115.彼は再び呟く。
『背景、父上様。私がいなくなった後はいかがお過ごしでしょうか。さて、あなた様はよく女性に関する名言を残してくださいましたね。何故か弱気な内容ばかりでしたが、その中の一つにこのようなものがあったのを覚えています。「いいか、女性の言うことに一度頷いたならば最後までやれ。何故かって?後で怨嗟の如く責められるからに決まっているだろう。」私は今それを果たせるかどうか大変不安です。なにせ・・』
「おい、何を書いている!大人しくしていろ!!」
やることがなかったために前世の父に向けて届くはずのない手紙をつらつらと書いていたのだが、俺を監視している使用人の一人がそう怒鳴りつけてきた。
「ふむ、手紙を書いているだけなのだから十分大人しくしているだろう。」
「お前は自分の立場が分かっているのか!?」
「無論だとも。」
俺はそう返事をしながら、周囲を見渡す。
屋敷の主が密室で会談中にトラブルが生じたとあって、部屋の中は俺たちを取り囲む使用人で溢れかえっていた。
戦いの心得がありそうな者はアナベルお姉ちゃんを囲み、そうでない者が俺を囲んでいるのは愛らしさ故に警戒心を緩めたのだろうか。
それにしては怒鳴りつけてきた使用人が冷たいと思いながら、囲んでいる者たち越しにアナベルお姉ちゃんへと話しかける。
「すまないな、アナベラ。この事態を引き起こしたことを謝罪しておこう。」
「あまり謝罪しているようには聞こえないが、まぁ気にすることはないさ。おそらく最初から嵌められていたんだろうしねぇ。」
「ふむ、やはりそうか。」
俺も彼女と似たような意見だ。
そもそもアルドス準男爵がアナベルお姉ちゃんを呼び出した動機からして意味が分からない。
話を聞く限り彼女を逆賊呼ばわりしておきながら、その逆賊の紹介で家にスラム出身の使用人を雇いたいなど酔狂にも程があると思うのだ。
それに視界の中にいる彼は随分と落ち着いており、とてもではないが突発的に騎士団を呼ぶ事態へと発展したとは思えなかった。
またアナベルお姉ちゃんがここへ招待されたことと、ベルナディータさんが尊大な態度を取るように告げたことが無関係なはずもなく、この事態を確実に引き起こすことが早期解決のための第一歩なのかもしれない。
それからも手紙を淡々としたためながら次の展開を待っていると、ちょうど結びの挨拶の頃に屋敷の周囲が騒がしくなり、やがていくつもの金属音が廊下から響いてきた。
そして部屋の中にいる使用人たちをかき分けて二十名近い青銅騎士たちが姿を現すと、その中の一人が胸に手を当てて口を開く。
「青銅騎士団第三部隊第二小隊到着致しました。ご無事でしょうか。」
「あぁ、この通り屋敷の者たちが守ってくれていたのでな。既に事情は知っていると思うのだが、そこにいる二人を連行してくれ。」
「はっ。」
髪に白髪が見え始めている彼が小隊長なのか、そう返事をした後に控えている騎士たちへと合図する。
二人相手にこの人数はどう考えても過剰だが、やはり警戒しているのはアナベルお姉ちゃんなのか、十数名が彼女のもとへと向かい、そして残りの者たちがこちらへと近付いてきた。
青銅騎士の一人は剣を抜き俺の首へと切っ先を向けると、力のこもった声で告げる。
「手を後ろに回せ、口は開くな。妙な動きをすれば斬る。」
その眼光は鋭く本来ならば即座に言われた通りにするのだろうが、生憎と繊細な男心と反比例して肉体は図太いのだ。
「好きにすればいい。アナベラ、俺はこいつらをこのまま蹴散らしても構わんのだがどうするんだ?」
尊大な態度を取ると決めている以上は有言実行する所存なのだが、アナベルお姉ちゃんは普段通りの様子ながらも即座に首を振って否定した。
「セイランス、お前があの嬢ちゃんから何を言われたのかは知らないが、とりあえずは大人しく捕まってぶち込まれるしかないねぇ。」
「ふむ、スラムの支配者とあろう者が随分と弱気なのだな。」
「そう言われてもこの状況だとこいつらに理がありすぎる。セイレンのような無茶はそう簡単にはできないのさ。」
どうやら騎士団だけでなく貴族も絡んだ正式な国家権力相手では、アナベルお姉ちゃんといえども下手に動けないようだ。
実際に彼女はそう結論を出した後、手を後ろに回して口を結んだまま立ち上がり、騎士たちが慣れた手つきで手足と口に枷を着けて拘束する。
その姿は言うまでもなく屈辱的なものであり、彼女も大人しくはしているものの眉間に皺を寄せていた。
「オスワルド、さっさとそちらの獣人も拘束しろ!」
小隊長がそう怒鳴ると、俺に着けるはずの拘束具を持っていた騎士は慌ててこちらへと近づき手に拘束具を嵌める。
獣人用と普人用ではそれぞれ異なるのか、アナベルお姉ちゃんのものは手錠型で多少の身動きならば取れるのに対して、俺のものは板に穴が開けられており身動きが取れそうになかった。
手に続いて足枷を着けられさらに動けなくなったところで、俺は手に力を込めながら上下に捻る。
『バキッ』
枷はあくまで一般的な獣人を想定したものであり、ダルク様と出会った時点でBランクの魔物相当と評された俺の腕力に対応できるはずもない。
手枷が地面へと落ちた後は足枷も脚力任せに破壊し、そして驚いたように口を開く。
「まさか罪を犯した者を拘束するのに不良品を持ってくるとはな。俺が言うのも何だが、少したるんでいるのではないか?」
「馬鹿な・・・お前何をした!?」
「言いがかりは止めて欲しいものだ。俺は少し体を動かしただけだし、それはこの場にいる者たち全員が見ていただろう。」
本気で力を込めたわけではない以上、彼らには何気なく手足を動かしたようにしか見えていないはずだ。
どうやら拘束具の替えがあるわけでもないらしく、現実的に目の前で起きたことを否定できなかった小隊長は苦々しく口を開いた。
「せめて余計な口をきかないように黙らせてやれ、オスワルド。」
そうして口に着けられた拘束具を、うっかりと噛み砕いてしまったことは言うまでもない。
●●●●●
屋敷を出た後、護送用の馬車に乗せられた俺たちは貴族街を移動していた。
道が整備されているおかげで振動はまだ良いのだが、外の景色を眺められるような心遣いは存在していないため視線は自然と目の前にいる小隊長へと向かった。
いくら騎士の数が多くとも馬車に乗れる人数は限られているため、小隊長がアナベルお姉ちゃんの側へと座り、オスワルドと呼ばれていた騎士が俺の隣へと座っているのだ。
ただし、オスワルドの方は何故か短剣を俺の首へと向けており、居心地の悪さが否めない。
「そんなものを向けずとも大人しく捕まっていると言っただろう。」
「信用できるものか。あの拘束具の頑丈さは準備した俺がよく理解している。」
「ふむ、現実を受け入れられぬとは困ったものだ。」
自分がまるで整備されていないものを用意したかのように扱われた彼は相当腹を立てているようで、今の会話により目に僅かな殺気がこもった。
この調子だと到着するまでに一悶着あるかもしれないと考えていると、小隊長が彼を制止する。
「落ち着け、オスワルド。俺たちの目的はこいつらを連行することであって、傷つけることではない。お前が入隊してからまだ1年と経っていないのは理解しているが、だからこそ自制心を身に着けろ。」
「申し訳ありません。ですが・・」
「分からないのか?お前が今自制心を失えば、そいつの思う壺だということに。」
オスワルドは小隊長の言葉が理解できないのか口を開閉して言いあぐねるが、奇遇なことに俺もそんな壺を用意した覚えはないのだ。
かといってどういうことなのか教えを請うわけにもいかないため、さも作戦を見破られたかのように告げる。
「ふむ、さすがにそう上手くはいかぬか。」
「当然だ。だが実際に実行に移す度胸だけは見事だ。アナベラの護衛がお前のような子供だと分かった時には驚いたものだが、なるほど油断を誘うことも含めて悪くない。もっとも・・・仮にお前の目論見が成功したとして、それが意味を成すかは別問題なのだがな。」
真剣な表情をしているためきっと重要な話をしているはずなのだが、ただ知ったかぶりをしている俺にはどうしようもない。
どうやら彼はこのことに関してそれ以上言うつもりはないらしく、拘束されているアナベルお姉ちゃんへと視線を向けた後に俺へと哀れみの視線を含めながら尋ねてくる。
「お前はアナベラとは長いのか?」
「いや、そもそも王都にやってきてからまだ日が浅いな。それがどうしたというのだ。」
「・・・すぐに分かるだろう。今はただ静かな時間を過ごすといい。」
小隊長はそう言うと、それから先は何も語ることがなかった。
彼の言う通り馬車と騎士たちが移動する音だけが聞こえてくる静かな時間が流れた後、俺の中にふと疑問が生まれる。
街の中を移動しているはずなのに、何故馬車同士がすれ違う音だとか、歩行者が会話する音だとか、日常で流れるはずの音が聞こえてこないのだろうか。
俺へと向けられる哀れみの視線といい何かが決定的におかしいことに気付いた直後、重いものが動くような巨大な音が響いた。
それからしばらくして、馬の鳴き声と共に馬車は停止する。
「着いたか。外に出ろ。」
外側から扉が開き彼の促しに従って外へと出ると、デルムの街の外壁よりも尚高い壁によって四方を囲まれていることを理解する。
どうやら先程の音はこの壁の入り口が開いた音のようで、正面へと視線を向ければ巨大な建物が目に入った。
俺が何度かお世話になっている騎士団の拠点に比べると随分警備態勢が厳重だと思っていると、背後からオスワルドの声が聞こえた。
「クライヴ小隊長・・第三部隊の拠点に戻っていたはずじゃ・・・。」
「部隊長からの命令だ、それ以上の疑問は口にするな。いいか?オスワルド。俺たちはたまに、どうしようもない命令が下されることもある。そんな時には黙って従い、そして終わったら全てを忘れることだ。」
よく分からないが何も知らされていないらしい彼の声は震えており、小隊長の声もまた固いものだった。
「ふむ、よく分からないのだがここはお前たちの拠点ではないのか?俺たちは連行されていたのだろう?」
「そして留置所へ入れられた後に取り調べを受ける。そこで正式に犯罪が確認されれば罪に問われるが、大方アナベラの場合は横槍がどこからか入り結局無罪放免になるだろう。いや、そうなるはずだった。」
「そうなるはずだった?」
俺がそう尋ね返すと、彼は馬車で向けたものよりも更に深い同情の視線を向けてくる。
「ここは政治犯や重犯罪者を収容する施設だ。」
「ふむ、それならばこの厳重さも理解できるが、俺たちの罪はそこまで重かったのか?」
「いや、先程も言った通りそもそもお前たちの罪はまだ確定さえしていない。もっとも、ここに来てしまったならばそんなものは関係がない。なにせ二度と出てこられないのだからな。」
彼の言わんとすることを掴みかけてきたところで、建物の扉が開き中から赤褐色に身を包んだ者たちがやって来る。
俺たちを出迎えようとしているのは間違いないが、そんなことよりも俺は扉が開いた途端に建物の中から漂う濃厚な血の臭いが酷く気になった。
「別れの前に一つ正直に答えて欲しいのだが、ここはどの程度危険な場所だ?」
「・・・俺がお前だったら今すぐ自殺を選ぶ。早く死ねることを祈っているよ。」
彼はそう言うと残りの騎士達と共に俺たちから距離を取り、代わりに血の臭いを漂わせた者たちが近付いてくる。
彼らの服をよく見ると所々に灰色の部分が見え、大部分を占める赤褐色が何に由来するものなのかが理解できた。
念のためにアナベルお姉ちゃんへと視線を向けてみれば、図太い神経を持つはずの彼女の額からは汗が流れており、俺は静かに現状を悟るのだった。
「ベルナディータさんの直感に従うのは止めですね。」
彼女を疑うわけではないのだが、彼女の直感スキルは一体俺をどうしたかったのだろうか。
今なら早期解決に『だけ』は繋がると言っていた意味もよく理解できるが、この深く濃い血の臭いだけを取っても知り合いに勧めるべき選択とは思えない。
「こちら側に来てからこれを言うのは何度目でしょうか。だから怖いの意味が違うんですよ。」
獣耳が反応するのを感じながらそう呟くと、俺はこの場から逃げる決意を固めた。
少年神様「僕に誓って・・・か。あぁ、勘違いしちゃいけないよね。僕達でさえ完全じゃなく、スキルは僕達に遠く及ばないんだから。」