127.彼は予感がする。
希望の宿で借りている部屋のベッドの上で、エウアリアさんは足を崩して寛いでいた。
彼女はセイレンと共に行動をしている仲間であり、更には自然を司る神獣の一角だという。
これだけ短い文章にも関わらず、既に情報過多であるのはどういうことだろうか。
「どうした?そう畏まることはないぞ。そなたはあれの息子故なあ。まずは座るがよい。」
エウアリアさんはそう言って自分の横を叩くが、それはつまり俺もベッドに座れということだろうか。
少し迷ったが確かにずっと立っているわけにもいかないため、大人しくベッドの空いているスペースへと腰掛けた。
それからはどちらが話をするでもなく沈黙が流れるのだが、エウアリアさんの視線はずっと俺に固定されていた。
「あの、そんなに見つめられると照れてしまいます。」
「なるほど、あれによう似ておるなあ。」
「あぁ、セイレンから親しい人たちから見ると似ているのが分かる的なやつでしょうか。」
お姉さんや少年神様で分かったことだが、人知を超えた存在の言動にいちいち突っ込みを入れていても仕方がない。
スルーされたことには触れずにカルメラさんから言われたことをそのまま確認すると、エウアリアさんは首を横に振った。
「妾は人には認識出来ないことも認識できる故な。他意はないが、そなたには理解出来ぬことじゃ。」
「なるほど、そうなんですね。」
そう返事をして、そこからまた会話が止まってしまった。
一つ思い出して欲しいのだが、悲しいことに俺は会話を弾ませる能力が些か不足しているようなのだ。
セシルに出会った時しかりクラリネスに出会った時しかり、ベルナディータさんのような特殊な人物でもなければ初対面の女性と円滑な会話を繰り広げることは難しい。
つまり何が言いたいかというと、誰かこの状況をどうにしかしてくれないだろうか。
果たして願いが届いたのかは分からないが、エウアリアさんが再び口を開いた。
「なんぞ、あれのことを尋ねぬなあ。そなたの父のこと、気にならぬのか?」
「・・・なんでしょうね、気にならないと言ったら嘘になるんですが、興味津々に尋ねたいかと言われるとそうでもないというか。年頃の少年の心は難しいようです。」
エウアリアさんのもっともな質問に対して、俺は自分でもよく分からない返事をしていた。
正直なところ、俺はセイレンが父親だということは知っているが、だからといって父親に対する情のようなものはあまり持っていない。
なにせ彼は俺が生まれるどころか母の妊娠が発覚するより前に居なくなっているし、前世がある分父親に対する憧れみたいなものも薄い。
実際に会えばまた違ってくるのだろうか。
前世のことを除いて、エウアリアさんには思っていることを正直に伝えてみた。
すると彼女は、心なしか優しい口調で告げた。
「無粋なことを問うたようじゃ、許せ。だが少なくとも、そなたの存在を知ればあれは喜ぶであろうよ。」
「どうして分かるんですか?」
俺の存在を知ればセイレンは喜ぶ、その言葉によく分からない感情を抱きつつもそう尋ね返した。
「あれはこちら側に来るときに大怪我を負ってなあ。子を作れぬ身体になった。だから己の子が居ると知れば、喜ぶであろうよ。」
「そうですか・・・セイレンも無事ではいられなかったんですね。」
お姉さんからスキルをもらった俺でさえ瀕死の重症だったのだから、セイレンが負ったのはそれ以上の怪我ということもあり得る。
「幸いにも傷の大半は癒えておる。だがなあ。治癒魔法では治せないものをそなたは知っておるか?」
「えっと、簡単に言ってしまえば死人ですよね。」
これは治癒魔法を使える者のみならず、比較的広く知られていることである。
生命活動が停止した時点で、例え擦り傷であっても治癒魔法は効果を発揮しなくなることが確認されていた。
「正解、だが正確ではない。治癒魔法は生命に纏わるものに干渉できぬのじゃ。セイレンは怪我によって、子種の中にある命の源が無くなった。そして治癒魔法は命の源には干渉出来ぬ。」
「あの、子種は別にいいんですがセイレンは元気なんですか?まさか残りの寿命が僅かとか言わないですよね?」
「獣人の女どもには一大事なのだがなあ。安心せよ、後数十年は生きるであろうよ。」
エウアリアさんの返事を聞いて、俺は何故かほっとしていた。
いや、きっと慰謝料が無事に請求出来ると分かって安心したに違いない。
「ただ、障害自体はもう一つ残っておるなあ。耳だ、セイランスよ。」
エウアリアさんはそう言って、俺の頭の上に生えている耳を扇子で指した。
「耳ですか?けど耳なら治癒魔法で治せるんじゃないでしょうか。まさか獣人の耳がとてつもなく複雑な構造をしているとかじゃないですよね?」
「獣人の耳が、ではなくそなたらの耳が、だ。妾の目から見ると耳にエネルギーが多くある。」
「エネルギーって、確かこの世界に散らばっているとかいうやつでしたよね。」
エネルギーという言葉を聞いて咄嗟に口から出た言葉だったが、エウアリアさんの顔つきが明らかに変わった。
「ほう、そなたは何を知っておるのだろうなあ?」
「って誰かが言っていたのをどこかで聞いたことがあります。」
「・・・まあ、よい。今は本題から離れる故な。そなたらは只でさえも体内にエネルギーが多く取り込まれておる、それが耳に多くあるのだから治癒魔法の効きも悪くなるというものじゃ。」
これも初めて聞く話である。
以前ララは獣人が特殊だと言っていたが、獣人と幻人はエネルギーを直接体内に取り込んで利用している?
だから身体能力が高い?俺たちはその中でも飛び抜けているから特にエネルギーの量が多く、それが耳に目立って分布している?
ではララウロアさんが言っていた魔気とは俺たちの体内にあるエネルギー?つまり魔気を使うとは体内にあるエネルギーを今以上に利用するということ?
俺は自分が持っている情報とエウアリアさんの情報を疑問形式で結びつけていく。
「人には理解し難い領域の話であるはずなのだが、そなたは違うようだなあ。妾を一目で見抜いたことといい愉快、愉快じゃ。あれも大概だが、親子揃って実に面白い。」
「あれも大概って、エネルギーが何か知っているということですか?」
だとすればセイレンは俺と同じ経緯でこの世界へとやって来た可能性か、あるいはどうやってか少年神様と出会ったことになる。
かなり重要な質問だったのだが、エウアリアさんはそれをあっさりと否定した。
「そうではない。あれが大概なのは、その強さじゃ。そなたは知らぬかもしれぬが、麒麟というのは殺生を好まぬ。故に己が殺生をせずに居られるような相手と共に過ごす性質を持つ。」
「つまりセイレンは、エウアリアさんが何もしなくていいくらい強いということでしょうか。」
「で、あるなあ。言葉では単純だが、妾は神獣の最高位に位置する存在ぞ?当然人では存在の格そのものが及ばない相手と戦うこともある。だというのにあれときたら・・・なんとも愉快であろう?」
そう言ってエウアリアさんは、口元を扇子で隠しながら小さく笑った。
自然の名を冠する神獣とは、建国神話や伝説に登場するような人知を超えた存在である。
自然の名を冠する神獣に認められた者は、その時点で国を興せるほどの力と権威を手にしたに等しい。
だが彼らによって力を得たのではなく、力を以て認められたのがセイレン、今生における俺の父のようだ。
「ちなみにですが、俺が戦ったらどうなりますか?」
「相手にもならぬよ。」
たった一言、だがその一言には圧倒的な重みがあった。
「無論あれが強すぎるという話であって、そなたが弱いと言っているわけではないぞ。なにやら質はともかく凄まじい量のスキルが宿っておるようだしなあ。」
エウアリアさんはそう告げると、じっと俺を見つめた。
「なあ、セイレンの血を引くものよ。この世界に存在しない力を宿すものよ。そなたはそんなに多くのものを抱えて何を目指す?」
「世界を旅したいだけですよ。」
「それはまた難儀だなあ。全く釣り合いがとれておらぬ。」
エウアリアさんはそう呟くと、音を鳴らして扇子を閉じた。
「まあ、よい。とりあえず麒麟の性質を曲げる必要は無さそうじゃ。」
「あの、何の話でしょうか。」
言葉の意味が分からなかったためそう尋ね返すと、エウアリアさんは何でもない調子で告げた。
「ほれ、妾もあれには世話になっておる。あれは身内に甘い故、場合によっては今のうちに死んでもらおうと思ったまでじゃ。」
「・・・敵対する理由はないって言っていたのは気のせいでしょうか。」
「無事に見定めが済んだのだ、許せ。それにその時は敵対する間もなく殺す故間違いでもあるまい。」
警戒をする俺をよそに、エウアリアさんは立ち上がった。
「ふむ、今日のところはこれで終いにするか。先ほども言ったが妾は血を好まぬ。そう警戒してくれるな。」
「この場合すぐに受け入れる方が問題だと思います。」
「ふふ、それもそうだなあ。まだ話をしたいこともある故、次に会う時までに受け入れておくがよい。ではな。」
小さく笑いながら、エウアリアさんは風のように姿を消す。
部屋に流れ込んできた風によって窓がガタガタと鳴る音を聞きながら、俺は今後も騒がしい王都生活が待っている予感がした。
これで5章は終わりです。ご覧頂きありがとうございました。
間話はしばらく日数を頂いて投稿する予定です。