63.彼は治療する。
「彼女も可哀想な子なのよ。」
ラヴィさんが去った後に出されたお茶を飲んでいると、フィオンさんはそう言って語り出す。
カナは今日一日買い物で歩きまわった挙句にファイティングブレルの件もあって、心身共に疲れたのか眠っていた。
「あなた、その格好なら冒険者でしょう?」
「いえ、試験を通ったら冒険者です。明日ギルドの試験を受ける予定ですから。」
「あら、そうなの。立派な鎧を着けているから、てっきりもう活動を始めているのかと思ったわ。」
どうやら単なる荷物持ちにしては過分な装備であるらしく、そう言いながらフィオンさんはドラゴンメイルを眺める。
素材が緑竜のものであるため世の中にはほとんど出回っておらず、この装備を見てもドラゴンメイルとは気付かないだろうが、やはり通常の鎧とは異なる何かを感じるものなのかもしれない。
「彼女の父親もかつては冒険者だったのよ。母親を早くに亡くしていたから、父親が仕事をしている間は付き合いがあった私が面倒をみていたの。あ、付き合いって言っても恋仲じゃないわよ。」
「こんなに必要のない注釈は生まれて初めてです。」
「まぁまぁ、私ってこういう生き方でしょう?だから当然子供なんかいなくて、実の娘みたいに可愛がっていたのよ。小さい頃を知っている分、今の彼女を見るのは辛いわね。」
気がつけば、フィオンさんは先程までのおどけた様子とは少し異なった寂しい顔をしていた。
確かに小さい頃から自分が面倒を見ていた少女が、娼婦として働いているという現実には堪えるものがあるのだろう。
「私も大概だし、別に娼婦を侮辱するつもりはないわ。けどね、やっぱりもっと違う生き方があるだろうって思ってしまうのよ。稼いだお金も父親との生活費と薬代に消えてしまうんだもの。」
「彼女の父親はどうしたんですか?」
「ある日、病気で眼が見えなくなったのよ。それで冒険者としてやっていくのが難しくなったんだけど、月日が経つうちに現役の頃に蓄え続けたお金が底をついたの。そして、お金を稼ぐために周りの反対を押し切って依頼を受けた挙句、大怪我をしたってわけね。」
そして彼女は父親の治療代と生活費を稼ぐために自分の体を売っている、ということらしい。
魔物を狩るとはつまり魔物と殺し合いをするということであり、これは冒険者のリスクが如実に現れた一例なのだろう。
壁に囲まれた空間で過ごす者たちにとって冒険者とは究極の肉体労働であり、特別な資格を必要とせず自由な代わりに命を懸ける。
仮に死ななくても重傷を負えばその時点で稼ぎ口を失い、残るのは不自由な肉体と街の中で十分な仕事を得られないという残酷な現実だ。
「地位や名誉、あるいは地道に働くことを嫌がって冒険者になる若者は少なくないけど、そんなに甘いものじゃないのよね。人より少し腕が立つ程度じゃ魔物には通用しないし、若い頃は良くても年老いれば力は弱まっていくもの。まぁ、セイランスちゃんならこんなことを言わなくても理解しているのでしょうけどね。」
最後の一言を疑問に思ってフィオンさんと目を合わせると、彼は微笑んだ。
「ドラゴンメイルなんていう貴重な装備をその若さで身に着けているのだから、相応に力はあるんでしょう?私びっくりしちゃったわ。」
「あれ、どうして分かったんでしょうか。出回らなさ過ぎて、着ていても気付かれないと聞いていました。」
「うふふ、伊達にこのデルムの街で長く生きていないわ。昔たった一度だけ、レッドドラゴンメイルを見たことがあるのよ。女の過去は複雑なの。」
フィオンさんの過去が複雑なことと女性の過去が複雑なことにどういった関係性があるのかはさておき、どうやら薬屋を営む只の老人というわけではないのかもしれない。
集落長といいララといい、こちらの世界のお年寄りは油断ならないようだ。
彼は笑みを消して真面目な表情をすると、俺に問いかけた。
「それでこの話をしたのにはもう一つ理由があるのだけれど、セイランスちゃんは彼女の父親をどうにかできないかしら?本来ならこんな話をしても否定が返ってくるけれど、神獣の装備を持つ者に常識は当てはまらないものだから。」
「そうですね、正直なところ診てみないことには何とも言えないです。これまでにもあてはなかったんでしょうか。」
「もちろん、私の伝手を使って色んな人に当たってみたわ。けれど、単なる外傷ならばともかく病気が原因の失明を治せる程の治癒魔術師には出会えなかったの。その過程で私も財産の多くを使っちゃったし、手詰まりなのよね。体の怪我の方も表面上は治せたけど、未だに右足が動かないし左足も感覚がないみたい。」
どうやらラヴィさんの父親は、神経に障害を負っているようだ。
以前グレイシアさんが言っていた通り治癒魔法である程度の怪我が治せてしまう分、科学的な側面での医療というのは進歩していないし、彼女のような知識を持つ治癒魔術師もほとんどいない。
また普人の持つ一般的な魔力量はあまり高くないために精霊の補正任せによる治療にも限界があり、並の治癒魔術師が魔法で治せる領域を越えた怪我あるいは病気になると途端に不治の病へと変わってしまうのだろう。
「とりあえず一度診てみますね。」
「本当!?ぜひお願いするわ。」
『私が教えた技術で多くの命を救ってください』、別れ際に言っていたグレイシアさんの言葉を思い出しながら俺はそう返事をした。
●●●●●
カナを一旦宿へと送り届けた後に、俺とフィオンさんは歓楽街から薄暗い路地へと暗い雰囲気が漂う場所を進んでいく。
路地の隅には古びた布切れを纏った者達が疲れ果てたようにしゃがみ込んでおり、その瞳に光は宿っていなかった。
ここは所謂スラム街に該当する場所なのかもしれない。
「ここはスラム街の一歩手前といったところね。デルムは冒険者の多く集う街、例えギルドが死亡率を下げようと頑張った所で死者や怪我人はどうしたって出るわ。そしてそういった者達や家族の生活は苦しくなり、こういうところで暮らすようになるのよ。」
俺の頭の中を読んだようにフィオンさんはそう告げる。
彼らの視線に晒されながらも路地をしばらく歩き続けると、やがて辿り着いたのは扉が傾いているために閉まらずその役目を果たせないような家だった。
フィオンさんはノックをすることもなく、おもむろに役目を果たせていない扉を開く。
「ランドルフ、いるかしら?」
そう尋ねながら入っていった彼に続いて家の中へと足を踏みいれると、鼻につくような酒の臭いが目立っていた。
彼は薄暗い部屋の中、髪はボサボサで髭は伸ばし放題、そして痩せこけた頬で涙を流しながら酒を飲んでいたのだ。
「フィオンさんか。酒を飲むことしかできない役立たずに何のようだ。」
それはおそらく、自嘲などではなく彼の本心から出た言葉なのだろう。
目は見えず、足は動かず、けれどもただじっとして過ごすにはあまりに時間が経つのが遅いため、せめてもの慰めにと娘が買ってきた酒に手を付ける。
自分の今の状況を情けなく思っている中で、それでもどうすることもできず、彼はこうして時間を無為に過ごしているのだ。
薄暗い部屋の中に立てかけてある剣が、ひどくこの光景に不釣合いだった。
「全く、現役の頃のあなたが今のあなたを見たら殴りとばすわよ?今日はあなたの身体を治せるかもしれない人を連れてきたの。」
「またか、そうやって今まで何人がやってきたと思う?それに俺にはもう診てもらう金さえない。」
そう言って酒を飲む手を止めない彼に、フィオンさんの視線を受けて近付いていく。
「初めまして、あなたを診させてもらうセイランスと言います。身体を触らせてもらってもいいでしょうか。」
「随分とわけぇ声だな。まぁいい、払う金がなくてもいいなら好きにしろ。」
もはや完璧な自暴自棄に陥っているのだろうが、許可を得たためにまずは病気が原因らしい眼を診ることにした。
『ライトボール』
明かりが見当たらなかったため光魔法で部屋を照らした後に、瞼を指で強制的に開いて観察する。
表面上は確かに外傷は見当たらない上に光を受けても瞳孔は反応しないものの、その瞳は紫色に濁っているのが分かった。
「あぁ、これは紫眼症ですね。」
「紫眼症?」
「えぇ、魔素による影響で眼球が圧迫されることで視野が狭くなっていく病気です。ランドルフさん、眼が見えなくなる前って急激にではなく、徐々に見える範囲が狭くなっていきませんでしたか?」
「だったら何だって言うんだ。」
彼からするとそれが何の意味を持つのか疑問なのだろうが、少なくともグレイシアさんに習った通りの経過を辿っていることが分かった。
彼女から学ぶ内容は小難しくて頭が痛くなることばかりだったが、こうして診断の中で原因を特定できたならばその甲斐がある。
俺はセシルからもらった鞄に手を入れた後に空間収納を通してポーションを取り出した。
「セイランスちゃん、それは何なの?」
「サイクロプスの眼と薬草をいくつか組み合わせたものです。これで少しずつ眼の中の魔素を取り除いていきます。」
「待て、サイクロプスの眼だと?俺はそんな高価なものに金を支払えんぞ。それに以前一欠片もらって飲んだこともある。」
されるがままになっていたランドルフさんは、サイクロプスの眼と聞くとそのように口を開いて拒んだ。
「この病気の場合サイクロプスの眼は一欠片程度じゃ効き目が薄いですし、飲んでも効果がありません。紫眼症の場合はこのポーションを眼に直接落とすんですよ。服用自体が無意味とは言わないですが、今回に限って言えば間違いです。鐘が1つ鳴る毎に瞳の色が戻るまで続けて下さい。」
ランドルフさんに渡しても受け取らないためフィオンさんに渡した後、今度は自分の魔力を込めた魔石を取り出した。
続けてランドルフさんの足を治療する必要があるが、原因が神経にあると当たりをつけられているのならばその後は大した問題ではない。
こちらに関してはまさに治癒魔法の本領発揮といえるだろう。
『ハイキュア』
明確に治療する部位を神経と定め、神経の大まかな役割と構造を思い浮かべ、そして神経が正常に繋がった場合の身体の働きを想像する。
これだけ補足をしたならば、後はトリガーと魔石に込められた魔力によって聖精が補完を行いながら治癒魔法が発動する。
「さすがに神経となるとすぐには回復しないので、魔法が収まるまでしばらく大人しくしていてください。」
「セイランスちゃん、本当にありがとう。大きさからするとCランクの聖属性の魔石ね。時間がかかるかもしれないけれど、代金は全て私が責任を持って払うわ。あ、身体で払ってもいいのよ。」
「あの、それだとむしろ代金が増えると思うんです。ラヴィさんを男と勘違いしたお詫びということで、何も要りません。」
納得が言っていない様子のフィオンさんを看病のために残るよう押し留めて、俺は家の外へと移動した。
既に空には星が輝いており冷たい風が身体を包み込むが、そう悪い気分ではなかった。




