2.彼は要望する。
先程までの自信など彼方へと消えてしまった俺は、菓子折りが命運を左右することを知るとお姉さんにそう懇願する。
全くこういうことになるならば生前死ぬ時には菓子折りを棺の中に入れるよう重々伝えておくべきだったのだ。
彼女は俺の言葉を聞くと、顎に手を当てながら困ったように口を開く。
「そうですねぇ。景品が切れているのはこちらの落ち度ですし、趣味で始めたこととはいえ何らかの補償はするべきなのでしょう。要は、閻魔大王の裁きを受けて地獄に行きたくないのですよね?だったら、逃げてしまいましょうか。」
「え?」
お姉さんは事も無げにそう言うのだが、果たして閻魔大王様から逃げるという行動は取ってもいいものだっただろうか。
むしろ問答無用で地獄に叩き落された挙句にその勢いのまま最下層まで落ちてしまいそうな気がするのだ。
いや、地獄に蜘蛛の糸を垂らす仏様とているのだし、あり得るといえばあり得るのかもしれない。
「大丈夫ですよ、閻魔大王はこの世界の存在です。別の世界に逃げてしまえば裁きを受けることはないですし、地獄に行くこともないでしょう。」
「えっと、そんな大掛かりなことをせずとも神様権限で天国に行かせるというわけにはいかないのでしょうか。」
おそらく閻魔大王様の方が神様より偉いということはないだろうし、これが円満解決する選択だと思うのだ。
至極真っ当な意見を述べたつもりだったのだが、彼女から返ってきたのは苦笑だった。
「閻魔大王に面倒事を押し付けておいて、都合のいい時だけ私の権限で天国に行かせるわけにもいかないのよねぇ。」
「何の話をしているんでしょうか。それと神様権限で菓子折りを配ったり、俺を異世界に逃がそうとしたりするのも十分問題だと思いました。」
「それはそれよ。地獄の沙汰も金次第という言葉が確かあなた達の世界にあったでしょう。閻魔大王も仕事が大変だから甘いものは歓迎しているのよ。異世界の方はばれなきゃ大丈夫です。」
ばれなければ大丈夫と言っている時点で大丈夫ではないと思うのだがどうだろうか。
どうやら、お姉さんにとっては円満解決に至らない選択であったらしい。
それと逃げる提案をされている俺が言うのも何だが、閻魔大王様が大変なのはきっとこのお姉さんのせいだ。
「注意点ですが、単純に移動して終わりというわけにはいきません。あくまであなたはこの世界で死んでいますので、別の世界にこのまま移動してもただの異物になってしまいます。ですので、あちらで一度生まれてから死んでください。」
「ちょっと待ってくださいお姉さん。さすがにそれはひどいと思うんです。」
果たしてこれまでに神様から『死んでください』という言葉を賜った者がいるかは定かではないし、死の瞬間を克明に覚えているわけではないのだが、気持ちのいいものではなかったことだけは確かだ。
そもそも生まれてすぐに自殺する度胸があるならば、閻魔大王様から逃げようとするはずもない。
我ながらこの上ない正論を口にすると、お姉さんは少し首を傾げてから何でもないことのように告げる。
「あぁ、それでも結構ですが別に死ぬタイミングは指定していませんよ。好きに生きた後に死んでもらってもかまいません。」
つまりそれは、俺がそうしたいのならばもう一度人生を送ってもいいということだろうか。
そう言われて思い返せば、17年間の人生では到底十分生きたなどと思えるはずもない。
こうも記憶が定かでないならばもはや何故死んだのかも明らかではないが、これは閻魔大王様への菓子折りよりもよほどいいのではないだろうか。
「そういうことでしたら、ぜひ閻魔大王様から逃げさせて下さい。」
「えぇ、そう言って頂けると思っていましたよ。それではあなたが生まれる世界ですが、この世界とは遠い魔法が支配する世界がいいでしょう。科学が支配するこの世界とは遠く離れていますので、閻魔大王の力は及ばないはずです。」
「えっと、一応確認しますがその世界って安全なんでしょうか。」
閻魔大王様から逃げるために科学の支配する世界から魔法の支配する世界へ向かうというのはとてもよく分かるのだが、魔法の世界と聞いて思い起こされるのは魔物のような危険な存在だ。
いくらもう一度人生を送れるのだとしても危険な世界ならばすぐに死んでしまうし、まして苦しみの末に死ぬというのはできれば遠慮したい展開なのだ。
「そうですね。確かに魔物と呼ばれる存在がいるようですし、この世界と比べると危険であることは間違いありません。ですが、身の安全ならばある程度保証されることでしょう。何せ、今のあなたの魂では向こうの世界へと移動するのに強度が足りませんから。」
「あの、全然保証されていないと思うんです。むしろ向こうの世界に辿り着く前に魂ごと消滅しているじゃありませんか。」
「えぇ、ですから私の力で魂の器とエネルギーを強化する必要があります。エネルギーはあちらの世界だと魔力としてあなたの力になるはずですから、人間の中だと最高峰になるはずのそれで身を守って下さい。」
どうやら身の安全を守るための手段が備わるらしいのだが、これはこれで雲行きが怪しいと思うのだ。
彼女の話を聞くと一見安全に思えるが、過ぎた力というのもまた自分の安全を脅かすに違いない。
自分で言うのも何だがそんなに大きな力を手に入れたところで使いこなせるとも思えないし、むしろ更に危険な状態になることだってあるだろう。
しばらく考えた後、俺は日本人らしく無難な方向性で話を進めることに決めた。
「お姉さん、俺のそのエネルギーって別のものに変換できないでしょうか。」
「と、いいますと?」
「魔法を全く使えないのも悲しいので一応使えるだけの魔力は残して、残りを別の力に換えてほしいんです。例えば防御力に回せないでしょうか。」
そう、家に引きこもっていればあらゆる社会の害意から身を守れることからも分かるように、防御とは偉大なものなのだ。
攻撃こそ最大の防御という言葉もあるようなのだが、攻撃は更なる攻撃を生むだけというのが少し格好つけたいお年頃の意見である。
「防御力ですか?そうですね・・・魂の質的にスキルという形でなら自ずとそうなることでしょう。詳しいことは分かりませんが、あちらについてからのお楽しみといったところでしょうか。時間も限られていることですしさっそくですが始めましょう。世界間の距離を考えればもう会うこともないですから、どうぞお元気で。」
「はい。ビッグチャンスをありがとうございました。閻魔大王様にはよろしく言っておいて下さい。」
「何を言っているんですか。よろしく言いたくないからこっそりあなたをあちらの世界に送るんです。」
杖を掲げたお姉さんがそう言うと、宝石から真っ白な光が出て視界を埋め尽くす。
お姉さんに突っ込みを入れようとするがそれよりも早く意識が途切れ、ふと閻魔大王様が怒鳴り声をあげる姿が見えた気がした。