるはずもないのですから。ゼファス神の愛は全ての種族へと注がれているのです。」
こちらも当たらずとも遠からずといったところなのだろうか。
確かに少年神様は不必要に下界への干渉を良しとしていないのだから、必然的に自ら混乱を招くようなことはしないはずだ。
「ちなみにですけど、ゼファス教とゼファシール教は仲が悪かったりしますか?」
「お互いに信じるものがある、ただそれだけの話ですが良いとはいえないとだけ申しておきましょう。」
宗教それ自体は生きる支えとなるものだが、2つ以上の宗教が存在すると途端に厄介になるのだから困ったものだ。
かつて大戦を引き起こしたゼファス教に、神の遍く愛を説くゼファシール教、そしてゼファス教の過激派ともいえる二杖の光。
宗教の厄介事には関わりたくないものだが、少なくとも既に二杖の光とは二戦程やりあってしまっている点をどうすればいいのだろうか。
とりあえず俺は少年神様の像の前に行き、『あぁ、神よ』と祈ることにした。
そして始まる「神殿で祈ろう。」