90.彼は推理する。
「あ、ゴブリンです。」
「・・・・・・。」
俺は返ってくる無言に思わず溜息を吐く。
ゴブリンというのは、小動物から生まれた魔物の総称だから個体ごとによってその姿は微妙に異なる。
その性質上数が多いため街を出れば出会しやすく、地域によってはゴブリンを倒すことで一人前の男として認められる場合もあるそうだ。
俺が視線を向けた先には数体のゴブリンがいた。
「俺が処理するのでベルナディータさんは少し待っていて下さい。」
「・・・・・・。」
いや、どちらかというと待たされているのは俺である。
『あぁ、神よ。我が知をあなたに捧げます』と、彼女が言って移動の最中に立ち止まってからどれくらい経つのだろうか。
神官なのだから確かに神に祈りを捧げる習慣もあるのだろうが、さすがに祈り始めてから二十分近く経過することには何かを言っても許されると思うのだ。
俺は手の中で遊ばせていた石を、一体のゴブリンに向けて投げ飛ばした。
───パァン!
ダルク様直々に『お前は下手な魔法よりそこらに落ちている石を投げていた方が良い』と、言われた一撃はゴブリンの頭部に当たってそのまま灰へと還らせる。
もしかしたら今の攻撃で祈りを中断したのではないかとベルナディータさんを見るが、彼女は無言で祈り続けているようだ。
「フレイムアロー」
次に火矢を一本生み出し放つと、そのまま一体のゴブリンへと直撃して火を撒き散らしながら灰へと還らせる。
石よりも派手な攻撃だったために祈りを中断したのではないかとベルナディータさんを見るが、彼女は無言で祈り続けているようだ。
「雷精よ、雷槍をもって敵を貫け」
それは正に一瞬の出来事、轟音が響いた時には槍を象った雷は残ったゴブリン達を焼き焦がした後だった。
確実に派手な音を奏でていたために祈りを中断したのではないかとベルナディータさんを見るが、彼女は無言で祈り続けているようだ。
俺は一度空を仰ぎ見て、漂う雲のように穏やかな気持ちで呟いた。
「もう敵はいませんが魔法の練習でもしましょうか。そう、一番大きな魔石を使ってでも派手な魔法を使うべきです。もう決めました。」
どうしても派手な魔法の練習がしたくなった俺は、片手で数えられる程にしか持っていないAランクの魔石を取り出した。
滅多に使えないからこそ、こうしてたまに使用して慣れておくべきだと思うのだ。
どのような魔法ならばベルナディータさんが祈りを中断するのだろうかと考えていると、後方から声が聞こえてくる。
「お待たせしました。ゼファス神への祈りも終わったことですし、先へと進みましょう。」
「・・・そうですね。」
俺はそっと取り出した魔石を仕舞いながら、何事もなかったかのように馬の手綱を握る彼女に問いかけた。
「ゼファス神に祈りを捧げる習慣があったんですか?」
「えぇ、その通りです。ゼファシール教では見聞の勤めを始めとして知識の収拾を良しとしていますから。そして日に一度、得た知識を神にお納めするのです。また、得た知識を皆さんへと還元もしています。」
もしかするとゼファシール教はそうやって規模を拡大していったのかもしれない。
古今東西知識というのは一定の尊敬を集めるものであり、ゼファシール教では知識を与えてくれるとなれば人々の心を掴むことができるはずだ。
「知識を得るとは素晴らしいことですよ。私も見聞の勤めの一環としてデルムの地にある知識を身に着けましたが、私の助けとなってくれています。」
「そうなんですね。例えばどんなことでしょうか。」
「例えも何もセイランスさんがまさにそうではありませんか。活躍する新人冒険者に関する知識を持っていたことで、私はこうしてあなたと旅をすることが出来ているのです。」
食堂で出会った時に薄々察していたことではあるのだが、やはり彼女は確信犯だったようだ。
それをあっさりと自ら認めた頑強な精神を持つ彼女にならば、苦情を言っても問題はないだろう。
「ベルナディータさんの事情は分かりました。ですが、さすがに移動中に突然長時間の祈りを捧げ始めるのは止めて下さい。もしかしたら俺に対処できないことだって起こるかもしれないんですから。」
「それは失礼致しました。ですが、祈りが長引いたのはセイランスさんが原因ですよ。」
「えっと、俺ですか?」
何故放置されていた俺が原因なのだろうか。
「グレイホースが逃げるどころかデルムの街を旅立ってからというもの近付こうとしない動物達、現れる魔物を石一つで仕留める謎の殲滅方法、そしてグレイホースから遅れることなく走り続ける体力、新たに得た情報を神へとお伝えするのに時間がかかってしまったのです。」
「そ、それはごめんなさい?」
「いえいえ、今度から気をつけてくださればいいのですよ。」
確か俺はベルナディータさんに苦情を告げていたはずなのだが、いつの間に俺が謝罪する展開になってしまったのだろう。
それに1番目は体質に関わることだから気をつけようがないと思うのだ。
●●●●●
ベルナディータさんの言う通り動物が近付かず、そして魔物は石で灰へと還っていく旅路は順調そのものであり、夕方頃には今日の目的地である休憩地に到着した。
休憩地は魔物が跋扈する街の外でも最低限の安全を確保できるように壁に囲まれた場所で、旅をする者達が一夜を明かすために設置されている。
魔物がいるこの世界において安定した人の居住地を確保するのは困難なため、宿場町は少なくともグレラント王国には存在しないようだ。
政治に深く関わるような者達は皆空間魔法で安全に移動してしまうことも関係しているのかもしれない。
壁の中は誰も利用者がいなかったため、壁から離れた中心へと移動した後に空間収納から必要なものを取り出していく。
「あぁ、明日神にお伝えする内容がまた増えたようですね。」
「いやいや、伝えなくて大丈夫です。それに荷物は空間魔法で仕舞ってあるから大丈夫だと説明してあるじゃありませんか。」
「聞くのと見るのとではまた違うのです。それに空属性の魔石をそうやって使う方はやはり珍しいですから。」
興味深そうに眺めるベルナディータさんをよそに作業を進めていき、最後に完成された状態のテントを取り出した。
俺に続いて中へと入ったベルナディータさんは、しばらく無言を保った後に口を開く。
「私の中の知識が正しければ、これはディランド製のものですね。」
「あぁ、そうだと思います。」
「ディランドの製品は普人の国のものに比べて高品質と言われていますが、これはさすがに・・・。おそらく海の怪物タイラントホエールの革が使われていますよね。それに家具を始めとして、気温調節や明かりの魔道具が当たり前のように設置されているのですか。」
ベルナディータさんは感心と呆れが混じったようにそう呟いているが、俺に詳しいことは分からない。
こういった道具はキリカさんを通して魔物素材を売却したお金の一部を使って、そのままディランドで仕入れてもらったものだ。
魔王の配下を経由しているため確かに驚くようなテントでもおかしくはないのかもしれない。
改めて考えてみると、国をいくつも跨ぐレベルの大移動を行える魔王配下の空間魔術師にお使いのような真似をさせていたことが気になってきた。
キリカさんは気軽に引き受けてくれていたのだが、もしかして白金貨単位のお金が必要だったのではないだろうか。
「下手な宿屋よりも快適に過ごせそうですね。あぁ、神よ。このような出会いを下さったことに感謝いたします。」
今になって怖くなってきた俺は、両手をクロスさせて祈るベルナディータさんの横でキリカさんへと祈りを捧げることにした。
頭の中にいるキリカさんから許しを得た後は、本来ならば火を起こして夕食の準備をしなければならないのだが、食事は空間収納から取り出せば終わりである。
幻人の五感と獣耳があれば外で周囲を警戒する必要も無いために俺達はテントの中で歓談に興じていたのだが、その中で彼女は一つ変わった話をした。
「そういえばセイランスさん。ここに来るまでの道中、不思議な光景があったことに気づきましたか?」
「不思議な光景ですか?」
「えぇ、雨が降った後の泥濘んだ地面を進んでいたのでしょうが、しばらく馬車の通った跡が続いていたのです。不思議なことにその跡が途中でぱったりと途絶えていました。それも最後の痕跡部分にはいくつもの足跡があったのです。」
そのようなことに気付けたのが何よりも不思議だと思うのだが、馬車の痕跡が途中で複数の足跡と共に消えているのだから確かにおかしな話ではある。
俺は考えを纏めた後に、自分の意見を口にすることにした。
「そういう現象でまず考えられるのは空間魔法ですね。あれを使えば唐突に消えることが出来ますから。」
「えぇ、私もそのようなことを移動中に考えていました。ですが、何故あのようなところで空間魔法を使うのでしょう。」
「そうですね。本来ならば街の中で使えばいいわけですから、何かやましいことがあったんだと思いますよ。」
例えば空間魔術師と知られていない人物がいて、街から離れた場所で空間魔法を行使したことも考えられる。
ただ、いくつもの足跡があったという点を考えると、彼女が言いたいのはきっと別のことなのだろう。
「後は空間魔法を悪用して誰かが襲われた可能性でしょうか。」
「はい、それならばあの光景に辻褄が合うのですよね。見聞の勤めを果たす者として気になったのですが考えすぎでしょうか。」
「さて、どうなんでしょうね。」
ただもしかしたら旅の途中で感じていた視線と関係があるかもしれないと言いかけて、無闇に不安を抱かせることもないとその言葉を飲み込んだ。
もしかしなくても白金貨が必要ですし、普通はお金を積んでも利用できません。