105.彼は受け取る。
取調室に出戻りした翌日の朝、俺は失った時間を取り戻そうとしていた。
目の前には一口大にカットされた食事が並び、そして隣にはヴェーラさんが座っている。
朝の食事の時間帯というのはどうしても周囲が慌ただしいのだが、それでも自分達の世界へと浸ることが大切なのだ。
「腕が怪我をしているから仕方なくよ?仕方なく食べさせてあげるんだからね?」
「えぇ、もちろん分かっています。」
そう言いながらも彼女が口に運んでくれるひと口サイズの果物を噛みしめる。
現在の設定は『腕を怪我した主人と代わりに食事を食べさせるメイド』だ。
つまり俺の腕は今魔法でも治せない不思議な力が働いて動かないのであり、食べさせてもらうのは至極当然のことといえる。
「あ、今度はそちらのパンを食べさせてほしいです。」
「全く、我儘ね。ほら、食べさせてあげるわよ!」
運ばれたのは只の白パンにも関わらず、普段よりも5割増しに美味しく感じられるから不思議なものだ。
そうして最後まで朝食を食べさせてもらう至福の時間が過ぎ去ると、俺の腕は動くようになりヴェーラさんは他の人のメイドとなるべく去っていった。
俺はその背中を見ながら呟く。
「いつだって押し寄せてくる現実は辛いですね。」
「あいつらと対峙していた時は堂々としていたくせに、こういう場面では落ち込むんだな。まぁ、この宿を満喫しているようで何よりだよ。」
「あぁ、カルラさんおはようございます。」
そんな俺に声をかけてきたのは、糊のきいたシャツを身に着けて髪を下ろした恰好のカルラさんだった。
その姿からは冒険者としての雰囲気は漂っておらず、彼女がどういう決断を下したのかも分かる。
「辞めるんですね、冒険者。」
「そうだな。もともと両親にそろそろ宿を継ぐことを考えて欲しいと言われていたし、どう考えても潮時だろう。これからは第二の人生を歩むことにしたよ。」
「この素敵な宿がなくなってしまうのは、あまりにもったいないです。良い選択だと思います。」
無論冒険者を続けるという選択肢もあるのだろうが、それには冒険者に対する相当に強い思いが必要だろう。
カルラさんにはぜひ、この宿に対して強い思いを抱き更なる高みへと発展させてほしいものだ。
「そういえばセイランス、昨日遅くに血で汚れた状態で帰ってきたそうだが大丈夫なのか?何か厄介事を抱えているなら力になるが。」
「いえ、大丈夫ですよ。確かに依頼は受けていますが、昨日帰り道に一つ解決策を思いつきましたので。」
「そうか?ならいいんだが・・・。」
どうやら、カルラさんが話しかけてきた用件はこれのようだ。
彼女に心配をかけてしまったが、今言った通りに俺はとある可能性に気付いたのだ。
それを確かめるためにも、スラムに行く前にゼファシール教の神殿を訪れることにした。
●●●●●
朝の爽やかな神殿で、ゼファシール教の女性神官が怒りをその顔に浮かべながら告げた。
「・・・もう一度、言ってみなさい。」
「いや、何でもないです・・・。」
「もう一度言ってみなさい!!」
神殿へと到着した俺は、自分が考えていることが可能なのかを確かめるべく、近くにいた年嵩の女性神官へと話しかけたのだ。
最初は笑顔を浮かべて用件を尋ねた彼女も、俺がその内容を話した瞬間にこの状態であり、もはや二人の間には重い空気が張り詰めていた。
「いや、だからその、ゼファシール教って知識の還元を行っているじゃありませんか。なのでそれ繋がりで、街の中に潜むとある組織の情報なんかも集められないものかと思いましてですね・・・。」
「つまりあなたは、ゼファス教のような行いを繰り返さないために多くを学び知識を身に着けている我々を、情報屋として扱いたいと言うのですね?民へと知識の還元を行っていることにつけ込み、神へと捧げる知識を己が欲望のために利用しようと言うのですね?」
「いえ・・・己が欲望のためというには語弊があると言いますか・・」
彼女の言い分がもっともなことに思えてきた俺は、段々と勢いがなくなり声が小さくなっていく。
知識とはつまるところ情報であり、宗教要素を除けば情報機関と捉えることもできるゼファシール教ならば、アナベルお姉ちゃんとはまた違った視点から『灰蛇』の情報を得られるのではないかと思ったのだ。
だが、さすがに宗教組織から宗教要素を除外して考えたのは悪手だったらしい。
俺は何とかこの場を丸く収めようと謝罪をする。
「本当に申し訳ありませんでした。二度とこのようなことを考えないようにするので、お許し頂けないでしょうか。」
「なりません。ゼファシール教、ひいてはゼファス神を侮辱する以上は相応の覚悟があったはずです。こちらに来なさい。」
どうやら神への侮辱という宗教の地雷を踏み抜いてしまったようで、彼女は厳しい表情でそう告げた。
俺は一瞬逃げようかとも考えたのだが、ここにはベルナディータさんやクリフォードさんがいる以上、最悪の事態には陥らないだろうと大人しく指示に従う。
そうして連れて行かれたのは、幸か不幸か分殿長室だった。
「失礼致します。禁断の知識を授からんとする者がいましたので連れてまいりました。」
「分かりました。あぁ、セイランス殿ですか。なるほど、ご自分でその考えに至ってしまったのですね。ちょうど神官ベルナディータに朝の恵みの後連れてくるように言ったのですが、タイミングが合わなかったようです。どうぞそちらの椅子に座って下さい。」
どう謝罪したものかと思っていたのだが、クリフォードさんは至って穏やかな表情でそう告げると応接用の椅子を示す。
既に先程の怖い神官は去っており、少し悩んだ後に椅子へと腰掛けた。
「セイランス殿、何が起こっていたのか想像は付きますがオーリガを恨まないでくださいね。さすがに正面から来られては、そういった対応を取らざるをえません。」
「はい、本当に申し訳ありませんでした。って、正面ですか?」
「えぇ、正面です。結論から言いますと、ゼファシール教を情報機関として利用するのは間違いではありません。」
そう言いながらペンを置くと、彼もまた応接用の椅子へと腰掛けた。
「もしかして、王都に潜伏している『灰蛇』の情報を追えるんですか?」
「エインツ帝国を拠点に活動していた組織ですね。それがセイランス殿が求めているものですか。有益な情報は保障できませんが、考えていることは可能ですよ。冒険者ギルドの遍歴ではありませんが、情報を扱う組織があればそこに人々は様々なものを求めるのです。ゼファシール教には、確かに大陸規模の情報機関としての側面がありますから。ただし、公にはしていません。」
つまり、俺が大勢の人々がいる前で堂々と情報機関としての役割を求めたから、先程の神官オーリガさんはあのような対応をせざるを得なかったということだろうか。
俺が確認すると、クリフォードさんは肯定する。
「その通りですよ。さらに言えば、そういった利用方法ができるのは三級以上の信者のみです。一般信者にはその事実を知らせておりません。」
「三級以上の信者ですか?」
「そういえば神官ベルナディータによると、セイランス殿の信仰歴自体はまだ浅いのでしたね。我々ゼファシール教は、神官だけでなく信者にも等級を設けております。」
彼の話によると、ゼファシール教に対する貢献度等を加味しているらしい。
もっとも大半が一般信者と呼ばれるもので、一つ上の三級信者となるだけでも神官の推薦と分殿長の承認が必要であり、二級信者であれば分殿長の推薦と本神殿副神殿長の承認が必要というかなり敷居が高いもののようだ。
「セイランス殿の貢献に対して私の推薦により本神殿へと二級信者の申請を行っていたのですが、今朝承認が為されたという連絡が届いたので、ちょうど神官ベルナディータに連れてきてもらうところだったのです。階級ごとに利用できる範囲は決まっているのですが、二級信者ならば街中での情報収集の依頼を申請することが可能となっています。」
どうやら、ベルナディータさんの依頼を銀貨1枚で引き受けたことが、巡り巡って大陸規模の情報機関を利用できることにまで繋がったらしい。
それは大変にありがたい話だが、一つ重要な問題があるのだった。
「クリフォードさん、実は俺ゼファシール教に対して信仰心が・・」
「セイランス殿はゼファス神を信じておられますか?」
俺がゼファシール教に対して信仰心を持っていないことを告げようとすると、それを遮ってクリフォードさんにそう尋ねられる。
「そうですね、ゼファス神という名前はともかく、その存在そのものは信じています。」
なにせ実際に会っているのだから、信じていないはずがない。
俺のその答えを聞くと、彼は微笑んだ。
「そう断言できるならば、それで十分ですよ。二級信者になったからといって普及活動をして欲しいというわけでも、毎日祈りを捧げろというわけでもありません。それでも気になるならば、もっと身も蓋もない話をしてしまいましょう。この制度は、いわば縁を持つためのものなんですよ。」
「縁ですか?」
「えぇ、例えば今回その組織に対してゼファシール教側が有益な情報を提供すれば、セイランス殿はいくらか恩を感じるでしょうし、その利便性を知れば二級信者の地位を手放したくなくなるかもしれません。そんな者たちにならば、困った時に少し無茶な願いをすることだって出来るでしょう?」
つまり、信者の階級制度は人脈を築くためのものということらしい。
俺はDランクに過ぎないが、これを高ランク冒険者や大商人に置き換えてみるとその意味もよく分かる。
ゼファシール教はそうやって、貴重な人材との繋がりを確保しているようだ。
「二級信者ならばいつでもその地位を返還することができます。聞けばセイランス殿は、一所に留まらず旅をしているのだとか。ならばこの地位は、訪れる土地土地で大きく役立ちますよ。以前神官ベルナディータも言っていましたが、これはあなたの行いがもたらしたものです。あの時は自分に必要ないものだと寄付をなさいましたが、今度は受け取って頂けますね?」
その言葉に、俺は静かに頷くのだった。