125.彼のための交渉。
ディランド国外交官イレイス・カラートと、グレラント王国外務大臣ルルド・アルランの非公式会談が王宮の一室で行われていた。
「イレイス殿、ダルク大魔王様配下の特殊戦力セイランス殿に関してですが・・・。貴国との友好関係を考慮した結果、彼が我が国の貴族に行った暴挙、そして白銀騎士団に対する狼藉、その一切の罪を不問とすることに致しました。」
ルルドは会談の主導権を握るように、最初にそう結論を告げた。
友好関係を考慮したと銘打ってはいるがグレラント王国側の意図は明白で、セイランスを許す代わりにディランド国側に見返りを求めていた。
そもそもセイランスがダルク大魔王と縁深く特殊戦力として認められている時点で、彼から研究所で何が起きたのか強制的に聞き出すことはもはや不可能である。
とはいえこのような状況になっている時点で、明確な答えが得られずともセイランスが特異な存在だったために研究所でイレギュラーが起きたと確信出来た。
それならば今後も研究所の利用にはひとまず問題は無く、それが現王にせよ新王にせよ落ち着いてから王の権限において事情聴取をすれば済む話だ。
また、立場によって左右される半ば難癖を付けたような罪など端からどうでもよく、騒動が白銀騎士団の拠点内で収まったため事後処理も許容範囲内である。
グレラント王国としてはセイランスの行った数々の行動を取り上げた上で許し、その見返りをディランド国に求めれば利益に繋がると判断した。
一方でイレイスはルルドの恩を着せるような言葉を聞いても、特に慌てようとはしなかった。
「貴国の迅速な対応には感謝しますが、そう結論を急がれることもないでしょう。貴国と我が国の間に些かすれ違いもあるようです。」
「すれ違い、ですと?」
「はい。そもそもの話ですが、ルルド殿は特殊戦力という存在についてどの程度ご存知ですか?」
イレイスがこうしてルルドと会談を行っているのは、ダルク第一魔王とその手足たちの名でセイランスが特殊戦力として認められていたからだ。
「魔王様はそれぞれ5名まで己の配下を所有されますが、それとは別に特殊戦力と呼ばれる外部戦力を2名まで所有される、とは伺っております。」
「さすがルルド殿、概ねその通りです。ですが今回はお互い突然のことで、慎重に話を進めた方がよろしいでしょう。では魔王様の配下と特殊戦力の具体的な違い、というのはご存知でしょうか。」
人魔大戦時にディランドは大陸中の国々を敵に回しており、孤立無援の状態で亡国の危機に瀕した。
大戦後に大元の原因であるゼファス教は衰退したものの、その事実はディランドに大きな危機感を与えて戦争に備えた法整備が急速に進むことになる。
例えば大戦時に勇者や聖女といった人族側の英雄を尽く打ち破り、何万という軍勢を幾度となく屠って戦争を終結へと導いた原初の魔王たち。
本来彼ら個人への畏怖が込められた魔王という称号を地位として確立させて、戦争を起こさせないための抑止力としたこともその一つと言えるだろう。
魔王の地位を与えられた者たちはその役割を遂行するにあたって、5人までの配下を所有することが認められた。
そして配下とされた者たちはその時点で、例え在野の人材であったとしても高い地位が付与される。
例えばキリカやグレイシアは、国家魔法士として認められた者が研鑽を積みながら国家魔法師、国家魔術士、国家魔術師、国家魔導師へと地位を高くしていく中で、最高位の国家魔導師相当の権限を有する国家魔導士に就任した。
ジェドやレックスは多大な功績を積んだ果てに一握りの軍人が辿り着ける、中将相当の権限を有する特務中将に就任した。
彼らの場合はダルク第一魔王に選ばれたことにより特に高い地位が付与されているのだが、いずれにせよ魔王の配下に選ばれるとはディランド内で正式な地位を手に入れ、同時に相応しい義務を負うということだ。
「一方で特殊戦力の方々は少々事情が異なります。」
特殊戦力という概念もまた、大戦時に孤立無援の状態で戦いを強いられたことに起因していた。
現在ディランドは様々な国と交流を持っているが、所詮国と国というのは利害による結びつきであり、種族による壁というものもやはり存在している。
利害で動けぬ国など滅ぶ運命にあるためそれ自体はやむを得ぬことだが、それでもディランドは過去の痛みから非常時における味方を渇望した。
そうして彼らが注目したのが、国や集団ではなく圧倒的な力を持つ個であった。
この世界では量を質で覆すことが出来る力を持った者たちが一定数存在している。
原初の魔王たちが良い例だが、その中には一軍に匹敵するような圧倒的な質を誇る者たちも居た。
無論そういった者たちの多くはどこかの勢力に所属しているが、反面でその力故に縛られることを嫌う者たちも居る。
魔王はそういった在野の戦力を見つけて、己の特殊戦力とする義務を負っていた。
特殊戦力とは、通常ディランド国に所属していないが、非常時において多大な貢献が期待される人材のことである。
同時にディランド国に所属する者たちは、特殊戦力の要請に応じて努力することが期待されている。
縛られることを好まない彼らとディランド国を結びつけるのは法ではなく期待、そしてその期待を確かなものとして保証しているのが魔王であった。
「世間では魔王様の配下として一括にされることが多いですが、正確にはそのような違いがあります。そして私はダルク第一魔王様が特殊戦力として認められたセイランス殿を確かに期待出来るものとして、要請に応じて努力しようとこの場に居ります。」
「なるほど・・・。丁寧なご説明感謝致しますが、それはこの会談に何か影響があることなのですか?」
「先程ルルド殿は我が国との友好関係を考慮して、と仰っていましたが、セイランス殿は我が国に所属していないため、正式に国家としてお礼申し上げることは出来ません。」
ルルドは唖然とするが、よくよく考えてみれば当然の話である。
法の上で特殊戦力とディランド国の間には何の繋がりもないのだから、無関係の個人のために国が動くことは道理に合わない。
この場にイレイスが居るのはセイランスに助けを求められ、そして彼が助けたいと思ったからである。
「よ、よいでしょう。ではイレイス殿は現在、ディランド国の外交官ではなく、ただのイレイス・カラートとしてここに居るということでしょうか?」
「そう受け取ってもらって構いません。円滑にこうした場が設けられたことを不思議に思っていましたが、やはりすれ違いがあったようですね。」
平然とそう言ってのけるイレイスに、ルルドは内心で罵詈雑言を浴びせた。
だがイレイスの言葉が事実ならば、ルルドにはもはやこの場に居る理由はない。
「それではイレイス殿、申し訳ないのですが私も忙しい身です。一旦この会談は終了、ということでよろしいでしょうか。セイランス殿に関しては我が国の法に従って裁かせて頂きます。」
ルルドはそう言って席を立とうとしたが、次の瞬間にはその動きを止めた。
「お待ちください。先程本国と通信を行い第一魔王様に連絡致しましたところ、自ら選んだ特殊戦力の非道に大変心を痛めておりました。つきましては貴国に協力する形でセイランス殿を詰問して、彼のこの国における所業を全て詳らかにした後に、謝罪したいと申しております。」
「そっ・・・・なっ・・・!?」
ルルドはまるで魚のように口をパクパクとさせて、言葉をまともに発することが出来なかった。
それも当然だろう、今回の一件は本を正せばアルムガレンド家から始まっている。
バーナード・アルムガレンドが盗賊を従えて国民を襲い、その事実を無かったことにするためにアールノ・アルムガレンドがセイランスの手柄を奪って口外を禁じた。
だが血の誓約を結ばなかったことを危険視したアルムガレンド家は、セイランスとベルナディータを研究所で処分するために手配を行ったのだ。
その結果セイランスは一度入ったら出られないはずの研究所から脱出して、それを問題視した者たちの指示によって尋問という名の拷問にかけられた。
灰蛇が間に入ったことで事態はより複雑になっているが、本当の意味で全てが明らかになってしまえばグレラント王国側の失態が浮き彫りになるばかりだ。
ルルドは何とか心を落ち着かせると、慌ててイレイスを説得した。
「そ、それには及ばないでしょう。我が国としては今回の一件に関して、ダルク大魔王様の責任を追及致しません。また、セイランス殿の罪に関しても我らが余罪を含めて明らかにしていきます。」
「いえ、今回の一件を見るにセイランス殿は腐っても第一魔王様が認めた特殊戦力のようです。下手に刺激をすればこの国にどのような被害を及ぼすか分かりません。第一魔王様はすぐにでも動かれるそうです。」
ルルドの顔からは拭いても拭いても汗が流れ出る。
イレイスの言葉を否定しようにも、つい先程セイランスによって白銀騎士団が半壊したところだ。
ダルク大魔王がグレラント王国に協力する上に謝罪までするというならば、遠慮する理由こそあれど頑なに拒む理由は存在しない。
ルルドは端から見れば面白い程に顔色を真っ青にして、やがてゆっくりと口を開いた。
「やはり、当初の決定通りセイランス殿の罪を不問と致します。最初に申しましたが、これは友好によるものであって、一切の見返りを求めるものではありません。」
「ですが・・・本当によろしいのですか?」
「無論です。むしろセイランス殿のおかげで、多くの問題点を見つけることが出来ました。聖魔王様ご訪問の際にはそれらを改善して、より高度な警備体制を敷くことをお約束致します。」
そう告げた後のルルドは、力なく項垂れていた。
もっともセイランスが無条件に許されたからといって、責任は誰かが負わねばならない。
他の者たちの失態まで擦り付けられて、全ては元凶ともいえるアルムガレンド家へと向かうのだった。
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「よう、戻ったか。」
貴賓室に戻ったイレイスを出迎えたのは、ガルダスであった。
「身体はもう大丈夫なのですか?」
「あー、まぁ第二魔王様の薬のおかげでな。それにしてもあの野郎、散々人を痛めつけやがって。」
ガルダスはセイランスとの戦闘を思い出して、そう悪態をついた。
ガルダスにとって今回の敗北は完全な想定外である。
ましてその内容も完敗と言ってよく、一度接近された後は詠唱妨害から意識の刈り取りまで全く抵抗が出来ないままだった。
ふてくされた様子のガルダスをみて苦笑しながら、イレイスは口を開いた。
「とりあえずセイランス殿の一件に関しては丸く収まりました。あそこまで第一魔王様を拒んでいたとなると、彼を単なる冒険者として相当無下に扱っていたのでしょうね。」
「おい、あれだけ暴れまわっていたんだぞ?第一魔王様の申し出を蹴って沙汰なしって、どれだけ裏で知られたくねぇことをしていたんだ。」
「権力者なんてどこの国もそんなものでしょう。だからこそ国と国というのは容易に関係性が変動しますし、特殊戦力のような方々も必要なんですよ。」
イレイスはそう告げた。
普人族にとって人魔大戦は既に過去の出来事だが、魔力に応じて長い寿命を持つ魔人族にとっては単なる過去の出来事ではない。
妖人族を除いた大陸中の国家を敵にまわしたあの忌まわしき戦争と、その時に味わった絶望を今でも覚えている。
「特殊戦力・・・しかしまぁ、実際のところどう思うよ。あいつって。」
「セイランス殿ですか?私は武官ではありませんが随分とお強いと思いますし、私の説得が失敗すれば本気で王宮に乗り込んでいたあたりは勘弁してほしいですね。まぁ、よくも悪くも規格外といったところではないでしょうか。」
そう答えるとガルダスはどこか納得がいっていない表情をしている辺り、武官である彼からはイレイスとは違ったものが見えているのだろう。
「あなたはどうなんですか?ヘンフレット中佐。」
「こういう時だけそんな呼び方をするんじゃねぇよ。なんていうかなぁ。強いんだぜ?強いんだけど、第一魔王様が選んだにしては地味っていうか、なんていうか・・・。」
「なるほど、負け惜しみですか?」
イレイスに誂われるガルダスだが、ひどく感覚的ではあるものの実はそれなりに的を射ていた。
セイランスの純粋な力を見た場合、現状彼は戦争において戦術級以上、作戦級未満の戦力でしかない。
それは強さがどうこうというよりも戦い方が広域殲滅には長けておらず、大局そのものを左右する程の戦果を上げにくいためだ。
とはいえ第一魔王が無理に認めたのかというと、実はそれもまた少し違っていた。
セイランスという人物を見た場合に最も注目するべき点は、幻人という立場である。
彼はウォルフェンにおいては幻神として崇められている種族であり、つまるところ現人神のような存在であった。
セイランスがその気になれば少なくとも魔気流の武人たちを中心とした一大勢力を味方に付けることが出来るし、特に活躍した者の血族には子種を授けるとでも言えばその勢いはウォルフェン全土に広がるだろう。
つまり彼は国家の思惑や国際情勢を無視した次元で獣人たちを先導して、ディランド国に味方する形で戦争に介入することが出来る。
結局のところ特殊戦力という立場はあくまでセイランスの身分保証のために適用させたものだが、根拠自体はあるということだった。
イレイスはそのような事情を知らないが、それでも言葉を続けた。
「ガルド、いずれにせよセイランス殿は第一魔王様がお選びになった方です。私たちが疑問を持たずとも、見合った何かがあるのでしょう。」
「ちっ、分かっているよ。分かっちゃいるが、お前たち年寄りの第一魔王様信仰はどうにかならねぇのか。」
「若造は落ち着いた姿しか知らないのでしたね。どうにもなりませんよ、あの方は救国の英雄ですから。」
セイランスと10歳しか違わないはずのイレイスは、大陸史上最も人を殺して魔王と呼ばれた英雄の姿を思い浮かべながら、そう返事をした。
ただ単にダルクと縁があるというだけじゃ正当性がありませんし、かといってセイランスをディランドに所属させてしまうと縛ることになります。
そういったことを踏まえてダルクは、特殊戦力という立場にセイランスを置きました。
ちなみにゼファシール教の等級制度は、ディランドの制度を参考にして作られたものです。