99.彼は混沌に満ちた話をする。
アナベルお姉ちゃんに口を塞がれたまま連れて行かれたのは、同じ階にある別の一室だった。
果たして勝手に使用していいのかは分からないが、承諾してしまった俺としては入ることに否応もない。
「なぜ私までいるのでしょうか。」
そう、俺はベルナディータさんのように文句を言ったりはしないのだ。
彼女がなぜ一緒にいるのかと言えば、それは俺が手を掴んで放さなかったからだ。
「いやですね。俺にしか聞こえない小声で、『私も行きたいです。』って言ったんじゃありませんか。」
「私は、『私のことは気にしないでください。楽しんでくださいね。』と笑顔で送り出したと思いますよ。」
「おかしいですね。聴力には自信があるのですが、路上で寝たせいで疲れているのかもしれないです。」
あるいは、共に旅をした俺を怖い人達の元へ笑顔で送り出すものだから、ショックのあまり幻聴が聞こえたのかもしれない。
真相がどうであれ、来てしまったのだから付き合ってもらうしかないのだ。
俺たちの和やかな会話が終了すると、それを見計らったかのようにアナベルお姉ちゃんが口を開く。
「茶番はもう終わったかい?」
「えぇ、もう十分です。今朝とは喋り方が違うんですね、アナベルお姉ちゃん。」
「・・・立場に相応しい喋り方ってのもあるのさ。それよりも、どうして私に気付いたんだい?」
どうやら自分の正体が見破られたことに疑問を持っているようなのだが、俺は至って普通の返事をする。
「どうしても何も、少し前に出会った人を忘れてしまう程記憶力が悪いわけじゃありませんよ。」
膝枕をして耳を触った後金貨2枚を渡してきた衝撃的な相手を、どうやって僅か数時間で忘れるのだろうか。
もはやそれは脳に何か深刻的な障害を負っている気がするのだが、アナベルお姉ちゃんに納得した様子はない。
「私はあの時体臭を完全に消していたのさ。それなのにどうしてすれ違っただけの匂いで分かったのかねぇ。」
「俺はベルナディータさんの小言を聞き取れるくらい五感に優れていますから。」
「セイランスさん、私には小言を発した覚えがないので、それだと五感が悪いことになってしまいますよ。」
あるいはベルナディータさんの記憶力が著しく低下しているのだろう。
その返答でもやはりアナベルお姉ちゃんが納得している様子はないのだが、実際嗅覚が優れているのだから仕方がないと思うのだ。
何故だか反応が冷たいベルナディータさんを他所に、俺は少し気になっていたことを確認する。
「ところで、アナベルお姉ちゃんと後ろの怖いお兄さんってどういう立場の人なんでしょうか。」
「私は先代カルメラからスラムの管理を引き継いだ、元締めといったところかねぇ。後ろのバジルは先代から仕えている奴だ。」
「なるほど、それはまた随分と凄いですね。」
スラムの元締めが裏で正体を隠して、路上生活を行う少年獣人の獣耳を愛でているということなのだろうか。
もはやどこに触れればいいのか分からない程に混沌としているようだ。
だが、バジルさんは俺の考えを訂正するように低く腹に響くような声で告げた。
「お前さん何か勘違いをしとるようで。姐さんが獣人を大事にするのはしきたりに従っとるまでだ。」
「しきたりですか?」
仮面を付けて路上生活をする少年獣人の獣耳を撫でるしきたりなど聞いたことが無い俺は、思わずそう尋ね返した。
「今じゃ随分と改善したが、昔のスラムと言えばそれはもう荒れに荒れとっての。一般人が一歩踏み込めば二度とは出てこられない魔窟とまで呼ばれとった。いくつもの組織がスラムで縄張り争いをして、誰も収集をつけられんかった。だが、そんな時だ。一人の獣人が姐さんの前任者であるカルメラ大姐さんの前に現れた。ありゃあ、たいした男だった。最初カルメラ大姐さんに会った時そいつはなんていったと思う?『俺の女になるならこのスラムを君にあげよう。』だ。そして、実際にそれを実現しちまいやがった。」
「それは確かにすごい人物ですね。」
「あぁ、大剣片手にスラムを牛耳る組織をいくつも壊滅させ、スラムを整理する好機だとやって来た騎士達を薙ぎ倒し、いらぬちょっかいを出せばどうなるか分かっているだろうなと王宮に殴り込みをかける。今思い出しても無茶苦茶だった。」
いや、それはもはやただの犯罪者ではないのだろうか。
「その獣人は結局、カルメラ大姐さんがスラムを掌握したのを見届けるとどこかへ行ってしまったがな。」
「じゃあ、その後は行方知らずなんですね。告白しておきながらどこかへ行くってどういうつもりなんでしょう。」
「大姐さんは、私なんかが留めておける相手じゃないって笑っていた。それに、今じゃ世界に名を馳せるような大物になっているから、行方知らずというわけでもない。」
確かにスラムを君にあげようなどといって実行に移せるのだから、後に名が知られてもおかしくはないだろう。
バジルさんは一呼吸置くと、自慢するかのように口を開いた。
「そいつはな、あの『狂人』セイレンだ。自分の邪魔をするなら相手が誰だろうと容赦しない、その結果いくつもの国や組織を敵に回し、そしてそれで尚今も平然と活動を続けている男。お前さん達だって名前を聞いたことくらいあるだろう?」
「えぇ、その方のことなら確かに私も聞いたことがあります。もはや存在そのものが治外法権と化しているらしいですね。」
それはまた、滑って転んで頭を打って死ぬか、息子の目の前で殺されて獣耳が動かなくなるトラウマの原因となりそうな人物だ。
そんな人物に一つ言いたいことがあるとしたら、この状況で登場してくるのは遠慮してもらえないだろうか。
第一母さんを捨てて育児放棄をした挙句、今度は大物犯罪者とは何を考えているのだろう。
生きていると分かったからには、盛大な養育費と慰謝料を請求したいところである。
「それで、そのセイレンとかいう駄目人間を讃えて、獣人を大事にしているということでしょうか。」
「駄目人間ってお前さん・・・まぁいい。その通りだ。」
「事情は分かりました。ところで、獣人が少年に限定されているのと、獣耳に拘る理由は何でしょうか。」
俺がそう言ってアナベルお姉ちゃんの方を見ると、何故か彼女は視線をそらした。
「あぁ、こっちの方は本当にアナベルお姉ちゃんの趣味なんですね。」
「そんなわけがないだろう。セイレンのような規格外はそうそう現れるもんじゃない。だからこそ姐さんは、まだ成長の余地がある恵まれない獣人少年達に、獣耳を触るという名目で援助をしてなさる。」
「まぁ、そんなところだ。」
バジルさんの言い分をアナベルお姉ちゃんは肯定するのだが、それならばそろそろ俺と視線を合わせてもらえないだろうか。
だが、彼女はそのまま視線を合わせることなく、ごまかすように質問をしてきた。
「ところでセイランス、お前ランクはいくつなんだい。私に気付くくらいだから、相応のランクなんだろう?」
「ランクはEですよ。冒険者になったのもここ数ヶ月の話ですから。」
「思ったよりも低いねぇ。いや、その期間だとむしろ順調なのか?」
部屋の中の話が聞こえていた俺としては、求めていた条件に何故か該当していることを知っているため、わざわざそれを満たすつもりはないのだ。
いや、今朝アナベルお姉ちゃんに声をかけられた時点で、戦闘力以外の条件は満たしていてある意味当然なのかもしれない。
このまま穏便に別れようと考えていたところで、思わぬところから裏切りの声が入る。
「セイランスさん、私にDランクと名乗ったのは嘘だったのですか?俺は強いから身を全て委ねて任せろと私の肩を抱きながら言っていたではありませんか。」
「いやいや、ちょっと待って下さいベルナディータさん。ほとんど真実が混じっていませんからね?」
「確かギルドカードを見せてもらった記憶があるのですが、もしかして捏造だったのでしょうか。だとしたら、大変に重い罪だったと思いますよ。」
そう笑顔で告げるベルナディータさんだが、俺に何か恨みでもあるのだろうか。
思い当たる節と言えばギルドに入る際許可を取らずに抱きかかえたことと、この部屋に道連れにしたことくらいなのだが、まさか神官ともあろう者がそんなに心が狭いはずがないと思うのだ。
そう目で会話を試みるのだが、こちらもアナベルお姉ちゃんの時と同様に視線を合わそうとはしてくれなかった。
「セイランス、もう一度聞こうかねぇ。ランクはいくつだい?」
「Eランクの一つ上です。Cランクの一つ下と言っても過言ではありません。」
「回りくどい言い方をするんじゃないよ。つまりDランクか。その若さでそこに辿り着けるならば上等だねぇ。セイランス、一つ依頼をやろう。」
そう言って、アナベルお姉ちゃんはその顔に笑みを浮かべた。
王都ならば多くの依頼がギルドに舞い込んでいるはずであり、仕事に困らないことは間違いない。
だが、こうなってしまった上にセイレンが過去に絡んでいる以上、話くらいは聞いておくべきなのだろう。
「依頼の詳細を話して頂いてもいいでしょうか。」
「簡単に言えば私の護衛さ。といっても私自身が欲しいというより、バジル達がうるさいんだけどねぇ。」
「当たり前です。この時期に姐さん一人で外を歩かせるなんてとんでもない。かといってただ普通に強いだけの護衛を雇っても姐さんには付いていけない。となれば、姐さんが意識的に側に置きたくなるような護衛を用意するしかないでしょうに。」
彼の話と先程聞こえてきた話をまとめると、つまりはこういうことだろうか。
アナベルお姉ちゃんはよく一人で行動しているが今は危険な時期らしく、バジルさんとしては彼女に護衛を付けたいのだが、生半可な護衛を付けても彼女にはついていけない。
それならば発想を転換させて、彼女が側に置きたくなるような護衛、つまり彼女の高尚な趣味を満たす者を用意しようとしているということなのだろう。
さらに言えば護衛としての役割も十分果たして欲しいからある程度の実力はやはり必要で、結果的に先程部屋から聞こえてきた無駄に厳しい条件になったということらしい。
「該当するやつなんていないと思っていたんだけどねぇ。だが、ここに来てあんたが条件を満たしていることが発覚したんだ。条件を満たせば側に置くって約束しちまったからねぇ。」
「そういうことなんですね。けれど、どうしてそうアナベルお姉ちゃんの身の安全を心配するんでしょうか。これまでも一人で出歩いていたんですよね。」
「あぁ、ここ最近身を狙われているのさ。相手もちゃんと分かっているよ。私を狙っているのは最近台頭してきたセザールって男だ。表向きは金融業をしていて資金力だけはあったんだが、今まではそれを活かす手段をあまり持っていなかった。だが近頃、汚れ仕事をする組織と手を組んだみたいで活動が活発化しているんだよ。」
彼女はそこで一旦話を区切って、獰猛な笑みを浮かべた。
「その活動の一つに私の排除も含まれているってことだねぇ。無論こっちも動いてはいるんだけど、その組織ってのが最近外部からやってきていてねぇ。」
「そのセザールという人が王都に呼んだということでしょうか。」
「いや、どうも『狂人』セイレンがその組織の恨みをかったようだねぇ。だが本人には直接手出しできないから、まずはセイレンが助力した場所を壊そうって算段のようだ。特にこの王都は今手を出しやすい。」
つまりはセイレンの詰めの甘さが原因で、今の事態が生じているということだろうか。
今朝も感じた通りアナベルお姉ちゃんはおそらく強いし、セイレンの後始末を俺がしなければならない理由はない。
だが万が一アナベルお姉ちゃんが死んだ場合には、罪悪感が襲ってくるのも間違いがないだろう。
暴力路線からの軌道修正を数十分前に図ったことも含めて悩んでいると、ふとベルナディータさんが手を俺へと重ねて告げた。
「セイランスさん、ゼファシール教の一神官としての助言です。労力を気にせず、一番後悔しない選択をするのがよろしいかと思いますよ。」
「ベルナディータさん・・・何だかそれっぽいことを言っていますが、そもそもベルナディータさんが余計な暴露をしなければこんなに悩む事態になっていないですからね?」
「それを言うならセイランスさん、私をこの部屋に道連れにしていなければ、やはりこの様な事態にはならなかったのではないでしょうか。」
そう言われるとこれも自業自得といえるのだろうか。
何だか誤魔化された気もするのだが、一方で結論が出たのも確かである。
「分かりました、依頼を受けます。けれどアナベルお姉ちゃんの身に危険が訪れない限り俺は戦わないです。」
「あぁ、それで構わないよ。もともと私は護衛なんていらないしねぇ。ただし、雇うからには仕事をしてもらうべきなのもまたしかりだ。そうだねぇ、今朝みたいな要求には答えてもらうから覚悟しな。」
こうして俺は、慰謝料と養育費を増額させることを胸に誓いながら、アナベルお姉ちゃんのもっともらしい言葉と共に獣耳愛玩用護衛として就任したのだった。