96.彼は怪しいお金儲けをする。
デルムとは違う重厚な鐘の音に目を覚ますと、俺は周囲を見渡す。
太陽が登っているにも関わらず視界はどこか薄暗く、鼻からは湿った空気が感じられる。
「まさか王都一日目を取調室、二日目を路地裏で過ごすことになるとは思いませんでした。」
そう、昨日青銅騎士団から解放された時には既に夜が遅く、宿を取れるような時刻ではなかったのだ。
ベルナディータさんからは一緒に神殿に泊まるよう薦められたのだが、そこら辺にいる冒険者が押しかけるのは図々しいような気がして辞退した。
そうして、彼女を神殿へと送り届けた後野宿するに相応しい場所を探し歩き、この路地裏へと到着したわけだ。
どうもこの地区は人通りが多いわけではないようだが、時折表通りを歩く人が路地裏にいる俺に気づき、憐れむ顔や蔑む視線を向けて通り過ぎていく。
それもそうだろう、もしもこんな所で寝起きする者に声をかけるとしたらそれは碌でもない人物か、あるいは聖人君子のような人物だ。
さて、俺の背後からやってくる人物はどちらだろうか。
「お前、金は欲しくないか?」
「欲しいか欲しくないかで言えば欲しいですね。」
「そうか、ならば付いてこい。」
後ろを振り向くと、そこにいたのは白い面を被った人物だった。
髪は括ってあるため長さがよくわからないが服の上からは明らかな膨らみが見えるため女性だろう。
さすがに路地裏で寝るのにいつもの格好は目立つため、今は少し汚れたTシャツにズボンを履いている。
こんな人物に金が欲しくないかと尋ねる仮面を着けた女性などどう考えても怪しいのだが、俺には一つだけ気になることがあった。
おそらく彼女は強い。
先程の背後から来る足音にしてもかなり静かなものだったし、自然に立っているにも関わらず隙が少ないと言えばいいのだろうか。
仮面で自分の素性を隠した強者が金は欲しくないかと声をかけてくる、この奇妙な状況に俺の好奇心が刺激されて後をついていくことにした。
彼女はあえて日の光が当たらない暗い場所を選ぶように歩き続け、やがて人の気配が一切しない少し開けた場所へと到着する。
歩いている最中に気付いたのだが、彼女はどうやらかなり質の高い匂い消しを使っているらしく、俺の鼻を持ってしてもかろうじて匂いが分かる程度だった。
これまでの状況から、さすがに好奇心が過ぎたかと身構える。
全く、盗賊に青銅騎士団と続き王都に来てから碌な者たちに出会っていない気がするのだ。
だが、目の前の怪しい彼女は別の意味でまた碌でもない人物だった。
彼女は近くにある段差に突如腰掛けると、自分の膝を叩いて告げる。
「さぁ、金が欲しければ私の膝で横になるといい。」
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人は時に自分は何故生きているのか、自分は何故働いているのか、そういったことに対して疑問を抱くことがあるようなのだが、今の俺もまたそういった類の心境に該当するのだろう。
俺は耳を撫でる感触に包まれながら呟く。
「一体どういう状況なんでしょうね、これ。」
「おい、そうじゃないだろう。金が欲しいならば指示通りにしろ。」
「・・・ご、ごめんなさい。アナベルお姉ちゃん。」
本当に俺は一体何をやっているのだろうか。
人気の一切ない薄暗い場所で女性に膝枕をされ、獣耳を触られながらアナベルと名乗る女性を『お姉ちゃん』と呼ぶ。
どうやらそれが、俺がお金を得るために必要なことのようだ。
「この感触、他の獣人とは一味違うな。かつてこれほどまでの弾力を経験したことがあっただろうか。なるほど、柔らかな耳も最高だが、こういう弾力のある耳もなかなか悪くない。」
あぁ、何となく彼女の趣味が分かってきた。
どうやらこちら側では、獣人の獣耳を好む者達というのが一定層いるようなのだ。
おそらく彼女もそういった者達の一人なのだろうが、ところで『お姉ちゃん』呼びは何故必要なのだろう。
「あの、アナベルお姉ちゃん。獣耳が触りたいならそういうお店もあるって聞いたことがあるんですが、そちらは駄目だったんでしょうか。」
「お前は何も分かっていない。素人が玄人にいらぬ口を出すんじゃない。」
獣耳に素人と玄人という考えた方があったことに驚きだ。
その後も彼女は俺の獣耳を撫で続けていたのだが、ふと手を止める。
「おい、もしかして私の撫で方は気持ちよくないのか?」
「いえ、気持ちいいですよ。」
「嘘を言わなくてもいい。獣耳が全く動いていないだろう。あぁ、私もまだまだ未熟なのだな・・・。」
そう言って悲しそうな声を出すのだが、果たして彼女はどこを目指しているのだろうか。
以前ダルク様も言ったように、こちら側の獣人と俺達の違いとして獣耳がある。
こちらの獣人は獣耳で感情を表現するが、俺たちは危機を察知する。
とはいえ、いくら獣耳で感情を表現すると言っても常に動いているわけではなく、感情に大きな変化があった時に動くため、これまでは特に気にされることもなかった。
だが、さすがに素人と一線を画する玄人の前では見抜かれるらしい。
俺は慰めるように、かねてから考えてあった言い訳を披露する。
「アナベルお姉ちゃんだから言いますが、実は昔父親が目の前で魔物に殺される所を見てしまって、それ以来獣耳が動かなくなってしまったんです。」
「そうか、ショックで獣耳が動かなくなることもあるのか。そんなことも知らずに私は獣耳を愛でていたとは・・・。あぁ、これじゃあ愛好家失格だな・・・。」
別にそんなもの失格でも何でもいいと思うのだが、想像以上にショックを受けている様子の彼女に対して慰めるように告げる。
「けど、アナベルお姉ちゃんに触られていると何だか少し獣耳が震えている気もします。」
「つまり、私が愛でることによってお前の獣耳は良くなってきているというのだな。分かった、ならば任せるといい。私に出来る限りのことはしよう。」
そう言って、先程よりも繊細なタッチで、けれどダイナミックに彼女は触り出した。
その技術は見事という他なく、感情では動かないはずの俺の獣耳が僅かに震えた気がしたのだった。
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「これは報酬だ。機会があればまた頼む。」
あれから元いた路地裏へと再び案内された俺は、最後にそう言われて金貨2枚を渡される。
地球で言えば2万円に該当するだろうそれは、ただ獣耳を触られていた報酬としては破格のものと言っていい。
「あの、さすがにこれはもらいすぎじゃないでしょうか。」
「さっきも言っただろう、素人が玄人に口出しをするな。お前の獣耳の弾力は、他のものとはまるで異なるのだ。それだけの価値はある。もっと自信を持て。」
そう言ってよく分からない力説をすると、素早い身のこなしで壁を駆け上がり近くの屋根へと登った後どこかへ去っていった。
「王都って変な人がいるんですね。」
そう呟きながらもらった金貨を仕舞うが、俺が彼女と再会するのはこれから数時間後のことだった。