108.彼は背景を知る。
「いや、平和が第一の安全安心な獣人なのでどうぞお気遣いなくお願いします。歩くヘルメットといっても過言ではないかもしれません。」
俺がそう返事をすると、カルメラさんは『あらやだ、私ったら』と呟きながら頬に手を当てる。
「日常的に命のやり取りをする方の気配がしたものだから。」
「命のやり取りですか?動物や魔物となら否定しませんが、間違っても人の血を見るのが大好きな類じゃないです。」
「あらそうなの、危険な方じゃなくて良かったわ。もし望むようなら、コンラートさんをお呼びしようと思っていたの。とても密度の濃い気配だから、場数を踏んでいらっしゃるのね。」
コンラートさんが誰かは知らないが危険なのはあなたの発言です、という言葉を飲み込んで俺は顔に笑顔を浮かべる。
冒険者のアイドル、未来のゼファシール教の広告塔たるもの愛想笑いの一つくらいこなせる必要もあるだろう。
何が楽しいのか分からないが、お互いに笑顔をニコニコと浮かべて黙る謎の光景を崩したのはアナベルお姉ちゃんだった。
「そろそろ互いの紹介をしてもいいかねぇ。セイランス、彼女が前任者のカルメラだ。今はここの管理をしている。さっきの発言もそうだが、経験からか暴力の気配にかなり敏感だ。特殊なスキルや戦闘力があるわけじゃないが、ある意味スラムにおいて重要な能力を持っているともいえるねぇ。」
「俺はそうじゃありませんが、確かに相手の危険を察知できるというのは大事なことだと思います。はじめまして、冒険者のセイランスです。最近は依頼でアナベラさんに同行しています。」
「カルメラさん、こっちが現在私の護衛をしてもらっているセイランスだ。最初はバジルたちの催促に折れて雇ったんだが、かなり優秀だねぇ。まだまともに戦っているところは見ていないが、おそらく壁を超えている。」
「あら、その年で。それは素敵なことねぇ。よろしくお願いしますね、セイランスさん。」
アナベルお姉ちゃんがそう紹介すると、カルメラさんは一層笑みを浮かべて挨拶をした。
その雰囲気はやはりとても穏やかなもので、場所と発言内容さえ忘れれば貴門側の一角で淑女に話しかけられているかのようだ。
「けれどアナベラ、どんな事情があるにせよ護衛を必要とするなんていけないわ。頂点に立つものは他の追随を許さない程に強いことで安定が得られるのだもの。」
「分かっているさ、ただ今回はまた少し事情が複雑なんだ。」
「あらそうなのね、とりあえず中でお話しましょうか。セイランスさん、あなたもどうぞいらっしゃって?」
「いや、俺はここでモニカさんとのんびりしているので大丈夫です。積もる話があるみたいですし、どうぞ歓談してきてください。」
カルメラさんからベルナディータさん以上に厄介な気配を感じた俺は謹んで辞退しようとするのだが、彼女は俺の返事を聞くとアナベルお姉ちゃんの方を向いた。
「あらあら、うちの子と仲良くして頂いて嬉しいわ。けれどセイランスさんも当事者のようだし、私ももう少しお話してみたいの。ねぇ、アナベラ。あなたからもお願いしてくれないかしら。まさか護衛に雇った冒険者一人御せていないなんてことはないわよね?もしそうなら、私もあなたをその座から引きずり降ろさなきゃいけなくなってしまうわ。」
「セイランス、悪いが来てもらえないかねぇ。」
「・・・喜んで伺わせて頂きます。」
アナベルお姉ちゃんの地位を守るために護衛をしているのに、俺が原因でその地位を追われるなどという事態に発展させるわけにもいかず、俺は前言撤回して肯定の返事をする。
最後に純粋無垢な子供に引き止めてもらえないかとモニカへ視線を向けると、彼女は俺の意思を汲み取ってくれたのか目をあわせて深く頷いてくれた。
どうやら、この短い間に心を通わせることができたようだ。
「お菓子は置いていって大丈夫だから心配しないで、セイランス。いってらっしゃい。」
「はい、いってきます。」
心を通わせるとはやはりとても難しいことなのだと知った俺は、その第一歩としてお菓子をさらに追加してアナベルお姉ちゃんについていくのだった。
去り際にグッドサインを送ってくれたため、とりあえず第一歩には成功したらしい。
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「二人ともどうぞ腰掛けて?」
数ある施設の中にあった一軒家はカルメラさんの私邸のようで、俺たちはそこに案内された。
彼女の家の中は全体を通して殺風景で、ここに来るまでの間には家具を含めてほとんど物が置かれていなかった。
だが、案内されたこの部屋だけは中央に大きな円卓が置いてあり、俺はアナベルお姉ちゃんの隣へと腰掛ける。
「ごめんなさいね。普段はここを使わないから、物をほとんど置いていないの。私は大勢で過ごしている方が慣れているから、自宅だと寂しくなっちゃうわ。」
「そうなんですね。何というか、かつてスラムを纏めていた人物としてはだいぶ質素な生活をしていますよね。以前デルムで孤児院に訪れたことがあるのですが、そこの大規模版といった気がしました。」
「あら、それじゃあここはさしずめ、全年齢対象の孤児院といったところかしら。確かに私はそういう地位にいたけれど、今のアナベラみたいにそれらしい何かをしたわけではないのよ。私は今も昔も、こうして誰かの面倒を見ているだけだもの。」
カルメラさんのその言葉を聞いて、アナベルお姉ちゃんへと確認の視線を送ると彼女は頷いた。
「間違ってはいないねぇ。カルメラさんは頂点にいたけれど、スラムの支配者と聞いて想像されるようなことはほとんどしていない。」
「言っていることがよく分からないです。それならどうやって纏めていたんでしょうか。そもそも前から密かに疑問だったんですが、セイレンが助けて一旦平定したのだとしても、普通ならそのあとにまた荒れちゃうと思います。」
そう、セイレンが無茶をやって抗争で荒れていたスラムを平定しカルメラさんに後を託したというのはいいとしても、その張本人がいなくなってしまったら普通元に戻ると思うのだ。
まして話を聞く限りカルメラさんは何の戦闘力も持たないし、纏めるための積極的な行動も取っていなかったというのだから。
俺の疑問はもっともだと思ったのか、アナベルお姉ちゃんは一つ頷いてから説明をしてくれた。
「さっきも言ったが、セイレンが助力した時には他に加勢した者たちがいたのさ。セイレンが去った後も彼らが実質的にスラムを治めているねぇ。そして、彼ら自身がカルメラさんを上に置いているから、カルメラさんが頂点だったというわけだ。」
「それじゃあ、カルメラさんは何の権力も持たない名前だけの支配者だったってことでしょうか。」
「いや、彼らはカルメラさんの意思や意見を尊重しているし、何か要請すれば動いてくれるさ。むしろカルメラさんがいるからこそ協力し合っているねぇ。」
「あの、ややこしいのでそろそろズバッとお願いします。」
「彼らはそれぞれ何かの事情で落ちぶれたか、あるいは人生に絶望してスラムに堕ちてきたんだよ。そしてそのまま死んでいくか、死んだも同然の人生を送るところをカルメラさんに拾われて、甲斐甲斐しく世話をされたってわけだ。だから彼らは朽ちていくはずだった自分を救ってくれたカルメラさんに恩義を感じているねぇ。」
そこまで話を聞いて、俺はようやく理解できた。
つまりカルメラさんはいわゆる人脈によってスラムを纏め、そして支配をしていたということではないだろうか。
彼女が助けてきた者たちの中に、セイレンに助力し分割してスラムを治められるだけの力と器を持った者たちがいたのだ。
そして彼らはセイレンがいなくなった後も、カルメラさんならば自分たちの上に立つ者として相応しいと判断し、彼女はスラムの支配者となった。
「さながら小さな建国記のようですね。カルメラさんという王様のもとに臣下たちが集い、外からやってきた英雄と共に統一する。そして英雄が去った後も臣下たちは王様のもとで国を治め、王様は後継者を育成してその座を譲った。」
「何とも絶妙な例えだねぇ。そして、その後継者は臣下たちに認められていないわけだ。」
「アナベラさん?」
急に声のトーンが下がったアナベルお姉ちゃんを見ると、彼女はカルメラさんに会いに行くといった時と同じ複雑な表情をしていた。
そして彼女は、俺に尋ねる。
「セイランス、私と共にこれまで行動をしてきておかしいと思ったことはないかい?」
「ありますよ。けれど、この場で言っても大丈夫なんでしょうか。」
「・・・一体何を思い浮かべているのかねぇ。」
それはもちろん、恵まれない若い獣人たちを路地裏に連れ込んで獣耳を撫でた後に寄付をする特殊な慈善事業についてだ。
ついでに、幼気な獣人を護衛に雇って毎日膝枕しながら獣耳を撫でていることにも触れた方がいいのだろうか。
とはいえ、どうやら真面目な雰囲気のため、ちゃんとした返事もしておくことにした。
「それ以外だと、少し言いにくいですがスラムの支配者にしてはアナベラさん自身の戦闘力以外の水準が低いことでしょうか。最初に侵入したときもそうですし、情報収集力もそうですし、毒についてもそうと言えるかもしれません。」
いくらセンサーカメレオンのマントを使っていたとはいえ、警戒態勢の中アナベルお姉ちゃん以外は誰も気付くことなく見当違いな方向に攻撃をし、いくら灰蛇が帝国で名を馳せていたとはいえ自分たちの庭で尻尾すら掴めずゼファシール教に任せてしまったのがいい例だろう。
つまり、平常時ならばともかく命が狙われている状況にしては周囲が頼りなさ過ぎるのだ。
「やはり分かるんだねぇ。彼ら幹部たちはあくまでカルメラさんに忠誠を誓っているんだよ。無論そのカルメラさんが後継者に指名した私を排除しようとはしないが、こちらの指示で動かすことはできない。」
「・・・先程の例えでいえば、王様の座は譲り受けたけれど臣下たちを掌握できていないんですね。」
「そういうことだ。今私の手元にいるのは幹部たちが派遣してきた下っ端と、私が金で雇った者達がほとんどで側近や実力者は一部しかいないねぇ。」
そういうことならばアナベルお姉ちゃん以外の水準が低いことにも納得だ。
そしてそういう状況にも関わらず彼女は一人で歩き回るとなれば、それはバジルさんも必死に護衛をつけようとするだろう。
いや、彼女からすれば、そのような中で自分の武力だけがスラムの支配者に相応しいと認められているものであり、その武力さえも否定はされたくなかったのかもしれない。
俺とアナベルお姉ちゃんの会話が一段落つくと、それまで黙ってニコニコと話を聞いていたカルメラさんが口を開く。
「あらあら、アナベラったら一つ付け忘れているわ。今日私のところで開きたいと申し込まれた幹部たちの集まりも、あなた自身には直接知らされていないのでしょう?」
「この円卓はそうことなんですね。アナベラさん、もしかしてその情報を掴んでいました?」
俺がそう尋ねると、彼女は頷いた。
「不確かな情報だったから確証はなかったけどねぇ。おそらく私の立場に関わることだろう。」
「そうね。私は少し事情が違ったけれど、上に立つ者が弱ければこのスラムでは容易にその体制が崩れてしまうもの。今回あなたは灰蛇という組織から狙われて、危うくなっているみたいね?あなたの力を不安に思った彼らが、支配者の座に置いておくべきかを話に来るのだと思うわ。」
どうやら説明するまでもなくアナベルお姉ちゃんの状況は知られているようだ。
最初は軽い気持ちでカルメラさんに会いに行くという彼女についてきたのだが、いつの間にかホラー体験をし、今度はスラムの支配者を巡る重たい話に関わろうとしているらしい。
アナベルお姉ちゃんは俺の方を向くと、少し申し訳なさそうに告げた。
「ある程度は想像がついていたんだが、こうも見事に嬉しくない的中をするとは思っていなかったねぇ。事情を説明するのが遅れて悪かったよ。場合によっては依頼打ち切りもあるかもしれないが、どこかで待っていてもらってもいいかい?」
「そう言われても俺は護衛ですから。何ができるかわかりませんが、とりあえず側にいますよ。」
「いや、この場にくる連中は灰蛇に簡単に手玉に取られはしないし、私の師であるコンラートさんもいる。万が一襲撃を受けても問題はないだろう。」
彼女はそう返事をするのだが、残念ながらそちらではないのだ。
「俺はアナベルお姉ちゃんの命と立場を守るために依頼を受けましたから。相手が灰蛇やセザールじゃないからといって、職務放棄はできません。カルメラさん、俺が同席しても構わないでしょうか。」
「えぇ、もちろんよ。駄目なら最初からこの部屋に招待していないもの。それに、私にはセイレン様がいたのだから、アナベラにだってそういう方がいてもいいはずよ。セイレン様は私を助けてくれたけれど、セイランスさんはアナベラを助けられるのかしら。」
そう言って、カルメラさんはこれまでと全く変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。
『スラム平定記~そして私は支配者となる~』
グレラント王国の王都にあるスラム街、そこは貧困した人々で溢れ、日々犯罪や抗争によって弱き者たちの命が失われていく。
スラム街の一角で苦しむ人々を懸命に救う女性カルメラは、ある日一人の青年と出会う。
「――――思ったよりもこちら側はつまらないね。そこの君、この景色は毎日見ていて嫌にならないかい?この景色を変えてみたくはないかい?そうだな・・・俺の女になるならこのスラムを君にあげよう。」
その出会いはやがて、王宮さえも巻き込み荒れたスラムを変えていく。
これは人々を救おうとする力を持たない女性カルメラと、世界に失望する力ある青年セイレンが、仲間と共にスラムに巣食う悪を殲滅し、騎士団を蹴散らし、そして王宮にさえ殴り込んでいく破茶目茶な物語。
「貴様っ!ここがどなたのおわす所か分かっているのか!?」
「王というやつだろう?だがあいにくと俺は集落長より偉い立場を知らないんだ。それで、その王というのはうちの頑固親父より偉いのかい?」
二人を題材にしたら、こんなあらすじの小説になるのでしょうか。