110.彼は答える。
どうやらこの世界では少年期特有の病がまだ発見されていないようだったが、コンラートさん達に分かってもらえて何よりだ。
前世で羅患していた者として裏の支配者が格好いいという気持ちは分かるのだが、やはりおじさんが年下の女性に責任を押し付けてはいけないだろう。
最終的にアナベルお姉ちゃんの立場を守ることができ、セザールの対処を任せて灰蛇に専念できるようにもなったため、この場でのお仕事の出来としては上々であると思うのだ。
そんな達成感に包まれている俺を何故か引き止めたのがカルメラさんであり、彼女との楽しいお喋りに臨んでみればセイレンと同郷かと尋ねられる。
ここで返すべき答えは一つしかない。
「はい、セイレンの息子のセイランスです。改めてよろしくお願いします。」
「あらあら、即答されるとさすがに私も戸惑うわねぇ。そこは否定か、疑問が返ってくると思っていたのだけれど。」
彼女はそう言って頬に手を当てるのだが、幼気な少年の純真さとはこういうものなのだ。
それに昔父がお世話になった相手に挨拶するというのは基本であり、そこを蔑ろにしてはいけない。
真面目な話をするならばセイレンと深い関係にあった人物が尋ねてくる以上は何か根拠があるのだろうし、勿体ぶった所で仕方がないだろう。
カルメラさんは、少し困ったように口を開いた。
「一応言っておくけれど、セイレン様の素性は謎とされているし、彼と関係があるというのは厄介事の種になるかもしれないわ。」
「そういう種にはセイレンに関係なく思い当たる節がありますから。さすがに喧伝するつもりはないですが、カルメラさんのようにセイレンと親しい人物に尋ねられて否定する程でもありません。」
実際幻人という立場、お姉さんの魂システム、ダルク様との関係性、既に様々なものを抱えているのだからこれにセイレンのことが加わったところで何だというのだろうか。
むしろダルク様の存在感のせいでセイレンの影が薄いくらいだ。
俺の返事を聞くと、カルメラさんは本当に楽しそうに笑った。
「あらあら、セイレン様がまるで小物扱いだわ。今ちょうど彼に関わる事件に巻き込まれているのにねぇ。そういう大胆なところも少し似ているのかしら?」
「他にも似ているところがあるんでしょうか。」
「そうねぇ。その淡い髪の色も、揺れない耳も、曇天のときのような瞳の色も、その瞳が怒ったときに少し濃くなるところもそっくりよ。」
そう言ってカルメラさんは微笑む。
確かに昔母から面影があると言われたことはあるのだが、それは彼女が俺の母親だからだと思っていた。
いや、実際この街に来てからそれを指摘されたことなどなかったし、ここまで具体的な指摘など滅多にされない気がするのだ。
「あの、誰が見ても明らかにセイレンに似ているというわけじゃないんですよね。」
「そうねぇ、さすがに関わりの薄い方たちが見ても分からないと思うわ。ただ、私はセイレン様と体にある黒子の位置まで互いに知っている関係だったから。」
彼女が何を言っているのかよく理解できないが、セイレンをひと目見たことがある者なら誰でも分かるわけではなく、相応に親しい関係になってようやく分かる程度らしい。
「それと俺が同郷どころか息子だと言っても驚きませんでしたね。」
「不思議なものだけれど、愛している方の血を引いているかどうかくらいひと目見れば分かるものよ。セイレン様は、子どもがいないと言っていたけれど何か事情があるのかしら。」
「あぁ、母さんが妊娠していると分かる前には既にセイレンと別れていましたし、俺の存在を知らないと思います。」
「あらあら、そういうことなのねぇ。あの方は随分と性に奔放だから、子どもが一人もいないのを不思議には思っていたのだけれど。もっとも、私ではどのみち無理な話ねぇ。」
普人と獣人では子をなすことができない、カルメラさんはそのことを言っているのだろう。
それを踏まえると、自分ではない誰かが産んだセイレンの子というのは、彼女にとって複雑な人物ではないのだろうか。
俺の考えていることを察したのか、彼女は微笑みながら口を開く。
「確かにあの方の子を誰かが産んだというのは少し複雑だけれど、その子とこうして出会うのは悪くないものよ。ましてその子がアナベラの力になってくれているのだから。もっとも、セイレン様とは随分性格が違うようだけれど。」
「さすがに王宮に殴り込みにいく訳の分からない人物と一緒にされても困ります。」
「あらあら、それはそうかもしれないわねぇ。けれど、セイランスさんも大概だと思うわ。先程はああ言ったけれど、コンラートさん達はこの10年間スラムを治め続けただけあってとても恐ろしいの。もしかしたら明日死体になっているかもしれないわねぇ。」
「確かにそれはまずいですね。逆上はあの病の末期症状なので、年齢も考えると致命的です。」
指摘を受けて恥ずかしそうな反応をするならばまだ初期から中期の症状なのだが、逆上し出した場合かなり症状が進んでいると判断できる。
それでも若い頃ならばまだ可能性はあるのだが、彼らの年齢を踏まえるともはや手が付けられない状態といえるだろう。
「問題はそちらじゃないと思うのだけれど、やっぱりセイレン様とは違うのねぇ。けれど、彼との約束を果たせそうだわ。」
「約束ですか?」
「えぇ、何となく想像がつくと思うけれど、同郷の方を見かけたら知らせてほしいと頼まれているの。期待はしていなかったみたいだから、驚くんじゃないかしら。」
なるほど、確かに自分の知らない息子が突然養育費と慰謝料を請求してきたら驚くだろう。
「セイレン様には私から伝えておくけれど、あなた自身のことも一通り伝えてしまって構わないのかしら?」
「はい、大丈夫です。ですが連絡手段があるなら俺の方から手紙でも書きますよ。」
セイレンも母やセイルさんの様子を知りたいだろうし、自分の恋人から違う女性との子どもがいると聞かされるのは気まずいものがあるだろう。
彼女は俺の提案を聞くとしばらく考えていたのだが、やがて手をポンと叩いた。
何かを思いついたらしいのだが、何だか突拍子もないことをしようとしている気がするのだ。
「よかったら、セイレン様と直接喋ればいいんじゃないかしら。実は彼から通信用の魔道具をもらっているの。とても高価なものだから滅多に使わないけれど、私もたまにお話しているのよ。」
「・・・確かハーピー族の音魔法を利用したものですよね。ところで皆さんの様子だとセイレンとは10年前に交流を持ったきりみたいなんですが、気のせいでしょうか。」
「あらあら、それは私とセイレン様の仲だもの。戦友は二度と交わることがなくても繋がっていられるけど、恋人はそれじゃあ寂しいものよ。」
つまりセイレンはカルメラさんに渡しただけだし、彼女はそのことを誰にも告げず自分だけが利用しているということらしい。
なるほど、モテる男は筆まめというのは本当の話のようだ。
確かに手紙よりも話をした方が伝わるため、それでは話す内容を纏めてから後日お願いしようかと考えていると、何故か彼女は箱型の魔道具を取り出して起動させようとしていた。
「あの、何をしているんでしょうか。」
「何って、魔道具を起動しているのよ。想いというのはあれこれ考えるより、不器用ながらも素直に伝えるのが一番だもの。」
「いやいや、それは恋愛の話ですよね?俺がするのはどちらかというと報告なので、むしろあれこれ考えた方がいいと思うんです。というか、分かってやっていませんか?」
鼻唄まで歌っている様子からして、おそらく俺を理由にしてセイレンとの会話を楽しむつもりなのではないだろうか。
魔道具はあくまでカルメラさんのものであるため無理やり止めることもできずにいると、魔道具が点滅し始めた。
「これでセイレン様が持っているものに繋がるはずよ。」
彼女がそう言った数秒後に、魔道具から声が聞こえてくる。
『確かこの魔道具はあれの3番目の女からだった気がするのう。』
その声は男のものにしては高く、俺がイメージしていたものとは随分と異なっていた。
「あらあら、分かってはいるけれど実際に言われると思うところが出て来るわねぇ。あなたが何番目の女性か知らないけれど、セイレン様はいるかしら?」
『まぁ、待て。妾をそういった関係性に当てはめるでない。セイレンは今留守にしておる。急を要する話ならば妾が聞こう。あれと話がしたいだけならばまたかけ直すがよい。』
カルメラさんの少し温度の低い質問に対して、魔道具からはまるで相手にしていないような返事がくる。
おそらく数多くいるであろうセイレンの女性たちへの対応に慣れてしまっているに違いない。
「あらあら、それじゃあ残念だけれどセイレン様への伝言だけお願いするわ。同郷の方を見つけたから、連絡して欲しいと伝えてもらえるかしら?」
『なんと、あれの同族が現れおったか。ふむ、あれが戻ってくるのは大分先になるからのう。そうじゃ、ならば妾がそちらに行って確認ついでに会おうではないか。変に喜ばせることもないし、時間が経つ間にいなくなっている問題も回避できよう。そうと決まれば今から向かうでな。なに、グレラントという国とは大分離れておるが妾は馬などより遥かに早く駆ける。その間あれの同族から目を離さぬようにな。』
声の主は一方的にそう告げると通信を遮断してしまった。
「・・・カルメラさん、この状況についてどう思いますか?」
「そうねぇ。セイレン様の周りには人が大勢いて、今までにも誰かが出て取り次ぐということはあったし、今回は人の話を聞かない方に当ってしまったみたいだわ。セイランスさんも大変ねぇ。」
「その状況を作り出した張本人が言わないでください。」
時間をもらって手紙を書こうとしたら、いつの間にかセイレンの仲間がやってくることになっていたというのは全くもって意味が分からないのだ。
まだ灰蛇との決着が付く目処も立っていないし、解決したらゆっくりと王都を見て回りたいと思っていたのだが実現するのだろうか。
カルメラさんが魔道具を片付けるのを眺めながらあれこれと考えていると、彼女は片付け終わったあとに何故か窓へと近づいていく。
別段この部屋の気温には問題がなく、既に前例があるため嫌な予感がして彼女へと再び尋ねてみた。
「あの、何をしているんでしょうか。」
「何ってあの子を呼ぶだけよ。モニカ、いらっしゃい!」
「なるほど。それで、どうしてここでモニカさんが呼ばれるんでしょうか。」
つい先程までセイレンに関わる話をしていたはずであり、その話が継続されるかこの場がお開きになることはあったとしても、モニカが呼ばれる理由が思いつかないのだ。
「それはセイランスさんにとって大変な状況にはまだ続きがあるからよ。実はセイレン様の件とは別のお話があるの。」
「あの、まるで大変な状況がどこからかやってきているみたいに言わないでください。今まさにカルメラさんが生み出そうとしているだけですからね?」
「そうはいっても私自身は何の力もないただの女だから、利用できそうな方はちゃんと利用するくらいの心構えは最低限必要だと思うの。セイランスさんは本当に嫌なことは否定するけれど、その半面でそれ以外のことについては寛容な性格をしているみたいだから。」
そう言って、カルメラさんは微笑む。
確かにその心構えは大事だと思うのだが、本人を目の前にして堂々と告げるのはどうかと思うのだ。
いや、おそらくそれを含めて問題ないと判断しているのだろうし、実際当たっているのだから始末に負えない。
やはり鴨ねぎの運命からは逃れられないのだろうかと悩んでいると、モニカがやって来たのか廊下を走る音がする。
その音は部屋の前で止まり、想像通りに扉を開けて彼女が入ってきた。
「カルメラお母さん、どうしたの。もしかして私が籠絡したセイランスが何か粗相でもしたの?」
「あらあら、そうじゃないわ。けれど、コンラートさん達をやり込めた彼を下しているだなんて、モニカは有望ね。とても偉いわよ。」
「カルメラお母さんに褒められた。さすが苦労して籠絡しただけはある。セイランス、よくやった。」
お菓子を食べるのがどれだけ大変だったのかはよく分からないが、只の鴨ではなく飼われている鴨だということを俺は忘れていたらしい。
大人しく背伸びした彼女に頭を撫でられていると、カルメラさんは話を続けた。
「モニカに籠絡されたセイランスさんには、しばらく彼女と一緒にいて面倒を見てあげてほしいの。街にいる間だけでも構わないし、それより短くてもいいわ。」
「あの、どうしてそういう話になるんでしょうか。」
「壁を超えている方の側にいるのはとてもいい経験になるもの。ましてセイレン様の血を引いているのだから、この機会を逃すのはもったいないわねぇ。モニカを選んだのは仲が良いみたいだったから。」
彼女の言葉を聞いて、そういえば先程もアナベルお姉ちゃんがそのように紹介していたことを思い出す。
思い当たる節はあるものの、おそらく違う気がするのだ。
「確かにここ最近ギルドやアナベラさんの拠点の壁を登って中に侵入しましたが、そういう意味じゃないんですよね?さすがにそんな侵入の仕方をモニカさんが覚えるのはよくないと思います。」
「あらあら、そんなことをしていたのねぇ。もちろん物理的なことじゃないわ。一つ質問なのだけれど、セイランスさんは1人の戦士と50人の戦士が戦ったら、どちらが勝つと思うかしら?」
「そうですね、戦う人によるんじゃないでしょうか。場合によっては1人が勝つこともあるでしょう。」
「あら、そうなの。それで、セイランスさんは1人の戦士と50人の戦士が戦ったら、どちらが勝つと思うかしら?」
一瞬時間の狭間に落ちて無限ループに嵌ったのかと思ったのだが、謎の空気が漂っていることからしてきっと返事がいけなかったのだろう。
「・・・50人の戦士が勝つに決まっているじゃありませんか。」
「そう思うわよねぇ。それが普通の発想だし、子供でも分かることだわ。けれど、世の中にはたった1人で勝ってしまう方たちが確かに存在しているの。さすがに昔話の魔王までとは言わないけれど、量を質で覆す領域に達した方を私達は壁を超えていると呼んでいるわ。」
「そういえば冒険者にも壁がいくつかあるそうですが、それとはまた別の話ということですね。」
俺はこちら側の人たちが踏む過程をすっ飛ばしてアルセムの大魔窟に挑み、そしてダルク様に出会っているため今ひとつよく分からないが、壁がいくつもあってそれらを乗り越えながら強くなっていくようだ。
カルメラさんの話を纏めると、セイレンの血縁者であり壁を超えているらしい俺の側にモニカを置くことで、経験を積ませたいということだろうか。
「カルメラお母さんがそうしろというなら、セイランスに付き合ってあげてもいい。」
訂正しよう、彼女の側に置いて頂くということでいいのだろうか。
「本人もこう言っていることだし、どうかしら?」
「別に一緒に居させて頂くこと自体はいいんですが、ひとつ疑問があります。ここに来ていきなり襲われたのにも驚きましたが、そうまでして子どもたちを鍛える必要はあるんでしょうか。」
「えぇ、もちろんよ。だって、弱ければ何もできないもの。弱ければ自分の意思を通すこともできず、自分さえも奪われて、そして死んでいくの。」
彼女はどこか遠くを見ながら、語る。
「セイレン様が来る前のここは本当に酷かったわ。昨日お世話をした老人が翌日路地裏で殴り殺されているのだもの。それがたった10年前の話で、今の少し落ち着いたスラムはまだ仮初の姿ねぇ。いつあの頃に戻るか分からない以上、子供に力をつけさせたいと思うのは当然ではないかしら。別に将来花屋やパン屋になりたいならそれでいいの。けれど私はこの子達がそうなる前に殺されてほしくはないわ。それに、この中からアナベラを助ける者や、後を継ぐ者が出て来るかもしれないものねぇ。」
カルメラさんの話を聞いて一つ分かったのは、彼女たちの脳にはまだ昔の荒れたスラムの姿が鮮明に焼き付いているということだ。
上に立つアナベルお姉ちゃんが強く揺るがないことを執拗に求めるのは昔に戻らないため、子ども達を鍛えるのは戻ってしまったときに生きていけるように、そして彼らの中からアナベルお姉ちゃんの助けとなる者が現れることを願っているため。
それはもしかしたら、部外者には共感することができない彼女たちの事情なのかもしれない。
「アナベラとモニカをお願いするわね、セイランスさん。彼女たちはセイレン様を直接見たことがないし、アナベラさえも壁を超えているとはどういうことなのか本当の意味では分かっていないだろうから。それを知れば、もっと先へ進めるはずだわ。」
「あの、何度も言いますが俺はセイレンみたいに派手なことなんて何もしないですし、至って平凡ですよ。」
「あらあら、大丈夫だわ。会った時にも言ったけれど、とても密度の濃い気配をしているものねぇ。セイランスさんが気性の荒い方だったら、近付きたいとも思わないくらい。どうかそのままでいてくれることを願っているわ。」
そう言って微笑むカルメラさんを横目に、俺は一体どこからそんな気配が漂っているのかと自分の身体を確かめるのだった。