Ex9.その頃のセイレン。
エインツ帝国ナルヴァス辺境伯領に接するウルルカ大森林の入り口には、1000を超える辺境伯軍が集結していた。
「諸君らも知っているだろうが、この森に小人族どもが暮らしていることが明らかになった。辺境伯様は慈悲深いことに友好の使者を遣わされたが、使者は死体となって帰ってきた。我らは野蛮な畜生共に正義の鉄槌を振り下ろさねばならんッ!」
陣営の中心地にあるテントの中では、最終調整を兼ねた軍議が行われていた。
ウルルカ大森林に隠れ住んでいる小人族が使者を殺害したために征伐する、それが今回辺境伯軍が派遣された大義名分であった。
現在亜人族は基本的にウォルフェンにて保護されているが、無論この世界に存在する亜人たちをすべて一国に集めることなど出来るはずがない。
それ故亜人の多くがウォルフェンにて暮らす一方で、一部の者たちは未だに各所に点在して暮らしていた。
「よ、よろしいでしょうか。」
「・・・何かね?」
軍議が本格的に始まる前の演説、それを邪魔された司令官は年若い士官を睨んだ。
彼はその視線に怯みながらも、立ち上がって発言をする。
「ほ、本官は我が国とウォルフェン国の間には亜人族の保護に関する条約が結ばれていると記憶しております。この件に関して中央は把握しているのでしょうか?」
年若い士官の発言は全くもって正論であった。
本来ならば住んでいる亜人族を発見した時点で、辺境伯には国に報告する義務がある。
仮に適切に報告がなされていてそれがウォルフェンへと伝わっているのならば、例え使者を殺されたのだとしても辺境伯軍が単独で動いているはずがなかった。
彼の発言は全くもって正論、だがそれがこの場で必要とされているかはまた別の話である。
「どうやら君にはまだこの任務は早かったようだ。早急に帰還したまえ。」
「はっ。しかしながら・・・。」
「帰還したまえ。それとも君は、上官の命令にも従えないのかね?」
そう言って睨まれた年若い士官には、それ以上発言を続けることなど出来なかった。
周囲からの冷たい視線に晒されながら、彼はテントを出ていった。
「さて、他に彼のような愚か者はいるかね?」
司令官はその場に居る士官たちを見渡すが、当然誰からも異議が唱えられることはない。
「よろしい。では副官、軍議を続けたまえ。」
「はっ。」
満足そうに頷いた司令官を見て機嫌が回復したことに安堵しながら、副官は軍議の進行を再開した。
この状況においては愚かと評されたあの若い士官の行動こそが正解だったのだと知らぬまま。
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士官たちが軍議を開いている一方で、兵士たちは一部の見張りを残しつつも行軍の疲れを癒やしていた。
そんな中不幸にもローテーションに組み込まれた一人の兵士は、外周を巡回しながら気だるげに呟いた。
「しっかし森なんざ面倒だなあ。」
すると、相方も退屈しているのかその愚痴に対してすぐ反応を示した。
「何言ってんだ。むしろこの人数で小人族を攻めるんだぞ?普段の戦に比べりゃ随分と楽じゃねぇか。」
「そりゃあまあ、そうか・・・。」
男は相方の言葉に頷いた。
小人族は名前の通りに子供程度の大きさの亜人で、それに準じて身体能力も低い。
彼らが使う魔法も補助系統であり、実質的に子供の集団を武装した軍隊で襲うに等しかった。
「そういやあ、知っているか?」
「何をだ?」
「使者を殺したのは、望む結果を得られなかったことに腹を立てた辺境伯様だっていう噂だ。」
その発言を聞いた男は慌てて周囲を確認した後、声を小さくして相方を諌める。
「おい、滅多なことを言うんじゃねぇよ。誰かに聞かれたらどうするつもりだ。」
「なに、誰も聞いちゃいねぇし、結構噂になっているんだぜ?小人族が持つ強化魔法、それが欲しくて俺たちが派遣されたんだってよ。実際正義の鉄槌が何だと言っておきながら、俺たちに求められているのは殲滅じゃなくて捕縛だろ?」
小人族が使うのは強化魔法、他者の魔法の威力を増幅させることが出来る力である。
特に小人族の共鳴魔法による強化は凄まじく、一般人が放った火魔法で都市一つが跡形もなく消滅したという伝説まで残っていた。
自分たちでは何の力も発揮出来ないため支配しやすく、利用すればその戦略的価値は計り知れない。
辺境伯が手段を選ばずその力を欲したとしても不思議ではなかった。
「だとしても、とにかくこの話は終わりだ・・・待て。何か足音が聞こえないか?」
「どうした、ビビりすぎて幻聴か?いや、確かに聞こえるな。」
二人が近付いてくる足音に警戒していると、やがて木々の中から一人の獣人が姿を現した。
獣人は彼らに気付くと、軽く手を上げて挨拶をする。
「やあ、済まないね。宣戦布告というのをしにきたんだが、君たちに伝えても大丈夫だろうか。助けを求められてね、君たちと戦争をしに来た。」
その言葉を聞いて二人はお互いに顔を見合わせるが、やがてどちらからともなく失笑した。
「おい、なんだこいつ?」
「頭がおかしいんだろ。おい、そんなもんいらねぇからとっとと失せろ。仮にお前の言葉が本当なら、今すぐ捕まえて引っ立ててやらあ。」
そう言って冗談混じりに返すが、男たちの反応も当然なものではあった。
たった一人で辺境伯軍の陣営に来て宣戦布告など、そもそも正気の沙汰ではない。
加えて仮に事実だったとしても、魔法の適性が低い獣人が小人族に味方をしたところで強化魔法を活かす事も出来ない。
まともな対応をしろと言うのが無理な話であった。
もっとも目の前の獣人がどういった存在かを知っていれば、すぐにでも逃げ出しただろうが。
「宣戦布告は要らないのか。それじゃあさっさと終わらせるとしよう。」
「あん?」
獣人が何気ない動作で地面を蹴ると、一瞬にして森の木よりも遥かに高い位置まで跳躍した。
彼はそこから辺境伯軍の規模を確認すると、背中の大剣を抜きながら地面へと着地する。
「待て。その耳の傷に大剣、お前まさか狂人セイレ・・・!?」
正体に気付いた男たちは慌てて警戒を強めるが、既に何もかもが遅い。
獣人が大剣を突き刺すと、辺境伯軍の陣営を中心とした一帯が地面から溢れ出た光によって包まれる。
悲鳴も、音も、血の臭いも無い。
光が収まると、そこには最初から何もなかったかのような開けた空間だけがあった。
そして光の範囲内にかろうじて含まれていた男たちも少し遅れて身体が発光すると、まるで身体が解けていくかのように徐々に消えていく。
「なんだよ、何なんだよこれ!?」
「この世界に存在するものは、ある物質の影響を受けている。それを利用して君たちの肉体を世界に還元した。血で森を汚したくはなかったからね。」
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌ッ・・・。」
叫び声を上げながら男たちが姿を消していくのを見届けると、獣人は大剣を背中に担ぎ直した。
彼の名はセイレン。
とあるウォルフェンの武人曰わく、史上最高の魔気使い。
とある自然の名を司る神獣曰わく、人の身でありながら神の領域に一歩足を踏み入れた者。
とある少年の形をした神曰わく、地上の者たちが本来辿り着くはずだった姿の極致。
そして大勢の者たちからは、狂人と呼ばれている存在である。
「これは・・・一体何があった!?」
セイレンが振り返ると、異常事態に気付いて戻ってきた若い士官の姿があった。
「君はあの兵士たちの仲間か?どうやら場所を離れていたようだが。」
「帰還命令を受けていたが、この事態に気付いて戻ってきた。それよりもお前、この事態について何か知らないか!?」
「知るも何も、俺がやったのさ。君たちが小人族を襲ってきたから、小人族側についた俺が先手を打って先に殺した。それだけだ。」
セイレンがそう返事をすると若い士官は疑うような視線を向けるが、背中に負った大剣に気付くと目を見開いた。
「その大剣・・・耳の傷・・・まさかお前は狂人セイレンか!?ならばお前の言うことは本当に・・・だが、なぜ皆殺しにした!?力があるのならばもっと別の手段を取れただろう!?」
若い士官が思い浮かべるのは、つい先ほどまで行動を共にしていた同僚たちの姿である。
一方でセイレンは溜め息を吐いた。
「またそれか・・・。君たちには拳を振り下ろす覚悟というものがなさすぎる。」
セイレンはこちら側の人々の思考をいつも不思議に思うのだ。
自ら拳を振り下ろしておきながら、獲物の反撃に合うと地位や立場がどうだの、倫理道徳がどうだの、正義や悪がどうだの、そんな言葉を持ち出してくる。
地位や立場はあくまでその群れの中の話であって自分がそれに従う理由などないし、正義や悪などというものもその群れ基準での価値観に過ぎない。
襲ってきたにも関わらず倫理道徳とやらを語ることに至っては、もはや意味が分からなかった。
「自分たちの都合で襲うが、もしも反撃するならば被害を抑えてくれ。こんな巫山戯た主張をするくらいならば、最初から襲わなければいい。戦線から離脱していたならば攻撃する理由もないが、君が戦いたいならば相手をしよう。」
「ぐっ・・・私には生き残りとしてこの事態を報告する義務がある。見逃してもらえるならば、撤退させてもらおう。だが忘れるな。このような暴挙、辺境伯様がお許しにならない。」
これもセイレンにとっては聞き慣れた捨て台詞を放った後、若い士官は足早に去っていった。
「お許しにならない、か。何故こちら側の連中は、地位や立場をそう絶対的なものとして扱うんだろうね。本当に理解が出来ない。」
セイレンがそう首を傾げていると、遠方から彼を呼ぶ声が聞こえてくる。
振り向くと二人の女性が近づいてきており、そのうちの一人は背中の羽で宙に浮いて加速すると勢いよく抱きついた。
「セイレンさまー。」
「ラァナ、いつも言っているがところ構わず抱きつくのは控えるべきだ。初めて会った時の君は、もっとおしとやかだった気がするんだが。」
ラァナはトゥルーヴァンパイア、ヴァンパイア族の中でも特殊な血を持った存在である。
ラァナの血には条件こそ必要なものの相手の誓約を必要とせずに従わせる力があり、その血を狙う者たちから必死の逃亡生活を送っていた。
彼女がこのような振る舞いをするようになったのは、セイレンと出会って以降だった。
ラァナはセイレンの背中に手を回しながら告げる。
「むしろこっちが本来の私ということよ。だって、何があっても守ってくれるのでしょう?」
「あぁ、俺の女だからな。それは勿論守るさ。」
「ふふ、大好き。けど、あなたにそういう考え方をさせるようになった人には少し妬いちゃう。」
セイレンの女たちの間では有名な話である。
当時こちら側に来ることだけを考えていたセイレンは、女性と深く関わるどころか話をすることさえ稀であった。
そんな中森で助けた相手と一晩を共に過ごした彼は、女性の素晴らしさに気付いてたいそう衝撃を受けたそうだ。
その出来事が彼の行動原理を形作る上で強い影響を与えていた。
出会っていなければ、少なくとも今のセイレンが居ないことだけは確かである。
「一番目のヒトには子供の名前まで付けてあげたのでしょう?」
「いや、確かに子種を失う前だからもしもの時にと付けたが・・・。確か女だったらセイリン、男だったらセイランスだったか。」
「ほら、もう随分と前のことなのにしっかりと覚えているじゃない。こうしてセイレン様の側に居られるのは私たちだけど、やっぱり少し妬いてしまうわ。そのマリアっていう女に。」
そう言ってラァナはセイレンの背中に回した腕に力を込めるが、何かを思い出したように声を上げた。
「あ、そう言えばエウアリアからの伝言なんだけど、あなたの同族が見つかったみたい。グレラント王国まで確認に向かったそうよ。」
「・・・そうか、俺以外にも物好きが居たか。それで・・・。」
セイレンがラァナの後にやって来た少女へと視線を向けると、彼女は浮かない顔で口を開いた。
「セイレン・・・。」
「セイリィナ、見つかったみたいだ。約束は覚えているかい?」
「セイレン、私はあなたに来て欲しいの。」
セイリィナはセイレンの質問には答えず、そう訴えた。
「約束だろう?もしも同胞が見つかったらそいつに会って話をしてみると。俺はセイクッドのおかげでこちら側に来ることが出来たから、なるべくあいつの意志を尊重してやりたいんだ。」
その言葉を聞くと、セイリィナは歯ぎしりをした後に感情を爆発させた。
「何がセイクッドよ!?元はと言えば全部そいつのせいじゃない!?当時ヴォルテン家最強と言われていたそいつが当主争いから逃げたから!あんたたちを探しにいかなければ私たちは今頃こんなことになっていなかったかもしれないのに!!」
「見苦しいわよ、小娘。そのセイクッドとかいうやつが勝手にセイレン様の故郷に来て、勝手にセイレン様のご先祖様に押し付けたんじゃない。セイクッドといいあなたといい、セイの一家というのはなんて身勝手な連中なのかしら。」
ラァナに冷たい視線を向けられるとセイリィナは一瞬たじろくが、それでも言葉を続けた。
「じゃあ私にどうしろっていうのよ!?このままセイの一家が奴隷みたいに扱われているのをただ見ていろっていうの!?やっと見つけた人なのよ!当主争いに参加する資格を持った強い人。セイレンならあんなやつら全員倒せるでしょう?ねぇ、お願いだから助けてよ・・・。」
今にも泣きそうな顔をするセイリィナの頭に、セイレンは手を置いた。
「以前も言った通り、俺に見捨てるつもりはないさ。ただ、俺は幻人としての力を既に失ってしまっている。当主争いまではまだ時間があるんだろう?もう少しだけ時間をくれないか?」
「・・・分かった。嫌だなんて言えないじゃない。」
セイリィナとて分かっているのだ。
ラァナの言う通りセイクッドは事情も知らないセイレンの先祖に資格を押し付けただけであり、そもそもセイレンにはヴォルテン家の当主争いに関わる義務などないのだと。
だが例えそれが我儘だったとしても、セイリィナはようやく見つけた希望に縋らざるを得なかった。
「そんな顔をしないでくれ。セイの一家は必ず助けるさ。ただ、セイクッドの意志によって俺の一族がヴォルテンの名を継いできた以上、それを蔑ろにもしたくない。いこう、グレラント王国に。」
セイレンの言葉に、セイリィナはそっと頷いた。
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