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自分という意識がかなりしっかりしている分、照りつける日差しの眩しさや、汗ばむ初夏を思わすような気温に少し混乱しているのかもしれない。
普段見る夢は何かに急き立てられるような漠然とした目的があった様にも思えるが、今はただ夢の中にいるという考えだけで、何かをしようと思える胸を突き動かされる動機は湧き上がらない。
『この夢の中を見て回ろう』漠然とその思いが起こるまでに感じたことをまとめた結果、『ロスト・ディスティニー』内の初期エリアにある村『ロルブ』に自分がいる、その村の中心より少し外れた芝生で寝ていたことが分かった。
しつこいくらいに少年と男性のやりとりの声が聞こえてきていたため、場所の特定が出来たのだが、ついでに約3分に1回聞こえてくる声の回数を数えていたので、起きてから約30分という時間経過も把握出来た。
ゲームであればロルブ村はキャラクター作成後すぐに来る村で、いきなり降り立つ場所ではないのだが、ゲームで一番最初に訪れる村でやはり間違いはない。
現実感のある夢の中で自分の意識を感じ取ったままで、何か行動を起こすことには勇気がいると実感している。すぐに行動を起こせる人物がいるなら尊敬に値する洞察力の持ち主か、後先を一切考えない無鉄砲なのだろう。
自分は面倒くさがりではあるが、森羅万象を把握する力もない非万能型で、無鉄砲ではなかったために動き出すまでの時間が掛かった。ついでにここでは無職だ、職業欄が空白だ。
無職で文無しの取る行動といえば、職探しか一攫千金と相場が決まっている。行動を起こすことは決めてみたが今後の選択肢のために、両頬を一発叩いてみようと思う。痛ければ何か分からないが現実、痛くなければ夢と決め両頬を両手で叩いてみた。
思った以上に大きな音が鳴り、全く痛みはないのだが、頬に衝撃と何より鼓膜がキンキンする音、ちょっと辟易する不快感ではあるが、痛みはないので夢なのだろうと確定させることにした。
『よしっ』と立ち上がり、きちんと周りを見渡して見ると、右手側に見える建物に見覚えがあった。ゲームで見るものとは違い、圧倒的な質感を持っていて、造りと外壁の色で村長の屋敷だと分かる。
ゲームでいくつかのお使いをこなすと立ち入る場所で、いきなりの訪問は拒否されてしまう。今は立ち入る必要もないが、位置関係と方角を知る上で役にはたった、その反対に向かって歩いていけば良い。
まず決めたプランは、喉の渇きを癒すことの一点。
頬を打つ痛みはないのに、喉の渇きはありありと感じられ、少々耐えられそうもない。ゲームのような夢のはずだが、喉を潤すためには水か何かの飲み物が必要である。
ゲームと一緒の設定ならば目的地で話すだけで、飲み物が貰えるクエストがあるはず、そう言い聞かせて歩き始めた。
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未だに軽快なリズムを踏むBGMが耳に入ってくるが、どこから聞こえてくるのだろうなどと考えつつ、15mほど進んだ先に目的の場所があった。
看板はないが入り口の形状から飲食店の名残がある家で、ゲーム内では廃業しているはずであり、その軒先に1人の中年女性が立っている。歩みを止めず近づくにつれて、微動だにせず佇む姿は、マネキンのような姿に思え、少し自分の中に不安を誘う。
少し荒れた石畳の上を歩いているため、足音が全然出ていないわけではない、そのまま近寄って行くのだが、こちらの気配を感じ取っている様子もない。やはりNPC然とした存在なのだろうか、そんな疑問さえ浮かぶような雰囲気の女性の立ち姿だった。
相手が人間でなければ、声を掛けないまま近寄って行っても大丈夫だと思うが、反応がないからと目の前に立てば変質者か怪しい人だ。
夢の中であっても理性がきちんと働いている。なんと声を掛けようと考えあぐねているまま2m程の距離まできた、普通なら気配を感じ取ってこちらに視線を送ってもおかしくはない、ゲーム内の夢だから、こちらからアクションを取らなければそのままなのだろうか、そんな考えも浮かんでくる。
周りに視線を送るが他に人影はないため全て同じ反応なのか確認することは出来ない。
今まで見てきた夢の中で、状況や法則が分からない時でも、こんなに焦る気持ちが浮かび上がることはなかった。
気温や日差し、なにより感じられる空気感が不安を掻き立てているのだろう。喉の渇きはあるが、ここは我慢して女性の前を通り過ぎ、反応を伺ってみようと考えを切り替える。その時の反応や動き、感じる視線などで相手との接し方を掴めばいいのだ。
まっすぐ向かっていた進行方向を少し修正して、不自然ではない距離を保って相手の前を通り過ぎてみる。
一切の反応はなかった、マネキンのように微動だにしていない。これで相手は少なくとも自発的に動く相手ではないと分かり、踵を返して近寄ってみる。
やはり反応はないため、一歩ずつ近寄ってみるのだが、少し恐怖を感じるくらいに女性が生々しい肌を持った人間のように見えてくる。何かの魔法に掛かって時を止められているかのようだ、ここでふと思い出したのだが、この夢の中で眠りから覚めた時に聞こえてきた、少年と男性のやりとりだ。
声を発し、移動していたはず、ただのルーチンにも思えるが、すぐに行って確かめた方がいいのだろうか、そんな思いも浮かんでくる。
まあそれは後でもいいかと思う、とりあえず目の前に立つ女性が飲み物をくれる相手だ。移動も面倒だし、ゲームと同じ要領で接してみれば、意外に簡単に魔法のように、手元に飲み物が現れるかもしれない。
そう思うが、普通に声を掛けるだけでいいのかという疑問も浮かぶ、面倒くさがりなくせにこんなことでは迷う自分の性格に、ちょっとイラついて、なんでもいいやと声を掛けることにした
「こんにちは、ちょっといいですか?」
――――この言葉を掛けただけ、この世界の人への初めての接触。
たったそれだけなのだが、かなり強い立ちくらみを感じる……
いや……、世界がブレたのだろうか、地震とは違う、吐き気を催す感覚は即座に収束したが、それでもかなりの不快感は残ってしまっている。
「あの、何かご用でしょうか?」
はっと顔上げて声の方を見ると、半分心配そうで半分怪訝な顔をしているように見える女性がこちらを見ている。
声を掛けたので当たり前なのだが、口をついて言葉が出てこない、女性は困惑した表情を色濃くする。先ほどまで微動だにしていなかった姿はなく、生きている人間としか感じられない生を強く放っているのだった。