side.アナベラvs灰蛇-最期-
「糞ったれ、どうして騎士団が俺たちを襲う!?」
突如として襲ってきた青銅騎士団に対して、スラム街の勢力は大いに慌てていた。
彼らはアナベラの侵入後僅かに時間を置いてから、予定通り灰蛇の拠点を包囲して逃げ場を無くした。
だが彼らに刃を向けたのは逃走してきた灰蛇ではなく、後方からやって来た青銅騎士団であった。
複数小隊で押し寄せてきた騎士たちは事情聴取すらせずに襲撃してきたのだから、混乱するのも当然の話だ。
「スラム街の連中が暴動を起こしている!切り捨てて構わん、正義を執行しろ!!」
その場で青銅騎士団の指揮を取っている第三部隊副隊長カルマスは、そう叫んだ後に傍らにいる男たちへと問いかけた。
「これで本当に良いのだな?」
「問題ない、すべてはアルムガレンド伯爵様のご指示である。そうだよな?」
「ま、間違いない。」
カルマスの側に居たのはスルホの指示で動いていたカーティスと、かつて灰蛇に仕事の依頼を行ったアルムガレンド家の家人ラフトスであった。
青銅騎士団に協力させることで王都を安全に脱出する、それがスルホからカーティスに告げられた計画だ。
彼は情報が錯綜して慌ただしい動きを見せるアルムガレンド家を監視すると、忙しそうに屋敷から出てきたラフトスを捕えた。
目立たない場所を痛めつけて暴れるラフトスを大人しくさせると、青銅騎士団を動かすことに協力するよう丁寧に丁寧に説得をした。
青銅騎士団が正しい状態であれば、ラフトスが協力したところで動くことなどありはしない。
だが元来より青銅騎士団に所属する騎士の一部は貴族たちから金を受け取ることで意向に沿った動きをすることがあり、王が病に臥せってからはその傾向が強くなっていた。
アルムガレンド家もまた第三部隊副隊長カルマスと繋がりを持っており、やり取りはラフトスを通して行われていた。
実際ラフトスが王都から脱出させたい者たちが居ると告げた時も、カルマスはいつものように深く追求せずに動いた。
「しかしこの規模でスラム街の連中に囲まれるとは、あんたら何をしでかしたんだ?」
「詮索するのか?」
「いや、ただの雑談だよ。俺はクズどもの相手をすればいつものように良い小遣いがもらえるんだ。それでいい。」
カルマスはこの後もらった金でいく花街を想像してニヤけた。
青銅騎士はけっして薄給ではないが、気軽に高級娼婦と遊べるほど高給取りでもない。
だがアルムガレンド家の指示に従った時だけは、得た金で普段抱けないような女を抱くことが出来る。
それがカルマスの人生における楽しみであり、優越感でもあった。
だがそんなカルマスの浮ついた気持ちを邪魔するように、順調に進んでいた制圧が滞り始めた。
「何事だ?」
「報告致します。どうやら女が一人暴れているようです。」
青銅騎士たちを端から倒しているのは、灰蛇の拠点から出てきたアナベラだった。
スルホとの戦闘を経て傷だらけの彼女は、しかしそれを感じさせない程の気迫で声を荒げる。
「お前たち、どういうつもりだ!」
「わ、我々は貴様らの暴動を鎮圧しにきた。大人しく縛につけ!」
アナベラの近くに居た騎士が、その迫力に圧されるように答えた。
「暴動だと?お前たちは・・・指揮官はどこにいる!?」
騎士が反射的にカルマスへと視線を向けると、アナベラは一直線に向かった。
アナベラは青銅騎士団に要らぬ邪魔を入れられないように、あえてスラム街の勢力だけで対処した。
それにも関わらず彼らの方から妨害をしに来たなど、彼女からすれば到底認められない。
途中で襲いかかってくる騎士も居たが、それらをものともせずにアナベラはカルマスのもとへと辿り着いた。
「お前が指揮官か、今すぐ攻撃を中止しろ!」
「な、なんだ貴様は?」
血だらけの姿で怒声を上げるアナベラにカルマスも平の騎士同様に気圧されるが、なんとかその立場が彼を踏み止どまらせた。
だが、その立場故に彼女の次の一言が自分にとって致命的なものだと知った。
「私たちが包囲していたのは灰蛇の拠点だ。それがどういうことか知らないとは言わせない。」
「灰蛇・・・だと?」
カルマスの顔は見る間に青くなっていく。
灰蛇という組織が王宮の意向によって指名手配を受けたことは、副隊長である以上当然知らされていた。
だが、自分はアルムガレンド家からの依頼に沿って動いているのだ。
慌てて傍らにいる男たちへと視線を向けると、ラフトスはカルマス以上に青い顔をしており、そしてカーティスは既に逃走を始めていた。
拠点を囲まれている段階ならばまだ青銅騎士団を利用して突破すればよいが、戦闘の痕が残るアナベラが現れたことを知って灰蛇がどのような末路を辿ったのか理解したのだろう。
「逃がすわけがないだろう。」
もっともアナベラが黙ってそれを見届けるはずもなく、逃走するカーティスの足に向かって投げた短剣は彼の太ももに突き刺さった。
「どうやら灰蛇の一員だったみたいだ。分かっただろう、さっさと止めさせろ。」
今もスラム街の勢力は騎士たちに襲われている。
アナベラが飛び抜けているというだけで、常人にとって青銅騎士とは強敵だ。
そして彼女もまた、現在の状態でこれだけの騎士を相手にすることは負担が大きかった。
だからこそ今すぐ斬りつけてしまいたいのを抑えてカルマスと話をしているのだが、彼はぶつぶつと呟くばかりだった。
「知らん、俺は知らんぞ。俺は指示に従っただけだ。第一貴族の要請にいちいち事情を尋ねるなんて出来るわけないだろ?だから俺は悪くない。」
「おい、いいから早く指示を出せ。今こうしている間も私の配下たちが犠牲になっている。」
「けどどうする?きっと認められない。俺は悪くないのに。どうする、どうする?」
アナベラの言葉など耳に入っていない様子のカルマスは、やがて何かに気づいたように血を流して苦しむカーティスを見た。
「そうだ、こいつらが予定していたみたいに逃げてしまえばいい。そのためには・・・。」
「おい、何を言っている?」
「緊急事態が発生した、俺は今すぐこの場を離れなければならない。コードE、指揮権は第一小隊長へと移行する!」
そう叫ぶと、カルマスは逃走し始めた。
その行動にはアナベラも怒りを通り越して、唖然とするばかりだった。
「お前たち騎士は、本当にどこまでも・・・。いいだろう、私が全員殺してやる。」
これまでアナベラが騎士たちを殺そうとしなかったのは、彼らが権力によって守られているからだった。
だがこの後に及んでそんなことなど、もはやどうでもいい。
アナベラはまず逃走するカルマスの首に短剣を投げようとして、遠くから聞こえてくる足音に気がついた。
現れたのは更に複数小隊規模の青銅騎士団である。
「馬鹿な、これは・・・。」
援軍を合わせると、この場に居る青銅騎士は既に100名近い。
この人数の騎士を相手にしてもアナベラならば生き残れるだろうが、その他の者たちは・・・。
そんな彼女の思考を読んだように、スラム街の勢力を率いているルーガスがやって来た。
「アナベラ様、我々は覚悟ができております。これから死んでいく者たちの家族にしばらく生きていけるだけの保障を、私やアキムが死んだ場合はどうか後を引き継ぐことになる倅をお引き立て下さい。」
アナベラは真っ先に忠誠を誓うと返事をしたルーガスとアキムをこの局面に連れてきていた。
彼らはアナベラを選んだのだ、この後に及んで逃げ出すつもりなど無いし、仮に逃げて生き延びたとしても明るい未来は待っていない。
それならばせめて最後まで彼女に尽くした忠臣として、自分たちの勢力が力を増すための礎となるつもりだった。
「・・・分かった、約束しよう。」
「感謝致します。」
自分に対して真っ先に忠誠を誓った者たちを一晩で失う覚悟と、自分が数刻前に忠誠を誓った相手に従って死ぬ覚悟。
それぞれ覚悟を決めた彼らだったが、ふと新たに現れた青銅騎士たちの様子がおかしいことに気がついた。
援軍に気づいて接近したカルマスは、彼らによって取り押さえられている。
「何をする、俺は第三部隊副隊長カルマスだぞ!」
「それはこちらの台詞だ、カルマス。二個小隊以上の規模を率いる際には、団長または副団長による承認が必要なことを忘れたか?」
地面に押し付けられながらも騒ぎ立てるカルマスにそう告げたのは、彼を追って青銅騎士団を率いてきたソラルだった。
必死に言い繕うカルマスを無視して、ソラルはスラム街の勢力を襲っている騎士たちに命令した。
「今すぐに行動を中止しろ!従わない場合は騎士団法に基づいて処罰する。」
正義の名のもとに剣を振るっていた騎士たちも、ソラルの命令を聞いて興奮から冷めた。
それと同時に剣を下ろす騎士が大半だったが、行動を止めない血に酔った騎士たちはソラルが率いてきた騎士によって次々と取り押さえられていった。
「アナベラだな?」
スラム街の勢力を襲っている騎士が居なくなったところで、ソラルはアナベラへと声をかけた。
「あぁ、まさか私が騎士に助けられる日が来るとはね。」
「青銅騎士の暴走を青銅騎士が抑えただけのことだ。」
どこか緊迫した空気を伴って交わされるソラルとアナベラの会話だったが、そこに割って入ったのは現状を受け入れることが出来ないカルマスだった。
「そもそも何故お前がここに居るんだソラル!?お前のような日和見主義者がこの局面で動くはずがない!」
散々な物言いではあるが、カルマスの言葉も的外れなものではなかった。
実際これまでのソラルは部下が貴族の指示に従って私的な行動を取っていたとしても、滅多に干渉することはなかった。
またアナベラから要請があった場合は助力するように通達も来ていたが、彼女からの要請が無いにも関わらず自主的に動く程仕事熱心でもない。
つまりカルマスの知るソラルならば、そもそもこの場には居ないはずだった。
カルマスの追求に対して、ソラルは何かを思い出すように視線を遠くへとやった。
「お前の発言を否定するつもりはない。だが、思うところがあるならば動けとあいつに文句を言われていたのを思い出してな。つまり思うところがあったから動いた、それだけのことだ。」
「何を訳の分からないことを・・・!?」
「アナベラ様、大変です!」
今回の騒動が収束に向かっていることを感じさせる空気を一変するように、拠点の中を調べていたルーガスが血相を変えて報告をした。
「中を確認したところ、血を引きずったような跡が続いております。まだ生き残りがいるものかと。」
「何だって?」
アナベラが急いで拠点の中を確認すると、そこにあるはずのスルホの死体が存在しなかった。
「私は間違いなくあいつの腹に刃を突き刺した。何故動ける?」
いや、今はそのような疑問などどうでもよく、問題はスルホの行き先である。
時間との勝負であることを理解したアナベラは外に出ると、咄嗟に隠れて見守っていたベルナディータへと声をかけた。
「嬢ちゃん!」
「スラム街の奥深くです、行ってください。」
「狙いはカルメラさんか!?」
アナベラはスルホの標的がカルメラだと知って、慌ててその場から駆け出した。
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「終わらん、まだ終わらんぞ・・・!」
スルホは傷口から血を流しながらも、王都の暗闇の中を必死に走り続けた。
今のスルホを突き動かすのは復讐心、いやこのまま死ぬことだけは出来ないという強い執念だった。
何故生きていられるのか不思議な状態で、スルホが向かったのはスラム街の奥深くだった。
「あらあら、お客様かしら?」
スルホが通り過ぎても誰も見向きすらしない廃退した空間を通り抜けて、最終的に辿り着いた場所に居たのはカルメラだった。
月明かりの下で静かにお茶を飲んでいる彼女は、血だらけの男が凄まじい形相で現れたにも関わらず穏やかな表情である。
「ハァハァ、貴様がカルメラか。」
「えぇ、そうよ。あなたは灰蛇の方かしら。アナベラったら取り逃がしちゃったのねぇ。」
カルメラの言葉から察するに彼女は今夜アナベラが灰蛇を襲撃することも、そして取り逃がした場合にこういった事態になることも想定していながら、それでもいつも通りに夜を過ごしていたことになる。
だがスルホはもはやそのようなことに思考を回す余裕もなく、ただうわ言のように呟いた。
「ははっ。殺してやる、殺してやる。セイレン、ざまぁみろ。死ぬのだ、お前の女が死ぬのだ。」
「私を殺すよりも、あなたが先に死んでしまいそうねぇ。」
カルメラはそんなことを言いながら、残り少なくなったお茶を一口に飲み干した。
カルメラは思う、自分は何の力も持たない女だと。
スラム街のためという理由でセイレンに付いていくことをしなかったが、仮にその道を選んでいたとしても足手まといになっていただけだろう。
自分は現在セイレンの周りにいる女たちのように、特殊な力で彼を支えることは出来ない。
だからこそ思うのだ、肉体が、才能が、平凡ならばせめて心だけは強くあろうと。
「そもそもセイレン様が憎いなら最初から私を狙えば良かったわ。復讐だの何だの言って、結局は怖かったのでしょう?本気でセイレン様を敵に回すのは。」
「死ねえええぇぇぇ!」
一番触れられたくなかった弱さに触れられたスルホは、絶叫と共に飛斬を放った。
「すまぬなあ、邪魔をする。」
カルメラの首から血が吹き出す光景を幻視したスルホの耳に、どこかゆったりとした口調のささやき声が聞こえた。
一陣の風がスルホの側を吹き抜けて、カルメラを庇うようにこの世の者とは思えぬ程美しい女性が姿を現した。
今まで居なかったはずなのに一体どこからやってきたのか、何故自分が放った攻撃はカルメラの首を切り裂いていないのか。
「何だ貴様は!?邪魔をするなああぁぁぁぁぁ!!!」
スルホが手を振り下ろした直後に飛斬は女性を襲うが、僅かに彼女の体を揺らしただけだった。
「何故、なぜ、ナゼエェェェェ!!!」
「憐れな。だが只人では妾をどうにも出来ん。」
「只人、俺がただびとだとおぉぉぉ!!!」
スルホは凡人扱いされたことに怒り狂って攻撃するが、やはり女性の身体を僅かに揺らすだけで何も起きない。
「死ね、死ねエエェェ・・・え?」
狂ったように血を撒き散らしながら攻撃を続けるスルホは、自分の腹から刃が突き出ていることに気がついた。
ゆっくりと首を回すと、そこには彼を追ってきたアナベラの姿があった。
「そんな、俺はこんなところで何も果たせぬまま・・・。」
「いい加減に死ね。」
スルホは膝から崩れ落ちて、今度こそ動かなくなった。
「命拾いしたみたいねぇ。けれどアナベラ、人の執念を甘く見ては駄目よ?」
「今みたいに腹に刃を突き刺したんだけどねぇ。」
スルホを殺したことで普段の調子に戻ったアナベラは、腹から刃を抜きながらそう呟いた。
剣を鞘に戻した後、彼女の視線は美しい女へと向かう。
「どこの誰だか知らないが助かったよ。」
「よい。ここであれの女を見捨てるわけにもいかぬ故なあ。」
その一言で、カルメラは女性の正体に察しがついた。
「助けて頂いてありがとうございました。もしかして以前通信した方かしら?」
「うむ、あれの同族に会いに来た。先に言っておくが人ではない故、面倒な嫉妬を向けるでないぞ。」
セイレンの女絡みで普段から苦労しているのか、どこか疲れた様子で女性はそう釘を刺した。
「恩人にそのようなことはしないわ。けれど、どういった存在なのか伺ってもよろしいかしら?」
「構わぬ。そなたら人には空麒と言えば分かりやすいかなあ。」
「空麒だと!?セイレンは最高位の神獣に認められているのか!?」
驚きのあまり大声をあげたアナベラは、傷口が痛んで顔をしかめた。
とはいえ、アナベラの反応も無理はない。
自然の名を冠する神獣とは、建国神話や伝説に登場するような存在である。
麒麟だけは少々事情が異なるのだが、彼らに認められるとは即ち国を興せるほどの力と権威を手にするに等しかった。
一方でカルメラは頬を軽く染める。
「ふふ、さすがセイレン様ねぇ。最高位の神獣を従えているだなんて。」
「おう、離れていてもあれの女は盲信的な者ばかりだなあ。まぁ、認めた妾が言うことではないのかもしれぬが。」
セイレンの周りにいる女性たちは皆、彼の常識外れな力と行動によって救われた者たちであるため仕方がないことではあるのだが、超常の存在としては溜息の一つも吐きたくなる。
「まぁ、よい。あれが傑物であることは事実故な。して、本題に入りたいのだがあれの同族はどこにおる?」
「どうやら面倒事に巻き込まれていて、騎士団に連行されているようねぇ。それと、セイランスさんは正確にはセイレン様の息子ですよ。」
「なんだと!?」
その事実を知らなかったアナベラは、再び声を上げて驚くこととなった。
これには空麒も眼を見開き、扇子で口元を隠しながら小さな笑い声を上げた。
「息子?あれの息子とな?ふふ、それはまた何とも・・・。よい、よい。一応尋ねておくが、間違いないのであろうな?」
「本人への確認は取りましたし、何より愛しいあの方の子を間違うなんてあり得ないわ。」
「で、あるか。ならばその面倒事とやらが解決するまで待つとしよう。あれの血を引くというならば、そのようなこともあろうさ。」
空麒が扇子を鳴らすと、充満した血の臭いを払うように強い風が吹いた。