47.彼は助けられる。
「◯☓◯、□◇☓△。」
「△△□◯☓△◇◯□□□△◯☓◇。」
夢と現実の間を彷徨うような曖昧な意識の中で、誰かが会話をしている声が聞こえた。
それは自分が知っている言語ではないのか内容を理解することは出来ないが、しかし警戒を抱かせる類のものではないように思えた。
やがて意識は現実へと強く引き寄せられていき、視界には白い天井が三角の形に沿って広がっていた。
「俺は生きているの?」
この世界での死は無を意味するはずであり、未だこうして自分というものが存在していることを理解した俺は自然とそう呟いていた。
確か俺はあの時、致命傷と呼べるものを全身に負ってアルセムの大魔窟の中で意識を失ったはずだ。
疑問を抱きながらも改めて周囲を見渡してみればここはどうやらテントの中のようで、簡易的な家具が設置されているのが分かった。
「◯☓、□△☓□□?」
俺が目を覚ましたことに気付いたのか、女性の声がして誰かが近寄ってくる気配がする。
俺がそちらへと視線を移すと、そこに居たのはこれまでに見たことがないような灰色の肌をした女性だった。
夕焼けのような暖かさを感じさせる赤い髪は肩甲骨の下角まで広がり、目尻が下がった垂れ目と顔に浮かべた微笑みは包み込むような優しさを感じさせる。
先程聞こえて来た会話と同様に理解できない言語だったため、精霊を通して話しかけることにした。
(すみません、言葉が分からないので精霊を使って会話してもいいでしょうか。)
(えぇ。かまいませんよ。身体の方は大丈夫ですか?)
俺の言葉に女性は一瞬驚いたように目を見開き、それからそう返事をした。
彼女の言葉を受けて自分の身体に意識を向けると、そういえば全く痛みがないことに気が付いた。
あれ程の重傷ならば例え生き残っていたとしても何らかの障害が残りそうなものだが、果たして獣人の肉体というのはそれ程までに回復力に優れていただろうか。
(大丈夫みたいです。)
(それならば良かったです。この場所に運ばれてきた時はかなりの重傷だったんですよ。身体中の骨が骨折していて内蔵も損傷していましたし、どういうわけか至る所の腱や筋肉まで断裂していました。正直、息をしていたことが不思議で仕方がありません。)
彼女はそう告げるのだが、正直自分でも何故生きているのか不思議である。
お互いにそれぞれ疑問を持ちながら首を傾げ合っていると、また誰かが近付いてくる気配がした。
今度は男性のようだが、彼女はその人物を視界に入れると自然に自分が居た場所を譲って頭を下げる。
彼は女性と同じ灰色の肌をしているが、しかしその短く切られた髪は灼熱の太陽のように燃える赤い色をしていた。
(聞こえるか?)
(はい。聞こえています。)
最初から精霊を使って話しかけてきた彼はどこか不思議な雰囲気を纏っている。
(どうやら無事のようだな。随分と物騒な場所にいたものだ。)
(えっと、あなたが助けてくれたのでしょうか。)
(まぁ、お前を見つけたのは俺だな。お前がいた場所よりも幾らか浅い所で魔物を狩っていたら、突然空で火花が散って何事かと思ってな。魔物に魔法は使えないはずだし、俺以外にもこのような場所まで来る奴がいるのかと気になって行ってみたのだよ。)
男性の話から判断すると、俺は皮肉にもヘカトンケイルによって魔木の外へと放り出されたようだ。
そしてセシルとララへの言い訳のつもりで放った最後の悪あがきにより、彼が俺の存在に気付いて助けてくれたということなのだろう。
『色んな事に備えろ、それが命運を別ける』というララの言葉は確かなものだったらしく、やはりお年寄りの言うことは大切にしたいものだ。
(ついでに言えばあの場所から連れ出したのは俺だが、お前の治療を行ったのはそこにいるグレイシア・リーベルトだ。お前の怪我の具合を考えれば、ディランドでも指折りの実力を持つ彼女の力が無ければ手に負えなかっただろう。)
(俺が障害を残していないのも、グレイシアさんが治療してくれたからなんですね。命を救って頂き本当にありがとうございました。)
(いえ、いいんですよ。それが治癒魔術師としての私の使命ですし、ダルク様からのご指示でもありましたから。)
グレイシアさんは何でもないことのようにそう微笑んでいた。
彼女が敬意を払っているため地位の高さが伺える男性へと、俺も敬称を付けて礼を述べる。
(ダルク様もこの場所まで運んで頂き本当にありがとうございました。俺はあのまま大魔窟の中で死ぬのだと思っていました。)
(礼など要らぬ。それよりも共通語が分からないとは一体どこから来たのだ?俺の予想が当たっているのならば、助けた甲斐があるというものだ。)
まるで何かを期待するかのように、鋭い目つきの中に一筋の抑えきれない好奇心を宿してダルク様はそう尋ねてきた。
このような出会い方をするとは思っていなかったのだが、こちら側で初めて出会った彼らへと俺の素性を明かすことにした。
(信じてもらえるか分かりませんが、アルセムの大魔窟を越えて森の向こう側からやって来ました。)
(そうか・・・アルセムの大魔窟を越えて来たんだな?そうか・・・、そうか!久しぶりに面白くなりそうではないか。おい、お前身体を動かせるか?なに、病み上がりに無茶をさせるつもりはない。ただお前の腕力をみたいだけだ。)
(えっと、分かりました。命の恩人の頼みなら喜んでやらせて頂きます。)
俺がアルセムの大魔窟を越えてやって来たと聞いた途端に、ダルク様はどういうわけか急激に興奮し出した。
何故腕力をみたいと言い出したのか分からないが、彼が右手を出してきたためそれを掴み握手のような状態になった。
(俺の方からは何も仕掛けない。お前は俺をただ投げ飛ばしてくれればいい。)
(投げ飛ばすって命の恩人にそんなこと・・・。)
(その命の恩人がやってくれと頼んでいるのだ。)
正面にいるダルク様の表情を見つめるのだが、至って真剣そのものである。
世の中には被虐趣味を持つ者たちがいることを考えると、彼は初対面の少年相手に女性の前で性癖発散する重傷者なのかもしれない。
さすがに全力で投げ飛ばすわけにもいかず、力加減をしたためにテントの端で彼の動きは止まった。
起き上がった彼は俺の方を見ると、楽しくてたまらないといった様子で笑う。
何ということだろうか、どうやら俺の恩人は本当にどうしようもない変態であるようだ。
(ふはははは!!間違いない。この俺をこれ程簡単に投げ飛ばせるのだ。あぁ、今日は何という良い日だろうか。こうして楽しいことがあるから、出回るのを止められない。)
(ダ、ダルク様?)
快感が脳を支配してしまったのか、全く要領を得ない話をするダルク様におそるおそる呼びかける。
彼は自分が幼気な少年と若い女性の前で痴態を晒していることにようやく気付いたらしく、その顔を再び真面目なものに戻した。
今更手遅れだとは思うのだが、命の恩人相手にそのような指摘をするわけにもいかず、俺は努めて平静を保とうとする。
だが、次の瞬間に彼は爆弾を落とした。
(あぁ、済まないな。つい興奮したようだ。お前名前は何と言うのだ?)
(セイランスです。)
(そうか、セイランスか。俺の名前はダルク・アルフォード。ディランド国魔王の1人としてこちら側への幻人の来訪を歓迎しよう。)




