94.彼は手間が省ける。
「今はこれが限界でしょうか。」
一通りの治療を終えた俺は小さくそう呟いた。
正確には希望者の治療を終えたわけだが、命に関わる怪我をしている者はいない以上望まぬ者まで治療するわけにもいかない。
彼女達の境遇を考えればどう繕おうとも男の俺に近づかれるのも嫌という者とているだろうし、無理に治療をして心の傷を広げたら本末転倒だ。
治癒魔法で体の傷は治すことが出来たとしても、心の傷は癒せないのだから。
一旦牢屋の外へと出た俺に、ベルナディータさんが話かけてくる。
「セイランスさん、この後はどうするおつもりですか?」
「そうですね。俺はマーキングを持っていないので空間魔法での移動は出来ませんし、とりあえず今いるのがどこかを確認してから考えましょうか。」
少なくとも血の誓約を結ばされていた男たちとここにいる女性たちを近くの街へと送り届けねばならないのだ。
ここの場所次第ではかなり骨が折れそうである。
さっそく行動に移ろうとした俺の耳に「コツコツ」と誰かが階段から降りてくる音が聞こえてきた。
上にいる者達は盗賊との区別がつかなかったため皆拘束してきたはずだ。
「あぁ、もしかしたら例の騎士様とやらかもしれませんね。全く、せっかく被害に遭った女性たちが落ち着いてきたっていうのに大本がここまで来るのは遠慮してほしいです。」
「あいつが来るのか?」
俺の言葉に反応したのは、いつの間にか牢の外へと出ていた気の強そうな目をした女性だった。
確か名前はカルラさんだっただろうか。
「足音に金属音が混じっているので可能性は高いです。すみませんが、カルラさんはここにいる皆さんをお願いします。」
「まぁ、待て。私の傷はあいつに負わされたものなんだ。復讐させろ。」
「女性冒険者は気が強い方が多いですね。わかりました、構いませんが最初は静かに隠れていて下さい。」
普通だったら会いたくもないと思うのだが、そちらの方が本人にとって気が晴れるというのならば反対するつもりはない。
俺は自分が着けているマントを外すとナイフで軽く突き刺した。
「なんだ?風景と同化したぞ。」
「センサーカメレオンのマントです。一応相手からも話を聞きたいのでしばらくはこれを被っていて下さい。クレアさん、ベルナディータさん、少し外すので後のことはお願いします。」
カルラさんがマントを被り見えなくなったことを確認すると、俺は歩き出した。
●●●●●
俺が彼らと遭遇したのは、ちょうどクレアさんが捕らわれていた牢屋の前だった。
一人は深く黒いフードを被っていてよくは分からないが、おそらく彼が空間魔術師なのだろう。
もう一人は胴色の鎧にマントを纏い、男にしては長い髪を垂らしていた。
鎧の上からしか分からないが、どちらかというと細身の体をしており顔もあまり日に焼けていない。
「おや、これは騎士様ではありませんか。」
「・・・お前は神官か?その出で立ちはゼファシール教だったと思うが、何故男が化粧をしているのだ。」
「神の前では老いも若きも男も女も全てが平等であり、そこに垣根は存在しないのです。」
俺がそう言って腕をクロスさせると、それ以上彼は容姿について触れようとしなかった。
確か国に目を付けられていると勘違いしているという話だったと思うのだが随分と落ち着いているようにみえる。
よく見れば髪に乱れはなく表情も冷静そのもので急いでやって来た様子でもない。
「まぁ、いい。私は青銅騎士団のバーナード・アルムガレンドだ。お前に一つ質問がある。」
「なんと、アルムガレンド家の方でございましたか。」
「ほう、さすがに神官といえどもアルムガレンド伯爵家のことは知っているのだな。」
ごめんなさい、全く知らないです。
ヨルムンガンドの親戚みたいなものでしょうか。
俺が家名に驚くと、彼は鷹揚に頷いて口を開く。
「ならば話は早い。青銅騎士団とアルムガレンドの名において嘘偽りは許さぬ。上の盗賊共を捕縛したのはお前か?」
「正確には私達でございます。奥に私と共に見聞の勤めを果たしている神官と護衛の者がおりますので。」
「つまり、お前はただ見聞の勤めを果たしている神官ということだな?」
その質問に対して肯定の返事をすると、バーナードは隣にいた空間魔術師の方を見る。
「だから言っただろう。国が動いているなら必ずその情報はアルムガレンド家にも入ってくる。」
どうやら彼の実家は随分と情報通のようだ。
彼はこちらを向き直ると、茶番は終わりだと目を鋭くした。
「神官よ、既に私のことは聞いているのだろう?」
「見聞の勤めを果たす身ですから。この盗賊団を率いていらしたようですね。」
「随分とはっきり告げるものだ。なぁ、神官よ。最初に言っておくが、この一件はただ単に私を捕まえれば全てが丸く収まるなどという生ぬるいものではない。」
実質的に自分の所業を認めたようなものだが、それでも彼はまるで自分の優位性は揺るがぬとばかりに話を続ける。
「アルムガレンド家はこのことを知らぬ。だが、私の罪が公にされればどうなると思う?」
「貴族様の事情は詳しく存じませんが、おそらく家の立場が悪くなるのではないでしょうか。」
「あぁ、その通りだ。但し私はあくまで三男であるから、家の力は十分に残る。無論私は牢獄送りでアルムガレンド家から追放、下手をすれば静かに消されるかもしれぬ。だが、果たしてそれだけで終わると思うか?」
皆まで言わずとも分かるだろうと、彼は目で訴える。
ぜひ皆まで言ってわかりやすく説明して欲しいのだが、つまるところバーナードの罪を明らかにし、間接的にアルムガレンドの家名を汚したことになる人物を放っておくだろうかと言いたいのだろう。
「それとな、何故国に管理されているはずの空間魔術師がこうしてここにいると思う?」
「お役所仕事とはよく言いますし、中には国の管理から漏れる者とているのではないでしょうか。」
「半分正解で半分不正解だな。肝心なのは、その管理から漏れた者がどこに所属しているかということだ。」
バーナードはそう言って黒いローブを着た空間魔術師に目で合図すると、空間魔術師はローブを腕まで捲る。
そこに刻まれていたのは、二つの杖が交差した刺青だった。
「二杖の光ですか・・・。もしかして人身売買の伝手もそちらということでしょうか。」
「あぁ、お前の想像通りだとも。俺の行動は二杖の光の援助を受けている。さて、俺の罪を明らかにすれば当然二杖の光の活動を妨害したことにもなるのだが、お前はどうなるだろうな?二杖の光の過激な活動の噂は知っているはずだ。」
そう言って笑みを浮かべながら、彼は懐から瓶に入った赤色の液体を取り出した。
「ゼファシール教の神官よ、見聞の勤めを熱心に果たすのは結構だが、世の中には触れぬ方が良い領域もあるのだ。これを飲み服従の誓約を行え。お前は何も見ていない。」
「なんでこう、ヴァンパイア族の血魔法だけは世に出回っているんでしょうね。全く、嫌になります。」
俺は溜息を一つ吐いた後、バーナードに返事をした。
「残念ながら神の教えではないのですが、俺が尊敬する人の教えにこういうものがあるんです。降りかかる火の粉なんぞ振り払え。」
「つまり穏便に済ませる方法を捨てるということか?」
「それで穏便に済むのは俺じゃなくてあなたですからね。血の誓約をする時点で穏便も何もありませんよ。アルムガレンドだかヨルムンガンドだか知りませんが、逆恨みでも何でも好きにしてください。それと、二杖の光には既に喧嘩を売ってしまっているので今更です。」
俺がそう言ったのと同時に、会話中にバーナードの背後へと迫っていたカルラさんが彼に向けて思い切り拳を振り下ろした。
センサーカメレオンのマントにより姿を隠していた彼女に全く気がついていなかった彼はそのまま大きく地面へと転倒する。
それと同時に空間魔術師はゲートを作成しこの場から離脱しようとしていた。
「空精よ、愚か者の声を聞くことなかれ 我こそは真の理解者 我が魔力を世界に捧げん」
俺の言葉と共に開きかけたゲートは再び閉じていく。
「・・・俺の魔法を邪魔したのはお前か。まさか獣人如きに阻害されるとは俺も落ちたものだ。」
「魔法が得意な獣人だっているものですよ。それにしても、一日にそれだけ空間魔法を使えるとなると、かなりの魔力量ですね。どうしてまた二杖の光なんかにいるんでしょうか。」
「お前には関係のない話だ。どうやら魔石を使っているようだがいつまで持つかな?『スペースゲート』」
俺の頭上に巨大な歪みが現れたかと思うと、そこから巨大な岩石が落下してくる。
俺が降ってくる岩石に向かって拳をぶつけると、大きな音を立てて辺りに砕け散った。
「魔法が得意な獣人ですが、やはり肉体に物を言わせるのはもっと得意なんですよね。」
「上の連中が全員やられていた時点で嫌な予感はしていたが、面倒な相手だ。」
「まぁまぁ、そうおっしゃらずに。」
そう言いながらも素早く接近しようとすると、足を一歩動かそうとした瞬間に彼の周りに幾層もの空間の歪みが発生する。
例えるならばベルナディータさんに張った結界の多重版だ。
今の攻防で俺を近付かせないことに決めたのだろう。
随分と戦闘慣れしているようだ。
「あぁ、もう。勘弁して下さい。本当馬鹿みたいな魔力量ですね。『空精よ、愚か者の声を聞くことなかれ 我こそは真の理解者 我が魔力を世界に捧げん』」
「・・・『スペースラビリンス』」
空間魔術師の厄介なところは守りに入られると一つ一つ対処していかなければ、強引に攻撃を加えられないことだ。
だが、俺が結界を打ち消した瞬間に今度は俺の周囲を覆うように歪みがいくつも発生する。
そして、俺の腰にはもう魔石のストックがない。
空間収納から補充することは可能だが、そこから反魔法を行うまでの間に彼はこの場から逃げることができるだろう。
「今日は魔石を多用し過ぎました。」
「俺の魔法をこうも打ち消すとは見事だった。最初打ち消された時はどれ程高位の空間魔術師が動いたのかと焦ったがな。敵ながらお前が魔力の少ない獣人というのはもったいない話だ。」
「俺はこれでいいんですよ。魔力量まで多かった日には暴走してしまいそうです。それはそうと、あなた程の人なら下っ端ということはないでしょう。一つお聞きしますが、髪色や肌が少し変わった普人は二杖の光内にいないでしょうか。」
今にもゲートを作りこの場を離れそうな相手にそう訪ねると、彼は一瞬動きを止めてこちらを見る。
「・・・いたとしたら、それがどうした。」
「いえ、ただ尋ねただけですよ。」
俺がそう返事をすると、彼はそれ以上何も言うこと無くゲートを作りこの場から去っていった。
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気を失っているバーナードを拘束した後、そのままカルラさんと共に建物の外へと出る。
俺の視界に入ってきたのは、広い庭とその先の門から見える石畳の道だった。
「どうやらどこかの街みたいですね。これなら一安心です。後はここがどの街かですが・・・」
「それなら分かりやすい目印があるぞ。あそこを見ろ。」
カルラさんの言うままに彼女が指差す方向を見ると、遠くにまるで城のような立派な建物が存在しているのが見えた。
「まるでお城みたいですね。」
「お城みたいじゃなくてあれは城だ。」
彼女のその言葉に、俺は自然と一つの答えに辿り着く。
これはまた、随分と色々な手間が省けたようだ。