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異世界で生きよう。  作者: 579
5.彼はこうして王都で動く。
122/159

106.彼は社会見学をする。

―コツン、コツン、コツン


 アナベルお姉ちゃんが机を人差し指で叩く音が部屋に静かに響き渡り、彼女の前に座っている少し髪の毛の薄くなった男性は顔を青くさせている。


 俺たちが今いるのは王都にある製糸工場の一室であり、顔を青くさせているのはそこの工場長だ。

 アナベルお姉ちゃんの後ろにバジルさんと並び立って成り行きを見守っていると、彼女は指を止めて静かに告げた。


「黙っていちゃ分からないだろう。私はただ、ことの成り行きを尋ねているだけなんだけどねぇ。聞いた話じゃ、こっちが提供した女たちを脅して暴行を働いていたそうじゃないか。私らとお前で契約を結んだ時、そんな内容は含まれていたのかねぇ。」


 そう言うと、一枚の紙を取り出して机の上へと乗せる。


 ここに来る前にアナベルお姉ちゃんから聞いた話によると、彼女は事業の一つとしてスラムの住民を対象とした職業紹介を行っているらしい。

 本来であればスラムの住民を積極的に雇おうとする経営者はいないが、安価な労働力として提供することにより一般的な労働者との差別化を図っている。


 さらに、彼女は紹介した労働者達から毎月給料の一部を保険料として受け取ることで、立場の弱い彼らの後ろ盾にもなっていた。

 安い給料からさらにその一部を失うとなると厳しいのは間違いないが、かといって後ろ盾がなければ不当な解雇やトラブルに対処することはできないようだ。

 

「私は知らんぞ。その女たちが嘘を付いているのではないか。全く、いくら安く雇えるとはいえスラムの人間を雇ったこちらが間違いだったか。」


 そして今回はまさにそのトラブルが起きたケースであり、立場を盾に女性たちが暴行されたというわけだ。


「なるほどねぇ。お前はやっていないと言うわけか。」

「当然だ!言いがかりも大概にしてもらいたい。こちらは慈善事業として雇ってやっているんだ。それにも関わらず恩を仇で返すとはとんでもないな。」

「ふむ、分かった。お前の言い分が正しいならばあいつらにはそれ相応の報いを受けさせるし、私も詫びるとしよう。」


 アナベルお姉ちゃんがそう返事をすると、工場長は当然だとばかりに鼻を鳴らす。

 一方で、彼女はその顔に静かな笑みを浮かべたままさらに話を続ける。


「だが、お前が間違っていた場合は覚悟が出来ているんだろうねぇ。契約違反をした挙句にこの私に嘘を吐いたんだ。お前だけじゃない、お前の家族も不幸になる。確か綺麗な嫁と可愛い息子がいるんだったかねぇ、バジル?」

「えぇ、仰る通りで。一回り違うご婦人と今年3つになる坊っちゃんがいらっしゃる。ちぃと見てきましたが、あれなら十分客も取れるでしょう。」

「お、脅す気か!?」

「脅すなんてとんでもない。こっちは旦那がいなくなった後もご婦人たちが生活できるように考えて差し上げているだけでしょう。ただ、アカギレのない綺麗な手をしたご婦人だ。坊っちゃんが成長するまで持つといいんですがねぇ。それに今はいいが年を取ればどうしても待遇が悪くなっちまう。最後の方は文字通り身体がボロボロでしょう。」


 二人のえげつない会話に、先程の威勢はどこへやら彼はすっかり顔を青白くさせていた。


 普段は獣耳を愛でて喜ぶアナベルお姉ちゃんと落ち着いた様子のバジルさんだが、こういう場面を見るとやはりゾッとするところがある。

 しばらく沈黙が流れた後、彼女は先程よりも穏やかな声で語りかけた。


「私だって出来ることなら穏便に片付けたいんだ。今ならまだ前言撤回を認めよう。どうするんだい?」

「・・・暴行を働いたことを認める。」

「分かった。それじゃあ、落とし前をつけてもらおうかねぇ。」


 あくまで最悪の事態を回避したに過ぎない彼は、アナベルお姉ちゃんの言葉を聞くと頬を引きつらせるのだった。


●●●●●


「社会の闇を垣間見た気がしますね。幼気な俺には負担が大きいようです。」


 昼食を取るために訪れた店の椅子に腰掛けた俺は、溜まっていた疲れのままに身体をぐったりとさせる。

 

 「娘と嫁、どっちの泣き声を聞きたい?」「指一本なくせば素直に話せるようになるのかねぇ」「騎士団が一生守ってくれるわけじゃないんだ。いなくなった後は分かっているんだろうね。」

 午前中に数件を訪れ、そこで毎回アナベルお姉ちゃんとバジルさんの物騒な会話を聞いていたのだから仕方がない。


「そういう台詞が出て来る時点で余裕があると思うんだけどねぇ。それに、ああいったことが必要なのも確かだ。例えば騎士達に泣きついて、それで解決されると思うかい?」


 コーヒーを口に運びながら彼女にそう尋ねられると、首を横にふらざるを得なかった。

 なにせつい最近、青銅騎士団の副団長直々にスラムの住民のために労力を割く気はないと言われているのだ。


「分かっているじゃないか。あいつらの仕事は治安を守ることであって、人を助けることじゃないからねぇ。むしろスラムの住民というだけで治安を乱す対象としてみられて逆効果だ。」

「一度スラムに堕ちたら悪循環というわけですか。信用が低いから働こうにも雇ってもらえないし、雇ってもらえても立場が弱いから理不尽な目に遭う。」

「あぁ、そして安い労働力を提供することで信用の低さを補ったとしても、それは立場の弱さを助長することに繋がる。まぁ、つまるところ私がしているのは人助けも兼ねた商売ってことだねぇ。良心的だろう?」

「脅される側にとっては悪魔的ですよ。」

「違いないねぇ。」


 そう言って、アナベルお姉ちゃんは笑う。


 そしてちょうど彼女が笑い終わった頃に、残りの注文したものが運ばれてきた。

 彼女は目の前に置かれたものをしばらく眺めると、口を開く。


「危険なものは入っていないみたいだねぇ。この前飲んだ、あの不思議な液体はもう効果が切れているのかい?」

「そうですね、さすがに切れていると思いますよ。」


 そういえば、アナベルお姉ちゃんには聖魔王の涙とは言わずに、自分で実際に飲んだ後に腕を傷つけて回復することを証明したのだった。

 俺が昨日、襲われたあとに治癒魔法を使わずとも大丈夫だったのはその効果が残っていたからだ。


 聖魔王の涙、それは一般的には飲めばどんな怪我や病気も治る代物とだけ伝わっているが、実際には服用後に治癒魔法と併用することで多大な効果を発揮する。

 そもそも俺がいくらか所有しているのも、グレイシアさんが自分とは違う治療体系にも触れておくべきだと治療技術の一環として教えてくれたからだ。


 彼女の治療体系は怪我や病気に対して原因となる部位や原因そのものを特定し効果的に治療を行うものだが、聖魔王の治療体系では身体中を巡る魔力の循環を改善する。


 昔少年神様が言っていたように、この世界の人々は魔粒子を魔力として蓄える形で進化してきた。


 つまり魔力は魔法を扱える便利な力であると同時に生きる上で必要なものだが、聖魔王の理論によると魔力は体内を循環しているらしい。

 そして怪我や病気が生じた際には、その循環している魔力が滞る。


 怪我や病気によって魔力循環障害が起きているのだから、魔力循環を改善すればそれに伴い怪我や病気は治っていく、というのが聖魔王の治療体系の基本である。


 つまり聖魔王の涙は、魔力循環の改善を非常に効率的に行うための薬といえる。

 そしてヴァレリアが聖魔王とまで称されるに至ったのは、服用した上で治癒魔法により魔力循環改善を行うと擬似的な自己再生機能を付与することができるからだ。


 当然だが怪我をしていない段階では魔力循環は正常だから改善する必要がなく、その効果は発揮しないまま残ることになる。

 そして怪我や病気で魔力循環が滞った時、その効果を発揮して魔力循環の改善に伴う治療が行われるため、結果として擬似的な自己再生機能を得ることができるのだった。


 そんなことを思い出しながらも、俺は少しふざけた調子で告げる。


「我が故郷に500年前にもたらされたという秘薬が役に立って良かったです。」

「そんなあからさまに嘘だと分かる設定を持ち出されてもねぇ。まぁ、詳しいことを聞くつもりはないさ。あれはおそらく、普人族の領域外にある代物だろう。ならば深く触れない方がいい。」


 そう言って目で確認を求められると、頷かざるを得なかった。


 俺にとって聖魔王の涙はあくまで治療道具の一つだから必要ならば使うことに躊躇いはないし、渡してくれたグレイシアさんもそれを望んでいるだろう。

 だが一方で、世間的には伝説に片足を突っ込みかけているのも間違いないため、適当に誤魔化して使用するのが一番だ。


 彼女は俺が頷いたのを見届けると、話題を変えるように口を開いた。


「ところで、昨日別れてから随分と密度が濃かったみたいだねぇ。」

「はい。イベントが目白押しでした。」


 仕事の前に昨日と今朝の出来事をアナベルお姉ちゃんに少しだけ話していたのだが、時間の都合上限界があり中途半端な説明になってしまったのだ。

 ここで改めて話をすることにしたが、彼女は聞きに徹するようで話し終えるまで適当に相槌をうっているだけだった。


 そして全てが終わると、笑みを消して口を開く。


「なるほど、お前の方にいったんだねぇ。相手はだいぶ鋭いみたいじゃないか。セイランス、一つ確認しておきたいんだが護衛を中止する気はあるかい?殺されかけたってなると、十分依頼を破棄できる内容だ。」

「その点は気にしないでください。油断させるために抵抗しなかっただけですし、それくらいで死ぬならそれまでですから。」

「衰えたとはいえ、エインツ帝国で名を上げていた組織から狙われたことが『それくらい』か。お前は面白いねぇ。耳の触り心地も良いし、いっそこのままずっと手元に置いておきたいくらいだ。まして、ゼファシール教から二級信者に認定されたならば、価値はより一層といったところだねぇ。」


 護衛なんていらないと言っていたアナベルお姉ちゃんはどこへやら、随分と高く評価してもらえているようだ。

 そしてこの口ぶりからして、二級信者としてできることも理解しているらしい。


 確かにクリフォードさんは一般的な信者には知られていないと言っていたが、裏を返せば一般的でなければ知られているということでもあったのだろうか。


「そういえば、アナベラさんは三級以上の信者じゃないんですか?必要なのは貢献度と言っていましたし、俺以上にいくらでも貢献できそうなんですが。」

「お前が何と説明されたのかは知らないが、そもそもあれは簡単になれるもんじゃないんだよ。なにせ三級ですら分殿長の承認がいるからねぇ。ゼファシール教の情報力を利用したがるやつは多いが、下心から動いても礼を言われて終わることも多い。早い話が狙ってなれるものじゃないねぇ。」

 

 彼女の話を聞く限りでは等級によって利用できる権限も明確に異なり、三級信者では今回の俺のように能動的な情報収集を行ってもらうことは出来ず、一般信者よりも提供される情報の範囲が広くなる程度らしい。


「相手がSランクの冒険者や大陸規模の商人でもなければ、基本的にはゼファシール教が選ぶ側の立場だ。それだけ、ゼファシール教の情報力というのは価値が高い。」

「大陸に幅広く存在している以上、それは分かります。けど少し疑問だったんですが、自国の情報を他国に流されるかもしれないのに、よく無事ですよね。国から排除しようとしたり、逆に無理やり情報を引き出そうとしたりしてもおかしくなさそうですが。」


 そう、考え方によっては優秀なスパイが堂々と潜り込んでいるようなものではないだろうか。

 そうでなくてもゼファシール教が蓄積している莫大な情報を自国のものにできれば、その利益は計り知れないものになるはずだ。


 そう思って質問したのだが、彼女はニヤリと笑う。


「過去にゼファシール教の分殿から無理やり情報を引き出そうとした国があったのさ。だが、重要な情報ほど信心深く地位の高い者たちが管理している。分殿側は、自分たち諸共建物を燃やして情報を守りきった。それからしばらくして、その国は滅びたよ。」

「まさか・・・」

「不思議なことにねぇ、それ以来その国の存亡に関わるような機密情報があちこちに流れ始めたのさ。つまり、そういうことだ。どの国も喉から手が出るほどゼファシール教の持つ情報はほしいだろうが、手を出そうにも出せないんだよ。」


 さらに彼女の話を聞くと、ゼファシール教は国に携わる者に一般信者以上の情報を与えないことを徹底しており、公的な職業についた時点でそれまでに三級以上の信者に認定されていても取り消されるようだ。

 

「そういうわけだから、三級信者ですらなかなか認定してもらえないし、能動的に情報を得られる二級以上の信者は価値が高いんだよ。どういう貢献をしたのか詳しく知らないが、お前の何かが認められたのは間違いないねぇ。」

「・・・もしかして、俺をアイドルとして売り出すためのスポンサーとして名乗りをあげたということでしょうか。」

「何を言っているのかさっぱり分からないが、多分違うだろうねぇ。」


 だがベルナディータさんならば俺がアイドルの称号を持っていることを知っているし、クリーンなイメージを打ち立てようと押し立てても不思議ではない。

 そもそも話を聞く限り、俺の社会的な地位を考えればそうでもないと二級信者に認定された理由が思い浮かばないのだ。


 久しぶりの名推理に心が震えていると、アナベルお姉ちゃんの少し投げやりな声が聞こえてくる。


「真面目な話を続けたいんだけどねぇ。」

「失礼ですね。俺はいつでも真面目ですよ。」

「そうかい。それじゃあ、灰蛇の情報をゼファシール教から得られるということでいいんだね?」

「はい、しばらく時間が必要なようですが。それと、有益な情報は保証できないそうです。」

「保証ねぇ。そんなもの必要ないだろうさ。だがそうなると、今までの情報収集は続けるにしても、こちらはあまり余計なことをしない方がいいだろうねぇ。下手に相手を警戒させて邪魔をするわけにもいかない。」


 どうやら、アナベルお姉ちゃんは余程ゼファシール教の情報収集能力を高く買っているらしい。

 自分たちとて王都において一つの根を張っているはずなのだが、邪魔をすると言い切ってしまったのだ。


 彼女はしばらく腕を組んで考えたあと、荷物を纏めながら俺に告げた。


「いずれにせよ単純に片付く話じゃなくなっているし、一度報告に言った方がいいだろう。」

「報告ですか?」


 アナベルお姉ちゃんが組織の頂点にいるはずなのだが、一体誰に報告をするというのか疑問に思っていると、彼女は返事をする。


「先代カルメラにさ。私は確かに今代だが、全てを掌握しているわけでも、全てに承認されているわけでもないからねぇ。」


 そう言うと、少し複雑そうな顔をするのだった。


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