85.彼は肉を売る。
冒険者ギルドから幾分か離れたところにある活気溢れる商店街で、客寄せや値段交渉をする声が周囲に響き渡る中俺も負けじと目の前を歩く女性に声をかけた。
「いらっしゃいませ!そこのお姉さん、今はナロウバードの肉がお安いですよ。」
「そうねぇ、今日は麺類にしようと思っていたから遠慮しておくわ。」
彼女はそう言ってその場を去ろうとするのだが、買う予定の無かった者に買ってもらってこそ商売というものである。
「よく考えてみて下さい。お姉さんは今日麺を食べるつもりでいますけど、別の日にお肉を食べることだってありますよね。つまりどうせお肉を食べることになるのなら、安い今がいいんじゃないでしょうか。」
「あら、そう言われるとそうなのかしら?」
「そうですよ。人生で大事なのはチャンスを逃さないことです。さぁ、どうぞお買い求め下さい。」
そう告げて満面の笑みを浮かべると、最終的に彼女にはナロウバードの肉を買ってもらうことが出来た。
やはりそれらしい理屈と幼気な少年の笑顔が合わされば無敵のようである。
「おう、なかなかやるじゃないか。」
「ありがとうございます。」
その光景を見ていた肉屋の店主からの反応も上々であり、日焼けした顔に笑顔を浮かべながら肩を叩かれた。
受動的に待っているばかりでは売れるものも売れないため、次に声をかける人物を探そうとすると何やら道行く人々の中から視線を感じる。
そちらに目を向けてみればそこにいたのはギルドの受付嬢としておなじみのマリーさんだった。
「いらっしゃいませ!マリーさんも買い物ですか?よろしければ今ナロウバードの肉がお安くなっていますのでいかがでしょうか。」
「・・・一応確認しておきますが、何をやっているのでしょうか。」
何故か真顔でそう尋ねてくるのだが、エプロンを着けてカウンターの中にいるという状況はこの上なく分かりやすいのではないだろうか。
「見ての通り肉屋で売り子をしているんですよ。」
「・・・何故肉屋で働いているのですか?」
何故働くのかとはマリーさんも哲学的な質問をするものである。
「一般的な解釈でいくのならば、人はやはり働かなければ生きていけませんから。俺個人の事情でいくと、働かないとやっぱりカナの視線が気になるんですよね。」
「いえ、働く理由を聞いているのではありません。」
なかなか俺の返事に納得してくれないマリーさんの様子を見て、一つの可能性が頭に浮かび上がった。
そうして考えてみればギルドの受付嬢は高給取りと聞くし、有りえぬ話ではないと口を開く。
「セイランスくんが働かなくても私が養ってあげるのに、という話でしょうか。大変嬉しいのですが、さすがに周りの視線が気になってしまうのでそういうのはこっそりとお願いします。」
「あぁ、もう!どうして冒険者のあなたが市民に混じって肉を売っているのかと聞いているのです!!」
「どうしてと言われましても、荒事に参加するより街で肉を売っていた方が平和で良いと思いませんか?」
「現役の冒険者が冒険者を否定しないでください・・・。」
よく分からないのだが、力なくそう呟くマリーさんは日頃の疲れが溜まっているのかもしれない。
ギルドの受付嬢といえば荒くれ者も多い冒険者の相手を日々しているのだから、それも仕方がないことではあるが出来ることならば元気でいて欲しいものだ。
そう考えた俺は、少しでも彼女の疲れを癒やすべく行動を起こすことにした。
「もうすぐ仕事が終わるので少し待っていて下さい。元気がないようですし、近くの店で一杯奢りますよ。」
「そうですね、少し話を聞かせてもらいましょうか。」
ぜひ疲れの取れる話題を提供したいものだ。
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「なるほど、つまり社会を経験するために市民に混じって働いているということですか。」
俺の説明を聞いた後、彼女は白いコップに入ったドリンクを飲みながらそう呟く。
「えぇ。諸事情で一般的な生活からは遠ざかっていたので、そういったところに疎い部分があるんですよね。」
どういうわけか俺の言葉に彼女は深く頷いているが、つまりそういうことである。
俺がこの街でしたかったのは冒険者登録だけではなく、こちらの生活に慣れるということだ。
そして残念ながら、その日暮らしで荒事も多い冒険者の仕事をしたところでその目的は果たせない。
なにせ一般市民からすると、冒険者も十分特殊なのだから。
「セイランスくんを見かけた時は何事かと思いましたが、そういうことなら一安心です。二つ名持ちが肉屋の店員など意味が分かりませんでしたから。」
彼女にそう言われて、いつの間にか幻人という称号を付けられたことを思い出した。
どうも俺が参加した闘技部門は幻人の伝説にあやかって設けられたものだったらしい。
あれから不本意な噂は見事に消え、会場に訪れていたカナからはキラキラとした目で見られていたから結果自体は上々なのだが、見事に二つ名が的を射ているというのはどういうことなのだろうか。
「『幻人』なんて二つ名を付けちゃっても良いんでしょうか。」
「二つ名に良いも悪いもないですよ。あそこにいた観客たちがセイランスくんの戦いを見て、まるで伝説にある幻人の如き強さだと思ったのですから。本来ならばDランクで二つ名がつくことはないのですが、勇健祭での出来事となれば話は別です。」
当然あそこには冒険者たちも多くいたようで、自分たちの目で確かめたのだからある意味ランクよりも効果的だったらしい。
本当に幻人かどうかは確かめようがないため特に気にしてはいないのだが、かといって嬉しくもないというのが素直な感想だろうか。
どうやら俺が冒険者として活動せずに街で働いているのが気になっていたらしい彼女は、こちらの理由に納得すると笑みを浮かべた。
「事情は分かりましたが、とりあえず今度ギルドにもちゃんと顔を出してくださいね。」
「はい、分かりました。」
俺はそう返事をしながらも、そろそろアルバント国に向けて動き出すことを考えていた。
世界とは広く、幻人の寿命は前世の日本人よりも若干短い程度のものでしかないのだから。