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異世界で生きよう。  作者: 579
5.彼はこうして王都で動く。
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side.セザール-翻弄-

 それはクラロワがセザールの屋敷を訪れた日の夜のことだった。


 夕食を食べ終えた頃から急に激しい雨が降り出して雨音が部屋に響く中、セザールはワインをいつもより少し多めに飲んでようやく眠りにつくことが出来た。

 だが雨音に邪魔されて眠りはやはり浅かったのか、朦朧とする意識の中で物音が聞こえたような気がして目を覚ます。


「・・・誰かおるのか?」


 最初は気の所為だろうと思いつつも軽く自問自答のように呟いただけであったが、湿気を含んだ冷たい風が閉じていたはずの窓から流れ込んでいることに気付くと彼は慌ててベッドから起き上がった。


「誰かっ!?」


 大声で叫んで助けを呼ぼうとしたセザールだったが、暗闇の中から伸びてきた手によって口を塞がれるとそのままベッドへと押し付けられる。


 彼とて男である以上はそれ相応の力があるはずなのだが、いくら踠こうとも拘束から逃れられそうにない。

 どれくらい抵抗していただろうか、下腹が大きく膨らんでいる彼に持久力などそうあるはずもなく、やがて抵抗する力もなくなった頃に低くくぐもった声が聞こえてきた。


「店は災難だったな。商売は続けられそうか?」

「んぐっ!?」


 その言葉で侵入者が誰の差し金によるものかを理解したセザールは怒鳴り声をあげようとするが、当然言葉にすることは出来ずに暗闇の中を睨みつけた。


「伝言だ。これからお前の全てを少しずつ壊していく。死にたくなったら死んで構わない。だが、それ以外の方法では逃さん。それと、これは軽い挨拶だ。」

「ぶぐっ」


 侵入者は喋り終えた瞬間、塞いでいない方の拳でセザールの腹を殴りつけた。


───ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガンッ


 雨音に紛れて、セザールの体を殴打する音と彼の口から漏れる呻き声が流れ続ける。

 やがて失神したのか殴っても反応が見られなくなると、侵入者は口を抑えていた手を離してベッドに血と吐瀉物が混じったものを擦り付けた。


「ちっ、汚ねぇな。部屋のもんを少し物色するのも悪くはないが、退散するか。余計なことをしないってのは、長生きをする上で大事なことだ。」


 侵入者は小さくそう呟くと、開け放たれた窓から雨の中へとその身を踊らせた。


●●●●●


 アナベラの支配はスラム街において概ね好意的に受け止められている。


 彼女の支配はスラム街の治安を改善させるものであり、大多数を占める弱者を救うものであるのだからそれはある意味当然の結果とも言えるだろう。

 だが、彼女の支配が全ての者に好意的に受け止められているというわけでもない。

 治安が良いとは裏を返せば欲望のままに行動できないということであり、弱者が救われるということは強者が弱者を虐げられないということでもあるからだ。


 そしてスラム街とは本来、金や力を持つ者が道理や法律を紙のように軽く扱い、そして持たざる者を奴隷や家畜のように扱うことができる場所でもある。

 スラム街が昔のような無法地帯に戻った時に搾取する側へと立てる者たちにとって、彼女の支配は嫌悪すべきものであると同時に機会に恵まれるならば崩壊させるべきものであった。


 セザールの呼び出しに応じて屋敷へとやって来たリュークもまたそういった者たちの一人であり、彼の下についてから既に数年が経過している。


「ひひ。何やらセザール様はご機嫌が優れぬようだが果たして。」


 先程執事から簡単な事情説明と共に忠告を受けたリュークは、軽薄そうな笑みを浮かべながらセザールの居る部屋へと歩を進めていた。

 今朝セザールを起こすために部屋を訪れた使用人によると彼の状態は悲惨なものだったようで、朝から治癒魔術師を手配したり怒鳴り散らす彼を宥めたりと大忙しだったらしい。


 リュークが部屋へと辿り着き扉をノックすると、返事の代わりに何かを床へと叩き付ける音が聞こえてきた。


「何が、何がどうなっておるのだ!!」


 リュークがゆっくりと扉を開いて中を覗いてみると、そこには怒りの表情を浮かべたセザールの姿と床に叩きつけられた魔道具が存在していた。

 金に飽かして腕のいい治癒魔術師を手配したらしく既に外傷は残っておらず、襲撃された恐怖以上に怒りが勝っているようだ。


「ひひ。そのように高価なものを壊せるとはさすがセザール様ですなぁ。何やら昨夜は災難だったようで。」

「リュークか!アルドスだけでなく灰蛇とも連絡が取れなくなったのだ。儂の知らぬところで一体何が起きている!?」


 魔道具が犠牲になるだけでは気持ちを落ち着けることができなかったのか、セザールはリュークをそう怒鳴りつけた。


 昨夜の襲撃を受けて何よりもまずは身の安全を確保しようと彼は灰蛇へ護衛を依頼しようとしたのだが、アルドス準男爵に続いて彼らとも連絡が取れなくなっていた。

 セイレンによって滅ぼされ大きく弱体化した灰蛇にとって、現時点でセザールと手を切る利益など存在しないはずである。

 アナベラが研究所へと送られたという報告以来立て続けに起こる災難に、彼は不安とそれ以上の苛立ちを感じていた。

 

「まぁ、落ち着いてくださいな。連絡が取れないっていうのなら、取れないような状況になってしまったんでしょうよ。事態が把握できないならばありのままに受け入れるしかないってもんでさぁ。」

「何を呑気に言っておるのだ!儂は危うく殺されるところだったのだぞ!!灰蛇を利用できぬならばどうする!?」


 セザールとて灰蛇以外にも部下や人脈は多数存在しているが、彼らは質という観点から見た場合にお世辞にも優れているとは言えなかった。


 無論大抵の場合において量は質を凌駕するためそれも問題にはならないのだが、量を覆す力を持ったアナベラのように質が必要になる場合もある。

 そして今回セザールの屋敷に侵入されたという事実はそれ相応に重いものであった。

 そもそも彼の屋敷は貴族街にあるため不審な者は門を通ることさえできない上に、彼自身も屋敷の要所に警備員を配置している。


 十分な対策がされているはずの自分の屋敷ですら安全な場所ではない、その事実は彼を取り乱させるのに十分なものであった。

 だが、そういった様子の彼をこうして目の当たりにしても、リュークは相変わらず軽薄な笑みを浮かべたまま告げる。


「いけませんなぁ、セザール様。本質を見失っておられるようだ。心配せずともするべきことは何も変わっちゃいないでしょうよ。」

「何だと?」

「スラムの支配者になる、それが全ての問題に対する解決策でさぁ。惑わされちゃいけません。」


 灰蛇にさえ影響を及ぼすような問題が起こっているならば地位によってその身を守ればいい、その身が危険ならば逆に相手を滅ぼせばいい、つまりスラムを支配する理由が一つ増えたに過ぎないとリュークは語った。


「灰蛇と連絡が取れなくなったとはいえアナベラを殺れたんでしょう。これから殺す連中が今後襲ってくることなんて考える必要がないでしょう。ほら、何も問題なんてありません。」

「うむ・・・言われてみればそうかもしれん。だが、行動はすぐに起こせるのか?」

「もちろんでさぁ。明日にでも動き出しましょう。」


 そう言ってリュークは、細い目を更に細めてヒヒッと笑った。


●●●●●


 リュークが去った後、セザールはしばらくの間馬車で外出をすることにした。


 さすがに昼の貴族街で堂々と襲撃をすることはないだろうという確信があったし、何より襲撃の後に屋敷に籠もっているという行為をプライドの高い彼は受け入れられなかったのだ。

 屋敷の門をちょうど潜ろうとすると、ふと彼を呼ぶ声が聞こえてきた。


「そこのお主、ちと尋ねたい。」


 それは只一言であったにも関わらずセザールの耳から脳へと侵食するように響き渡り、無意識に身震いしてしまう程に美しく心地よいものであった。


 例え外見がどんなに醜かろうともその声だけで財産を投げ売ってもいいと思える程であったが、振り返って声の主を見たセザールは頭が真っ白になった。

 彼とてその豊富な金で様々な女と関係を持ってきたが、記憶にある最も美しい者ですら彼女の前では霞むだろう。

 彼女は髪も目も肌も胸も腰も何もかもが作りもののように理想的と言える形で存在していて、それでいて強力な性的魅力を漂わせていた。


 彼女は黒い扇子を弄りながらゆったりと尋ねた。


「スラム街というのはどの方向じゃ?ここに到着したばかりで、地理に疎くてなあ。」

「お、教えても構わないがそんなところに何の用だ?若い女が入るには危険な場所だ。」

「気遣いには感謝するが、訪ねたい者がおる。妾がこのようなところまで出向いたのもそのためでなあ。」


 その上から目線とも言える言葉遣いさえも、彼女の美しさを引き立てる装飾の一部のように感じられた。

 現在置かれているセザールの立場が本能を一層刺激したのか、その話を聞いた彼は自然と彼女に提案をしていた。


「ふむ、スラム街は本当に危険な場所だ。良ければ数日私の館に滞在してはどうかね?ご覧の通り、快適さは保証しよう。すぐには無理だが、数日後に儂が改めて案内をしようではないか。」


 出てきたばかりの屋敷へと彼女の視線を誘導し、セザールはそう告げた。


 彼自身がもうすぐ事を起こすのだからスラム街が危険というのは紛れもない事実であり、彼の提案は彼女にとって随分と都合の良い話のはずだ。

 屋敷で快適に過ごすことが出来る上に、スラム街に向かう際には支配者となっている自分が案内をするのだ。

 無論便宜を図る代わりに相応のものを体で払ってもらう必要はあるが、支配者の女になれるのだからそれすらも悪い話ではないだろう。


 そうでなくてもセザールの財力を前に断る女などこれまでにいなかったからこそ、彼は返ってきた答えを受け入れられなかった。


「いや、構わぬ。身を守る手段くらいは持っておる故な。」


 考える素振りすら見せずにそう断言されたセザールは、急激に頭に血が昇っていく。


「儂はスラムの支配者となる存在だぞ!分かっておるのか!?貴様は黙って儂の提案を受け入れていればよいのだ!!」

「ふむ?何を苛立っておるのか分からぬが、そうじゃな。そのスラムの支配者とやらは、壁に囲まれた小さな空間の一角を支配する程度であろう?逆に問うが、その程度で妾を意のままに動かせると思っておるのか?侮辱に等しいぞ。」


 黒い扇子をパチンと鳴らしながらそう告げた彼女の眼には、言葉通りに嫌悪と怒りが宿っていた。


 セザールはまるで圧倒的な上位者を相手にしているような圧力を感じて、無意識の内に数歩後退していた。

 だが、今後の人生を懸けて手に入れようとしているものを『その程度』として扱われた彼の怒りもまた相当に大きなものだ。


「ふざけるな!!」


 怒りのままにそう叫びながらセザールが彼女へと襲いかかろうとすると、突如として強烈な風が吹き荒れて彼の身体を後方へと吹き飛ばした。

 つい先程まで無風と言ってもいい程に穏やかな気候であったにも関わらず生じた不可解な現象に、彼は立ち上がることも忘れて呆然としていた。


「やめておくがよい。よしんば妾に手を出せたとしても、後が怖いぞ?あれは自分のものに手を出されると容赦せぬ故な。しかしあれの同族がこのような愚物であれば、どうしたものかなあ。」


 彼女はつまらぬ存在を見るような目でセザールに冷めた視線を向けると、そう呟く。


 それを受けて再び怒りが湧いてきたセザールだったが、彼女が扇子を鳴らすと目を開けることさえ叶わない程の強風が周囲に吹き荒れ、収まった頃にはその姿は消えていた。

 昨日から何もかもが思い通りにいかない彼は、気が付けばこれまでに溜まった感情を大きく爆発させていた。


「どいつもこいつも儂を愚弄しおって!!巫山戯るなああああぁぁぁ!!!」


 セザールの叫び声は静寂な貴族街に虚しく響き渡るのだった。

 

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