1-黙示録の時代
僕の名前は渡辺護。ごく普通の高校一年生だ。服装も至って普通、学校指定の黒地のズボンをはき、夏服の、袖の部分が緑に染められた半袖のYシャツを着て、そこには黒のネクタイ。頭髪だって染めずに黒、自分で言うのもなんだが、成績はわりとましな方だ。本当に、何もないただの一般生徒…………ならよかったのだが、実はこの僕には、すこし変わったところがある。それはきっと、今の僕の状況を見てもらえばなんとなく想像できるだろう。
「ぁぁぁぁあああああああああ!!」
ここで叫び声をあげているのはもちろん僕だ。こんな至って冷静そうに台詞を想像しているが、実際はもっと深刻な状況なのだ。息もつらいし、いい加減に足がどうにかなってしまいそうだ。
ドシドシと騒々しい音をたてながら僕を追いかける奴は、体長三メートルを優に越える人型の魔物。そんなやつになぜこの僕が追いかけられているのかと聞いてしまえば答えは簡単だ。僕がこいつを殺しに来た。だがそれもうまくいかずに、無駄な怒りを買って逃走中と言うわけだ。
「くそっ、僕にはそんな力ないってわかってるだろッ!」
そこら中にある廃ビルの瓦礫をうまく乗り越えながら、少しずつ距離を伸ばしていく。奴はでかいがそこまで動きが早いと言うわけではない。上手いこと障害物を越えていけば十分に逃げることはできる。それでも逃げ切れていないのは、やはり僕の心に迷いがあるからだろうか。
そうだ、僕は――アイツを殺すだけの力が欲しい。
そのためにここ旧東京までやって来たのに敵から逃げるばっかでなにもできやしない。持っていたナイフも折れてしまった。こんな固い相手にいったいどうやって殺せばいいのか。やはり僕が一般生徒だからなのか? そう考えてしまうと、自分がたまらなく嫌になる。力を求めて弱さを思い知らされて、結局僕にはなにもできないのか……。
《――私と殺してみる?》
声が聞こえた。夢じゃない。直感的にそう思った。
自分でも不思議なくらい、あっさりと僕はその声に向かっていった。
あれはもしかしたら、悪魔の囁きだったのかもしれない。だけどいまの僕にはそれにすがることしか選択肢はなかったのだ。
崩れたビルで組み立てられた角を越え、その先の暗がりへ。瓦礫が積まれてできた隙間が見つかり、そこをさらに進んでいく。すると同時、いま越えたばかりのビルが激しい揺れと同時に崩壊した。奴がきたのだ。どうやったのかはしらないが、僕の居場所を嗅ぎ付けたらしい。
――このままではやばい。
疲労した肉体にむち打ち、声のもとへと走る。
刹那、僕の頭上の瓦礫がひび割れ、ついには崩れてしまった。正直、全身が痛かった。しかし、もはや悲痛の叫びをあげるほどの気力もないし、そのつもりもない。諦めた。最後に与えられた希望すらこの手にできない人間になど、きっとこの迷宮と化した旧東京を生き抜くことなどできないのだろう。
思えば、つまらない人生だったと思う。生まれは田舎。上京した頃に大災害に巻き込まれ、家を失い家族を失い、そして《アイツ》を失った。なにもない人生だった。本当にそう思う。与えられたレールの上を行き、そしてそのレールが切れたらもうおしまいだ。
ははは。我ながら笑えるよ。でもこれで、もう終わりだ……――。
《――――本当にそれでいいのかい?》
――――ッ!?
声。
さっきと同じ少女の声だ。頭に直接響かせているような声。
《君は力を求めた。そして私を求めてここまで来た。なのにもう諦めてしまうのかい?》
「……もう遅いよ。僕にはもう時間がない」
《むふふ、そう悲観するな人の子よ。君はもう私のもとへとたどり着いた》
「えっ?!」
《さぁ、力を求めろ! 運命に抗え! その感情は私を介して君の力になろう! そして君は強くなる! さぁ掴み取るのだ、君のその――》
「…………」
《――終わりのない欲望で!!》
僕の世界が暗転した。
+++
つもり積もった瓦礫の山からはもくもくと砂煙が巻き上がっていた。その前を徘徊している魔物は獲物を仕留めたかどうかを気にするように何度もその場をうろうろする。こいつの追っていた少年は見事に敵を巻いたかに思えたが、急に方向を変えて走りだし、お陰で再び追いかけられ命を無駄にした。魔物からすればなんだかよくわからない状況だろう。しかし、与えられた命令を達成したこいつはもうここにとどまる必要はない。魔物は瓦礫の山を再確認すると、身を翻し、一歩から踏み出した。――しかし、その行動は間違いだった。
青白い光が辺りをおおう。瓦礫の隅々から発せられるその光は魔物も無視はできない。それに臭いを感じたのだ。先程追いかけていた少年と、同じ臭いが。
すると、積もっていた瓦礫が一気に崩れていく。がらがらと騒々しい音をたてながら、砂煙が再び巻き上がる。
「…………まだ……死んじゃいないぞ、僕は」
砂煙の中、人影が立ち上がる。少しずつ晴れていくにしたがって、その姿が露になっていく。
黒髪に土ぼこりにまみれた制服姿。そして、その手に握られる黒い刀。
「……行くぞ」
瞬間、彼は煙に穴をあけ魔物に向かい直進していく。つい先程圧倒的な力量の差を見せつけたこいつからするとその行動は滑稽なわけで、彼を嘲笑うかのように息を漏らすと、腕を思いきり振り上げ、そして――――少年めがけて降り下ろした。
《避けろ!》
「――――ッ!?」
ド――ン!!!
降り下ろされた魔物の大腕は瓦礫を軽々と粉砕し、その圧倒的威力の前では一般人などどうすることもできないだろう。
だが、
《どうだ? すごいだろう?》
「うん……すごい……。すごいよ!」
魔物の頭上。高さおよそ五メートルという地点で、彼は刀を握りしめ嬉々としていた。いままで逃げ回っていたとはとても思えない彼の動きに、魔物は反応がやや遅れる。
「これなら――――行ける!」
彼はそのまま自然落下するにしたがって重力に身を委ねると、右手に持った黒い刀を両手の平で握りしめ、狙いを魔物の脳天に定める。耳には刀が風を切る音が響き渡り、黒い刀はまるで血に飢えた獣のように躍動を感じた。
そして――――
(当たれ――!)
彼の念じるまま、その刃は魔物の頭部を指し貫いた。
彼の手には確かな感触があり、その心には大きな達成感と、そして戦闘が終わったことによる脱力感があった。
魔物は力尽きたようで、その大きな図体をぐらりと揺らすと、一気に倒れこみ彼にその生命の終了を知らせた。彼はその様子を確認すると、刺した刀を引き抜いた。――すると、力尽きた魔物の肉体は一瞬にしてどす黒く染まり、細かい粒子となって黒い刀に飲み込まれていった。
しかしこの現象を少年は知っている。
――魔は魔を喰らい糧にする。
常識とまではいかないにしろ、今では広く知れた知識だ。この黙示録の時代を生き抜くためには、あるいは黙示録の時代に挑むと言うのならば、魔という存在は大きな力となる。そしてその力を、たった今彼は得たのだ。
彼の手元離れた刀は淡い光を放つと、すぐにその形を変えていった。それは人の形。だが、人ではないもの。――悪魔だ。
「我が主人となりし少年よ。これからよろしく頼むぞ? その命尽きるまで……」