18.彼は不穏に感じる。
今日はマルガリンさんを訪ねる日だ。
天気基準で交わされる約束も21回目であり、特に今日は違うと拒絶されたことはないのだが、果たしてこの約束にはどれ程の意味があるものなのだろうか。
自宅を出てからマルガリンさんの家へと到着すると、彼女は外で採集した薬草を干している所だった。
彼女もこちらに気付いたようだが、何故か俺を見るとしばらく目を見開いて動きを止めてから話しかけてくる。
「いらっしゃいセイランス。一つ聞きたいのだけれど、あなたはどうして逆立ちなんてしているのかしら。」
「そうですね、決意の現れというやつでしょうか。少年はこうやって大人の階段を昇っていくんだと思います。」
「・・・まぁ、いいわ。魔法に必要なのはイメージ、つまり自由な発想よ。少しおかしいと思えるような行動も魔法の上達に繋がらないとは言い切れないもの。」
気のせいでなければ酷い言われようをしていると思うのだが、俺が森を越えるための鍛錬をしているのだということをどうか分かってほしいのだ。
なにせこの獣人の身体は身体能力が高いせいで、中途半端な運動をしても全く鍛錬にはならない。
例えば俺が自宅からマルガリンさんの家まで走ってきたとしても息切れは起こさないだろうし、身体を鍛えようと思ったら逆立ちで彼女の家に来るぐらいの事は必要である。
どうやら今日はこのまま外で講義が始まるらしく、少し迷った後に逆立ちを止めると彼女は口を開いた。
「せっかく変わったトレーニングをしているのだし、今日は魔法のイメージ方法の一つとして動物を利用したものを教えようかしら。」
「動物ですか?それと、これは腕の筋力とバランス能力を鍛えています。」
「そういうことを言いたいわけじゃないのだけれど、今までも教えてきた通り魔法で大事なのはいかに自分が起こしたい現象をイメージできるかよ。」
おそらく精霊がイメージの補完を行っているのだろうが、実際のところイメージが未熟でも魔力の消費量や精度を気にしないのならば魔法自体は発動できる。
だが精霊の補完が多くなるほど魔力の消費は激しくなるし、それだけ自分が起こしたい現象からは遠ざかる。
つまり魔法の発動自体は魔力が許せば難しくないが魔法を効率的に自分の望む形で発動するのには練度が要るということだ。
手軽に使えるが奥が深い、それが魔法のようだ。
「はい、やはり成長のために足掻く子供というのは大人から見ると時に理解できない部分があるものですよね。」
「えぇ、そうね。もうそれでいいんじゃないかしら。その補助として言葉をよく使うけれど、動物の形を模すこともイメージの補助に使えるわ。『火精よ、飛鳥のごとく駆け抜けて、我が敵を燃やせ』」
彼女がそう唱えた瞬間、鳥の形をした炎が遠くにある石に向かって飛んでいき当たって砕け散った。
「遠くの場所を狙いたいならこうやって飛ぶ鳥を模すと、炎が遠くに飛んで行く姿をイメージしやすいでしょう。それに例えば大きな鳥なら大きな炎、飛行速度が早い鳥なら高速で飛んで行く姿をイメージしやすいわ。」
「なるほど。このやり方は試したことがありませんでした。それと、逆立ちに隠された大いなる意味を理解してもらえて嬉しいです。」
やはり根気よく説明をしていけば、言葉で分かり合えるものなのだ。
その動物の特徴的な部分を模せば魔法はイメージしやすいというのは、特に複雑な動きをさせたい時には良いのではないだろうか。
俺は前世の動画で見たことがある、隼の飛行を思い浮かべながら魔法を放った。
「火精よ、隼のごとく駆け抜けて、我が敵を燃やせ」
鳥の形をした炎が高速で石にぶつかって砕け散ると、彼女は驚いた様子で口を開く。
「すごい速度ね。今何の鳥をイメージしたの?というかおかしな言葉を言っていなかったかしら。」
「昔見たことのある鳥をイメージしました。印象に残ったのでつい自分で名前を付けたんです。」
「おもしろいことをするわね。独特の価値観は魔法へ良い影響を与えるということかしら。」
なるほど、独特の価値観という意味でなら彼女も負けてはいないからその通りなのかもしれない。
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師弟間での相互理解を深めながら魔法を学んだ後、俺は帰宅する途中で難しい顔をしているリンズさんと出会った。
どういう訳か酷く真剣な雰囲気を纏っており、彼は俺に気付いた後も表情を変えないまま口を開いた。
「あぁ、ちょうどいい。お前の家に向かおうとしていた所だ。今日は集落内通知を持ってきた。マリアにも話をしたいから、詳しい内容はそれからだな。」
集落内通知というのは集落内で全員に知らせておかなければならない情報がある時に回ってくるものだ。
良い情報の時もあれば悪い情報の時もあるが、今回はどうやら後者かもしれない。
無言のままリンズさんの後ろを歩いて家に到着すると、彼は母との挨拶もそこそこに重い口調で告げた。
「つい先日のことだが、森の中で他集落の者の遺体が発見されたらしい。何かに切り裂かれたような跡があり酷い有様だったそうだ。遺体にあった傷のような攻撃をできる動物はこの辺りにいない。そうなると一番考えられるのは・・・」
「魔物ですか。」
「そうだ。目撃情報自体はないためどういう魔物かわからないし、単体か複数かも分からない。最も今まで単体の魔物がほとんどだったから、今回もそうだと思うが・・・。」
どうやら魔物絡みの事件が発生したらしく、二人は事件の詳細や注意事項について話し合っている。
俺は彼らの会話を一応聞きながらも、今の発言の中で気になったことについて考えていた。
魔物はほとんどが単体だと彼は言っていたが、つまりそれは群れるような魔物では森の奥深くからこちらまでやって来られないということではないだろうか。
前から疑問に思っていたことが一つあったのだ。
人が住んでいる付近に現れる魔物といえば前世の知識からして強いイメージはないのに、そんな魔物にこの屈強な獣人達の集落が半壊するようなことがあるだろうか。
つまり、獣人達の集落に訪れるような魔物は深い森の奥から年単位をかけてやって来られるような強力な個体ばかりではないかと思うのだ。
少なくともこの人達がゴブリンにやられる姿は想像ができない。
最終的に今回の事件への対応として集落毎に討伐隊を出すことが決まったようなのだが、無事に事件が解決してくれることを願おう。