116.彼は獣人界の孔明。
グレラント王国王都の貴族街は上空から観察すると建物が余裕を持った間隔で整然と立ち並ぶ美しい街並みが存在しているが、それと同時に不自然に穴が空いたような空間を見つけることができるだろう。
壁に囲まれた中で生活をする人族にとって土地とは言うまでもなく有限かつ貴重なものであり、本来であればそのような空間は許容されないはずだ。
だが、この場所は国の中枢に関わる者たちが暮らす貴族街だからこそ、誰もが口にせずともその存在を許容されていた。
空いた空間の中にまるで孤島のように存在しているのは、正式な名称を『グレラント王国魔法技術研究所』と言う。
もっともその名前で呼ばれるのは公的にその場所を記す場合のみであり、騎士たちからは『収容所』、貴族たちからは『保養地』、そしてその実態を知る多くの者たちからは『実験場』と呼ばれていた。
一概には言えないが王制の多いこの大陸において人権という概念は浸透しておらず、それはここグレラント王国においても同様と言えるだろう。
『グレラント王国魔法技術研究所』では死刑囚を始めとして、今後二度と社会へと復帰することがない者たちを実験体として利用し国家発展のための研究を推進している。
研究所の中に存在する魔法部門では、現在イメージ力向上に伴う現象の変化に関する実験が行われていた。
「カヒュー・・・カヒュー・・・カヒュ・・・」
火が焚かれた密閉空間で苦しそうに息をしている男は今回の実験体の一人であり、半年ほど前に民家に押し入った先で親の帰りを待っていた幼い姉妹を殺害して死刑を宣告された。
この実験では、密室で火魔法を発動すると使用者が呼吸困難に陥るという結果を元に、火が焚かれた密閉空間で呼吸困難に苦しめば火魔法のイメージ力が向上するのではないかという仮説を検証することを目的としている。
魔法にはイメージ力が大きく寄与することは広く知られており、優れた魔法師を育成するべくイメージ力の向上に関する研究は中央学院においても盛んに行われているが、ここでは特に生命そのものや後遺症が残る危険性の高い内容が選ばれていた。
また、一定の成果が得られた場合の実用化に向けて、危険なラインを見極めるという目的も存在している。
「ふむ、彼の魔力はどの程度だったかね?特筆すべき点は?」
「まさに平凡そのものですね。魔力は平均の域を出ていませんし、スキルは所持しておらず今後発覚する見込みも薄いものと思われます。」
「そうか。ならばまだ実験の初期段階であることだし、今後のためにもラインを見極めることに重点を置くとしようではないか。とりあえず気絶するまで続けるといい。」
所々に皺の目立つ白衣を身に着けて髪をオールバックにした男性は、助手にそう言いつけると今後の実験予定が記された紙に目を通した。
「今回の実験に用意された被験体は全部で18体、内13体が男か。ここに送られてくるくらいだ、やむを得ないとはいえ性別に偏りがあるのは頂けないね。君もそう思わないかな?ララウロワ君。」
「さぁ?俺は研究員じゃないんでね。ただまぁ、体が鈍らないように配慮はしてほしいが。」
「これはまた異なことを言うのだね。君が体を鈍らせないような事態を避けるために幾つもの安全対策が施されていて、君はその中の一つを担っているわけなのだが。はて、ララウロワ君は武術だけではなく哲学も学んでいたのだろうか。」
ララウロワと呼ばれたのは、部屋の端で壁に背中を預けるように立っている獣人だった。
彼は獣人男性にしては細身の体型をしており、既に長い期間研究所の中で過ごしているせいか本来は日に焼けて黒かっただろう肌も白くなっていた。
この施設では魔法の研究を行うとあって事故はどれだけ気を付けようとも起こるものであり、特に実験体の暴走が起きた時の対処のために存在しているのがララウロワのような治安要員だ。
彼らは実験体と同様にこの場所から生涯出ることができない、というよりもここに送られてくる者たちのうちその能力を見込まれた極一部の者が血の誓約に基づく幾つかの条件を呑んだ後にその任へと就いていた。
ララウロワは普人の国にいる大半の獣人達とは違ってウォルフェン本国の生まれであり、数ある流派の中でも主流の一つである魔気流幻神派を修めている。
彼は18歳の時点で既にマスターに次ぐエキスパートクラスの力を持っていたが、そこから更に己を磨き武術の高みを目指すことよりも多様な強者と戦うことを望んでウォルフェンを出た。
そして各地を転々としながら戦いに明け暮れる中で、徐々に恨みを買っていくことになる。
確かにウォルフェン国外には様々な種類の強者がそれこそ数え切れぬ程存在しているだろうが、武術が盛んなウォルフェンの住人とは違って彼らのうち必要のない戦いを好むのはほんの一握りである。
例えばデルムの街には元も含めて3人のAランク冒険者が存在したが、彼らのうちララウロワの誘いに乗って戦うのはウィルフリッドのみ、それも頼んだところで引き受けないため逆上させる必要があるだろう。
実際彼はそのような際どい手段であちらこちらに戦いをふっかけていたが、強者の大半は本人が社会的に何らかの高い地位についているか、そうでなくとも高い地位を持つ者が絡んでいることを忘れてはならない。
結局彼は無理に戦いを挑まれた本人やその雇い主たちから多くの恨みを買うことになり、最終的にグレラント王国にて拘束されこの場所へと送られることになった。
「それと、ララウロワ君には前から思っていたことがあるんだよ。私はここにいる多くの者たちとは違い誰かを蔑んで悦に浸る趣味はないのだが、ここに来た経緯を考えるに君は端的に言って馬鹿ではないのかね?君なら適当にどこか名のある家で雇われて人並み以上の人生を歩めたと思うのだが。」
「はっ。お偉い学者様には分からねぇだろうさ。その人並み以上の人生ってのは金をたくさんもらって贅沢するってやつか?綺麗な嫁をもらって最後は孫に囲まれて死ぬってやつか?違うだろう人生ってのは。人生ってのは・・・まぁ、俺が今こうしているやつも確かに違うか。」
「気付いてもらえたようで何よりだ。だが、私はそういう君がそう嫌いではないよ、ララウロワ君・・・ララウロワ君?珍しく私が他人を褒めているのだから、もっと真剣に話を聞くべきではないのかね?」
気がつけばララウロワは壁に預けていたはずの体を浮かし、研究所の入り口がある方角の壁をじっと見つめていた。
だがそれをどう受け取ったのか、白衣の男はララウロワへと諭すように告げる。
「ララウロワ君、残念だが君はこの施設から出ることはできないよ。それは君もよく理解していると思ったのだがね?」
「おいおいおいおい、こりゃあまた随分ととんでもないのが来たな。何だ、今日は最高かよ?」
「ふむ、私も研究に熱中するあまりしばしば他人の話を無視する傾向にあるようだが、実際にされると不愉快なものなのだね。」
白衣の男がそう呟くのをよそに、ララウロワは犬歯を口から覗かせ目を獰猛に輝かせる。
それは彼が戦う相手を見つけた時によく見せる表情であり、そしてこの研究所へとやって来てからは初めて見せる表情でもあった。
「スペンサー、ちょっくら俺も出迎えに行ってくるわ。」
「出迎え?はて、そういえば今日は新しい実験体が入ってくるのだったか。定期入荷にはまだ早いから、またどこかの馬鹿共が自分たちの都合を優先させたのかね。して、ララウロワくんは出迎えの任など降りていたかね?」
「ケチくさいことを言うんじゃねぇよ。出迎えているのは魔法系の三下ばかりだろ。いいから俺もいかせろって。」
「ふむ、君にもここでの役目が・・・いや、いいだろう。今行っている実験は暴走の危険性も少ない。むしろそんな顔をされていては、君の方が危険そうだ。頭を冷やしてくるがいい。」
「話が分かる学者様のもとに配属されて嬉しいねぇ。」
彼はスペンサーから許可が降りると、そう返事をして獣耳を嬉しそうに動かしながら部屋を出ていった。
一方でスペンサーはその光景を不思議なものを見るような目で眺めた後、視線を今も密室で苦しそうに息をしている実験体へと向ける。
「ふむ、あのようなララウロワ君は初めて見る。私も少し興味がわいてきたが、心配することはない。これでもここにいる者たちの中では常識がある方だと自負していてね。最後まで君に付き合おうではないか。」
既に意識を朦朧とさせている実験体にそのようなスペンサーの配慮を気にする余裕があるはずもなく、彼はただ本能に従い少しでも長く生命活動を続けようと必死に呼吸を続けるのだった。
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拙い、その建物と周囲の堅牢な壁を目にして状況を理解した時、アナベラはそう強く思った。
なにせ彼女の立場を考えればここに収容される可能性があったため、『グレラント王国魔法技術研究所』については就任当初に少ないカードを使って調べさせたことがある。
この施設は世間一般にはその名の通り魔法技術を始めとした様々な研究を国家主導で行い、そしてたまに有益なものを世に送り出す場所として認識されている。
無論それは間違ってはいないのだが、アナベラにとって問題なのはその過程で人が実験体として使われるということであり、ある意味王城以上に警備が厳重で建物の中へと一度入ってしまえば抜け出すのが困難、という点だ。
王城というのはその名の通りに王族が実際に生活をしている場所であり、政治に関わる者たちが仕事をする場所であり、時に国外から賓客を招く場所でもある。
そのため警備について考える際には外観や人員といったものに配慮をする必要があり、例えば王城の警備は貴族出身である白銀騎士が行う決まりだが、彼らよりも騎士としての能力が優れた者は青銅騎士たちの中に幾らでも存在しているだろう。
それに対して、この場所はそういった制約を気にする必要は一切ない。
外観がどれだけ醜悪だろうと内外からの防備力に優れていればいいし、人員はどんな経歴だろうが性格だろうが優秀でさえあればいいし、研究はどんな手段を取ってどんな過程を経ようが最終的に有益でさえあればいい。
その結果一度建物の中へと放り込まれた者の中で脱走に成功した者は一人もいないし、これはアナベラが知らぬことだがそういった趣旨の実験を除いて半年以上生き長らえた実験体も存在しない。
自分は確かに他者よりもずっと強いという自信はあるが、かといってこれまでに誰も脱け出せた者がいない場所で無事でいられると思うほど寝ぼけてはいない、というのがアナベラの考えだった。
そして実際彼女の考えはそう間違っておらず、抵抗しようにも入り口からやって来た治安要員たちはアナベラを中へと運ぶ前にまず足の腱を切断していただろう。
それでも足りないと判断されれば手足そのものを切断されるだろうし、魔法による危険性が高いと判断されれば喉を潰される。
なにせ彼らにとってこれから建物の中へと運ぶものは、人ではなく実験の消耗品なのだから。
果たしてその危険性を感知したのか、はたまた治安要員の中に実力者がいたのかは分からないが、獣耳が反応して動いているセイランスが何かを呟くと、そこからの彼の行動は早かった。
「逃げます。」
アナベラの拘束具を解く手間さえ惜しいのか、そう言いながらセイランスは彼女を抱えて入り口に向かって走り出す。
それに対して最初に動いたのは近くにいた第二小隊の面々だった。
「行かせるな、囲め!」
拘束具を使用していないセイランスがこの場から逃げ出すことも十分想定していたクライヴ小隊長は、彼が動いた次の瞬間には反射的に部下たちへとハンドサインを送っており、そう怒声をあげた時には既に新人のオスワルド以外は剣を抜き、あるいは魔法の詠唱を開始していた。
「フんっ!!」
「エアロショット!」
「フレイムボール!!」
「アースウォール!」
先制するようにクライヴが剣でセイランスに切りかかり、それに続いて幾人かの騎士が魔法を唱えたが、セイランスはアナベラを抱えているにも関わらず一切の防御行動を取らずにそのまま駆け続けた。
彼女がいる以上はいつものように受けて平然としているというわけにはいかないはずだが、しかし実際その必要性は全く無かったようだ。
逃げに徹したセイランスの移動速度は普段街の中のごろつきを相手にしている青銅騎士たちの予想を遥かに超えており、クライヴの剣は空振りし火と風が襲いかかった先には何も存在しなかった。
唯一セイランスの進行方向に土壁が立ち塞がるが、ウィルフリッドが作った壁さえも軽々と打ち砕く彼の障害になるはずもなく、抱いているアナベラを片手で背中へと移動させるとそのまま突っ込んで破壊する。
「チィ!?」
勢いを止めることがなかったセイランスはクライヴがそう舌打ちする頃には既に彼らから遠く離れており、背後で妨害しようと詠唱する騎士たちになど目もくれず全力疾走で壁へと到着した。
そしてその勢いのまま右拳を繰り出して壁目掛けて全力で殴り掛かると
『ゴ───ンッ!!!!!』
今度はセイランスの予想に反してまるで鐘を鳴らした時のような鈍く大きな音が鳴り響く。
「少し凹んだだけですか。金属のコーティング・・・いや、ただの金属じゃありませんね。」
そう呟くとあっさりと破壊を諦めて、クライムゲッコの靴を利用してデルムの街の外壁よりも高い壁を登り出した。
彼がすぐに諦めたのはまさしく正解であり、研究所を囲む外壁は偽貴金属と呼ばれている金属でコーティングされていた。
ミスリルやヒヒイロノカネ、アダマンタイトといった貴重な金属がルルレットの大魔窟において産出されるのは広く知られているが、それらより数段格が落ちる形で同じくルルレットの大魔窟から産出されるのが偽貴金属だ。
偽という文字が付いているために勘違いされがちだが、通常の金属よりも硬度に優れているにも関わらず加工がしやすい点が評価されており、主に防衛施設にてよく使用されている金属である。
果たしてセイランスが本当に破壊できないかは定かでないが、少なくとも現時点において彼は確実に破壊する方法を知らないため失敗するリスクを考えれば壁を登ろうとした選択は正しいだろう。
実際、この行動もクライヴたちにとっては予想外であったためにセイランスはあっさりと壁の頂上へと辿り着こうとしていた。
そしてそのための最後の一歩を踏み出した瞬間に彼は抵抗を失いバランスを崩す。
素早く体勢を立て直して周囲を確認してみれば、何故か彼とアナベラは建物からやってきた治安要員とクライヴ達に挟まれる形で存在していた。
「誰かが空間魔法を・・・いや、それなら俺の耳に詠唱が届いているはずですね。ということは、空間魔法が最初から展開されていたということでしょうか。とりあえず先手必勝は失敗ですね。」
「ひぃ、ひゃっは。これ、これは面白い。面白おおぉぉぉいいぃぃぃい!」
セイランスが独り言を呟きながら現状を把握していると、血が乾いて赤褐色になった服で身を包んだ治安要員たちの後ろから、裏返った声で叫ぶような耳障りの悪い高音が聞こえてくる。
街中で聞いたならば誰もが避けて歩いただろうその声を発したのは、彼ら治安要員が所属する治療部門の研究員の一人ヴァージルだった。
彼はボサボサの髪の毛をまるでかきむしるように乱しながら、セイランスに焦点の定まらない瞳を向ける。
「げんき、元気がいいのは素晴らしくうぅぅ、読みも悪くはなあああいいぃ!じぐ、じぐるムントおぉぉぉ!!ぜつ、ぜづぅぅぅぅ!!!」
「はい、説明ですねヴァージル博士。承知致しました。お初にお目にかかります、3111番、3112番。あぁ、博士が呼んでしまいましたが、私の名前は別に覚えなくていいですよ。小心者なので、どうも実験中に怨嗟の篭った声で名前を呼ばれるのが苦手なんです。」
狂ったように叫ぶヴァージルに呼ばれてセイランスたちへと話しかけたのは、彼の助手を務めるジグルムントだった。
治安要員はもとよりヴァージル博士もまた白衣を血で汚している中、彼はそういったことを気にするのかシミひとつない白衣を身にまとっていた。
「ヴァージル博士はとても優秀な方なのですが、如何せんコミュニケーションに難がありまして。あぁ、私は一応天才の端くれなのである程度理解できるんです。お気遣いありがとうございます。それで3111番。博士はあなたを大変褒めています。これはとても珍しいことなので、誇っていいですよ。」
「あの、一応聞いておきますが俺が3111番なんでしょうか。」
自分を番号で呼ばれるというのは想像以上に不快な思いになるらしく、セイランスにしては珍しく少しトーンの低い声でそう問いかけた。
一方、ジグルムントはそれを気にした様子もなく表情を特に変えないまま語り続ける。
「えぇ、その通りですよ。幾らすぐに壊れるとはいえ、やはり何かしら表現するものがないと不便ですから。あぁ、気にしないでください。覚えにくいかもしれませんが、こちら側の事情に過ぎませんから。」
「ジグルムントおぉぉぉぉおおおお!」
「はい、分かっておりますヴァージル博士。説明して差し上げればいいのですね。この研究所を囲む壁の頂上には、数ヶ月前にアルヴァント国が輸出を発表した結界型の空間魔法魔道具が設置されています。あぁ、そうですよね。私も驚きです。あの国の防衛システムの主力を担っていたはずなんですが、まさか輸出される商品の一つになるとは。勿論金額は個人で払えるものではありませんよ。というより、本来だったら購入許可も設置許可も下りなかったはずです。国王陛下が臥せっているのをいいことに・・・あぁ、分かっています。今は関係のない話ですよね。」
要領を得ない言葉を喋るヴァージル博士と独りよがりに話すジグルムントに対して、セイランスも抱えられたままのアナベラも唖然としているのだが、やはり彼はそれに構わずに話を続ける。
そもそも彼はヴァージル博士の指示があったから話をしているのであって、3111番と3112番が理解しようがしまいがどうだっていいことだ。
「この魔道具は複数設置することで魔道具同士を繋ぐ空間魔法が発生する代物です。ここでは壁の頂上に幾つも設置してあるので、壁の高さを越えようとすると効果を発揮するわけですね。あぁ、分かります。そう思うのも仕方がありませんよね。時期が悪かったって。けれど確かに設置されたのは最近ですが、その前はその前でそういった脱走手段に向けての対策が施されていましたので、やはり難しかったと思いますよ。」
「いや、別にそんなことを考えていませんからね?今ひとつここが何なのか理解しきれていませんが、見るからに厳重な警備態勢なのでそういった魔道具が設置されていてもおかしくはないですし。俺の判断が甘かっただけです。」
「えぇ、分かりますよ。自分が思っていることを言葉にしてもいないのに理解されるのは腹が立ちますよね。あぁ、大丈夫です。私は自分が天才だとよく分かっていますから、細やかな反抗心から来る否定に対して気を悪くすることはありません。」
ダルクの教えの一つが『まさか思わなかったという言い訳はやめておけ』というものであるため、まだ完璧にそういった思考回路をすることができていないとはいえ、時期が悪かったなどという不毛な後悔をセイランスがしていないのは確かだった。
実際セイランスはジグルムントと成立しているのか疑わしい会話を続けながらも、周囲の状況を再確認していた。
現在自分たちを囲んでいるのは背後にいる第ニ小隊の騎士二十名と、正面にいる治安要員6名、そして戦力には入っていないだろうヴァージルとジグルムントだ。
おそらくこちらも金属で外面がコーティングされているのだろう建物へと視線を向けると、特に誰かが新たに姿を現したわけではないし、目立って慌ただしい気配もない。
ただ、僅かには動きがあるようだ。
「は、はやぐ・・・はやぐぅぅぅううじっげ・・じっげぇええぇぇ!!!」
「はい、分かっておりますヴァージル博士。途中で実験を中断して出迎えにきましたし、早く戻らないと十分使用していないのに壊れてしまいますね。3111番、3112番、試してみて分かったと思いますが、研究所に入らずとも壁の内側に入ってしまった時点で既に詰んでいます。あぁ、分かりますよ。けれどそれは出来ません。大人しく捕まっても、あなた達には決められた役割を果たしてもらわなければなりませんから。」
そして、自分たちを囲む高い壁は偽貴金属でコーティングが施されており、その上では空間魔法が設置されている。
「まぁ、だからといって絶望するほどでもありませんね。」
セイランスは現在の状況を一通り把握すると、そう呟いた。
素早く撤退できるのが一番だったが、ジグルムントの考えとは違い、彼にとって今の状況はまだ詰んでいるとは言い難い。
力を込めて殴れば凹む程度の壁なら武器を使えばどうにか出来る可能性があるし、上空の空間魔法もあると分かっているならば反魔法を使えばいいだけだ。
他にも何か仕掛けがあるかもしれないから先程同様に周りを無視というわけにも行かないが、無視できないなら倒せばいい。
そう判断すると、手に抱えていたアナベラの拘束具を何気ない動作で破壊した。
「アナベルお姉ちゃん。迷わず逃げよう作戦が失敗したので、獣人界の孔明として次の作戦を用意しました。迷わず力で押し切ろう作戦です。」
「・・・そのコウメイとやらは、作戦を立てるのが下手なやつのことを言うのかねぇ。まぁ、幸いにも得意分野だ。ただ、できれば面が欲しかった。」
拘束されていて硬くなったのか体を軽く動かしながらそう返事をした彼女は、次の瞬間には能面のように感情の欠落した顔になった。