86.彼は神官と出会う。
もう随分と慣れた鐘が2つ鳴るのを聞いて、起床しようとすると廊下から足音が聞こえてきた。
いつもはカナにモーニングコールを頼んでいるため、おそらく今日も起こしにきてくれたのだろう。
どうせならば彼女に起こしてもらったほうが良い目覚めになるに違いないと、そのままベッドの中にいた俺はドアのノック音と共に扉が開いたことを察知した。
だが普段ならばこのタイミングで彼女の声が聞こえてくるというのに、どういうわけか今日は異なる。
足音は静かに俺のベッドへと近づいてくるため、嫌な予感がした俺は勢い良くベッドから起き上がった。
「きゃっ!?」
「それはこちらの言葉です。どうして何も言わずに接近してくるんですか。」
「どうせなら優しく起こしてあげようと思ったの。」
視界に映るのは俺がプレゼントした髪飾りを着けたロメオさんであり、全く必要のない気遣いを持つ彼へと尋ねた。
「カナはどうしたんですか?」
「接客で大忙しよ。料理の注文自体は一旦途切れているから私が来たの。」
「そういうことなんですね。繁盛しているようで何よりです。」
この宿は妖精さん達が利用するため閑古鳥が鳴く程ではないものの、カナが俺に声をかけてきた通り流行っているというわけでもない。
以前カナが客入りについて悩んでいる場面をみて、いたたまれない気持ちになった俺はロメオさんに記憶の中にある料理を幾つか幻影魔法で伝えた。
その中で再現することが出来た料理が噂になり、集客に効果を発揮しているようなのだ。
最初は食事目当ての者が食事時にやって来るだけかもしれないが、この宿の快適さは保障されているため興味さえ集まればやがて宿としても流行っていくことだろう。
「セイランスちゃん、ありがとうね。あなたには感謝しているわ。」
「気にしないでください。いや、本当に気にしないでください。」
何故か口を尖らせたまま顔が迫ってくるため、何度でも念を押したいのだ。
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今日は別段用事があるわけでもないため、混んでいるならばとしばらく時間を置いてから1階へと降りると、ちょうど客が食べ終わった後の皿を運ぶカナと出会した。
「あ、セイランスお兄ちゃん。おはよう!」
「おはようございます。少し遅いですが朝定食をお願いします。」
「分かりました。席に座って待っていて欲しいのです。」
空いている席に座った後に食堂の中を見渡せば、時間帯もあってか既に食事を摂っている者の姿は少なかった。
そこから何気なく入り口の方へと視線を向けると、そこに白い修道服を着た少女が佇んでいることに気が付いた。
それだけならば少し珍しい格好をした者がいる程度の話なのだが、彼女はそれから時間が経っても動くこと無く佇んでいる。
席に座れない程混雑しているわけではなく、かといって誰かを待っているわけでもなさそうだが、彼女は一体何をしているのだろうか。
「セイランスお兄ちゃん、お待たせしました・・・ってどうかしたのですか?」
料理を運んできたカナが、俺の視線が入り口へと向かっていることに気付くとそう尋ねてくる。
「あの女性は何をしているのかなと思いまして。」
「あぁ、あの人は朝食を恵んでくれる人を待っているのですよ。誰も現れなければ最後に余り物をお出しするので大丈夫なのです。あの格好はゼファシール教の神官さんなので、おそらく見聞の勤めを果たしている最中なのだと思います。」
確かゼファシール教といえばゼファス教から分離した宗教だ。
以前ギルドの図書室で本を読んだ通り、ゼファス教自体は大戦以降その規模を縮小している。
だが、いつの世も宗教というのは一定の価値を持つもので、ゼファシール教はゼファス教が廃れた後に普及したものだ。
神ゼファスを信仰するという点は変わらないが、ゼファス教のように普人絶対主義のような極端な立場は取らずに、神ゼファスの元皆が共存していきましょうという大分穏やかな内容になっている。
どうもカナの話によると、ゼファシール教の神官達は修行の一環としていくつかの土地を巡るらしい。
世界を広く見ることで、大戦を引き起こす要因の一つとなったゼファス教のような視野狭窄に陥らないという目的があるようだ。
「そういうことなら、彼女に俺と同じものをお願いします。」
「うーん、いいのですか?お勤め中の神官さんに優しくすると大変かもしれませんよ。」
「えっと、よく分かりませんが朝食を驕るくらい気にしませんよ。」
それに誰も朝食を恵まなかったら結局余り物を出すのだから、優しくするという点ではカナとそう変わらないのではないだろうか。
そう思いながら運ばれてきた朝食を食べていると、先程入り口にいた少女がこちらの方へとやってくる。
彼女はしみ一つない綺麗な顔に笑みを浮かべると、口を開いた。
「あなたが食事をお恵み下さった方ですか。あなたにゼファス神のご加護があらんことを。」
「はい。どういたしまして?」
彼女は神に祈るように両手をクロスさせているのだが、おそらく礼を言っているのだろう。
もっともゼファス神があの少年神様のことならば、下界に干渉しないようにしているらしいからご加護はもらえなさそうだ。
彼女はクロスさせた両手を元に戻すと、『失礼します』と言いながら自然に俺の前の席へと座った。
「あなたはもしかして冒険者でいらっしゃいますか?」
「えぇ、そうですよ。」
「あぁ、なんということでしょう!これはまさしくゼファス神のお導きに違いありません!!」
彼女の質問に軽い気持ちで肯定をした途端、何故か彼女は大げさな反応を示す。
ここは冒険者が大勢いる街なのだからお導きも何もないと思うのだが、彼女は俺が何かを言うよりも早く言葉を続けた。
「実は私、只今見聞の勤めを果たしている最中なのです。この街での活動を終えて次は王都へと向かう予定なのですが、生憎とこのか弱き身では道半ばで倒れるかもしれません。いえ、それも神の定めた運命とあらば従いましょう。ですが、運命とは人の行動の結果やってくるもの。つまりこの身だけで王都へと旅立つ無謀は、決して神が本来定めた運命を引き寄せないのです。」
「えっと、つまり護衛が必要ということでしょうか。でしたらこの後ギルドへと向かうので、一緒にどうですか?受付嬢に知り合いもいるので、ちゃんとした依頼が出せるようにお願いしますよ。」
「あなたの尊き行いに深く感謝致します。ですが私は修行の身、依頼するようなお金を持ち合わせてはいないのです。」
彼女はそう言うと、その整った顔を少し悲しそうに歪ませた。
「どこかに神に仕えるこのか弱き身を王都へと運んで下さるお方はいないものでしょうか。あぁ、きっとゼファス神もそのようなお方には大いなるご加護を与えて下さることでしょう。」
「えっと、どうなんでしょうね?そういうこともギルドで一度聞いてみるといいかと思います。」
「あぁ!きっとそのお方は、入り口で佇む私に朝食を恵んでくださるような、そんな慈悲深い方に違いありません。」
彼女は目を潤ませながらチラチラとこちらを見てくるのだが、そのあからさまな訴えを止めてもらってもいいだろうか。
確かに俺はアルバント国に向かうためにまず王都に行く必要があり、彼女に同行することは十分可能である。
だが前世と今世を通して出会ったことがないタイプの人物に戸惑っていると、彼女はさらに言葉を続けていた。
「世の中には怪我で働けなくなった父親の代わりに娼館で身を売る娘のために、無償で治療活動を行う素晴らしいお方がいるようなのです。」
「そ、そうなんですね?」
「えぇ、そうなのです。しかも驚くことに、そのお方はどうもこの街の領主の娘を救った上に、若くして二つ名まで手に入れる優秀な冒険者らしいです。あぁ!もしもそのような方に王都まで護衛して頂けたなら、きっと私は神官としての修行を果たしてより一層神にお仕えすることができるでしょう!!」
彼女は遂に俺の目を直視してくるのだが、これはどう考えても全てを分かった上で行動している気がするのだ。
これがラストスパートだと言わんばかりに、彼女は立ち上がると両手をクロスさせながら告げた。
「そのようなお方に見捨てられたとあっては、私もいよいよこのか弱き身一つで王都へと旅立たねばなりません。あぁ、神よ。これが運命だというのですか!魔物に怯え、盗賊に怯え、それでも耐え抜き王都を目指せという!!ならばいいでしょう。まだ15年しか生きぬこの身、ここで絶えることがあったとしても受け入れましょう。」
「・・・俺も王都に行く予定があるのですが、よろしければご一緒しませんか。」
「本当ですか!?食事を恵んで下さるだけでなくそのような申し出までして頂けるとは、この素晴らしき出会いに深く感謝いたします。」
そう言って祈りを捧げる彼女を見て、食事を運んできたカナはこちらへと視線を向けた。
だから言ったじゃありませんかと、その目は訴えているような気がした。
あぁ、神よ。変人は変人を引き寄せるのですね。