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決戦


  22


「――有津市一帯に緊急避難警報が発令されました。今すぐ地域指定の避難施設に避難をしてください。これは訓練ではありません。繰り返します。有津市一帯に緊急避難警報が……」

 一夜明けて翌日の昼、街中では警報のアナウンスが虚しく響いていた。

 街に人影はない。静かなものだ。いつもは車がたくさん走っている幹線道路も今は何も走っていない。信号機だけが規則的に赤と青に点灯していた。

 市街地中心部、4車線道路の中央分離帯にて、私は静かな有津市を眼と耳で感じていた。

 ここは私が生まれ育った町、そしてこれからも長い時間過ごしていく町だ。そんな町をアグレッサーに破壊される訳にはいかない。例え死んだとしても、この町を守るつもりだ。少し大袈裟かもしれないが、そういう覚悟はできている。

 今私が装着しているCoAT『シオンネイス』……この強力な兵装があればアグレッサーを倒すのは容易い。隣にいる玖黒木も同じCoAT『ゲングリッド』を着ているし、二人で協力して戦えばアグレッサーに負ける気がしない。でも、ラルフォスさんの話した感じだと、一筋縄には行きそうになかった。

 色々と考えながら周囲を見渡していると、中央分離帯の上で寝転んでいる玖黒木が呟く。

「避難、あっという間だったな。」

「そうだね。さっきまでトラックやヘリやボートやらですごく騒がしかったのにね。」

 玖黒木の呟きに応じたのは、同じく中央分離帯でのんびりしているラルフォスさんだった。

 玖黒木やラルフォスさんの言う通り、避難はあっという間に終わった。

 夜中に鳴り響いたサイレンによって有津市の住民は叩き起こされ、それぞれが指定の避難場所に向かった。その後すぐに輸送用の車両やヘリコプターが出現し、住民を次々と安全域まで避難させたのだ。中には自前の車で逃げた人もいたみたいだが、そこまで混乱は起きなかったみたいだ。

 街頭の大きなテレビには『アロウズの試作兵器、暴走の危険か!?』というテロップが流れ、コメンテーターはひたすら避難を訴えている。

 少し過剰報道な気もするが、アグレッサーがどのような規模に攻撃をするのか分かったものでもないし、避難する人は多ければ多いほど安全なはずだ。

 玖黒木はラルフォスさんに話し続ける。

「しかし、アロウズの研究所もあんなに派手に破壊しなくてもよかったんじゃないか。適当に海に浮かんでる島の山肌を爆発させるくらいで十分だったと思うんだが。」

 サイレンが鳴り始めてすぐに、私たちは爆薬やガソリンをたくさん使って研究所を爆破した。これは、自衛隊の出動を早め、避難区域を拡大させるために行ったことだ。危うく戦闘機がスクランブル発進するところだったので、肝を冷やしたものだ。

 玖黒木の質問に対し、ラルフォスさんは真面目に答える。

「アロウズに被害が及ぶことに意味があるんだよ。同じ場所が一週間と経たずに爆破されたら誰だって危機感を覚えるだろう? それに、研究所は試作兵器によって破壊されたことになってるし、これでアロウズの兵器が暴走したって言っても信憑性が増すだろう。」

「そういうものか……。」

 まあ、騒ぎを大きくするのもほどほどにした方がいい。下手をすれば他の国の軍とかが介入してとんでもないことになりそうだ。あまり詳しくないけれど、アメリカ軍とかが基地から来るかもしれない。

 その後も街頭のテレビを見ていると、不意に画面が切り替わり、どこかの中継映像が映しだされた。

 そこには4車線の道路が映っており、中央分離帯には3つの人影が確認できた。

 もちろんそれらは私と、玖黒木と、ラルフォスさんだ。

 私とラルフォスさんは立っていて、玖黒木は中央分離帯でのんびり仰向けになって寝ている。これは上空からの映像だ。

 そう判断した私は視線を空に向ける。

 昼下がりの青い空には小さな飛行機が飛んでいるのが見えた。結構高い場所を飛んでいるらしく、ここからは点にしか見えない。飛行の音も聞こえないし、すごいものだ。

 そんな技術力に驚いていると、ニュースの内容が避難を促すものから、今後の自衛隊の動きについての話へと移った。

「つい先程、緊急閣議においてアロウズの暴走兵器を武力破壊することが決定されました。この決定により、本日の正午から暴走している自立型戦闘兵器への遠距離砲撃が開始されます。」

 アナウンサー曰く、もうすぐ自衛隊の攻撃が始まるみたいだ。今の私達は世間から見ればアロウズが開発した暴走兵器だ。それ以上でもそれ以下でもない。速やかに排除されるべき危険物ということである。

「ラルフォスさん、大丈夫なんですか?」

 この“大丈夫”は私達についてではない、自衛隊に向けられた言葉だ。

 私達にはCoATというアグレッサーへの対抗手段があるが、彼らには全くない。アグレッサーに襲われやしないか心配である。

 場合によっては適当に脅して撤退させたほうがいいかもしれない。

 しかし、ラルフォスさんは全く問題さなそうな口調で答える。

「言っても無駄だろうし、無視しよう。それに、下手に攻撃しない限り彼らは安全だと思うよ。自衛隊は未知の相手に先制攻撃なんてしないだろうし、気にしなくてもいいさ。」

 ラルフォスさんの言葉に続き、玖黒木もコメントする。

「他人の心配より自分のことを心配しろカナタ。……今頃、岩瀬家は気が気じゃないだろうな。あと、幼馴染君も心配してるだろう。」

「心配してるだろうけどちゃんと話したから大丈夫。」

 玖黒木に指摘されるまでもない。事情は何となく話したし、何も心配いらないとみんなには言ってある。

 特に良人は私の決心を尊重してくれて、応援するとも言ってくれた。いつでも私の助けになると送り出してくれた。私にとってはその言葉だけで十分だ。

 良人との会話を思い返していると、再び玖黒木が話しかけてくる。

「妙に清々しい顔をしているな。やはり人間、告白すると心も体もスッキリするのかもしれないな。しかし、決戦前夜に幼馴染といちゃつくとは……。まるで死地に赴く兵士のようだな。」

「な!?」

 急に昨晩の事を話題にされ、私は玖黒木の方を向く。

 仰向けに寝ている玖黒木はヘルメット後部に手を回し、組んだ足を楽しげに左右に振っていた。

「ちょっと、見てたの!?」

「安心しろ。何が起きても俺達はアグレッサーの攻撃を阻止する。お前が大好きな幼馴染の記憶から消えることもない。全て終われば堂々と幼馴染の匂いを堪能することができるだろう。」

 この分だと結構早い段階で覗かれていたに違いない。人目がつかないように神社まで移動したのに、まさかストーキングされていたとは思ってもいなかった。

「いいから、どこからどこまで見てたのか教えなさいよ!!」

 私は玖黒木のヘルメットを蹴り、半ば脅すようにして話を聞き出そうと試みる。しかし、激しく頭を揺さぶられても玖黒木は全く動じていなかった。

「ほう、見られて困ることでもしたのか。言ってみろ。そうすれば俺が見たかどうかはっきりと分かる。」

「言っちゃったら意味無いでしょ。馬鹿じゃないの!?」

 告白したことを知られただけでも恥ずかしいのに、抱きついた事まで見られていたとなると恥ずかしさで死んでしまいそうだ。今の私は多分あり得ないくらい赤面しているだろう。ヘルメットを被っていて良かった。

 私が玖黒木におちょくられて困っていると、ラルフォスさんが会話の流れを変えてくれた。

「……それはそうと、イグジレイザーの使用方法を教えておかないとね。玖黒木も手伝って欲しいんだけど、いいかな。」

「そうだったな。これを使えないと苦戦するだろうからな。」

 玖黒木も私を誂うのに飽きたようで、あっさりとラルフォスさんに応じる。

 ちなみにイグジレイザーはアグレッサーを消滅させる必殺技のようなものだ。

 玖黒木の場合は腕を光らせて殴るという単純なものだ。私も似たような感じになるのだろうか。

 ラルフォスさんに協力を求められ、玖黒木は上半身を起こしてその場にあぐらをかいて座る。ラルフォスさんもその場に膝をついて座った。私も同じように足を前に投げ出して腰を下ろし、三角座りをする。

 三人が向かい合うように座った所で、早速ラルフォスさんが説明を開始する。

「イグジレイザーは極端に言うと極大エネルギーによる究極の物理攻撃なんだ。次元を歪みやすくして、ネクタルの力を逆流させて、目標物を他の次元に飛ばすってわけさ。」

 よく分からないが、とりあえず頷いてみる。

 ラルフォスさんは私の反応を見て、話を続ける。

「玖黒木のゲングリッドは刹那の間だけ拳の質量を増大させてるんだけど、シオンネイスは大量の運動エネルギーを使用するんだ。」

「運動エネルギー?」

 この単語は理科の授業で聞いたことがある。ついこの間慣性の法則の実験をやったばかりだ。つまり、すごく速く動いて攻撃するということだろう。どのくらいの速度を出すのか気になるところだ。

 私の予想通り、ラルフォスさんは速度について触れる。

「うん、光速の0.3%の速度で目標に体当りするんだ。」

 その言葉に玖黒木は驚いた様子で反応する。

「驚いたな、0.3%か……。」

 私はその数字の小ささに拍子抜けする。

「なーんだ、0.3%か……。」

 対照的な反応に、私も玖黒木もお互いを見る。ヘルメットのせいで顔は見えないが、玖黒木が私を馬鹿にしたような表情で見ていることだけは何となく分かった。

 予想通り、すぐに私を馬鹿にするセリフが発せられる。

「流石は普通の女子中学生。お前の頭の悪さには驚かされる。……仕方がないから説明してやろう。光のスピードはおよそ秒速30万km、その0.3%は秒速900kmになる。どうだ? これで理解しただろう。」

「秒速って、一秒で進む距離のことで……。え? じゃあ一秒で900kmも進むの!?」

 それは私の想像を遥かに超えていた。驚きのあまり私はぽかんと口を開けてしまう。

 私の計算が正しければ、日本列島を3秒ちょっとで縦断できてしまう。地図を思い浮かべながら移動の軌跡を考えるだけでその速度の恐ろしさが理解できる。

 そんなに速く移動して大丈夫なのだろうか。理科の授業では重力加速度が強いと体が潰れてしまうとか、戦闘機パイロットとかF1レーサーとかは重力加速度のせいで骨が折れたり気を失ったりするとか、そんな恐ろしい話を聞いた。

 秒速900kmとなると体が潰れてしまうのではないだろうか。

 そんな不安を和らげるようにラルフォスさんは説明を再開する。

「ものすごい速さだろう? 衝突時のエネルギーはヒロシマ型原爆と同等だよ。通常なら加速時のGで潰されるか、空気との摩擦で一瞬のうちに蒸発するけれど、CoATを着ていれば大丈夫だからね。それに発動時間は限りなくゼロに近いし、射程も5kmかそこらが限界だよ。」

「ホントに大丈夫かなぁ……。」

「大丈夫。使いたい時は“イグジレイザーを起動”って言えば勝手にCoATがシークエンスを開始するから。その後は指示された通りに手順を踏めば問題ないからね。」

「はい、分かりました……。」

 どうしてこんな機能を開発したのだろうか。わざわざ私が突進しなくても銃で物体を秒速900kmで飛ばせばいいだけではないだろうか。今更文句を言った所でどうしようも無いだろうし、ここはラルフォスさんの言葉を信じておこう。

 説明を受け、玖黒木は早速作戦を発案する。

「カナタのイグジレイザーは必中の一撃必殺技だな。上手くいけばすぐにアグレッサーを退かせられるかもしれないぞ。」

「どういうこと?」

 玖黒木のセリフが気になった私は、思わず訊き返してしまった。

 私の言葉を受けて玖黒木は話を展開させる。

「確かワルトとか言ったか。ラルフォスが言うにはそいつが司令官の役割を果たしてるらしい。総攻撃をかけてくるとしても、そいつさえ倒せば確実に勝てる。……というわけでカナタ、お前はワルトとかいうアグレッサーだけを狙え。いいな。」

 この案にラルフォスさんも賛同する。

「そうだね。ワルトは戦闘に長けているから苦戦するだろうけど、イグジレイザーさえ上手く当てれば簡単だよ。期待してるよ。」

 そんなに期待されても困る。でも、二人が言うからには本当にそれくらいしか良い作戦が無いのだろう。

「うん、何とかして頑張る。」

 これも有津市を守るためだ。私がやらなければ誰にも有津市は救えないのだ。

 私が頷くと、タイミングよく正午を知らせる時報が街頭テレビから発せられた。それは自衛隊がこちらに向けて砲撃をする時刻でもあった。

「よし、そろそろ砲弾が降ってくるな。ワルトが現れるまで海の辺りをウロウロするぞ。」

 玖黒木はそう言って立ち上がり、空高く飛び上がる。と、同時に何か黒い物体が玖黒木と接触する。

 玖黒木はその物体とともに道路に叩きつけられてしまった。

 早速自衛隊の砲撃が命中したかと思ったが、よく見るとその黒い物体には見覚えがあった。

「犬だ……。」

 それは私が初めて目にしたアグレッサー、私の脚を噛みちぎり、腹に大穴を開けた犬の怪物と同じ形状をしていた。相変わらず大きい。

 玖黒木は寝転んだ状態でその犬の怪物を上に打ち上げ、イグジレイザーを起動させて一瞬で敵を消滅させる。呆気無いものだ。あの時もこのくらいスマートに倒して欲しかった。

 とりあえず敵を倒せて安心したが、私は道路を見て思わず悲鳴を上げてしまう。

「うわぁ……」

 いつの間にか道路には犬の怪物が大量に、数にして20以上も出現していたのだ。

 怪物の群れはそれぞれが好き勝手に動きまわったりせず、綺麗に並んでこちらを向いている。まるで誰かが統率を取っているみたいだ。

 結構ショッキングな光景に動けないでいると、すぐ近くから威厳のある声が聞こえてきた。

「ラルフォス、約束通り今度は殲滅の許可を得てきた。邪魔をする者も全て殺す。」

「やっと現れたみたいだね、ワルト。」

 私は声に反応し、ラルフォスさんがいた場所を見る。そこには昨日見た全身漆黒の人型アグレッサー、ワルトが出現していた。

 ワルトは何の予兆もなく背後から現れ、ラルフォスさんに黒い刃を突き出している。

 ラルフォスさんはそれを腕の外側で防御していたが、ワルトによってすぐに蹴り飛ばされ、体勢を崩したまま道路脇のビルの壁に激突した。

 ワルトはさらに追撃しようとジャンプの体勢に入っていたが、私が勢い良く飛び蹴りを放ち、動きを制限した。

 飛び蹴りは簡単に避けられてしまったが、私は続けてミドルキックをお見舞いする。この蹴りは電柱を簡単に破壊できるほどの威力を持つ蹴りだった。しかし、当たらなければ意味が無い。

 ワルトは体勢を低くして2度めの蹴りを回避すると、私の軸足を両手で掴み、遠くへ投げ飛ばした。

 義足やCoATも合わせると150kgを越す私が5秒以上宙を舞うほどワルトの力は強く、私は200メートルほど先にある信号機と激突して道路に落下する。

 私が宙を舞っている間に犬の怪物は落下地点でスタンバイしており、道路に着地すると同時に襲い掛かってきた。

 あの時の夜は為す術もなく大怪我をさせられてしまったが、今は違う。

 軽く蹴るだけで犬の怪物の体は破壊され、犬の怪物による攻撃もCoATが防御してこちらには一切届いていなかった。

 このまま犬達を蹴り殺してやりたい気分だが、今はワルトを倒すのが先だ。玖黒木やラルフォスさんの言うとおりに行動した方がいい。

 私は強く地面を蹴り、再びワルト目掛けて飛んでいく。

 視線の先、ワルトはビルの壁にめり込んだラルフォスさんの正面に立っていて、手元には鋭い形状の黒い刃が握られていた。あの刃はラルフォスさんの装甲を簡単に両断できるほど切れ味がいい。あれで刺されたらラルフォスさんはひとたまりもない。

「ワルト、待て!!」

 私は叫びながらワルトに突進する。だが、私の突進はワルトに止められてしまう。

 ワルトは私の脚を片手で上手くキャッチし、その結果、私は逆さ吊りにされてしまったのだ。

「わ……、放せ!!」

 腕や脚をブンブン振るも、私の脚はその空間に固定された如く全く動かない。

 誰か助けてくれないものかと玖黒木に目をやるも、玖黒木は路上で犬の怪物や他にも昆虫の形をしたアグレッサーとの戦闘で忙しそうにしていた。

 私の脚を掴んだワルトは刃を止め、私に話しかける。

「貴様はあの時の女か。強固な鎧を纏っているようだが、それだけでは勝てないぞ。」

「……それはどうかなワルト。彼女を甘く見ると痛い目にあうよ。」

 壁にめり込んだラルフォスさんは強がりを言ってみせる。

 ワルトは私から青い双眸を逸らしてラルフォスさんに向ける。

「呆気なかったなラルフォス。今の私は司令官の権限を制限なく使用できる。どう足掻いても貴様に勝機はない。諦めて罰せられろ。無駄な抵抗をすればするだけ苦しんで死ぬことになるぞ。」

「僕は、諦めないよ。」

 ラルフォスさんの言葉からは強い決意が感じられた。

 ラルフォスさんが殺されたら次の目標はこの有津市だ。なんとしてもラルフォスさんを助けなくてはならない。でも、脚を掴まれているこの状況ではどうしようも……

「……!!」

 逆さ吊りにされたまま打開策を考えていると、視界の隅にある物を見つけた。それは高速でこちらに飛翔してきている物体で、その形状から砲弾だと判断できた。

 どうやら流れ弾みたいだ。予定通り自衛隊が遠方からの攻撃を開始したのだろう。

 私が確認してから間もなく砲弾は付近に着弾し、大きな爆発が起こる。

「くっ……!!」

 砲弾の威力は凄まじいもので、その衝撃によって私とワルトは遠くまで飛ばされてしまう。ラルフォスさんはさらに壁にめり込むこととなり、ビルの崩壊に巻き込まれていた。

 私はこれをチャンスだと判断し、ワルトの胴体を強引に掴み、一気に海目掛けて飛翔する。今はラルフォスさんや有津市から距離を取ることが重要だ。

 私に体を掴まれたワルトは腕を切り落とそうと奮闘していたが、私の飛び方があまりにも不安定だったため上手く体を制御できていなかった。

 何度か建物にぶつかりそうになりながら海岸を抜けると、有津大橋が見えてきた。

 そこで私はワルトから手を放す。

 ワルトは慣性に従ってしばらく空中を移動したが、有津大橋の主塔に乗って静止した。

 私もワルトと同じように橋まで移動し、ケーブルの上に乗る。

 ワルトが着地した主塔は吊り橋のケーブルを支えている場所であり、そこから伸びる太いケーブルは私とワルトを一直線に繋いでいた。

 ふと橋を見下ろすと、路面に重機の姿を確認できた。どうやらこの橋は私が鳥型のアグレッサーを倒した場所らしい。同時に、良人が大怪我をした場所でもあった。

 視線を前に戻すと、ワルトは足を肩幅に開いて腕を組んでいた。黒い刃はどこにも見当たらない。多分飛んでいる間に落としたのだろう。

 ワルトは主塔に陣取ったまま、私に手招きをする。その動きに誘われるように前へと足を進めると、ワルトが私に問うてきた。

「……なぜラルフォスを庇う。貴様とは関係ないはずだ。」

 私を説得しようとでも言うのか。飽くまで目的はラルフォスさんだけだと主張したいのかもしれない。でも、敵の言葉に耳を貸すつもりはない。

 私は質問を質問で返す。

「逆に聞くけど、どうしてラルフォスさんを捕まえようとしてるの?」

 この前、ワルトはラルフォスさんがルールを破ったと話していた。

 それがどんなルールなのか、興味はあるし聞いておいて損はない。もし話が長引けば玖黒木が助けに来る時間が稼げるし、悪い作戦ではない。

 しかし、ワルトの返答はそっけないものだった。

「答える義務はない。」

「……なら私も答えない。」

 ワルトに対し、“私はラルフォスさんを庇うために戦うのではなく、この有津市を守るために戦うのだ。”……と、本音を口にすることはできなかった。

 今はラルフォスさんを護衛していると思わせておいたほうがいい。そうすればワルトの注意はラルフォスさんに集中するはずだ。

 ワルトは私との会話を早々に切り上げ、再度掌から黒い刃を出現させる。

「そうか。……悪いが死んでもらおう。」

 その言葉と同時にワルトは腕を大きく振り、こちらに刃を投げつけてきた。

 回転することなく一直線に飛んできた刃は私の顔の横を通りぬけ、後方へ飛び去っていく。後方には橋のワイヤーが束ねられている部分があり、刃はその部分に命中した。

 刃によって太いワイヤーのうち数本が千切れ、張力から開放された金属糸で編み込まれたワイヤーが不気味な風切り音を響かせながら宙で舞踊る。

 ワイヤーを観察している間もワルトは黒い刃を投げ、私はそれを回避するために空へと飛び上がる。しかし、それは安易な回避方法だった。

 そんな私の動きを見透かしていたかのようにワルトは二の矢を放ち、素早く放たれたその黒い刃は私の胸部に命中してしまった。

「うっ……」

 あまりの衝撃に、肺にためていた空気が呻きとなって漏れる。

 ワルトはとどめを刺したと思ったようで、黒い刃を持ったまま佇んでいる。でも、刃はCoATの手前で停止しており、刃の先端は赤い液体……ネクタルによって止められていた。

 それを見たワルトは不機嫌そうに呟く。

「ネクタルの加護を受けているのか。ラルフォスめ……」

 正直、私もこの現象に驚いていた。ネクタルは単にCoATの性能を引き出すエネルギーだと思っていたが、想像している以上に万能な物体なのかもしれない。

 ワルトは黒い刃による攻撃を止め、私に再度問いかける。

「ネクタルと同化しているということは、一度貴様は殺されたということだ。……ラルフォスに何をされた? 何を吹きこまれた? 貴様はラルフォスが何をやろうとしているのか、本当の目的を知っているのか?」

「ラルフォスさんの……目的?」

 私はネクタルによって止められた黒い刃を指で弾き落とし、ワルトの言葉に耳を傾ける。

 正直な所、ラルフォスさんについてはよく分かっていない。今の今まで被害者だと思っていたが、もしかすると単なる逃亡犯なのかもしれない。

「そっち側から亡命してきたって聞いてるけど、そもそも何があったの?」

 橋の路面に降りて会話をする意志を示すと、ワルトもワイヤーを束ねる主塔から同じ位置まで降りてきた。その動きからは全くといって良いほど敵意が感じられない。

 ワルトは厳かな声で語りだす。

「ラルフォスはルールを破った。社会にはルールが存在する。ルールを守るものはルールに守られるが、破る者はルールによって罰せられる。それだけのことだ。」

 前にも感じたことだが、この人はとても頭が固い人らしい。ルールというか、規則を絶対的に信用し、それを重んじている感じだ。

 私は彼と会話を続ける。

「それってどんなルール?」

「答える義務はない。」

「またそれか……。」

 多分、その内容は話してはならないということも規則によって定められているのだろう。でも、ワルトという人は話がわかる人で、理性的な人だということは理解できた。

 単純な暴力ではなく話し合いで解決できるのならそれに越したことはない。

 実際、私も彼に戦闘で勝てる気がしない。今まで人を殴ったりしたこともないし、格闘技を習ったこともない。そんな素人の私が戦闘のプロに敵うとは思えない。

 最悪の場合、ラルフォスさんを引き渡してでも有津市を守れればいいと考えていた。

 ワルトは腕を組み、歩いてこちらに近づいてくる。

「……正直、ここまで貴様達が反抗する理由が理解できない。ラルフォスはここで何かを成し遂げようとしているのかもしれない。彼はこちら側でも屈指の頭脳を持つ科学者だ。ルールを破ってでも真実を追求したいという彼の気持ちも分からないでもない。」

「だったら、このまま見逃しても……」

「そうだな、私も彼が悪意を持ってこちらに亡命したとは思えない。……だが、ルールはルールだ。彼は消滅され、彼の研究成果も消滅させる。これは決まったことだ。私はそれを粛々と為すまでだ。」

 彼の苦悩が垣間見えた気がする。ワルトは信念を持ってなすべきことを実行している。多分私が何を言った所で交渉に応じてはくれないだろう。

 間違いなく彼は良い人だ。でも、相容れないのなら戦うしかない。戦って倒すしか有津市を守る方法は無いのだ。

 そう思うと、決心がついた。

「だったら戦うしかないみたい。」

 私はつい先程ラルフォスさんに教えられたイグジレイザーを使う覚悟を決め、ヘルメット内で小さく呟く。

「“イグジレイザーを起動”……。」

 静かに発せられたこちらの言葉に応じるように、ワルトは黒い刃を出現させ、構える。

「無論、ネクタルの加護を受けている貴様も例外ではない。恨むなよ。恨むなら貴様をそんな身体にしたラルフォスを恨め。」

 そう言いながらワルトは私に斬りかかってくる。

 私は背後に跳んで斬撃を回避し、さらに後方へと退く。戦うと言っておきながら情けない動きだが、シークエンスが完了するまでダメージを受けると不味いので逃げる以外に方法がない。

 逃げている間、私のCoATシオンネイスは形状を変化させていた。

 コートの裾は背後に伸び、全体的に強く赤く光り始める。また、義足の一部も変形して、攻撃的な形状からスリムな流線型へと変化していた。

「エネルギーの増大を確認……。一気に勝負を仕掛けるつもりか。」

 ワルトもその異変に気付いたのか、斬撃による攻撃を中断し、黒い刃を掌に収める。

 その代わりにワルトは腹部から巨大な長い槍、持ち手から先端にかけて円錐状の穂先で形成された槍……俗に言うランスを取り出した。

 そのランスの存在感は圧倒的で、橋の上に停まっているショベルカーのアームよりも太くて長く、重量感もあった。あれで突かれたらCoATでも防御しきれないだろう。

 ワルトは私を追うのを止め、黒い槍を脇に抱えて保持し、橋の上で足を開き重心を低くして構える。鋭い穂先は私に向けられている。

 その穂先は、先端恐怖症の人ならば卒倒しそうなほどの鋭さだった。

 私も逃げるのを止め、体の正面をワルトに向ける。

 既にシークエンスは最終段階へ移行しており、ヘルメットのバイザーには緑色の十字型の照準と、カウントダウンの数字が表示されていた。

 数字は既に10を切っており、0へと近付いている。

「こちら側の物質で構成された兵器がどれほどの力を持つのか、試させてもらおう。」

 ワルトの身体も脈打つように青く光り始め、黒い槍にいくつもの青く光るラインが生じる。ワルトの攻撃がどんなものか想像もつかないが、あちらもかなりのエネルギーを集中させていることが分かった。

 ……負ければ確実に死ぬ。

 今はラルフォスさんが作ったこのシオンネイスを信じるしかなかった。

「私は……負けない!!」

 やがてバイザーに表示されていたカウントダウンがゼロになり、イグジレイザーという名の秒速900kmによる体当たりが実行される。

 その時、私は奇妙な感覚に陥った。

 周囲の景色が緑の照準を中心にして引き伸ばされたように歪み始めたのだ。

 何かの錯覚かと思い、私は一度瞬きをする。

 すると次の瞬間、私の正面からワルトの姿が消えていた。

 ……いや違う。

 私がワルトの背後に移動していたのだ。強い衝撃が襲ってくるのかと構えていたのに体当たりはまさに刹那の間に終了したようだ。

「ぐ……ぅ。」

 振り返ると、右半身を失った黒い人影を確認できた。

 巨大な黒い槍は縦に裂けるように破壊され、大半が削ぎ取られている。それは、私のイグジレイザーが成功したことを意味していた。

 右半身を失った状態でワルトは話しかけてくる。

「これほどとは……。やはりラルフォスは一流の……」

 口調からは、苦しさだとか、痛みの類の感情が感じられない。素直にラルフォスの作ったCoATに感心しているようだった。

 改めて橋の上を見ると、先程まで私が立っていた路面が焦げているだけで、他に特に変わった点は見当たらなかった。ラルフォスさんはこの超高速の突進が原爆と同じエネルギーを持つだとか言っていたが、そのエネルギーは全部敵に集中するように計算されていたみたいだ。

 しかし、攻撃を受けてもなお、ワルトの体は崩壊しない。

 今までの記憶によれば、イグジレイザーを受けたアグレッサーはどれも全身が崩れるようにバラバラになり、消滅していたはずだ。これは一体どういうことなのだろうか。他にも何か手順があるのだろうか。

 そんなことを考えていると、急に体から力が抜け、私はその場に座り込んでしまった。

「あ……れ……? 力が、抜け……」

 極度の疲労感が私を襲う。全く体に力が入らない。義足も思うように動かせず、私はそのまま路面に倒れこんでしまう。

 そんな私とは対照的に、ワルトは普通に喋り続ける。

「なんとか攻撃は防いだ。私の勝ちのようだ。」

 ワルトを見ると、失ったはずの右半身がみるみるうちに再生されていた。5秒もすると右脚と右手が出現し、10秒で攻撃を受ける前と変わらぬ姿に戻った。だが、根本的なダメージはきちんと残っているようで、動きはふらふらとしていた。

 再生した右脚を前に踏み出し、ワルトは私が倒れている場所まで移動してくる。

 その手には黒い刃が握られていた。

 今、あの刃で攻撃されたら私は死んでしまうだろう。

 私は逃げることもできず倒れていた。……が、私を救ってくれる人物がワルトの背後から現れた。

「ん……?」

 私の視線を辿り、ワルトは背後に振り向く。その動作と同じタイミングで背後から現れた人物はワルトを豪快に殴り、ワルトは私の上を通り越して橋の上に停まっている重機と激突した。

「助けに来てやったぞカナタ。しかし、あのイグジレイザーを防御できるとは、ラルフォスの言った通りワルトというのは有能で戦闘に長けた司令官らしいな。」

 ワルトを殴り、その後すぐに褒めたのはゲングリッドを身に纏った玖黒木だった。

 あれだけ多くの犬型アグレッサーを相手にしたにも関わらずほとんど無傷で、CoATについた埃を払う余裕すら見せていた。

 私は路上に倒れたまま玖黒木に言う。

「そんなのいいから、早くワルトを倒しなさいよ……」

「礼の一言も無しか。まあいい、言われなくともとどめを刺してきてやる。」

 玖黒木は拳を握りしめ、重機と一緒に路上に倒れているワルトに向かってゆっくりと歩いて行く。

 ワルトは地面に手をついて立ち上がろうとしていたが、ダメージが限界を迎えているのか、膝をついたまま動かなくなっていた。

 歩いて行く玖黒木を見送っていると、今度は陸側から軽自動車が走ってきた。

 軽自動車はすぐに玖黒木に追いつき、停車する。そこから出てきたのはラルフォスさんだった。

 ラルフォスさんは玖黒木の前に立って押し止める。

「まぁまぁ、ちょっと待ってよ。少しワルトと話したいことがあるんだ。それまで少しの間待ってくれないかな。」

「……。」

 ラルフォスの言葉を受け、玖黒木は歩みを止める。

 ラルフォスさんはワルトと知り合いだとか、長い付き合いがあるとか言っていたし、最後に話しておきたいことでもあるのだろう。

 私もその話が聞きたかったので、力を振り絞って立ち上がり、ワルトが倒れている場所に向かって歩き出す。

 ちょっとずつではあるが、体力も回復してきているみたいだ。足を進めるたびに体から気だるさが抜けていくような気がする。

 玖黒木も興味はあるようで、ラルフォスさんの後を追っていた。

 その後すぐにラルフォスさんはワルトの元に到達し、いまだ路上で動けない彼に向けて話し始める。

「やあワルト。どうだい、こんなにダメージを受けたのは初めてじゃないかな。」

「ラルフォス……。」

 言葉に反応してワルトは顔を上げ、青い双眸をラルフォスさんに向ける。

 ワルトからは全くといって良いほど脅威が感じられない。まるで牙を抜かれた獣のようだった。

 そんなワルトに対し、ラルフォスさんは腰を下ろして肩に手を置く。

「あの時に僕を殺しておけばよかったね。変にルールに拘るから君は駄目なんだ。もっと柔軟に考えないとこの先もっと困ることになるよ。」

「貴様にアドバイスされるとはな。……しかし、私にこれから先は無い。さっさと殺すなり何なりするといい。」

「そう先を急がなくてもいいじゃないか。まだやることがあるんだ。」

 そう言ってラルフォスさんはワルトに顔を寄せる。

「おいラルフォス、いくら何でも近寄りすぎだ。危ないぞ。」

 しかし、すぐに玖黒木がその間に割り込み、ラルフォスさんはワルトから離れた。

 玖黒木の注意に対し、ラルフォスさんは肩をすくめる。ラルフォスさんからは今までの慎重さが全く感じられない。敵を倒して気が緩んでいるのだろうか。

 ワルトは、ラルフォスさんの身を案じた玖黒木に告げる。

「安心しろ。もう抵抗できるだけの余力はない。……それにしてもいい駒を手に入れたなラルフォス。特にあちらの小娘は戦闘力はもちろん、忠誠心も申し分ない。どんな手を使って支配下に置いたんだ。」

 ワルトは言葉の途中で会話の矛先を玖黒木から私に変える。

 セリフの中に出てきた“駒”とか“忠誠心”とか“支配”などという言葉が気に食わず、私はラルフォスさんに変わって答える。

「褒めてくれてどうもありがと。でも、別に支配されてるつもりはないよ。私はただ有津市を守るために協力しただけだから。」

 ようやくラルフォスさんの隣まで歩いて移動し、私は腰に手を当てる。

 正直な思いを打ち明けると、隣にいるラルフォスさんは大きく頷いてくれた。

 私の言葉を受け、ワルトは青い双眸を私に向けたまま首を傾げる。

「守る……?」

 その言動に反応したのは玖黒木だった。玖黒木は威圧的な口調でワルトに問い詰める。

「何かおかしいことでもあるのか。」

 ワルトは私を見たまま、玖黒木の問いに答える。

「……我々の目標はラルフォスとラルフォスの研究成果、そして貴様らネクタルの加護を受けた者だけだ。地域ごと消滅させるなんて、そんな過剰干渉を行うわけがない。」

 ワルトの言葉はラルフォスさんの言い分とは違っていた。ラルフォスさん自身も住民の避難に重点を置いていたわけだし、単なる勘違いでは説明できない。

 ワルトの告白により、私と玖黒木の視線はラルフォスさんに向けられる。

「ラルフォスさん、どういうことですか?」

「狙いが俺達だけなら、人が住んでいない奥地とか、海上で戦えば良かったはずだ。コイツの言ったことが本当だったなら、当初の目的通り国外へ飛んで身を隠せばどうにかなったんじゃないのか……?」

 私と玖黒木に詰問され、ラルフォスさんは顔の前で両手を振りながら軽く謝る。

「ちょっと大袈裟に言い過ぎちゃったみたいだね、ごめん。でも、こうでも言わないと協力してくれないと思ったんだよ。」

 ヘラヘラ笑いながら応じるラルフォスさんに、私は怒りを禁じえなかった。

「じゃあ、私を戦わせるために嘘を付いたんですね。死ぬかもしれないのに、戦いのせいで有津市がダメージを受けるかもしれないのに、全部分かっていて嘘を付いたんですね……。」

 私の一言によって橋の上に不穏な空気が漂い始める。

 いくら何でもこれだけは許せない。私を何だと思っているのだろうか。これではまるで有津市を人質に強引に戦闘させられたようなものだ。

 大体、私が瀕死の重傷を負ったのも、良人が怪我をしたのも、全ての原因はラルフォスさんがルールとやらを破ったせいだ。

 そう考えると、ワルトの気持ちも分からないでもない。

 ワルトが常識を持たない卑劣な敵だったら、十中八九私は死んでいた。それほど、今回の戦闘は怖かったのだ。

 流石の玖黒木もラルフォスさんの嘘については擁護できないみたいで、静観している。

 ワルトはまだ体を自由に動かせないようで、四肢を路上に付いたまま動かない。

 私はラルフォスさんの隣に立ち、のっぺりとした顔面を見つめて言葉を待っている。

 そんな数秒ほどの静寂の後、ラルフォスさんが口火を切った。

「二人共、今まで協力してくれてありがとう。……もういいよ。」

 それは、いつのもラルフォスさんからは考えられないような、ひどく冷め切った口調だった。私はその言葉から、何かが壊れたような、何かから吹っ切れたような印象を受けた。

 その言葉が終わるやいなや、私は頭に鋭い痛みを感じた。それは一瞬ではなく、継続した痛みへと変化し、いとも簡単に私の体の自由を奪う。

「うぅ……」

 情けない声が口から漏れ、私はヘルメット越しに頭を押さえ、その場にへたり込んでしまう。

 ふと正面を見ると、玖黒木も同じように頭を抱えて地面に膝を付いていた。

 玖黒木は視線をラルフォスさんに向け、確信を持った口調で告げる。

「何をしたラルフォス……。今すぐ止めろ。」

 玖黒木はラルフォスさんに手を伸ばして訴える。しかし、ラルフォスさんはその手を冷たく払い除け、玖黒木の体を蹴った。

「全く余計なことばかりしてくれるね、君たちは。」

「……。」

 ラルフォスに蹴られ、玖黒木はバランスを崩して仰向けに倒れる。

 もはや玖黒木は何も言い返すことができない。私も頭痛のせいで頭がおかしくなりそうだ。まともな思考をするのも困難になってきた。

 そんな私達とは違い、ワルトは全く平気なようで、のた打ち回る玖黒木を見てラルフォスさんに話しかける。

「ラルフォス、貴様……初めから私を待っていたんだな。私をこちら側に誘い入れるためにあんな挑発じみた真似を……」

「そうだよ。わざと痕跡を残してずっと君が来るのを待ってたんだ。司令官レベルの君が来るのをね。……僕が姿を見せた途端に乗り込んでくるんだから、ホント面白いよね。」

 ラルフォスさんはワルトの頭をポンポンと叩き、優越感たっぷりに話していた。

 話し終わるとラルフォスさんはワルトの上半身を持ち上げ、胸部を正面に晒す。そして何を思ったか、いきなりその黒い体に片腕を突っ込んだ。

 突っ込まれた金属の腕はスムーズに内部へと侵入していき、しばらく何かを探っていたかと思うと、中から小さな立方体を取り出した。

 大きさはほんの数センチほどで、形状を考えるとキャラメル飴に近い形状をしていた。

「ふふふ、これが欲しかったんだ。『司令官権限』、これさえあれば面倒くさい制約を受けなくて済む。これさえあれば……」

 ラルフォスさんはその立方体を今度は自らの胸部に押し当てる。立方体は溶けるようにしてラルフォスさんの体内に入り込み、消えて無くなった。

 ここでようやく私は何かがおかしいという事に思い至る。むしろ遅すぎたくらいだ。

 頭痛を必死にこらえ、私はラルフォスさんの名前を呼ぶ。

「ラルフォス……さん……?」

 ラルフォスさんは自分の胸部装甲を撫でながら、満足気に言葉を返す。

「やあお疲れ様。君はよく働いてくれたと思うよ。まさか一人でワルトを倒すなんて思ってもなかったよ。初めはネクタルを取り出して殺してやろうかと思っていたけど、考え直してよかったよかった。結果オーライだね。」

 私はその言葉を聞き、鳥肌が立った。

 ラルフォスさんからは以前のような優しさも微塵も感じられない。人を人と思わない、他人を物のように扱う卑劣で邪悪な人間そのものだった。

 私に続いて玖黒木もラルフォスに向かって叫ぶ。

「ラルフォス!! 俺を騙したな!!」

 玖黒木は大きな声を上げながらラルフォスに飛びかかる。しかし、ふらふらのタックルは簡単に止められ、玖黒木は逆にラルフォスから膝蹴りを受けていた。

 CoATによる防御も働いていないらしく、玖黒木は再び倒れる。

 ラルフォスはうつ伏せに倒れた玖黒木の背中を踏み、愉しそうに笑う。

「ククロギも馬鹿だね。いくら僕が天才的な科学者でも死んだ人間を蘇らせられるわけがないだろう。でも、こんな約束をしたおかげで立派な研究施設を使うことができてよかった。本当に滑稽だったよ……あははは!!」

 耳にしたこともないような狂気に満ちた笑い声が響く中、ワルトがゆっくりと立ち上がる。もはや彼から脅威は感じられず、立つのが精一杯のようだった。

「ラルフォス、権限を返せ。個人でそれを勝手に扱うことは許されない。」

 権限……先ほど取り出された小さな立方体の事を言っているのだろう。

 ラルフォスはワルトの要求を当たり前のように拒否する。

「返さないし、許されたいとも思わないよ。そちらでできないことを僕はこっちで成し遂げるんだ。誰にも邪魔されないこの世界でね。」

「成し遂げる……? ここで何をするつもりか、話してもらおうか。」

 ワルトの2度目の要求にラルフォスは応じ、空に両手を掲げながら説明し始める。

「僕はこの世界のエネルギーを用いてさらなる高みに向かうんだ。同軸上じゃない、より高い次元に、高尚な存在になるんだ。全てが僕の思い通りになる、夢のような世界を造るんだ。」

 その内容は私には理解の範疇を超えていた。もはや何を言っているのかわからない。

 ただ、ラルフォスが何か危険なことをやろうとしていることだけは何となく理解できた。

 そうこうしている間に頭の痛みにも慣れてきた。私は激しい頭痛に耐えつつ、ラルフォスさんを取り押さえるべく動く。

 状況は完璧に把握できたわけではないが、これ以上ラルフォスさんを自由にさせておくのはあまりにも危険だ。

 しかし、動き出した途端に体が重くなり、全く動けなくなってしまう。もちろんこれもラルフォスさんのせいだった。

「どうだい。動けないだろう。CoATの機能を全てロックしたんだ。」

「……。」

 私は無言でラルフォスさんを睨む。

 ラルフォスさんは私を見ておらず、その視線は地面に這いつくばる玖黒木に向けられていた。

 玖黒木はラルフォスさんに踏みつけられ、その上、CoATの機能もロックされて全く身動きできない状況になっていた。

 そんな玖黒木に対し、ラルフォスは挑発するように告げる。

「悔しいだろうねククロギ。僕はいつもこの瞬間のことを想像して楽しんでいたよ。ククロギはどんな反応をしてくれるのか、色々と考えてたわけさ。」

「黙れ……」

 玖黒木は静かに言い放つ。だが、それでラルフォスの言葉は止まらない。

「でも、この反応は予想外だったなぁ。僕はもっと君が怒り狂って泣き叫ぶかと思ってたんだ。もう二度とお兄さんは生き返らないよ。無駄な努力だったね、ククロギ。」

「黙れと言っている!!」

 玖黒木は叫び、CoATを脱ぎ捨てる。そしてラルフォスさんの足から抜けだして立ち上がり、生身の状態でラルフォスさんに殴りかかる。しかし、その攻撃は呆気無く防がれ、玖黒木は逆にラルフォスさんに反撃されてしまった。

 ラルフォスさんが軽く押しただけで玖黒木は勢い良く吹っ飛び、5メートルほど宙を舞うと、同じ距離だけ地面を転がる。

 玖黒木が脱ぎ捨てたCoATは潮風に吹かれ、路上ではためいていた。

「一応これでも感謝してるんだ。だから、僕を怒らせないで欲しいね……。」

 ラルフォスさんは動かなくなった玖黒木を一瞥し、私やワルトを無視してその視線を海側に向ける。

 そのままラルフォスさんは腕を上げて空中で忙しなく指先を動かし始める。

「さて、これからが本番だ。まずはトランスミッターを200ユニットこっちに転送して……僕が作ったコンセントレーターに連結させれば……時空に穴が……」

 もう私やワルトを脅威と感じていないのだろう。ブツブツ呟きながら作業に没頭していた。

 ラルフォスさんが海を見ている間、ワルトは脚を引き摺りながら私の元まで移動してくる。何かを私に話そうとしているみたいだ。もはやワルトから敵意は感じられない。

 私も機能がロックされ動かなくなったCoATを頑張って引き摺り、十分時間を掛けてワルトと合流した。

 合流するとワルトは手を伸ばし、私の頭にそっと触れる。

「……んっ」

 いきなり伸ばされた手に驚いて目を瞑ってしまったが、目を開ける頃には体に変化が生じていた。

「あれ、痛くない……」

 ワルトに触れられた途端、突き刺すような頭痛が引いたのだ。

 私に何をしたのか気になる所だが、この際痛みがなくなれば何でもいい。

 ワルトは青い双眸をラルフォスさんに向けたまま私に話を持ちかける。

「確か岩瀬彼方と言ったな。……私に協力してくれないか。このまま好きにさせればこの場所だけではなく、惑星ごと崩壊する。いや、この次元の因果律が崩壊する。それを阻止できるのは君以外にいない。」

 “惑星”という規模の大きな単語を耳にし、すぐに私は首を縦に振る。

「うん、早くラルフォスをどうにかしないと。……でも、どうやって?」

 ワルトの話が本当なら冗談では済まされない。でも、どうやってラルフォスを止めればいいのだろうか。ワルトも私も満身創痍だ。今立っているのだって奇跡と言っていい。

 悩ましい表情を浮かべていると、ワルトがすぐに解決策を提示してきた。

「策はある。これから私がそのCoATと融合する。そして機能のロックを強制解除する。それでまたイグジレイザーを使用できるはずだ。君にラルフォスを殺して欲しい。」

 今更反対する理由はない。

 再び小さく頷くと、ワルトは私のCoATを強く掴んだ。

 すぐにワルトの黒い体は砂のように分解し始め、こちらのCoATに吸収されていく。

 まるで掃除機に吸い上げられているようだ。

 あっという間にワルトの体は消滅し、全て私のCoATシオンネイスの内部に吸収された。

 同時に、私は自分の体に力がみなぎっていく感覚を得る。

 どうやら機能のロックも解除したみたいで、自由に体を動かせるようになった。以前よりもパワーが増大している感じもする。

 CoATを見てみると、ネクタルの赤とワルトの青が混ざったのか、鮮やかな紫色の光を発していた。

「頼んだぞ。先ほどの高速の突進、あれならばラルフォスを簡単に殺せる。」

 CoATを通じてワルトの声が届いた。

 もうラルフォスを殺すことに迷いはない。あいつは玖黒木を騙し、コケにし、裏切った卑劣な輩だ。その上この次元を消そうというのだから擁護のしようがない。

「……分かった。“イグジレイザーを起動”……。」

 私はワルトの言う通り、イグジレイザーを起動する。

 ヘルメット内部のマイクが私の言葉を拾い、CoATがシークエンスを開始する。

 すぐにCoATは変形し始め、その姿を流線型に変化させていく。

 相変わらずラルフォスはこちらに背を向けたまま指先を動かしていた。

 距離にしてたったの10メートル……。イグジレイザーを命中させるのは容易い。高速の体当たりはラルフォスのボディを粉々に破壊するはずだ。

 私とワルトが協力体制になった事も知らず、ラルフォスは呑気に作業を続けていた……が、流石にイグジレイザーの起動は察知したようで、不気味に笑う。

「フフ、もうなりふり構ってられないって感じだねワルト。自分を犠牲にし、CoATの糧になってまで諦めず戦うその姿勢は買うよ。……でも、それじゃあ無理だね。僕を殺せやしないよ。」

 ラルフォスはこちらに振り向き、指を鳴らす。すると、何もない空間からラルフォスより一回り大きいロボットが出現した。

 全身が黒いボディで覆われたそのロボットの足や腕は丸太のように太く、体中厚い装甲で覆われていた。まさに戦闘に適した形状をしていた。

 ラルフォスはそのロボットと融合し、ファイティングポーズをとる。

「司令官権限を使わせてもらったよ。これで大抵の兵器はこちら側に呼び出せるんだ。もちろん、その他の備品や実験機材も思うがままさ。」

 大きなロボットと融合したラルフォスは、その太い指先を海に向ける。視線を誘導されて海をよく見ると、いつの間にか界面付近にキューブ状の機械が無数に並んでいた。軽く1,000は超えている。

 ラルフォスはあれを使って何かをやらかすつもりらしい。

 実物を見たことで私はさらに危機感を覚え、自然と体に力が入った。絶対にラルフォスを止めねばならない。

「下準備も終わったことだし、少しだけ今までの鬱憤を晴らさせてもらうかな。」

 ラルフォスは拳同士を打ち合わせ、こちらに歩いてくる。

 今すぐにでも倒してやりたかったが、まだイグジレイザーのシークエンスは進行中で、カウントダウンすら始まっていなかった。やはり、2度目となると準備に時間がかかるのだろう。

 しかし、ラルフォスは都合よく待ってくれない。何としても時間を稼ぐ必要がある。

 ここで焦って逃げるとこちらの作戦が露見すると考え、私は会話に持ち込むことにした。

「ラルフォスさん、何のためにこんなことを……?」

 私は棒立ちのまま問いかける。

 ラルフォスは腕を回したりしていたが、私の言葉を聞いて律儀に答えてくれた。

「そんなに複雑な動機じゃないさ。……君たちは時々不安にならないかい?」

 急に質問され、私は反射的に頷く。

 私が言葉を挟む暇もなく、ラルフォスは言葉を続ける。

「自分のやっていることが、自分に起こる様々な現象が最初から決められた通りに起きていると考えたことはないかい?」

 ラルフォスの話は止まらない。

「全ての物事は進んでいる時間通りに発生する。全ての物事は無限に枝分かれしていると思われているけど、それすら僕には予定されたとおりに起こっている事象だと思っているんだ。」

「ちょっとそれは考え過ぎだと思うんですけど……。」

 ここで何とか私は言い返すことができた。が、ラルフォスはそれすら無視する。

「まるでわかってないみたいだね。……そうだ、僕を取り巻く全ての環境を“本”におきかえてみよう。」

 ラルフォスは太い腕を体の前で組み、独り言かと思われるほどの早口で喋り出す。

「本に書かれていることは全て最初から決まっているよね。そして、僕らを僕等たらしめるのは観測者である読者だ。ページをめくる読者だ。所詮僕らは読者によってしか存在できない弱い、小さな、下等な存在なんだ。本を閉じられたら存在自体消えてなくなる、そんな存在なんだ。分かるかい?」

「な、なんとなく分かるような……」

 ぶっちゃけあまり良くわからない。

 ワルトはこの例えを理解しているらしく、CoATを通じて私に翻訳してくれた。

「ラルフォスは自分が生きている世界が偽物じゃないかと疑っているようだ。強迫観念と言ってしまえば簡単だが、ラルフォスは本気でそう考察しているから始末に負えないな。」

 なるほど、今までそんな事は一瞬足りとも考えたことがなかった。でも、私には到底理解できない概念だった。

 ラルフォスは組んでいた腕を開き、大きな動きでジェスチャーをする。

「この世界も自然にできたとは限らないんだよ。人工的に作られたモノ、いや、もしかしたら真に物質的では無いかもしれない。どこかの誰かがシミュレートした世界、創造した世界、極端に言うと誰かが単に想像している世界、誰かの夢だという可能性もあるんだ。」

 そこまで言って、ラルフォスは天を仰ぐ。

「今も誰かが私たちの行動を、会話を見ているかもしれない。」


 ――私達を見ているか?


 ……と、問いかけても答えなど返ってこない。

 なぜならそんな神のような存在は存在しないからだ。

 話し始めて数分後、ついにラルフォスは願望を、野望を口にする。

「僕はね、観測者だとか、読者だとか、そんな存在になるつもりはないよ。僕は創造する側、言うなれば神になりたいんだ。本当の意味で自由な存在になりたいんだ。今の僕にはそれが可能だ。」

 馬鹿らしい話だ。

 しばらくラルフォスの話を聞いていると、ようやくヘルメットのバイザーに緑の照準が表示され、カウントダウンが始まった。

 そろそろ話に付き合うのも疲れてきたし、幕を引こう。

「思い通りにしたいなら、頭のなかで勝手に妄想してればいいじゃん。迷惑かけないでよ。」

 冷たく言い放ち、私は体勢を低くして構える。

 そんな私の本音にラルフォスは素早く反応した。

「低能生物ごときが僕に意見するなァ!! 虫けらめ、お前らが言葉を話せると思うだけで吐き気がする。早く、消えて、無くなれェ!!」

 今までの冷静な態度が嘘であるかのようにラルフォスは態度を豹変させる。

 同時に巨大な体を大きく広げ、こちらに襲い掛かってきた。

 でも、今更攻撃しても遅い。ラルフォスが到達するまでにイグジレイザーのシークエンスは完了する。

「私にCoATを与えたことを後悔するんだな。」

 私は緑の照準をラルフォスに合わせる。

 やがてカウントダウンが終了し、秒速900kmの体当たりが実行された。

 周囲の景色が歪み、私は瞬間移動に近いスピードでラルフォスの体を通り抜ける。

 今回も衝撃など感じず、目標の背後に移動するものと思っていた。……が、なぜかいきなり体全体に強い衝撃を感じた。

「……!?」

 不意に感じた強い衝撃に、私は動揺してしまう。

 衝撃に続いて周囲の景色が戻り、視界もはっきりしてくる。すると、目の前に信じられない物が存在していた。

 それはラルフォスの胸部に取り付けられた巨大な装甲だった。

 私はその装甲にぶつかり、制止している状態にあったのだ。

 またそれは、イグジレイザーが完全に失敗したことを意味していた。

 ラルフォスは私の体を太い腕で掴み、持ち上げる。

「シオンネイスを作ったのは僕だ。超高速の突進に対して何も対応策を取ってないと思ったかい?」

 最初から私の考えなどお見通しということらしい。イグジレイザーを使えば勝てると思っていた私が愚かに思える。でも、それでも、この攻撃以外にラルフォスに敵う技を持ちあわせてはいないのだ。

「くそ……もう一回……。」

 再度チャレンジすべく、私はラルフォスの腕の中でもがく。

 ラルフォスはそんな私の行動を笑っていた。

「無理無理無理。冷却シーケンスが終わる頃には全てが終わっているよ。時間を稼いでいたのは君だけじゃないってことさ。」

 ラルフォスは得意げに続ける。

「それにもしもう一度イグジレイザーで攻撃しても無駄だよ。この装甲は高速で飛翔してくる物体に対して絶大な防御力を発揮するダイラタントシステムを組み込んでいるからね。衝撃が大きければ大きいほど硬度を増すのさ。これも僕が設計したんだ。どうだいすごいだろう? 気の済むまでいくらでも突進してくるといいよ。……あははは!!」

 ラルフォスの不快な笑い声に耐えられず、私は目を閉じる。当然ながら目を閉じても声が消えることはない。

 だが、ふと発せられたワルトの言葉がラルフォスの笑いを一瞬で鎮めることになる。

「……なるほど、いいことを聞いた。」

 そんな静かで落ち着いた言葉が聞こえ、私は目を開ける。

 すると、目の前で異変が発生していた。

 まず目に飛び込んできたのは黒い色だった。

 私のCoAT、シオンネイスの表面がうっすらとした黒い膜で覆われており、掌の部分から黒い刃が伸びていたのだ。この刃はワルトがよく使用していた武器に違いない。

 異変はそれだけではない。

 その黒い刃がラルフォスの胸部装甲に突き刺さっていたのだ。

 黒い刃は“ゆっくり”と伸びていき、ずぶずぶとラルフォスの胸部に侵入している。

 その光景に驚いていたのは私だけではなかった。

「……あ、……え?」

 ラルフォスは私の体から手を放す。しかし、飛行機能を有しているCoATによって私は地面に落ちない。

 黒い刃はどんどんラルフォスの胸部を突き進んでいき、とうとう背中から抜けた。

 刃の先端にはキューブ状の物体と赤くて丸いビー玉のような物体が突き刺さっており、その二つを見事に貫いていた。

 背中から出た赤いビー玉はすぐに真っ二つに割れ、路上に転がる。

 ほぼ同じタイミングでラルフォスの体から力が抜け、こちらが黒い刃を引き抜くと同時に路上にうつ伏せになって倒れた。

「あ……アァ……」

 倒れて呻いているラルフォスに対し、ワルトは残念そうに告げる。

「とうとうその癖は直せなかったな、ラルフォス。」

 癖とは、余計なことを説明する癖のことだ。初めてワルトを見た時も、この説明のせいでラルフォスは敗北した。何とも情けない負け方である。

 ラルフォスはうわ言を虚空に話す。

「……あぁ、ワルト、助けてくれ。僕はただこの世界が知りたかっただけなんだ。もっと上の世界、僕らが存在し得ない高次の世界を……。この実験だって僕らがいた場所と関係ない時空で行ってるんだ。誰にも迷惑はかけない。僕は悪くない。悪くないはずなんだ……。」

「ああ、貴様は悪くない。……ただ、ルールに背いただけだ。」

 CoATを通じて何となくワルトの感情が伝わってくる。

 それは紛うことなき悲哀の感情だった。

「……そしてルールによって罰せられる。それだけのことだ。」

 その言葉を最後に、ラルフォスの体はボロボロに崩れ、空間に溶けて消滅していく。

 ラルフォスの消滅と共に海に浮かんでいた機材の集団も消滅した。また、破壊された建物や路面も元の形状を取り戻していく。

 その光景は逆再生と言うよりも、今までの時間がすっぱりと切り落とされたような、そんな光景だった。

 これでアグレッサーの襲撃は無かったことになり、ラルフォスの存在もアロウズから綺麗さっぱり消えてなくなる。残るのはネクタルの影響を受けている玖黒木と私だけだ。

 ……と思っていたが、もう一名ほど、残っている者がいた。

 それはワルトだった。

 CoATと一体となったワルトはその有様を見て呟くように言う。

「司令官権限も破壊してしまったせいか、アグレッサーも全て消滅されてしまったようだ。……私が消えないのはこのCoATと融合したせいか……。」

 何だか急に親近感を覚え、私はワルトに言葉を投げかける。

「なるほど、それを見越して私のCoATに……。さすが司令官。先を読んでたわけか。」

「いや、偶然だ。しかし厄介なことになった。権限を失ったとなるとあちら側に帰れない。」

 思えば変な事になってしまったものだ。

 敵だと思っていたワルトと協力してラルフォスを倒すことになるなんて、つい十分前には考えてもいなかったことだ。しかも、止めを刺したのはワルトだ。

 あんな絶望的な状況であれだけ冷静に判断できるのは素直にすごいと思う。本当に強くて優秀な人なのだろう。

 それに、ラルフォスが最初からワルトの権限とやらを狙っていたのも驚きだった。

 今回の一番の被害者は玖黒木だろう。

 その一番の被害者、玖黒木は、ラルフォスに突き飛ばされたままぐったりとしていた。

 あのまま放って置くわけにもいかず、私は路上に落ちていたCoATゲングリッドを拾い上げ、玖黒木の元まで歩いて行く。

「おーい玖黒木、生きてるー?」

「……全部、終わったようだな……。」

 私が声を掛けながら近寄ると、玖黒木は頭を左右に振りながら立ち上がる。結構ふっ飛ばされた気もしたが、何とも無いみたいだ。

「軽い怪我なら数分で治ってしまうようだな。これもネクタルの効果か……。」

 そんなワルトのコメントに対し、玖黒木はいつも通りの口調で答える。

「軽い怪我も何も最初から受け身をとっていたから怪我はない。そもそもワルト、お前がさっさとラルフォスを殺さないからこんなことになったんだ。10年以上もラルフォスに騙されて散々な目にあったぞ。後で慰謝料を請求してやるからちゃんと用意しておけよ。」

 玖黒木の言葉を真に受けたのか、ワルトは真面目に答える。

「今回の件、本当に悪いと思っている。ラルフォスの不始末はこちら側の問題だ。私も責任を取るつもりだから許してくれ。」

 ワルトが謝罪している間、私は玖黒木にCoATを手渡す。

 玖黒木はそのCoATを羽織り、足元に落ちていたヘルメットにつま先を引っ掛け、器用に上に蹴ってキャッチする。

 玖黒木はそのまま指先でヘルメットをくるくる回しながらワルトに言う。

「分かっているならそれでいい。……これで厄介事ともおさらばだ。」

 ラルフォスが消滅した以上、もう異次元からアグレッサーは現れないはずだ。しかし、私にはまだ気になることがいくつかある。そのうちの一つが玖黒木とラルフォスの約束についての話だった。

「ねぇ玖黒木、さっきラルフォスが言ってたお兄さんって……」

 何気なく話題をそちらに持っていくと、玖黒木が素早く反応した。

「聞きたいか? そんなに聞きたいのならしょうがない。話してやろう。重要な話だからな。」

 玖黒木は待っていたと言わんばかりに早口で喋る。

 私はその話題を口にしたことを後悔していた。

「いや長くなりそうなら別に……」

「俺の兄貴は超優秀な物理学者だった……。」

 私の意見なんて聞いちゃいない。玖黒木は橋の欄干に手を置き、赤い瞳を海に向けて感慨深い表情を浮かべていた。

「兄貴はアロウズの中でも特に重要な研究チームの一員だった。様々な研究開発を行なっていたんだが、その日は核融合発電での点火を正確に安全に行えるよう、レーザーによる点火の実験を繰り返し行なっていた。……そんな時、事故が発生したわけだ。」

「その事故で死んじゃったんだね……」

 私も姉がいるので玖黒木の気持ちも分からないでもない。お姉ちゃんが事故死なんかしたら当分の間は立ち直れない気がする。

「話を急ぐな。……その時に兄貴が死んだのは事実だが、その原因はラルフォスにあった。」

「何だと、ラルフォスが……?」

 唐突にラルフォスの名前が出て、ワルトは興味ありげに発言する。

 玖黒木は軽く頷き、その理由も説明していく。

「ラルフォスは唐突に出現した。後で聞いた話では、レーザー点火を足掛かりにゲートを開いたみたいだ。その結果、高エネルギー同士の接触は高熱のガス、プラズマを発生させ、兄貴達は施設ごと瞬時に蒸発したというわけだ。」

「酷い話だな。しかし、なぜラルフォスを匿うことにしたんだ。」

 ワルトの素朴な疑問に対し、玖黒木は苦笑いする。

 私はその苦笑いの意味を知っていた。アロウズがラルフォスを匿ったのは、その科学技術に魅力を感じたからだ。利益優先の企業倫理が今回の事件を引き起こしたと言っても過言ではない。

 玖黒木は辛そうに語る。

「ラルフォスは兄貴を蘇生できると言ったんだ。冷静に考えてみれば、肉片すら残っていない兄貴を蘇らせるなんて不可能な話だ。しかし、その時の俺は冷静じゃなかった。あの科学技術を目の当たりにすれば誰だって信じてしまう。……いや、信じていたかったんだろうな。」

 そう言って玖黒木は頭を垂れ、何も喋らなくなってしまう。

「玖黒木……」

 流石の私も同情を禁じ得ない。玖黒木を慰めるべく、背後から優しく肩を叩く。こちらの手に伝わってくるのはCoATの感触だけだった。

 私と同じくワルトも玖黒木を気遣うような言葉をかける。

「兄の死については私からも謝罪しておこう。」

 そんなワルトの言葉に対して、玖黒木は首を左右に振る。

「謝る必要はない。ラルフォスをこの世界に招き入れたのは兄貴だ。結構責任を感じている。それに、ラルフォスの口車にホイホイ乗せられた俺も馬鹿だった。やはりあの時に兄貴の死を認めるべきだったな。我ながら情けない。」

「情けなくないよ……。」

 本音を言えば私は結構ラルフォスには感謝している。この義足を作ってくれたのはラルフォスだからだ。それに、義足を駆動させるにはネクタルの力が不可欠だったみたいだし、怪我をしたのも結果的には良かった。結果オーライだ。

 しばらくの間橋の上で会話をしていると、不意に風を切る音が上空から聞こえてきた。その音を認識した頃には既に何かが空を横切っていた。

 同時に突風が橋の上を通過する。

 突風によって私のCoATははためき、橋脚の間を抜ける風が大きな風切り音を発した。

「うわっ……」

 私は咄嗟にCoATの裾を押さえる。少し前の私なら車椅子ごと倒され、スカートも盛大に捲れていただろう。でも、今の私には地面に向かって伸びる重い重い義足がある。これしきの風では全く動くことはなかった。

 玖黒木は俯いていた顔を上げ、空を見上げる。

「自衛隊の戦闘機だな。砲撃だけでは満足できなかったか。」

 玖黒木曰く、遠くに去っていくその飛行物体は戦闘機らしい。2機の戦闘機はある程度遠ざかると宙で反転し、私たちの周囲を大きく旋回し始める。ミサイルでも撃ってくるつもりだろうか。

 注意して空を見ていると、今度はすぐ近くからブレーキ音が聞こえてきた。

 路上に目を向けると、私達の周囲を数台の戦闘車両が取り囲んでいた。他にも、迷彩柄のジープや、タイヤが沢山ついた装甲車が橋の両側からどんどんやってきている。

 どうやら戦闘機の甲高いエンジン音のせいで車両の接近に気付けなかったみたいだ。遅れてやってきたトラックからは迷彩服に身を包んだ自衛官が大量に降りてきた。

 自衛官はすぐに隊列を組み、自動小銃の銃口を私達に向ける。

 それを見て玖黒木はほっとため息をつく。

「さて、こいつらに送ってもらうことにしよう。今度こそゆっくり休めそうだ。」

 玖黒木は余裕たっぷりにヘルメットを捨て、両手を上げる。私も玖黒木と同じようにし、膝をついて地面に座った。

 こちらが無抵抗の意思を示すと自衛官は銃を下ろし、私達をジープの中へ案内し始める。

 長い一日が終わった。


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