4-術式の真価
篠田の宣言と同時、訓練室のコントロールルームにいた人がレバーとスイッチを操作する。部屋中にモーター音が響き渡り、真っ白に染められた壁に幾多の文字が浮かび上がる。やや強い振動にみまわれるが、それもしばらくすると収まった。
次元の歪みが生じたのだ。
旧東京にある黙示録の迷宮は、常に次元が歪んでいる。この訓練室も、それをもして作られているのだ。しかし、黙示録の迷宮とは違い、魔族は侵入しない。それは、この白い壁には神聖な術式が刻み込まれているからだ。黙示録の迷宮においてはそれがないため、別次元に存在するものたちが侵入、あるいは迷いこんでくる。そういった仕組みで、あそこを中心にして魔族が出現しているのだ。
「俺ぁいつも通りこいつを使うが、構わねえな?」
「うん、いいよ」
そう言って鞘から抜いたのは、術式刀《サザナミ》。うっすらと青みを帯びた刀身はすごく繊細で、この白髪が扱うのを疑わしく思えるほどに。しかしその疑問ももうすでに解消されている。僕は過去に何度もこいつの剣を見ているのだから。伊達に八年こいつに飼育されていはいない。今までこいつにつれられてさんざん危険な目に会わされてきたのだ。いやでも目に残る。
だがやはり腑に落ちない。そこまで見せておいて、なぜ僕に戦いを教えてくれなかったのか。この部屋にだって、今まで入ったことはほぼない。
しかし、今となってはもういいか。僕にはアインがいるのだから。
「アイン!」
「うむ」
アインは僕の呼び掛けに答え、その姿を一本の美しい黒刀に変える。
「行くよ」
《構わん、行け! 八つ裂きにしてしまえ!》
どうやらアインは相当篠田の事がお気に召さないらしい。
《求めろ、力を。望め、強欲に!》
「はあああぁぁぁっっ!」
篠田はサザナミの刃をしたに向けまるで動かない。僕の攻撃をあえて受けるつもりだろう。だったら、今までの恨み辛み全部ぶつけてやる!!
「せやああぁぁぁ!!」
思い切り振りかぶった。持てるちからのすべてを持って。これ以上のちからは恐らくでないだろう。さぁ、この一撃でどう反応する?
右腕が震える。心が高鳴る。はげしい摩擦と対抗で、刀同士が共鳴する。火花を散らし高音をあげた。
しかし――
(――なっ!?)
僕の振るった渾身の一撃はサザナミを少し傾けることで簡単にいなされてしまった。篠田の顔がニヤリと笑う。
非常に腹が立つ。受けるつもりじゃなかったのかよ。
内心そんな怒りが沸き立ちつつも、僕は篠田から離れるべく、勢いを殺さずそのまま奥へと抜けた。すると篠田は、次は俺の番だと言わんばかりの勢いでサザナミを振り上げる。
これは非常に不味い。
篠田は常にサザナミの繊細な刀身の傾きを変えることで攻撃と防御を分け使いこなす。これは戦闘において非常に冷静かつ器用に動ける篠田ならではの戦略。日頃の彼を知っていればいるほど、意表をつかれる剣だ。
そしてさらに厄介なことに、こいつは人の肉が、地上の物質が、どこをどのようにすれば壊れやすいかという、ウィークポイントを探る才能の持ち主なのだ。流石にテストで本気で殺しにかかったりはしないと思いたいが、しないとも言いづらい。何せ、この白髪だ。容赦するとも考えにくい。
「考え事ならよそでやれ!」
「くッ!」
背後からの追撃に、なんとか防御を間に合わせる。この僕のすばしっこさはある意味ではこの八年間の産物だ。だがしかし、篠田はこれしきでは止まらない。次々と攻撃を、それも僕がギリギリで受けられる速度の攻撃を繰り返す。
《護、もっと抗え! この程度で終わりたくはないだろ!》
アインが心に呼び掛ける。しかしその通りだ。せっかく力を手に入れたんだ。アイツを殺すまでは――。こんなところで、負けてられない!
「アアアアァァァァッッ!!」
降り下ろされるサザナミが刀に触れる寸前、傾ける。防御と同時に敵を抜ける。そして――思い切り――
「セアアアァァッッ!!」
「おぁ、あぶねっ!」
振りかぶったものの、篠田はそれを容易く回避した。僕の刃はそのまま空を切った勢いが消えぬまま、体が後ろへと動く。
篠田は鳩が豆鉄砲食らったような顔して、サザナミを肩にトントンと乗せた。正直僕自信も今の動きは予想外だった。不思議と体にちからが溢れてくるのだ。そしてまだ求めている。もっと、もっと、力をよこせと、体が叫んでいる。
僕はその欲望を自ら押さえつけるように、後退する。
《なぜ下がる?》
「……ごめん」
サザナミを受ける。
《力が怖いのか? 君が求めたのだろう》
(……違うよ、力が怖いんじゃない。力を求め続ける自分が怖いんだ)
《なるほどな……》
今もなお、篠田は攻撃を続ける。それはまさしく雨のように、立て続けに繰り出された。心なしか先程よりも一撃一撃が強くなっていっている気がする。受けるのが辛い。サザナミがとても重く感じるのだ。篠田の力が強くなっているのだろうか、先程の僕の攻撃で警戒しているのか?
胸のうちで詮索を行いつつも、一発軽く来た刃をいなし、攻撃に転じる。
横凪ぎ、袈裟斬り、突き。あらゆる攻撃を試す。時には後退し、サザナミの動きを見極める。篠田の動きは本当に落ち着いていて、まるで刀と一体になっているように感じる。これが実力の差だと嫌でも思い知らされた。恐らく勝つことはできない。
だが、これはテストだ。勝利こそが正解ではない。合格こそが正解だ。だがやはり一撃かましてやるッ!
「せいっ!」
攻撃をかわされた振り返り様に刀を振りかぶる。不安定な攻撃であるが、数打ちゃ当たるだ。
振動する。サザナミとぶつかり合った瞬間、やはりとても重い感覚がある。まさか、ただ単に篠田が強いと言うことではないのか?
「ふっ!」
縦に斬り下ろした。やはり、重い。サザナミに触れた瞬間、刀が重く感じた。篠田が強いからといって、自分の攻撃さえ重く感じるはずないだろう。やはり、なにかが変だ。
(アイン)
《うむ。これはこいつの所為ではないぞ。これはあの武器の所為だ。あれには対魔の術式が刻まれている。いくら私とて、何度も受ければ力が弱る》
(じゃあ、早くけりをつけなきゃ行けないのか)
《そう言うことだ》
でも――怖いんだ。
僕の心うちを知らないサザナミはどんどん威力をあげていく。篠田の猛攻に、僕はとうとう力が入らなくなった。
サザナミの先端が僕の目の前に。チェックメイトだ。これ以上は続けられない。
「まぁ、結構頑張った方だな。だがま、まだ弱い。旧東京の迷宮じゃ――弱いやつは、なにも成し遂げられない」
「――ッ!?」
何も? 成し遂げられない?
脳裏に笑い声が響き渡る。こびりついた闇が吹き返す。記憶の鎖が解き放たれる。
弱いやつは誰も助けられないし、何もつかみとれない。そう、アノトキミタイニ。
慟哭がいっそう激しさを増す。武器の言葉なんて、僕には届かない。
何も、できないのか……?
――やっちゃえよ。
でも僕には力がない。
――ほら、やれってほら。
力だ。力をよこせ。
――殺せ。殺せ。殺しちゃえ。
もっと、もっとだ。僕に、力を!!
――アハハハハハハハ!!
ふふ、ふはは、あははははははははははははは!!!
「ニィイイイ……アハ」
右手を振るう。こいつを殺す。考えるのはそれだけだ。殺せ、殺せ。何もかも壊れてしまえ。
左手を振るう。赤い刀を次々と振るう。後ろに前に、こいつを殺しにどこまでも動き続ける。そして――脇腹をえぐった。