side.セザール-道化-
「何故だ、何故そこまで忠実に動く?」
しばらくしてようやくセザールの口から出た言葉は、そのような疑問だった。
ルベリたちが彼ら自身の力によってスラム街を支配する座に就いたのではなく、セイレンの力を借りてそうなったことは広く知られている。
つまり勘気を買うことを恐れて自主的に動こうと判断させる程の畏怖を、彼らは抱かせていないはずなのだ。
ルベリはそれに対して直接的に答えることはせずに、セザールへと質問で返した。
「セザール、あなたが交渉して消極的賛同を得た幹部たちの共通点が分かりますか?」
「共通点だと?まさか貴様らへと情報を流すため儂に賛同していたというのか!?」
「あぁ、いえ。安心してください。彼らはおそらく、あなたが予測している通りの考えを持っているだけですよ。消極的賛同をすることであなたが失敗すれば何も無かったかのように振る舞い、成功すれば甘い蜜を吸うために加勢する。古来より使い古されてきた手段です。」
そう返事をするルベリからは、セザールを混乱させようとする意志は感じられなかった。
つまり幹部の中にはルベリたちを恐れている者と、そうではない者の二種類が存在しているということだ。
只セイレンのおこぼれに与っただけの彼らが恐れられている、クラロワの忠告も含めてセザールはそのことに対して大きな困惑を覚えずにはいられなかった。
しばらく彼の様子を眺めていたルベリは、これまでとは少し異なる表情を浮かべると話を続けた。
「現在の幹部格は2つに大別することができます。それは12年前の出来事を知っているか知らないか、ですよ。」
「セイレンの力を借りて貴様らがスラムを制圧した時のことだな。そうか、分かったぞ。セイレンの存在を恐れているのだな?ふん、下らん!あいつが再び王都を訪れたなどという話は聞いたことがない!!」
「いえ、違いますよ。そもそもセイレンの力を実際に思い知った連中は、もうほとんど存在していませんからね。」
それもそのはずで、極力人を殺さないように力を抑えているセイランスとは違って、セイレンはそういった配慮をしていなかった。
無論強い殺意を持っていたわけではなかったが、彼からすれば大したことのない力であっても相手にとっては死や重傷に繋がる一撃だったのだ。
結果的に本当の意味で彼の力を知る者たちは姿を消しているため、10年以上経った今でも恐れている者というのは少ない。
現在の幹部格も噂を除けば、精々が力を振るう場面を遠目に目撃したことがあるという程度だろう。
「それでは一体何だというのだ!?」
「実は当時纏め役たちを集めて、ちょっとした見世物を行ったんですよ。」
ルベリは声を荒げるセザールとの距離をゆっくりと縮めていくと、倉庫に集まった大多数の者には聞こえないような声で彼へと告げた。
それはセイレンが王都を離れた後、つまりルベリたちがスラムの支配のために酷く頭を悩ませていた時期のことだ。
セイレンによってスラム街に存在した大規模勢力は全て壊滅したが、当然のことながら自分たちにとって都合の良い存在を新たに配置すればそれで済むという単純な話ではなかった。
その地域で力を付けた者たちが自然とその場所を纏めるようになるのであり、そういった制度が最初から存在しているわけではないからだ。
つまり彼らがカルメラを頂点とした支配体制を築くに当たって、既にその場所や地域である程度力を持った者たちを取り込まなければならなかった。
当然取り込まれた者たちは表立って逆らうことをしなかったし、それまで彼らの上にいた者たちを滅ぼして自分たちを新たな支配層へと据えてくれたのだからむしろ感謝さえしただろう。
だがそんな彼らも本格的に力を付け始めればルベリたちの下から離れ、各々が欲望のままに動き出して以前の荒れたスラム街へと戻っていくことは明らかだ。
カルメラは象徴のような存在であったため、実質的に支配を行うことになったルベリたち4人は悩んだ挙げ句に一つの結論へと達した。
後日ルベリたちは新たに纏め役となった者たち全員を一つの場所へと呼び出した。
呼び出された者たちが目にしたのは疲れ切った顔をしたかつての大物たち、つまりセイレンによって滅ぼされたそれぞれの勢力を束ねていた者たちの姿だった。
彼らは危険の少ない場所にその身を置いて自分自身が戦うことをしなかったため、結果的にセイレンと直接相対することがなく捕えられるに留まっていたのだ。
ルベリたちは新たに纏め役となった者たちの前で、かつてスラム街を欲望のままに蹂躙していた者たちを一人一人殺していった。
殺された者たちの中には泣き叫んで命乞いをする者もいれば、最後まで堂々としていた者もいる。
だが共通しているのはかつて自分たちが恐れ必死に顔色を伺っていた者たちが、抵抗をすることも出来ずに安物のナイフで次から次へと首を掻き切られて死んでいったということだ。
全員が殺された頃には、その建物の中にはむせ返るような血と死際に漏らす糞尿、吐瀉物の臭いが充満していた。
集められた者たちはその異様な状況の中で、脳の根幹とも言うべき場所に深く刻み込まれたのだ。
自分たちが決して抗うことが出来なかった幾つもの勢力が尽く滅ぼされたという現実を、そして自分たちが逆らえばどのような未来が待っているのかという恐怖を。
どうしたところでセイレンのような力を持たなかったルベリたちは、精神を打ちのめし根幹へと住まわせるような恐怖を植え付けることで支配体制を築いたのだった。
「ははっ。貴様らも結局そのようなことをしておいてスラムの治安や平和などと抜かしておったのか。」
「えぇ、その通りです。これはおそらくアナベラですら勘違いしていそうなことですが、私達は私達の欲望を満たすためにこのスラム街を支配しているに過ぎないのですよ。」
セザールの非難に対しても、ルベリは何ら動じることはない。
自分たちを救ってくれたカルメラが望むスラム街を作り上げることが彼らの欲望であり、仮に彼女が心変わりをしてスラム街を怨嗟渦巻くものに戻したいと願うならばそれを叶えるために動くのだから。
セザールへと忠告をしたクラロワは、どのような経緯を経たのかは分からないがルベリたちの本質に気付いていたのだろう。
彼らは平和や治安を求める甘い人物でも無ければ高潔な人物でもなく、ただ己の私欲のために地位を利用している連中に過ぎないのだと。
「セザール、あなたを泳がせていたのも私達の支配をより強固なものにするためですよ。10年も経てばあなたのような者が現れることは分かっていました。」
アナベラを害そうとしたセザールに手出しをしなければ、彼女を助けようともしなかったが、一石二鳥とも言える利益があったのだから当然だ。
彼らの支配体制にとってスラムの支配者とは象徴であり、彼女がそれを守れるだけの能力を持っているかを確認する良い試金石となった。
更には好きに泳がせた後に叩き潰すことで支配体制を強固なものに出来るのだ。
今回の一件は、まさしく何も知らない道化がルベリたちを利するためにしていたお遊びと言えるだろう。
感情の起伏が激しいセザールは、背景にあったものを理解すると再び怒りが込み上げ顔を紅潮させた。
「ならば見ろ!この圧倒的な数を!!貴様にこれがどうにか出来るというのか!?ルベリを囲め!!!」
セザールの叫び声に応じて、集団の前方に居た何十人という者たちがルベリを囲んだ。
だが彼は一見危機に思えるその状況を鼻で笑うと、倉庫中に聞こえるような声で告げた。
「この場所に集まった皆さんに一度だけ忠告をしましょう。今ならばまだ間に合います。この時点で手を引くことをおすすめしますよ。」
「ふん、くだらん。集まったこいつらとて、今更後戻りなど出来るはずがなかろう。」
「後戻り出来ない、ですか。果たして彼らにそこまでの覚悟があるのでしょうかねぇ。」
ルベリは意味深に笑うと、自分を囲む集団へと視線を向けた。
「あなたはクレイル通りに姉と二人で住んでいるアシュリーさんですね。その隣に居るのは確かコリンさんだ、アリスタ通りで暮らす家族と喧嘩をして今は一人で路上生活を行っているはずです。」
「え・・・?」
「何で俺のことを?」
ルベリの口から自分の素性を語られた彼らは、その場に似合わない間抜けな顔を浮かべていた。
それからも彼は名前と簡単な紹介を10人程続けていった。
「結論から言いましょう。この場所にいる者たちは全て把握しています。その上で問いますが、私たちと敵対する覚悟があるのですね?まさか危険になったら逃げればいいなどと考えているのならば、甘いと言わざるを得ませんよ。万が一セザールが勝利するのだとしても、決着が付くまでの間にあなた方やその家族は相応の報いを受けることになるでしょう。」
「お、俺のことが知られているだなんて聞いてねぇぞ!俺は参加すればいい思いが出来るって聞いただけで!?」
「ふざけるな!!家族は関係ないだろう!!!」
名も知られぬ大勢の一人ではなく個人としての責任を負わなければならなくなった彼らは、途端に動揺の声を発した。
彼らがこれから行おうとしていることは支配者に対する反乱であり、参加するためには重いリスクを背負う必要があることに気付かされたのだ。
彼らの大半は信念を持たぬが故に、現実に直面することで容易に揺らいでしまった。
「腰抜けどもは退いていろ!俺がやってやる!!」
そう叫びながら飛び出したのは自分が参加しているものを最初から理解している者たちの1人、つまり真にアナベラの支配が崩壊することを望む信念を持った者だった。
彼はルベリの元へと一直線に駆けようとして、しかし後方から服を掴まれたことによって体勢を崩して倒れた。
覚悟を決めた行動を邪魔されたことに怒った男が振り向くと、彼に浴びせられたのは罵声だった。
「ばかやろう!お前のせいで俺たちが狙われたらどうするんだ!?」
「そうだ!ふざけんじゃねぇ!!責任を取れんのか!?」
何のことはない、保身に走った大多数によって覚悟を持った少数が駆逐されていくのだ。
言葉によってその場を支配したルベリは、追い討ちをかけるかのように妨害をした者へと笑顔を向けた。
「ふふ、ご苦労さまです。ウィレンさん。後でセザールの店の近くにあるあなたの家に、礼品を届けさせましょう。」
「ひっ!?」
名指しで呼ばれた男はその内容を理解する余裕さえないまま、小さく悲鳴を上げた。
この場に集まった者たちの素性は、彼らの命をごみのように扱える存在によって確かに把握されているのだ。
「俺は知らねぇ、俺は知らねぇ!!」
それは一体誰の声だっただろうか、その声から時間をそう空けずして、遂に入り口近くにいた者たちが倉庫から逃げ出した。
それからはまるで雪崩が起きたかのように、その場にいた集団は崩壊して倉庫を揺らしながら散っていく。
無論中にはその場に留まろうとする者たちもいたが、彼らは流れに逆らおうとした結果蹴られ踏まれ悲惨な状態となった。
「馬鹿な、貴様ら戻れ!戻らんか!?」
「無駄ですよ、セザール。一度始まった混乱というものは収まりません。」
セザールの叫び声も虚しく、最後に残ったのは地面に倒れて呻き声をあげる者たちと、タイミングを逃してルベリを囲んだままの数十人だけだった。
彼は自分を囲む者たちへと視線を向けると、満面の笑みを浮かべた。
「さて、皆さんはとてつもない幸運に恵まれていますね。なにせ反乱を起こそうとした者を仕留める機会を得たのですから。」
「き、貴様!?」
「おめでとうございます。今日からあなたたちの人生は、今までよりもずっと良いものになりますよ。」
ルベリの言葉によって、周囲を囲んでいた者たちの目に欲望が宿るとともに、それはセザールへと向けられる。
彼らはこの場所に集まった目的を、夢を、叶えることが出来るのだ。
「待て、待て!そうだ、儂から金をやろう!何だったらルベリを殺した後に街から出る手配をしてやってもいい!!新しい場所で新しい人生を歩めるだけの金をやろう!!!」
「あぁ、一応言っておきますが、私の側にいる二人は元Cランク冒険者です。皆さんで挑めばあるいは倒せるかもしれませんが、その間に何人が死ぬでしょうねぇ。」
「ルベリ貴様あああああぁぁぁ!!!!!」
その会話があろうと無かろうと、欲望に支配された者たちの中では既に答えが出ていた。
彼らはセザールの逃げ道を塞ぐように包囲しながら、ゆっくりと距離を縮めていく。
段々とその姿が人波に埋もれていく中、セザールの声だけが響いていた。
「そうだ、待て。待て貴様ら!儂の勝利は既に決まっているのだ。こいつらの上にいるアナベラはもヴベっ・・・待て、はなじをギィッ!?」
やがてセザールの声は何を言っているのかさえ判別出来なくなり、血の臭いと肉を蹂躙する音が広がっていく。
ルベリはその光景をそれ以上確認しようともせずに、視線を別の者へと向けた。
彼にとっては思惑通りに進んだ時点で、セザールに対して何の興味も関心も残ってはいないのだから。
むしろ現在関心を持つべき相手は、これまで隠れるようにして佇んでいた人物だった。
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「確かリューク、でしたか。上司を守ろうともしないとは、随分と薄情ですね。」
「ひひ。非力なもんで。支配者の一人に名前を知ってもらえるとは嬉しい話でさぁ。」
雇い主であるセザールが死んだというのに、やはり普段と変わらぬ様子のリュークがそこにはいた。
彼はルベリが現れた時点で置かれた荷物の陰に隠れるように移動して、セザールが追い詰められていく様を只眺めていたのだ。
焦ることなく、悲しむことなく、逃げることなく。
「あなたは最初から、セザールが失敗する可能性について十分考慮していましたね?いえ、していないはずがありません。」
あれ程の人員を一カ所に集められるだけの能力を持った人物が、成功しか予測していなかったとは考え難いのだ。
リュークはその上でセザールと行動を共にしていた、だからこそ動じることが無かったというのがルベリの考えだ。
「あなたの思惑はどこにあるのでしょうね?」
「ひひ。今のスラム街の在り方を嫌い、セザール様に取り入ってのし上がろうとしただけでさぁ。思惑も何もありはしませんとも。」
「そうですか。ところで話は変わるのですが、あなたは昔から随分と熱心なゼファス教徒のようですね。」
リュークは10年ほど前にスラム街で暮らし始めると、靴磨きをする傍らでゼファス教を周囲に広める活動をしていたようだ。
現在のゼファス教徒たちは全盛期に比べると数を大きく減らしている一方で熱心な者が多いためそれ自体は問題ではないが、ルベリが調べた限り昔の彼は野望を抱くような人物とはかけ離れていた。
彼がその性質を大きく変えたのはセザールの下に付く少し前のことだ。
「今から4年ほど前、ルイエントが二杖の光によって襲撃されました。それ以来、世界ではゼファス教徒たちの活動が徐々に活発化し始めました。私はあなたもまた、活発化した例の一つだと思っているのですよ。なにせ熱心なゼファス教徒は、二杖の光に加入する傾向が強いらしいですから。」
「ひひ。かつてゼファシール教の神官だった者として、敵対組織のことが気になりますかね?」
「このスラム街を治める者の一人として、ですよ。熱心なゼファス教徒がセザールに取り入って、このスラム街での権力を手に入れようとしました。最近では騎士団に取り入る例もあったそうですが、一体この国で何が起きようとしているのでしょうね?」
ルベリの質問に対して、リュークは笑いを更に強めた。
「ひひ、ひひっ。流石はかつての本神殿長のご子息様でさぁ。有能でいらっしゃる。そういえば現本神殿長のご令孫がこの街にいらっしゃるそうですが、お会いしたんで?見聞の勤めに対するアドバイスなど差し上げてはいかがですかね?」
「いえ、その必要はないでしょう。彼女はセイレンと同じく英雄や傑物と呼ばれる側の存在なのですから。私のような凡人とは根本から違っているんですよ。」
「ひひ。そう自分を卑下なさることはありません。神官としては大成出来なかったが、こうしてスラム街を支配する一員としては成功を納めていまさぁ。人にはそれぞれ役割があるもんです。例えば私の役割はこの場所で権力を得るかそうでないか、という二つでさぁ。ひひっ。」
それはまるで会話の延長上に存在していたものであるかのように、リュークは口から血を吐き出して息絶えた。
人が自ら死ぬ、という行為は本来様々な悲観や葛藤があった上で成立するものであるはずなのだが、ルベリはこれ程までに躊躇い無く命を捨てる者を見たことがなかった。
人魔大戦期に広く信仰されて聖戦の名のもとに百万人を超える死者を生み出したゼファス教、その過激派たちが至る境地というのは元ゼファシール教の神官であっても理解出来るものではない。
「話には聞いていますが、やはり狂っていますね。結局何も分からず終いですか。」
二杖の光が活発的に行動しているにも関わらず、異様な程に情報が断片的で少ない理由がこの光景にあった。
彼らは不利な状況に陥ると躊躇うことなく死を選ぶため、尋問して情報を聞き出すことが出来ないのだ。
何か大きなことが起ころうとしているはずなのに、その実態を掴もうとすると霧のように消えてしまう。
情報を司る神官であったルベリにとって、それはとても恐ろしいことのように思えた。
「時代が大きく動こうとしているのかもしれませんね。世界も、この国も、そしてスラム街も。」
ルベリはそう呟きながら、この場所に来る直前に慌ただしく齎された情報について思い出していた。
本来その座に就くべきだったセイレンが居なくなったことにより、スラムの支配者は象徴としてカルメラからアナベラへと受け継がれた。
だがアナベラに関するその情報が事実であるならば、彼女は真の意味でルベリたちの上に君臨することになるだろう。
一人の少年の傲慢な態度は、セイレンと共に消えてしまったはずの実体をスラムの支配者へと戻そうとしていた。
哀れなセザールさんですが、この5章に関する話の大半は彼の行動により始まっていることを考えると物語的には大きな役割を果たしています。
次に数話アナベラと灰蛇の戦いについて描いた後に、白銀騎士団のお宅にお呼ばれしたセイランスへと戻る予定です。