103.彼は細工する。
「だが、私の身体は何ともないみたいだけどねぇ。」
手足を動かして確認をしながらそう告げる彼女に、俺は返事をする。
「そういう類のものですから。区別がつけにくい代わりに、それ単体だと数年単位で摂取しないと死なないです。」
「そりゃまた随分と悠長な毒じゃないか。」
「あくまで単体の場合ですよ。この毒は複数のものと組み合わせて効果を発揮するんです。」
確か通称は「愚者の毒」だ。
パラレシアと呼ばれる花の根、茎、花びらを全て摂取した場合に毒として効果を発揮する。
「発覚しにくいというのは勿論そうなんですが、何よりも混入する側の罪悪感が少なくて済むというのが用いられる理由ですね。」
「3つのうちの1つを入れたって、残り2つを他の誰かが入れなきゃ毒として機能しないものねぇ。そりゃ確かに愚者ってもんだ。」
彼女は納得しているが、狙われる側からすれば厄介この上ないものだ。
仮に発見できたとしても、少なくとも3人から命を狙われているという現実が押し寄せてくるし、再び毒を仕掛けられるという焦燥感も生じるだろう。
果たして彼女は大丈夫だろうかと伺うと、特に慌てた様子もなく顎に手をあてて考えをめぐらしているようだった。
ベルナディータさんといい、俺の周りの女性は本当に肝が据わっているらしい。
「あれを運んできたのはバジルのやつだが、あいつが裏切るとも思えん。」
「あるいは、茶葉自体に最初から含まれていてアナベルお姉ちゃんだけじゃなく、色んな人が無差別に飲んでいる可能性もありますよ。殺すのに回りくどい分、毒の問題点をカバーしていますから。」
「そうなると、犯人の特定は面倒だな。『灰蛇』は搦め手を用いるとは聞いたことがあるが、確かに厄介な話だねぇ。」
そう言いながら何故かソファに座り手招きをしている。
いや、肝が据わっているのは大変結構なのだが、ベルナディータさんといい据わりすぎではないだろうか。
やむを得ず横になると、彼女は獣耳を触りながら話を再開した。
「あの組織はもともとエインツ帝国を活動拠点にしていたらしい。あそこで名をあげようと思ったら生半可なことでは不可能だろう。いくらセイレンに一度壊滅させられたとはいえ、私を害するだけの力は十分有しているということか。」
「普人族最大の国エインツ帝国ですか。」
俺はそう呟きながら、グレイシアさんから教わったことを思い出す。
アルバント国の向かい側に存在しており、エインツ国が周囲の国々を侵略し植民地化していった結果誕生したのがエインツ帝国だ。
当然その規模も国力も巨大であり、その中で名を広めた『灰蛇』は一度セイレンによって壊滅したとはいえまだ幾らか力が残っているということなのだろう。
エインツ帝国を基準に考えると、グレラント王国自体が一地方程度の規模に過ぎないのかもしれない。
「『灰蛇』にとって私は、さしずめ地方で調子に乗っているチンピラといったところかねぇ。実際毒を仕掛けられて気づかないのだから脇が甘い。」
「毒に関しては仕方がありませんよ。そもそも禄に対策できるような環境じゃないでしょうし、したところで今回のものはそうそう見抜けないでしょうから。」
半分慰めが含まれていないこともないが、実際にそう思っていることを告げる。
そもそも彼女とて怪しいものが含まれていないか確認させることくらいはしているだろうし、この毒は無味無臭に近いから香り高いものに混ぜられればほぼ発見できない。
さらに言えば、スラムの住人相手に身元の確かな信用のおける者というのはある意味矛盾しているから、脅されようが危害を加えられようが毒の混入を行わない者達で周りを固めるというのも難しいだろう。
「腕には自信があるんだが、こうなってくると結局バジルの言い分が半分正しかったってことだねぇ。」
「半分ですか?アナベルお姉ちゃんも結構負けず嫌いなところがあるんですね。」
「馬鹿を言うな。護衛を雇ったところで、普通毒の種類まで見抜けるようなやつはいない。半分が妥当なところだろう。」
そう言って、獣耳を撫でる手を止める。
「父親が殺されたトラウマで獣耳が動かないという時点で薄々察していたが、お前も平坦じゃない道を歩いてきたんだね。」
「えっと・・・そうですね?」
その父親なんですが今まさに迷惑をかけている張本人です、とは言えずに曖昧な返事をする。
確かに客観的に見ると、目の前で父親が殺されてトラウマを負った挙句、毒に詳しいなどどう考えても茨の道を歩んできたとしか思えない。
こちらの曖昧な返事をどう受け取ったのか、アナベルお姉ちゃんは少し遠い目をしながら語りだす。
「結局、不幸なんてどこにでもあるんだろうねぇ。私も幼い頃は貧しい境遇に生まれたことを嘆き、泥水をすすりながら生きて、カルメラさんに拾われてからは教育と鍛錬の日々だ。一般家庭や貴族に生まれた連中を恨んだこともある。」
「毎日炊き出しを行っているのはそういった経験からですか?」
「色んな側面からだ。どんなにまずかろうが飯が提供されるなら、リスクを背負ってまで盗みをするやつが減るだろう。スラムの連中からは感謝されて管理しやすくなるし、国の連中からは効果が認められて動きやすくなる。」
なるほど、確かに勝手に犯罪率を減らしてくれるというのならば、国庫を痛めずに済むのだから国も余計な口出しをしてこない。
さすがに善意だけで行っているわけではないようだが、否定をしなかった辺り動機はそういうことなのだろう。
「セザールがどういう人物なのか知りませんが、今よりも環境がよくなるとは思えません。それにセザールお兄ちゃんと呼ぶのも遠慮したいです。そのためにも、まずは毒への対処から済ませてしまいましょうか。」
「・・・それ以前にセザールがその呼び方を求めるとは思えないがねぇ。毒については、内部犯かの確認と犯人探し、後は残りの毒を飲まないように対策を練らなければいけないね。」
「残りの毒については考えがあります。そもそもいつ仕掛けられるかも分からない毒を警戒し続けるのは手間ですし、アナベルお姉ちゃんも満足に飲食できなくなるでしょう。仮に今回の毒を回避したところで、また別の毒を仕掛けられれば意味がありません。ここは毒という手段そのものを諦めてもらうのが一番じゃないでしょうか。」
俺は彼女にそう提案する。
大事なのは残りの毒を飲まないことではなく、毒という厄介な手段そのものを選択肢から外れさせることだ。
「それが一番ではあるがね。どうするつもりなんだい?」
「簡単な話ですよ。アナベルお姉ちゃんには毒が効かない超人になってもらいます。」
俺は細かな装飾が施された瓶を一つ取り出して、彼女にそう告げる。
獣人界の孔明として動く時が来たようだ。