46.彼は大魔窟を越える。(2)
妖精の住処を旅立ってから60日目、空を見上げる余裕がない。
むせ返るような匂いに包まれる中、俺はついにアルセムの大魔窟の中心部へと到着した。
つまり、目の前に広がるこの木々が魔木ということだ。
茶色い幹に緑の葉っぱ、咲いているのは白い花で、実っているのは黄色い実。
何の変哲もない巨大な木がそこら中に存在している。
それもそうかもしれない、魔木自体はあくまでただの植物なのだから。
目の前に広がるこの光景を何と表現したらいいのだろうか。
魔物の戦場と言うべきか。
至るところから魔物の鳴き声が聞こえ、至るところで魔物同士が争い合い灰になって消えていく。
魔物に血が流れていて死体が残るのならば、きっと血の匂いが充満し地面は魔物の臓物で埋め尽くされているはずだ。
俺は今からこの中を進んでいかなければならないようだ。
ただひとつ確かなのは、ここから先は地獄だろう。
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妖精の住処を旅立ってから65日目、天気などもうどうでもいい。
魔物が多すぎて、移動する度に魔物にぶつかる。
移動しては魔物を突き飛ばし、あるいは突き飛ばされて転び、踏みつけられ、それでもスキルのおかげで何とか耐えて立ち上がる。
もはや戦うなどという生ぬるい次元の話ではなく蹂躙だ。
当然のように俺の前に佇むのはジャイアントエイプ。
ララから要注意を受けている魔物だ。
俺が真っ向から力勝負をしたところで及ばない相手だろう。
かといって、俺の少ない魔力から生み出される魔法では傷付けることなど出来ない。
つまり、この魔木の中心部にいる魔物のほとんどに対して俺は為す術を持たないのだ。
唯一出来ることは、惨めにお姉さんからもらったスキルを使って耐え凌ぐだけ。
断言しよう。
ここは本来、人族が足を踏み入れていい場所ではない。
ここは人族を遙かに超越した魔物達が集う、大魔窟だ。
人が溶岩の中を進めないように、人が宇宙空間で生きられないように。
そもそも、人族が生存できる環境ではないのだ。
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妖精の住処を旅立ってから70日目、首を持ち上げることすらできない。
食事は摂ることができず、睡眠を取ることはできず、ただただ体だけを動かす。
朦朧とする意識の中、クリムゾンホースに吹き飛ばされながら決意する。
もう、今のままの俺ではここから先に進むことができない。
未だ魔木が広がる中、ここで使ってしまってはアルセムの大魔窟を越えられないかもしれない。
だが今使わなければ、俺は確実に今日のうちに力尽きるだろう。
この先のことはもう考えない。ただ力の限り進み続ける。
だから俺に力を寄越せ。
『プツンッ』
脳の中の何かが切れた気がした。
それと同時に、食事を取れずにいた腹は空腹を訴えず、睡眠を取れずにいた脳は眠気を訴えない、疲れ果てていた筋肉はまるで十分な休息を取ったかのようにしなやかで、閉じかけていた目はどこまでも先を見通せそうな気がする。
俺を踏みつけようとしたクリムゾンホースを右腕で殴り飛ばす。
『パァン!!!』
硬化と組み合わさったその一撃は、まるで豆腐のようにクリムゾンホースの殴った頭を弾き飛ばした。
スティックスパイダーが糸を吐き出し俺の身体を何重にも拘束する。
両腕に力を込める。
『ブチッ』
まるで紙で作られたテープのように、巻き付いていた糸は俺の身体から剥がれていった。
俺がスティックスパイダーの大きな腹目掛けて蹴りを加えると、まるでダンボールで作られたように弾けて破れる。
なるほど。これが獣人の持つ本当の能力か。
いける、俺はここから抜けられる。
目の前に広がる無数の魔物を蹴散らし走り出した。
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妖精の住処を旅立ってから75日目、気分爽快だ。
身体は一切の異常を訴えず、手を四方に伸ばすだけで触れられる程にいる魔物達は俺の力の前に為す術もなく灰になっていく。
全力で走り続けたおかげで、周囲に存在する魔木の数が減少してきた。
後少し、あと少しだ。もう少しで中心部をぬけて──
───カクン
それは唐突に訪れた。
前に一歩踏み出した足が、どういうわけか身体を支えられずに地面に膝を付いたのだ。
どれだけ力を込めても脚が動かない。
手で地面を押して立ち上がろうとしても手まで動かないのだ。
何故か俺の周囲が突然真っ暗になった。
確認しようにも動かすことができない首では振り向くことすらできない。
『ミシッ』
すると突然、大きな衝撃が加わって体が宙に浮いた。
周りの魔物達の身体がはじけ飛ぶ。
脳を揺さぶられ意識が朦朧とする中、大きな手の映像が浮かんだ。
あぁ、暗くなったのはこれが原因か。
脳に段々と1体の魔物の映像が送られてくる。
10mを軽く超えているだろう巨体に、いくつも生えている大きな手。
ララにただ伝聞として聞いた魔物だ。
そう確か・・・ヘカトンケイル。
駄目だ、スキルに意識を集中できない。
スキルが解け身体を動かすことさえできない俺は、そのまま大きく弧を描きながら木に叩きつけられ、岩に叩きつけられ、宙を舞う。
まるで人間ピンボールみたいだ。
ぶつかる度に口から血を吐き、胃液をまき散らす中そんなどうでもいいことを考えた。
ついに、地面にぶつかって動きが止まる。
身体は激痛に包まれていた。
鎧が衝撃を吸収してくれたおかげで何とか生きているようだ。
このままだと死ぬのにすごく眠たい。
それに、身体中こんなに痛いのに意識を手放そうとすればこんなにも心地良い。
どうせ俺は11年前に死んで終わりだった。
別にもう何も・・・あぁ、そういえばセシルやララとの約束があるんだった。
女性との約束を破ると後が怖いと言っていたのは父さんだったか。
俺は最後までちゃんと足掻きましたと、せめて死んだ後に言い訳ができるようにしておこう。
かろうじて動く口を使って、いつか見た夏の花火を描く。
空に一つの火魔法を放ち、俺は意識を手放した。
作者の表現力では、アルセムの大魔窟はこれが限界です。




