side.アナベラvs灰蛇-急転-
『は、話を持ちかけたアルドス準男爵と連絡が取れないのだぞ。もしかして何かが起きているのではないのか!?』
「焦るな。何か分かればこちらから連絡をする。」
『分かった。だが、高い金を払っているのだ。頼んだぞ。』
セザールとの通信を切ったスルホは、今回の計画が失敗に終わったことを理解した。
灰蛇の再編成以降スルホを補佐する役割を担うことが多いカーティスは、焦るセザールとは対照的に短く呟くだけだった。
「駄目だったな。」
それに応えたスルホもまた落ち着いていた。
そもそもアルムガレンド家の提案を意趣返しとして利用する、それが今回の作戦のきっかけである。
更に言えば標的が死ぬまで何度でも執拗に狙い続ける灰蛇にとって、失敗はただの不利益ではなく次へと繋がる布石だ。
「連絡の途絶についてはとりあえずディランの報告を待ってからだ。」
アルドス準男爵と連絡が取れなくなったにも関わらず、落ち着いているのにも理由がある。
既に今回の作戦結果を見届ける人員は派遣しており、作戦途中で見過ごせない問題が生じれば緊急の連絡が来ているはずだった。
「だが、何が原因で失敗したかは重要だろう?」
「それは無論だ。今回の作戦を評価するならば過程は困難だが終着地点までいけば効力は絶大、そういうものだった。」
灰蛇が通常用いる手法とはベクトルが異なるが、だからこそ原因は今後の重要な参考になる。
報告を待って必要ならば追加で調査することを話し終えたところで、ちょうど派遣した人員が戻って来た。
「ご苦労だった、ディラン。」
スルホに声をかけられたディランは、その顔を僅かに緩ませた。
「えぇ、こうも上手くいくとは思いませんでした。」
「・・・何だと?」
これまでの状況を踏まえれば明らかに異質なディランの返事に、スルホは初めて顔色を変えた。
「どうしたんですか、そんな顔をして。アナベラとセイランスという獣人は揃って研究所に連行されましたよ。念のため見張っていましたが、連行した馬車と騎士団の出入り以外はありませんでした。」
ディランはスルホの反応に怪訝な顔をしながらも、自分が確認したことを報告した。
「どういうことだ?」
セザールとディラン、両者の報告に矛盾が生じていることは明らかだ。
だがディランが故意に間違った報告をしているとは思えないし、セザールのあの慌て方も到底演技だとは思えない。
彼らが知るはずもないが、これは監視されていることを警戒したアナベラの策によるものだ。
正確にはアナベラの考えを聞いたセイランスがララウロワへと相談し、それを受けたララウロワがスペンサーへと話を持ちかけた。
最終的にはスペンサーの権限によって、何ごとも無かったかのような演出が行われている。
セイランスとララウロワ、ララウロワとスペンサー、それぞれの関係性によって奇跡的に実現した偽装とも言えた。
「嫌な予感がする、情報を集めるぞ。」
指示を出しながら、スルホは何かが崩れていくような音を聞いた気がした。
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異常が発覚して二日後、スルホによる緊急招集を受けた灰蛇の構成員たちは拠点に集まっていた。
彼の表情を見れば不都合な事態が生じたことは明らかであり、皆は彼が喋り出すのを待った。
「初めに結論を言う。王都から撤退する。」
「なっ・・・馬鹿な!?」
ようやくスルホの口から出た言葉は、集められた者たちにとって衝撃的であると同時に到底受け入れられるものでは無かった。
それもそうだろう、彼らはつい先ほどまでアナベラを追い詰めるための工作活動を行っていたのだ。
ましてここで王都から逃げれば灰蛇の名は完全に地に落ちる、いくらスルホの決定とはいえ受け入れられるはずがない。
「どういうことだよボス。それがどういうことか理解してんのか!?」
残った構成員の中でも一番年若い男は、激情のままにスルホへと詰め寄った。
本来であれば制裁を加えられてもおかしくない事態だが、彼を止めようとする者は一人も居ない。
「ライル、俺たちは国の怒りを買った。まだ十分な地盤も築けていない状況ではどうにもならない。」
「はぁ!?一体何を言って・・・。」
詰め寄ったライルもその言葉を聞いて思わず絶句した。
国の怒りを買う、それが示すものは想像以上に大きなものだ。
例えばスルホは今回アルムガレンド伯爵家に意趣返しをしたが、伯爵家が敵意を抱いたとしてもそれはあくまで灰蛇と伯爵家の因縁に過ぎない。
国という巨大な組織は良くも悪くも容易に動かすことが出来ない存在であり、またその巨体が一度動き出せばそのエネルギーは凄まじいものになる。
全盛期から大きく弱体化した灰蛇では到底対処出来ないことは、激昂していても理解出来た。
「何が・・・何があったんだよ。」
仮に灰蛇に対して国が動くとしてもそれは遠い未来、それも関係性を考慮しないまま国益を損ねるという愚かな行為を繰り返した場合だ。
少なくともまだグレラント王国で活動して間もない段階で、そのような事態が生じるはずがない。
「アルムガレンドの依頼の一環で研究所が利用されたのは知っているな?あの場所で何かが起きた。そしてそれは国という巨体を動かす程の事件だった、としか言えない。」
セイランスが幻の人族と呼ばれるような種族であり、それが影響して最終的にこれまで前例の無かった事態を引き起こすなど、一体誰が予測出来るだろうか。
研究所で起きたことは国の中枢にいる者たちですら把握し切れていないのだから、スルホが曖昧に返事せざるを得ないのも無理はなかった。
スルホの顔が苦渋に満ちていることに気付いたライルはそれ以上問い詰めなかったが、それでもその若さゆえに叫んだ。
「だがここで逃げれば灰蛇はどのみち終わる!」
「俺はお前たちに相談を持ちかけたわけじゃない、これは既に決定事項だ。情報によると幾らかの権限を与えた上でアナベラに一任されたようだが、動くまでにはしばらく時間がかかる。日が昇る前には発つ、それまでに区切りをつけろ。」
本来ならばリスクを踏まえて今すぐにでも王都から脱出したかったが、それを口にすることは出来なかった。
命令に従わない場合は最悪死という制裁が加えられる中でライルがこれほどまでに反発するのも、そしてそれを他の者たちが黙認しているのも、異常な事態である。
ここで心の整理をつける時間さえ与えずにスルホが命令を下せば、灰蛇はその時点で崩壊する可能性が高かった。
「なんだよ、俺たちはまた標的に狙われる恥辱を味わうのか?」
ライルのその呟きに対してスルホは反応を示さないまま、撤退作戦を立てるためにカーティスの名を呼んだ。
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人口の多い王都でも表の人通りが絶える時間、灰蛇の構成員たちは一人の見張りを残してそれぞれが様々な思いを抱えて夜を過ごしていた。
それはスルホであっても例外ではなく、彼はこれまで数え切れない程繰り返してきた思考に今も囚われていた。
帝国に居た頃崩壊のきっかけとなった一度を除いて依頼に失敗したことは無かった、結成当初は5人だった組織を100人を超える規模にまで育て上げた、帝国で強大な権力を持つ『正当なる血』のサヴァレス家の後ろ盾を得た。
それなのに何故自分は今こんな場所にいる?何故再編成した組織は再び崩壊の危機に瀕している?
答えを返してくれる者は誰も居なかったが、代わりに入り口から女の声がした。
「ちょいと邪魔をするねぇ。」
スルホがゆっくりと視線を向けると、そこには今回の標的であるはずのアナベラが居た。