114.彼は罪人。
アルドス準男爵の元をセザールが突然訪ねてきたのは、アナベラが招待される少し前のことだった。
「アルドス準男爵、ご機嫌麗しゅう。本日は突然の来訪お許し下さい。」
「いや、構わん。」
無論構わぬはずがないのだが、心情とは裏腹にそう返す以外の選択肢を彼は持たなかった。
彼がセザールの支援を受けるようになったのはもう3年以上前のことであり、今ではそれ無しでの生活は不可能になっている。
また、彼のような下級貴族には返済の確かな見込みが薄く、それでいて恩を売ったところで得られる利益など僅かなため、今後セザール以外に支援を行う者が現れる可能性も低い。
「今日は一体何の用だ。私はこれでも多忙でな。」
さりとて好き好んでセザールを長居させたくない彼はそう告げるが、セザールはゆったりとした調子で口を開く。
「それは失礼致しました。ですが、挨拶くらいはさせて頂きたいものですね。アルドス準男爵におかれましては引退後もご壮健のようで何よりでございます。ご嫡男のダミアン様もご立派に成長なさっていると聞き及んでおります。」
適当に相槌を打とうとしたアルドス準男爵だったが、自慢の息子であるダミアンの名前を出されたことで少し気分が良くなる。
セザールもそれが分かっているのか、ダミアンについてさらに話を続けた。
「初代アルベルト様の再来とまで噂されていると聞き及んでおります。剣を握れば現役の白銀騎士に匹敵し、座学でも優秀な成績を修めていらっしゃるそうで。いやはや、誠に将来が楽しみでございます。」
現在中央学院の騎士課程に通うダミアンは、親の贔屓目を抜きにしても優れた成績を残していた。
騎士課程の中でも優れた者たちが現役の騎士達と行う模擬戦では、勝利とまではいかずとも時間切れによる引き分けにまで持ち込んだのだ。
座学においても昨年度の成績優秀者として表彰を受けており、まさに文武両道を体現していた。
息子を持ち上げられて満更でもない様子の彼だったが、セザールの次の一言で顔を固くさせる。
「ただ、その将来に暗雲が垂れ込めないと良いのですが・・・」
「・・・それはどういう意味だ。」
その質問に対して、セザールは申し訳なさそうに返事をする。
「私事になりますが、実は今人生の岐路とも言うべき場所に立っております。その結果次第では私自身が危うくなるため、ご支援することが叶わなくなるかもしれません。」
セザールが突然来訪してきた時点で何かがあるとは思っていたが、想像以上の悪い知らせにアルドス準男爵は小さく唸り声を上げる。
白銀騎士を引退した今、ダミアンが一人前の騎士となるまで家を存続させることが最後の役目であると彼は考えていたのだ。
無論その中には、ダミアンならば黄金騎士までのぼりつめ、家を再興してくれるという期待も大いに含まれていた。
今セザールからの支援を失えば中央学院の高額な費用の支払いさえ危うくなり、将来有望なダミアンの未来を潰しかねない事態に発展する可能性が高いだろう。
アルドス準男爵は焦りを極力隠そうと努めながらも、セザールへと告げる。
「お前も分かっている通り、時期当主となるダミアンは優秀だ。そしてアルベルト様のように義に厚くもある。出世した暁には、それまで支援してきたお前を決して無碍にはしないだろう。」
「えぇ、無論承知しております。私もダミアン様の将来を大変楽しみにしておりますから。ですが、ご支援するだけの力がなくなればどうすることもできないのです。」
物理的に不可能となってしまえばどうすることもできない、そのもっともな言い分に対してアルドス準男爵はそれ以上言い募ることはできなかった。
「ですが・・・先程申し上げた通り、私は今岐路に立っております。アルドス準男爵のお力があれば、良い道へと進むことができるでしょう。」
そんな彼に対して、まるで闇の中に一筋の光があるかのようにセザールはそう呟いた。
そしてその一筋の光は、彼自身の手で射すことができるというのだ。
「話してみよ。お前には世話になっているのだ。出来る限りのことをしようではないか。」
「それでは・・・いえ、ですがこのようなことを申すわけには・・」
「構わぬ。話してみなければ判断もできないだろう。」
それがダミアンの、そしてアルドス準男爵家の未来へと繋がるならば、多少の無茶も仕方がない。
そう考えているダミアンに、セザールは告げた。
「では申し上げます。アナベラを屋敷へと招き、陥れて頂きたく存じます。」
「それはどういう・・・」
「いえ、これ以上は申し上げぬ方がよろしいでしょう。アルドス準男爵はただアナベラを屋敷へと招き、そして騒ぎを起こして騎士達に連行させるだけです。その結果待つのは、アルドス準男爵家の明るい未来でございます。」
その言葉に、アルドス準男爵は戸惑う。
彼、というよりアルドス準男爵家は初代アルベルトに習い、代々正しき行いを良しとしてきた。
今の状況があるのは無論大きな成果を残せていないからなのだが、融通が効かない故に上手く立ち回ることができなかったという事情もある。
相手が誰であれ陥れるという行為はこれまでのアルドス準男爵家を否定するようなものであり、簡単に許容できるはずもない。
ではそんな彼が何故戸惑うのかといえば、それは陥れる相手がアナベラだからだ。
そもそもこの王都は王の直轄地であり、その直轄地の一部をセイレンが強引に不可侵の領域へと変え、その後もカルメラ、アナベラと代替わりしながら我が物顔で支配を続けているのだ。
アルドス準男爵からすればアナベラは逆賊に等しい存在であり、彼女に危害を加えること自体に忌避感はない。
その点でいえばセザールもまた支配者の地位を手に入れようとしているのだが、独自の情報網を持たない下級貴族を偽られる程度には情報操作を行っていた。
アルドス準男爵にとってセザールは、スラム街を中心に金融業を営んでいる商人に過ぎない。
果たして地位を守るためにアルドス準男爵家が代々引き継いできた誇りを捨てるべきか、それとも逆賊のために家が潰れる可能性を抱えるのか、結論が出ないままのアルドス準男爵にセザールは告げる。
「決して無理にとは申しません。ご助力頂かなくても解決するかもしれないのですから。ただ、その場合私がご支援できなくなった後のことをよくお考え下さい。ご英断を期待しております。」
セザールはそう言いながら頭を下げて、部屋を出ていった。
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「アナベラ様がご到着なさいました。」
「・・・そうか。」
アルドス準男爵は使用人の報告に対して、そう短く返事をした。
彼がアナベラを招いたのは陥れる結論へと至ったからではなく、実際に会ってどのような人物か見た上で判断をしようと考えたからだ。
もしも明らかに排除した方が良い人物ならば、誇りを捨ててでも治安を守ろうとしたという言い分も立つだろう。
やがてノック音に続いて扉が開くと、案内を務めた執事に続いて見慣れない人物が入ってくる。
その人物は胸の前で腕を組みながら、まるで自分が招待された上位者とばかりに大股で部屋の中を歩いてきた。
そしてそのまま、勧められたわけでもないのに席へと座る。
それがアナベラであるならばアルドス準男爵も早々に結論を出すことができたのだが、どう見ても獣人の少年とあって彼は事情説明を求めるように執事へと視線を向けた。
「どういうことだ?私はアナベラ殿だけを招くようにと念を押したはずだが。」
「申し訳ありません。」
そう頭を下げる執事の後ろからは、屋敷までの案内を務めさせたはずの使用人や、門番たちが姿を現す。
彼らは一様に申し訳なさそうな顔をしており、さらには服がところどころ土まみれになっていた。
「まぁ、責めないでやってくれ。彼らは俺を懸命に止めようとしたのだ。ただ、力は足りぬようだったが。」
足を組みながらそう告げる少年の言葉を聞いて、止めようとするも止められずに地面へと倒れそのまま引きづられていく門番たちの姿が連想された。
背格好からして冒険者の少年なのだろうが、そのような相手に白銀騎士を輩出する家の者がいいようにあしらわれた事実に怒りと呆れが湧き上がる中、今度は扉の近くに立つ女性へと視線を向ける。
「そなたがアナベラ殿だな。これが我が家の招待に対するそちらの対応ということでいいのだな?」
アルドス準男爵の実際の思惑はどうであれ、現時点でアナベラに対しては事前に招待状を届けた上で門まで迎えの馬車を出しており、礼を欠くような対応は一切行っていない。
それにも関わらず家の者を粗略に扱い、屋敷に入ってからも礼儀を弁えない行いは、侮辱以外の何物でもなかった。
だが、鋭い視線を向けられたアナベラは慇懃に頭を下げた後、本当に困った様子で口を開いた。
「お初にお目にかかります、アルドス準男爵。彼は私の護衛として雇った冒険者です。普段はこういった行動をしないのですが、今日はどうも調子が違うようで私も大変驚いております。申し訳ありませんが、これ以上ご迷惑をおかけせぬようこれで失礼させて頂きます。」
アナベラをもっと粗野な人物だと思っていただけに、その対応にアルドス準男爵は驚く。
確かにアナベラも普段は尊大な態度で振る舞う傾向にあるが、彼女の目的はあくまでスラムの支配者として相応しい言動を取ることだ。
そして明確に平民との身分差が存在する相手に対して、普段のような言動はむしろ目的に反するものだった。
そんなアナベラに対して、アルドス準男爵はしばらく考えた後に返事をする。
「・・・いや、構わん。再び招待するというのも簡単にはいかないだろう。この者については大目に見ようではないか。」
アルドス準男爵家の未来に関わる判断を目の前の少年に妨げられるわけにもいかず、彼は気持ちを落ち着けた。
「私も長年騎士として生きてきたのだ。血気盛んな若者とて幾人も目にしておる。座るがよい。」
冷静になってみれば、発言した通り勇気と蛮勇を履き違えた若者など幾らでも見てきた。
そもそも何故アナベラが彼を連れてきたのか分からないが、目の前の少年もまた分を弁えない言動を勇気や度胸と勘違いしているのだろう。
座る際にアナベラもさり気なくセイランスを睨むが彼は視線を逸らしたため、内心で溜息をつきながら口を開いた。
「かの有名な救国の英雄アルベルト様の血筋にご招待頂いて光栄です。」
「なに、偉大なのはあくまでアルベルト様だ。そなたこそ、貧民街での活躍を聞いている。王命を受けてもいないのに懸命に働いているそうではないか。」
「いえ、滅相もございません。ただ、貧しき者たちの生活が少しでも良くなればと微力を尽くしております。」
アルドス準男爵の嫌味が込められた言葉を、アナベラは笑顔を浮かべながら軽く流す。
彼女はこれまでにも何度か貴族の邸宅へと招かれてはこういった対応をされたことがあり、慣れたものであった。
「実は今回アナベラ殿を招いたのは、人材に関する話でな。何でも人材派遣に関わる商売を行っているそうではないか。」
「えぇ、行っておりますが・・・。」
これまでにアナベラが受けた招待も多くはそれに関する話だったために意外では無かったが、隣にセイランスがいるとあって少し口を濁す。
彼らの言う人材派遣とは大概の場合が、娼婦の派遣であったためだ。
無論彼らが利用する所謂高級娼館は貴族街に設けられているのだが、そこで行われる性行為は良くも悪くも一般的なものでしかなく、特殊な性癖を満たすことはできなかった。
そして欲望を抑えきれない者たちは密かにアナベラへと接触を図るのだが、アルドス準男爵は首を横に振って否定する。
「いや、こちらが求めているのは屋敷で働く人材だ。」
「屋敷・・・でございますか。」
アナベラは一見すると好案件に思えるそれに、慎重に尋ね返す。
なにせ彼女が派遣できる人材は貧民街で暮らす者たちだ。
仮にその能力があったとしても、そのような者を雇えばアルドス準男爵の評判を大きく落とすことは間違いない。
「そう警戒することはない、アナベラ殿も我が家の状況は知っているだろう。人件費が安く済むに越したことはない。それにアルベルト様も元は平民だったのだ。それとも人材がいないのか?」
「いえ、そういった者もおります。」
コンラートのような者たちでさえいたのだ、屋敷で働けるだけの礼儀や技術を身に着けている者も存在はしている。
むしろ上流階級にいた者たちが没落した場合、一般的な平民に踏み止まることができずに一気に最下層まで落ちてしまうことも珍しくない。
アナベラはしばらく考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「いずれにせよ容易に決められる案件ではなさそうですね。一旦こちらの方で検討して、後日ご連絡差し上げる形でよろしいでしょうか。」
「あぁ、勿論だ。良い返事を期待している。」
その言葉を聞いて、アナベラはとりあえず話が纏まったことに安堵する。
時期が時期とあって、彼女はアルドス準男爵から招待を受けたことに対していくらか警戒をしていたのだ。
馬車に乗る時点でセイランスを拒まれたにも関わらず無理に彼を止めようとしなかったのもそのためであった。
むしろそのことで更に警戒心を強めたのだが、結果的には杞憂であったらしい。
だが席を立とうとしたアナベラを、アルドス準男爵は手で制した。
「まぁ、待て。せっかく来たのだ。そう急ぐこともあるまい。」
「ぜひそうしたいのですが、この後も予定があるものですから。」
アナベラはそう言ってやんわりと断りを入れるが、彼はまるで話を聞いていないかのようにゆっくりと机の上のカップを手に取り、紅茶を口に含んだ。
そして静かに、語り出す。
「我が家は確かに経済的に優れてはいないし、初代を除けば皆凡庸な結果しか残していない。だが、今でもまだこうして貴族の一員として存在している。では、貴族にとって最も大事なこととは何だと思うかね?」
まるで独り言のように呟かれたそれにアナベラが返事をすることはなかったが、別段答えを期待していたわけではないのかそのまま語り続ける。
「私は、誇りだと思っている。無論何を誇りにするかは個々によって異なるだろうが、それ無くして貴族足り得ぬ。だが・・・家の存続も同じ位に大事なものだと思うのだよ。何しろ家の存続無しに誇りは意味を持たない。」
彼はそこで言葉を区切って再び紅茶を口に含み、そして最後まで飲み干すとカップを高く上げた。
「もしもこのどちらかを選ばなければならなかったなら、それは不幸なことだろう。だが、そうはならなかったようだ。アナベラ殿、そなたの立場は逆賊に等しいものだと私は思うが、だからといって陥れることは誇りが邪魔をする。この場で非難されるような言動も行ってはいない。」
「・・・」
無言で推移を見守るアナベラへと視線を向けた後、アルドス準男爵はその隣で足を組んで寛ぐ少年を見た。
「しかし、隣にいる者はどうだろうな。私が招待を拒んだにも関わらず今も尚ここにいる時点で不法侵入罪であり、私に出会ってから一向に改善せぬ行動は侮辱罪に該当するだろう。そして彼を連れてきたのはそなただ、ならばその責任を負わなければならない。」
「だから私は失礼させて頂くと申しましたし、アルドス準男爵は良いと仰ったではありませんか。」
「はて、そうだったかね。」
そう、これは正しい行いであり、この場で騎士を呼ぶのは当然ともいえる権利であり義務だ。
そしてこの後彼らがどうなるのかは知るところではないし、騎士を引退した今介入すべきことでもない。
アルドス準男爵がカップを勢いよく床へと叩きつけると大きな音が響き渡り、やがて複数の足音と共に屋敷の使用人たちがやって来た。
「いかがなされましたか!?」
「騎士団へと連絡しろ。彼らは罪人だ。」