本当の気持ち
20
約10分ほどの飛行の後、ヘリコプターは有津警察署の屋上ヘリポートに着陸した。
ヘリコプターでの移動は快適とは言い難かった。なまじCoATでの飛行経験があるので、それと比べると天と地の差だ。エンジンの音とかプロペラの音もうるさく、外の景色もよく見ることができなかった。
ヘリコプターの中は意外と広く、窮屈さは感じなかった。しかし、私とラルフォスさんはそれぞれ2名のスーツ姿の男性警察官に左右を固められていて落ち着けなかった。
お姉ちゃんはヘリに乗せてもらえず、船で移動したらしい。お姉ちゃんが警察署に来るまでにはCoATを取り戻してククロギも助け終わっていることだろう。
飛行中、ラルフォスさんは警察官にじっと見つめられていた。
私も見られてはいたが、ラルフォスさんへの視線は何か珍しいものでも見るような、そんな視線だった。大抵の人は動いて喋るロボットなんて見たこともないのだし、興味を持つのも当然だ。
私への視線は、最初は犯人に向けられる厳しく冷たい視線だった。しかし、私がしおらしくしているとだんだん同情や哀れみへと変化していった。世間でなんと言われていても、実際の私は足に障害を持つ女子中学生なのだ。おまけにお姉ちゃんによれば私は金髪美少女でもある。これで同情しない人間など殆どいない。大人というのはちょろいものだ。
今回、私はそれを武器にして警察署内で立ちまわるつもりだった。
着陸後、ラルフォスさんが先に降ろされ、続いて私も警察官に腕を掴まれる。
「降りろ。足元に気をつけるんだぞ。」
足がないのに足元に気をつけろなんて冗談にしても笑えない。私はヘリ内部に設置された椅子に座ったまま警察官にお願いをする。
「すみません、抱っこしてください。」
こちらが上目遣いでか細い声で言うと、警察官は一瞬言葉に詰まった。
「……待ってろ、女の人を呼んでくる。」
警察官は私から手を離し、先にヘリコプターから降りる。
それからすぐに女性警察官が迎えに来てくれた。年齢は若く、制服も着慣れていない感じだ。
彼女は雑用を押し付けられたような、面倒くさそうな表情をしていたが、私を見るとすぐに真面目な表情になった。
「じゃあ抱っこしますから、しっかり捕まっていてくださいね。」
「はい、お願いします。」
私は彼女に向けて両手を伸ばす。もちろん掌は上に向け、肘もピンと伸ばしている。相手の目を見つめ、首を少し傾げるのも忘れていない。
彼女は恐る恐る私の脇の下に手を差し込み、そのままゆっくりと持ち上げる。
私も彼女の首に腕を回し、体を密着させた。
女性警察官はその状態でヘリコプターから降り、私は用意されていた車椅子に乗せられそうになる。しかしここで簡単に手を放す訳にはいかない。
私は女性警察官から離れず、首に回した腕に少し力を込める。それは、離れたくないというアピールだった。
「あの、手を放してもらってもいいですか?」
私の言動に対し、女性警察官は明らかに動揺していた。この人は情に流されやすいみたいだ。
流石に嘘泣きはできる気がしないので、私は中学生に相応しい情緒不安定な演技をすることにした。
「……私どうなるんですか? 怖いです……。」
そんな事を言いながら腕を小刻みに震わせてみたり、呼吸も早くしてみたりしていると、女性警察官は私を再び抱っこしなおし、背中を優しく撫で始めた。
「大丈夫ですよ。お姉さんが付いててあげますから。」
「うん……。」
まずは第一段階クリアだ。これなら問題なく上手くやれそうだ。
女性警察官に抱っこされた状態で屋上の出入り口に向かうと、そこにはスーツ姿の警察官が待っていた。
「仕方ない、そのまま連れて行ってやれ。俺は先に行ってるぞ。」
「あ、ちょっと待って下さい。今行きますから。」
その指示に従い、女性警察官は私を抱えたまま屋上から署内に入る。
……警察署内に入るのは初めてだった。
内部は全体的に古臭く、壁はポスターの剥がし残しや、埃などで汚くなっている。また、節電のためか、廊下の電灯は一定間隔で外されて少し暗かった。
私は女性警察官に抱っこされた状態で質問する。
「……私の義足はどうなったんですか?」
こちらからの質問を受け、女性警察官はあっさりと答える。
「義足……あぁ、あれは地下の保管庫にありますね。」
ラルフォスさんが言った通り義足やCoATはここで保管管理されているようだ。わざわざ探す手間が省けてよかった。
場所を確認すると、私は次の段階に移行する。
「うっ……急に足が……」
「どうしました?」
少しわざとらし過ぎたが、女性警察官はすぐに食いついてくれた。
「足がすごく痛いんです。多分、お医者さんが言ってた幻痛だと思うんですけど。」
「そんなに痛むんですか?」
「はい、針で突き刺されてるみたいで……いつもなら5分くらい義足を付けていれば収まるんですけど……いたた……。」
義足の部分を十分に強調し、声も絶え絶えに話す。
そんな風に痛がるふりをしていると女性警察官の歩くスピードも自然と落ち、とうとう前方を歩いていたスーツ姿の警察官から注意が飛んできた。
「おいどうした、さっさと来い。」
その注意に対し、女性警察官は私が言った通りのことをスーツ姿の警察官に伝える。
「あの、この娘が足が痛いって言ってるんです。幻痛だとか何とか……。でも、義足を付けてれば痛みが収まるって話です。」
「マジか……。何とかならないのか。」
スーツ姿の警察官も私の事を心配し始めた。もうひと押しだ。
「うぅ……っ……」
私は全身に力を入れてさらに痛がるふりをする。
すると、女性警察官が完全に私に同情を示した。
「この娘、痛くて泣いてますよ。……もう見てられないです。ただの中学生を犯罪者呼ばわりして可哀想だと思いませんか? せめて痛みを和らげるお手伝いくらいしてあげましょうよ。」
「お前なぁ、そんな目で見るなよ。」
チラリと横目で様子を窺うと、女性警察官から真剣な眼差しを向けられ、スーツ姿の警察官は困った表情を浮かべていた。こうなればもうこっちのものだ。
「……はぁ、付いて来い。俺とお前がいりゃあ証拠品ちょっと触るくらい大丈夫だろ。」
証拠品保管室への立ち入りを許可され、女性警察官は私の代わりに例を言う。
「ありがとうございます。でも、本当にいいんですか?」
「よかねーよ。さっさと済ませてさっさと戻るぞ。」
そんな会話を続けているとやがてエレベーターに到着した。
スーツ姿の警察官はパネルのボタンの中でも最も下の位置にあるB2のボタンを押す。
エレベーターは目的の階ではなく、地下へと向かった。
地下につくと目の前には先ほどよりも更に暗い廊下が伸びていた。廊下の先には頑丈そうな扉があり、扉の手前にある詰所には暇そうにしている警察官がいた。
スーツ姿の警察官はその彼と二言三言交わし、ほぼ顔パスで頑丈そうな扉を開けて証拠品保管庫へと入っていった。
それに遅れて私も女性警察官と共に扉の前まで移動する。
しかし、女性警察官は中に入らず、手前で止まった。どうやら私は中に入れないらしい。スーツ姿の警察官が義足をここまで持ってきてくれるのだろう。
……適当に痛がるふりをしながら2,3分待っていると、やがて台車と共にスーツ姿の警察官が保管庫内から出てきた。台車の上には2つの重そうな義足が載っかっている。
待ちに待った義足の登場に私も女性警察官も喜びの声を上げる。
「ありました。これですよね?」
「はいそうです。わぁ、久々だ。」
義足は取り外されたままの状態で綺麗に保管されていた。もちろん外部装甲も付いたままだ。角ばったデザインの装甲がいくつも義足の表面にくっついている。
台車を廊下まで出すと、スーツ姿の警察官は義足を持ち上げるべく両手を伸ばす。しかし、この義足は片方だけで40kgもある上、今は装甲も付いているのでその重さは想像を絶するはずだ。
スーツ姿の警察官は脚の片側を浮かすだけで精一杯のようだった。
「クッソ重いな。つーかどうやって履かせりゃいいんだ? 全然分かんねーぞ。」
これだけ近ければ後はネクタルが勝手に足をつなげてくれる。
義足とCoATの奪還を確信し、私は痛がるふりも怖がるふりもぶりっ子も止めることにした。
「……どうもご苦労様。危ないから下がってたほうがいいよ。」
「……え?」
私はきょとんとしている女性警察官に掴まりつつ、器用に体を捻って太ももを義足に向ける。するとこちらの足の断面から赤く仄かに光る血管のようなもの、ネクタルが無数に伸びて義足の接合面に張り付いた。
義足はそのネクタルに導かれるように私の足へと向かって来る。
初めて義足を付けた時はくすぐったかったり、痛みを感じたりもしたが、今はちょっぴり熱いという感覚しか感じなかった。
すぐに義足は太ももとドッキングし、私は久方ぶりに自由に動く強靭な足を取り戻す。
警察官二人は呆けた顔を見せていたが、私が一人で歩き出すとようやく反応を見せた。
「クソッ、騙された!! ……何やってんだ早く掴まえろ!!」
「は、はい!!」
さすが警察官、不測の事態にも臆することなく私に飛びかかってくる。
このまま下手に衝突すると二人に怪我をさせかねないので、私は保管庫の中に逃げ込んだ。そして、内側から扉を締めて足で押さえつける。
義足の力は強く、警察官二人がかりの体当たりでも扉はびくともしなかった。
私は足の裏をさらに強く押し付け、金属製の扉の形状を変化させていく。
厚みが5センチ以上はありそうな頑丈な扉はみるみるうちに変形し、天井や床にめり込んで固定され、まともに開かなくなった。それを確認し、私はようやく義足を下ろす。
ドアの向こう側からは叫び声が聞こえていた。
「このクソガキ大人をナメんじゃねーぞ!! 今すぐ開けろ!!」
「ちょっと女子中学生相手に言い過ぎですよ、暴言は禁止ですって。」
そんな賑やかな声に加え、署内にサイレンも響き始める。一応扉は固定したが、あまり時間は無さそうだ。急いだほうがいいかもしれない。
私はCoATを探すべく、保管庫内を見渡してみる。
CoATの場所はすぐに分かった。
「やっぱり目立つデザインだなぁ……。」
CoATは保管庫内の壁際、無数にある衣類の中に埋もれていた。ハンガーに掛けられていて型崩れは起こしていないようだ。
私はシオンネイスをハンガーから外すと袖に腕を通す。すると全身からネクタルが伸びてCoATの内側にくっついた。ネクタルはCoATの内部にも浸透し、CoAT全体を赤色に光らせる。
とりあえずはこれで怖いものはなくなった。警察官でも自衛隊でも戦車でも戦闘機でもなんでも来いだ。
あとは玖黒木を助けてワルトの攻撃に備えるだけだ。
私は当初の予定通り衣類の山から玖黒木のCoATのゲングリッドを取り出し、ついでに保管庫内を物色する。
戦闘用のヘルメットはバイク用品の物と混じって保管されており、あの時私が持っていたライフル銃は頑丈なガンロッカーに保管されていた。
私はそのロッカーをこじ開けてライフル銃を取り出す。しかし、弾倉内に弾はなく、役に立ちそうにない。
私は一旦ライフル銃をロッカーに戻し、弾を探すことにした。
……だが、そんなにゆっくりと捜し物をしている暇はなかった。
色々ともたついていたせいか、退室する時に破壊する予定だった証拠品保管庫の入り口の扉は外側からこじ開けられ、同時に多くの警察官が中に雪崩れ込んできた。
「わわっ……」
全員が頑丈そうなヘルメットを被り、防弾チョッキを着込んでいる。中には透明なシールドを持っている人もいれば、拳銃を構えている人もいた。
拳銃を見て一瞬驚いたものの、今の私には大抵の物理攻撃は通用しないことを思い出し、ヘルメットを被って大人数の警察官に対して堂々と構えた。
入口付近で対峙すると向こう側から警告が発せられた。
「今すぐ武器を捨てて両手を上げなさい。場合によっては発砲する。よく考えて行動しなさい。」
「そっちこそよく考えたらどう? さっきの扉の折れ曲りっぷりを見たでしょ。人間なんて一瞬でミンチになると思うよ。」
私は強気に発言して一歩前に出る。
すると警察官達は一斉に同じ距離だけ後ろに下がった。
これほど大人数の大人が私一人に恐れている……。その感覚は新鮮で、少しいたずらしたい気分になってしまった。
私は近くにいた警察官におもむろに近付き、シールドを奪い取る。続いてそれを両手で持つと、折り曲げて2つに割った。透明な部分が飛び散るかとおもいきや、シールドには細かい亀裂が入っただけで、音もあんまりしなかった。
地味なアピールだったが、私の戦闘力を示すには十分だったようで、警察官の集団はどよめいていた。中には保管庫内から出ようとしている警察官もいる。しかし、大半の警察官は退かなかった。流石は市民の安全を守る人たちだ。
このままだと外に出られそうもないので、試しに私はお願いしてみる。
「私、ここから出たいんだけど。」
「その要求は受け入れられない。今すぐ武器を捨てなさい。今なら取り返しが……何だ?」
言葉の途中で保管庫内に新たに警察官が入ってきて、メガホンを持っている人に耳打ちをする。
その後、メガホンを持った警察官は腕を挙げてくるくる回し始めた。どうやら撤退の合図みたいだ。みるみるうちに警察官は部屋の外に出て行き、上階へ去って行ってしまった。
上で待ち構える作戦に変更したのだろうか。それともラルフォスさんや玖黒木に何か動きがあったのか。よく分からないが出て行ってくれたのは有難い。
私は玖黒木の分のCoATを脇に抱え、保管庫内から廊下に出る。
次に向かうのは玖黒木が拘留されている場所だ。どこにいるのか分からないが、適当に散策していれば見つけられるだろう。
そんな風に呑気に考えつつ廊下を歩いていると、階段に差し掛かった所で上から何かが転がり落ちてきた。
それは円筒状の物で、形を確認した瞬間轟音と激しい閃光が発せられた。
「わっ!?」
驚きはしたものの、ヘルメットのお陰であまりうるさくも眩しくもなかった。もしヘルメットを被っていなかったら気を失っていたところだ。
閃光の後、音が鳴り止まないうちに階段の上から暗い色の戦闘服で身を包んだ集団が降りてきた。10名ほどのその集団はみんな同じ格好をしており、手には拳銃ではなく、短機関銃が握られている。
いわゆる特殊部隊の隊員だろう。
彼らは棒立ち状態の私に銃口を向け、数秒足らずで周囲を包囲した。
見事な連携に感心したのも束の間、背後から忍び寄ってきた隊員が何の警告もなしに私のヘルメットに手を伸ばしてきた。
「ちょっと!!」
私は反射的に背後に手を付き出してしまう。押し返された隊員は宙を飛び、廊下の天井にぶつかって床の上に落下した。
不意に攻撃を加えてしまい、反撃が来るのを恐れて私は身構える。
ところが、攻撃を加えてしまったにも関わらず、彼らは撃ってこなかった。何が起こったのか理解できず、戸惑っているようにも見える。
一応私が敵じゃないということだけアピールしておこう。
そう考えた私は玖黒木のCoATを一旦上から羽織り、廊下で伸びている隊員の元に駆け寄る。そして、彼を介抱するべく両脇を抱えて立たせた。
良かれと思ってやったのだが、この行動はまずかったらしい。
隊員の一人が慌てた様子で通信機に向けて喋る。
「敵に人質を取られた!! 指示を頼む!!」
「待って、私はそんなつもりじゃ……」
私の言い分なんて聞いちゃいない。彼らは私から距離を取り、更に警戒を強めた。
……でも、この人を抱えている限り撃たれそうにないし、しばらくこうやって移動することにしよう。
私はぐったりしている隊員を抱えた状態で進む。
こちらの予想通り他の隊員は私から距離をとったまま移動していく。そのまま私は階段を上っていき、ようやく1階まで移動することができた。
1階には受付のカウンターがズラリと並んでいて、広い空間が広がっていた。
フロアの中央には観葉植物も置いていて、なかなかリラックスできそうな空間だった。
そんな空間の中、受付のカウンターの向こう側には先程の警察官達が銃やシールドを持って待ち構えていた。
「馬鹿な真似はよせ!! 人質を開放しろ!!」
メガホンで拡張された声を無視し、私は玖黒木の場所を訊く。
「あの、玖黒木って高校生が捕まってると思うんですけど、どこにいますか?」
「なるほど、拘留された仲間の開放が目的だったんだな……。人質と交換というわけか……。」
メガホンを持った警察官は私のセリフを勝手に解釈する。
そう思わせておいたほうが面倒臭くなさそうだったので、私は話に乗ることにした。
「じゃあ、それでお願い。」
軽く言うと、メガホンを持った警察官の周囲に人が数名集まって小声で相談し始める。
相談は30秒ほどで終わり、答えが返ってきた。
「ならば仕方がない。玖黒木亜澄をここに連れてくるから待っていろ。妙な動きを見せれば取引には応じない。分かったか?」
「うん、分かった。」
何だかよく分からないけれど玖黒木を探す手間が省けてよかった。
玖黒木の開放の約束を取り付けた所で、私はついでにもう一つお願いをする。
「あの、私と一緒に来たラルフォスさんも開放してもらっていいですか。」
「駄目だ、一対一の交換には応じるが、それ以上は認められない。」
今度の返答は早かった。なんでも言うことを聞くと思ったら大間違いだ、ということらしい。
それならばこちらも人質を二人に増やすまでだ。
私は人質の隊員を左脇に抱えたまま新たな交換要員を獲得すべく警察官の集団に近付く。
警察官達は素早く身を引いたが、一人だけ逃げ遅れて床に転倒した。それは私を抱っこしてくれた女性警察官だった。彼女を人質にすれば二対二の交換になるはずだ。単純な算数である。
捕まえるべく歩いて接近すると、彼女は手に持っていた拳銃を私に向けた。
「そ、それ以上近付くと撃ちますからね!!」
ここまで怖がられると何だかショックだ。……でも、これも仕方がないことだ。
そう割り切り、私は彼女を強引に右脇に抱えようとする。その瞬間、乾いた破裂音が近くから発せられた。
それは拳銃の発砲音だった。
弾はCoATによって衝撃を吸収され、床に落ちる。女性警察官は自分が発砲した事に対して驚いたようで、その場に拳銃を落とした。
予期せぬ発砲によって、その場にいる全員が息を呑む。
周囲にいる警察官達も初めは驚いていたが、私が無傷だと知ると、諦めの表情を浮かべて溜め込んだ息を吐いていた。
複数の視線を集めながら私は彼女を右脇に抱え、元の位置に戻る。
「これで人質が二人になったのでラルフォスさんも開放してくださいね。」
「わかった。もう降参だ。好きにしろ……」
そのセリフを皮切りに、周囲に降参ムードが伝播していく。警察官はシールドを置いてため息を付き、拳銃を仕舞ってその場に座り込む。特殊部隊の人もマスクを床に置いて階段の近くにあるベンチに腰掛ける。
拳銃が通用しないとどうしようもない。それに、女子中学生にいいようにあしらわれているこの状況が余計に彼らのやる気を削いだようだった。
もう大丈夫だろうと判断し、私は後のことを彼らに任せることにする。
「じゃあ先に人質を返しとくね。あと、別に私何もしないから安心していいよ。」
「なんだよお前は……」
メガホンを持った警察官は諦めを通り越して泣きそうな表情を浮かべていた。
……しばらく彼らのそんな表情を見ていると、エレベーターから玖黒木が現れた。両脇には警察官がいたが、別に拘束されているわけでもなく、手錠も掛けられていない。
玖黒木は制服の襟を正し、メガネの位置を直しながら私の元までやってくる。
「何がどうなっている。もう少し待っていれば俺はここから出られた。こんな派手なことをすれば余計敵を増やすことになるぞ。……それはともかく、あのカナタが俺を助けてくれるとは驚いた。頑張ったんだなえらいえらい。」
玖黒木は私の頭をヘルメット越しに適当に撫で回し、こちらの肩に掛けられていたCoATゲングリッドと、その内側に包まれたヘルメットを手に取る。
「ほんとに疲れた。玖黒木が捕まったおかげで散々な目にあった。人手があれば私もあんなあざとい演技しなくて済んだのに……。」
でも、意外と自分が演技派だという事を知れて良かったかもしれない。
私のセリフを受け、玖黒木は2,3度頷く。
「CoATの回収に来たとなると……アグレッサーが出たんだな。まだ倒してないのか?」
「ラルフォスさんが追い返したんだけど、また来るらしいからこうやってCoATを回収しにきたわけ。」
私が説明している間、玖黒木はCoATを装着していた。
「何やら事情が複雑なようだな。ラルフォスから直接聞いたほうが良さそうだ。……で、ラルフォスはどこだ?」
私の説明では分からないと言いたげなセリフだ。
助けてあげてCoATまで持ってきてあげたのに全く感謝の気持ちが感じられない。こんな男が高校でちやほやされているかと思うと腹が立つ。
そんな玖黒木の言葉に応じたのは階段から降りてきたラルフォスさん本人だった。
ラルフォスさんは私と玖黒木の会話を聞いていたらしく、自然に会話に混ざる。
「朝のショッピングモールで別れた後、アグレッサーが僕の捕獲を諦めて殺しに来たんだ。次は周囲の環境ごと僕を消すつもりみたいだね。」
「そういうことか。……なら、もう少し派手に暴れておこう。」
CoATを着用した玖黒木はウォーミングアップのような動作で近くにあった建物の支柱を殴る。
支柱を構成しているコンクリートは砕け、内部の鉄筋が露わになった。
「どうしてそうなるわけ!?」
……前々から思っていたが、この男は頭がおかしいんじゃないだろうか。
私は慌てて玖黒木を止めようとする。しかし、私の動きを制するように玖黒木は私の顔面を指差しする。
「もっともっと頭を使ってよく考えろ。アグレッサーが有津市を襲うとなればまず最優先すべきは住民の避難だ。……だが、俺達だけでは住民全員を避難させるのは難しい。となれば、公僕に働いてもらうまでだ。」
玖黒木はここで言葉を区切り、警察官達に目を向ける。
「俺達が武力攻撃が続けていれば警戒態勢が取られ、国から直接周辺の住民を避難させるように命令が下るはずだ。避難は彼らに任せて、俺達はゆっくりとアグレッサーの攻撃に備えるぞ。」
「なるほど、頭がいいねククロギは。」
ラルフォスさんは玖黒木の意見に賛同し、話をふくらませる。
「どうせだし、彼らから自衛隊に出動要請をしてもらおうよ。混乱の原因はアロウズが開発中の兵器による暴走事故とかでっち上げればいい。これで明日の正午までには避難が完了すると思うよ。」
「明日……。」
私はふと壁に掛けられた時計を見る。時刻は夜の10時を過ぎていた。
私の視線に釣られて玖黒木やラルフォスさんも時計に目を向ける。
「もうこんな時間か。腹も空いたし何か食べよう。店に行くと迷惑だろうし、カナタの家にお邪魔することにするか。」
「何でそうなるの!?」
私は玖黒木の理不尽な提案にツッコミを入れる。
玖黒木は私のツッコミに対し軽やかに言い返す。
「別にいいじゃないか。ここから近いし気兼ねなく体を休められるからな。それに、家族の避難を自分の目で確かめたいだろう。早めに伝えればより安全な場所まで移動できるはずだ。」
確かに、お父さんやお母さん、それにお姉ちゃんの安全は確実に確保しておきたい。ワルトの攻撃がどの範囲まで影響するか予測もできない今、なるべく遠くに逃げて貰いたい。
この意見には反論することができなかった。玖黒木を家に招き入れるのは何だか不安だが、こんな状況なのだし仕方がない。私はそう割り切ることにした。
「……わかった。」
行き先が決まると、玖黒木は改めて警察官に命令口調で指示を出す。
「そういうわけだ。お前ら今すぐ自衛隊に出動要請をしろ。あと、テロリストとか破壊工作だとか事実をねじ曲げてもいいから大袈裟に報告するんだぞ。なるべく広い地域に避難警報を出して欲しいからな。」
玖黒木の命令を受け、警察官達は困惑の表情を浮かべる。事情を説明している暇がないのが残念でならない。
警察官は玖黒木の急な命令に対し、疑問の声を上げる。
「一体何が起こるんだ? お前ら有津市をどうするつもりなんだ……。」
それは当然の疑問だった。他の警察官も事情を知りたいようで、玖黒木に視線を向けている。
玖黒木の肩代わりをしてその質問に応えたのはラルフォスさんだった。
「詳しいことは話せないけれど、最悪の場合、有津市が跡形もなく消えるかもしれないんだ。とても信じらる話じゃないのは僕もよく分かってる。けれど、協力をよろしく頼むよ。」
得体のしれないロボットに丁寧にお願いされ、メガホンを持った警察官がようやく答えを出す。
「よくわからんが、既に俺達の手でどうにかできる問題じゃないのは明らかだ。命令されたみたいで癪だが、自衛隊を呼ばせてもらう。」
「それでいい。」
警察官から返事を受け、玖黒木は署の出口に向かって歩き始める。
私とラルフォスさんもその後に続いた。
21
「ただいまー。」
「おかえりなさい。」
夜中にも関わらず、家に戻った私を出迎えてくれたのはお母さんだった。
取り立てて焦っている様子もないし、なんかいつも通りの対応だ。もっと心配されているかと思っていたので、肩透かしを食らったみたいで何だか変な感じだ。
警察に追われていたり、帰宅時間も遅い上、今は変なコートを着て変なヘルメットを手に持っている。突っ込まないほうがおかしい状態だ。
お姉ちゃんの、どんな状況でも簡単に受け入れる性格はお母さん譲りなのかもしれない。顔もスタイルも結構似ているので多分そうだ。
お母さんは私の背後にいた二名の客にも普通に対応する。
「あらいらっしゃい。この人達は?」
「どっちも私の友達。こっちが玖黒木で……」
「あぁ、玖黒木君ね。いつも比奈からよく聞いてるわ。モテモテなんですって?」
「いやあお恥ずかしい。それほどでもありませんよお母様。剣道部ではいつも比奈さんのお世話になっています。」
「これはご丁寧にどうも。」
私から見れば変態高校生だが、外見だけを見れば二枚目の男子高校生である。
それに、玖黒木はお父さんが勤めてる有津造船の経営陣の親族でもある。お母さんが丁重に扱うのも無理はない。
お母さんの視線は玖黒木からラルフォスさんに移る。
「えっと、こちらの方は……?」
お母さんは早速ぎこちない笑みを浮かべていた。
私から見れば紳士なロボットさんだが、外見だけを見れば得体の知れない怪しいロボットだ。このロボットが意思を持っていて、しかも喋れると知ったら驚いてしまうかもしれない。
私はショックを和らげるためにも事前にお母さんに伝えておく。
「このロボットさんはラルフォスっていう名前で、アロウズの最新のロボットなんだ。すごく高性能で、会話もできるんだよ。」
「ああそうなの、別にコスプレしてるとか、そういうわけじゃないのね。」
「うん、そうそう。」
私と玖黒木がヒーローのコスプレのような格好をしていたので、お母さんはラルフォスさんもきぐるみか何かと思ったようだ。どうせならそういう風に誤魔化せばよかったかもしれない。しかし、時は既に遅しだ。
ラルフォスさんは私が設定したキャラクター通りの挨拶をする。
「コンニチワ、オジャマシマス。」
「はいどうぞ。上がって上がって。さっきお姉ちゃんも帰ってきたばかりなのよ。」
「お姉ちゃん、先に帰ってたんだ……。」
そう言えばすっかりお姉ちゃんのことを忘れていた。船で運ばれ警察署まで来るかと思っていたのだが、そのまま自宅に返されたみたいだ。
玖黒木とラルフォスさんを引き連れてリビングに入ると、早速お姉ちゃんを確認できた。
お姉ちゃんは食卓に座ってパスタを食べていたが、私を見るなり口の中にあったものを急いで飲み込み、私を出迎える。
「んぐっ……カナタおかえりー。有津市が爆発だとか何だとか、ちゃんと警察の人に話せた?」
私はCoATを脱いでヘルメットと一緒にリビングのソファーの上に置き、お姉ちゃんの言葉に応じる。
「うん、それでそのことなんだけど、海のほうで爆発が起きるから付近一帯避難させるんだって。すぐに警察の人が非難するようにみんなに指示し始めると思う。」
「そうなのね。じゃあ明日は学校お休みか。ラッキー。」
お姉ちゃんはフォークを持った手を握りしめてガッツポーズをする。呑気なものだ。
遅れてリビングに入ってきた玖黒木も私と同意見らしい。玖黒木は許可をとることなくお姉ちゃんの正面の席に座り、告げる。
「そんな楽観的な性格をしているから試合でも勝てないんだ。もう少し真剣に物事を考えてみたらどうだ。」
試合とは剣道部の試合のことだ。お姉ちゃんは結構いい成績を残しているように思うのだが、玖黒木から見れば不十分ということなのだろう。
「玖黒木君も来てたんだ。というか玖黒木君いつもそんな事考えてしんどくない? ストレス溜まるよ?」
「俺はきちんとストレスケアを行なっているから平気だ。お前はもう少しストレスを感じたほうがいい。適度なストレスは健康にいいからな。」
お姉ちゃんは玖黒木の指摘に対して首を傾げて「そうかなぁ」とだけ言って受け流し、話題を変える。
「そうだ、ちょうど今晩御飯食べてるから一緒に食べようよ。このパスタ美味しいんだよ。」
「ありがたく頂くことにしよう。カナタも食べるといい。」
その玖黒木のセリフには違和感を覚えた。まるで来客者の立場というものを理解できているとは思えない言動だ。
その思いは自然と言葉となって口から漏れる。
「図々しいなぁ……。」
呆れ半分、不快半分といった感じだ。これ以上視界に収めていると正気を保てそうになかったので、私は玖黒木に背を向け、ソファーに腰を下ろす。
その後、食卓にお母さんとラルフォスさんも混じり、私の背後で賑やかな会話が繰り広げられた。ワルトがこの地を襲ってくるというのに、危機感が感じられない。
休息も必要だが、これは休息を通り越して気が緩んでいる。
私はそんなリビングの空気に耐えられず、自室に篭ることにした。
ソファーから立ち上がり、リビングの出口に向かうとラルフォスさんが食卓から離れて私に近づき、そっと耳打ちしてくる。
「奥さんの話によれば、お父さんはもうすぐ帰って来るらしい。みんな揃ったら早めに避難するように伝えておくね。詳しい作戦はその後に立てよう。」
「分かりました、ラルフォスさん。」
ラルフォスさんはきちんと考えてくれていたようだ。いきなり避難しろだなんて命令しても信じてくれないだろうし、適度に会話をして信用度を上げているのかもしれない。そう前向きに解釈しておこう。
ラルフォスさんの言葉に安心し、私はリビングから廊下に出る。
「はぁ……。」
自然と溜め息が出た。これは安堵の溜め息だ。家族の安全が確保できただけでこんなに安心感を得られるとは思ってなかった。でも不安の種が無いわけでもない。
その不安の種とは幼馴染の事だった。
「りょうくん……。」
私は視線を玄関に向け、悩む。今なら良人にも早めに避難するように伝えることができる。しかし、小さなわだかまりが私の行動を制限していた。
今更良人に合わせる顔がない。下手に良人と関われば、思いもよらぬことで良人に迷惑をかけるかもしれないし、また大怪我を押させてしまうかもしれない。
「……いや、違う。」
私は自分の考えに対し否定の言葉を呟く。こんなのはただの言い訳だ。
本当は怖いだけなのだ。自信がないだけなのだ。今の今まで自分のことを好きだと勝手に勘違いしていた相手に会うのが怖い。今までどおりに接してもらえるかどうか不安でたまらない。
もし余所余所しく接されたらどうしよう。もし無視されたらどうしよう。そう考えてしまうだけで会いに行けなくなる。足がすくんでしまう。
我ながら情けないものだ。
しかし、それは私が良人に強い想いを抱いていたことの裏返しでもある。
「悩んでても仕方ないよなぁ……」
良人に嫌われるのは嫌だ。でも、良人を失うのはもっともっと嫌だ。……となれば、答えは決まっていた。
私は良人に避難するように指示するべく、玄関に足先を向ける。良人の家まで徒歩で10秒ちょっとだ。気持ちが変わらないうちにさっさと行こう。
そう決心し、私は玄関のドアに手をかける。すると、ドアが向こう側から開いた。
誰かが外側からドアを開けたみたいだ。
お父さんが帰ってきたのかと思い、私はドアから手を離して一旦身を引く。
だが、私の予想は見事に外れてしまう。
「カナタ!!」
ドアの向こうから現れたのは良人だった。
良人は勢い良く家の中に侵入してきたが、私の存在を確認するとすぐに足を止める。しかし、その時にはお互いの顔は目と鼻の先にあった。
目鼻立ちがスッキリとしたその顔を至近距離で捉え、私は良人の顔を数秒ほど見つめてしまう。
良人の綺麗な焦げ茶色の瞳も私の紫の瞳を見ていた。
「りょうくん……」
いきなり現れた幼馴染に咄嗟に対応できず、私は数秒遅れて名前を呟く。だが、それは向こうも同じようで、良人はドアノブから手を離した状態で固まっていた。
「ねーねー、ドア開いたけど、お父さん帰ってきたの?」
玄関付近の固まった空気を解いてくれたのはお姉ちゃんの声だった。
私はこの状態をお姉ちゃんに見られぬよう、慌てて良人から距離をとる。良人も私から視線を逸らして廊下の天井を見ていた。
やがてリビングのドアが開き、お姉ちゃんがひょっこり顔をのぞかせる。
「……。」
お姉ちゃんは何も声を発することなく、そのままリビングに引っ込んでしまった。
良人と私を交互に見て嬉しげな表情を浮かべ、親指を立てたように見えたが気のせいだろう。
お姉ちゃんがいなくなると、良人から話しかけてきた。
「警察から逃げてるって聞いたぞ。大丈夫なのか?」
私は土間に座り、視線を下に向けて義足を撫でながら言葉を返す。
「大丈夫。さっき警察に行って誤解を解いてきたんだ。それにほら、このとおり義足も返してもらったし。」
私は義足をこれ見よがしに見せ、踵部分で玄関のタイルを叩いた。玄関内に金属同士が擦れ合う小気味の良い音が響く。
良人はしばらく私の足を見ていたが、私が足を動かすのを止めると隣に座ってきた。そして優しく私の義足の上に手を置き、言う。
「あの、カナタ、ごめん。」
「何で急に謝るの。」
私は良人が載せた手を軽く掴む。しかし、まだ視線を上げることはできなかった。
良人は申し訳なさそうに言葉を紡いでいく。
「カナタの足が動かなくなったのは俺のせいだ。学校で俺と会いたくないのも当然だと思う。……でも、それでも返事が聞きたいんだ。俺を許してくれたのか、許してくれないのか。」
許すも許さないも、初めから恨んでいないのだから答えようがない。
どうしても良人は私から答えが聞きたいようで、義足の上に載せた手に力がこもる。
「もし許してくれてなかったら今後一切会わないって約束する。でも、もし少しでも許してくれたのなら……」
この時、私はお姉ちゃんのアドバイスを思い出していた。
私は良人がどう思っているのかを無駄に考え過ぎていた。今の良人は私と同じだ。いくら考えても他人の頭のなかは覗けないし、想像するだけ時間の無駄だ。
私がすべきことは今の気持ちを良人に伝えることだ。自分の胸の内を明かさなければ、良人の本当の気持ちも聞き出せない。
しかし、こんな場所では落ち着いて告白できる気がしない。
私は良人の言葉を遮るべく隣にいる幼馴染の口元に人差し指を当てる。それだけで良人は口を閉ざした。
「いいから外に行こ。ここじゃ落ち着いて話せない。」
私は腰を上げ、玄関のドアを開けて先に外に出る。
ひんやりとした空気が私を包む。
少し寒いし、自分の部屋で告白すれば良かったかもしれない。でも、部屋に上げるのは何だか違う気もするし、適当に近くの神社にでも行こう。
「……わかった、外だな。」
良人は私が開けたドアが閉まらぬうちに玄関から外に出た。
軒先で待っていると良人は自然に私の隣に立ち、一緒に歩き始める。
……神社までの道のりはお互いに無言だった。世間話をする気分じゃなかったし、こちらはこちらで告白の文言を考えるのに必死だ。不安も完全に吹っ切れそうにない。
結局、悩ましい顔のまま私と良人は住宅街の高台にある神社に到着してしまった。
周囲には雑木林があり、鳥居が葉で隠れるほど鬱蒼としている。密談するにはもってこいの場所だ。
石段を登って鳥居をくぐると、先に良人が口火を切る。
「カナタ、俺が病院で言ったこと……。」
また私に謝るつもりなのだろう。謝罪されればされるほど惨めな気分になりそうだったので、私は強引に言葉を遮り、さっさと告白することにした。
「……私、良人が好きだから。」
言ってしまった。
好きという言葉を言った瞬間、自分の顔が火照るのがわかった。覚悟していたけど、やっぱり言葉にすると恥ずかしい事この上ない。こんな状態で良人の顔は見れない。視線は暗い境内に向けたままだ。
良人は私の告白に対し、しばらく沈黙を保っていた。
いったい良人は今何を考えているのだろうか。驚いているのだろうか。それとも困惑しているのだろうか。……でも後悔はない。自分の気持ちを伝えられたのだから。
そのことについても私は良人に告げる。
「別にこのまま何も言わなくていいよ。私が良人に伝えたかっただけだから。」
私は踵を返し、石段を下るべく義足を動かす。
その動きを止めるように良人は私の腕を掴んだ。
「……。」
急に体に触れられ、私は体を強張らせてしまう。
良人もすぐに私の強張りを感じ取り、掴む力を緩める。……しかし、手を離すことはなかった。
「カナタ、俺は……」
さっきの言葉に反応したのか、ようやく良人も胸の内を明かし始める。
「今まで俺はカナタに依存してたんだと思う。罪の意識を感じないために、必至にカナタを助けてきたんだ。……でも、それだとカナタを騙し続けてることになる。本当の意味での贖罪じゃない。……だから、あの時病院でカナタに本当のことを打ち明けたんだ。」
「そうだったんだ。」
この鷲住良人という少年はどこまで行っても律儀な少年みたいだ。私だったら罪の意識すら感じなかっただろう。
私は再び振り返って良人の顔を見る。
良人の目には涙が溜まっていた。次第に声も震え始める。
「絶対、カナタは俺のことを恨むと思ってた。だってそうだろ? あんなの辛すぎる。いつも見ていた俺にはよく分かる。でもカナタはあっさり許してくれた。あの時は信じられなくて謝り続けてたけど、今なら分かる。これからは贖罪じゃなく、純粋な気持ちでカナタに接することができるんだって。」
「うん……。」
今まで溜めてきた思いを吐き出すかのごとく良人は喋り続ける。
そんな良人が愛おしくなり、私は掴まれた手を両手で掴み返し、歩み寄る。
「今の俺はカナタと一緒にいたいと思ってる。ずっとずっと一緒に。もう離れたくない。……この5日間、すごく寂しかったんだ。」
「私もだよ。」
素直な言葉を告げ、私はさらに良人に近づく。その距離はやがてゼロになり、私は良人の手を両手で掴んだまま、幼馴染の首元に自らの頭を載せた。
いつものように抱き抱えられていたのでこのくらいの距離感、密着は何度も経験している。でも、今日はいつもと違っていた。一気に距離が縮まり、良人の体温が肌を通して直に伝わってくる。私と同様、良人の体も熱かった。
良人は私の耳元で言葉を続ける。
「これからどうなるのか俺には正直良くわからない。でも、これだけは確かだ。……カナタ、俺もお前のことが好きだ。これからも一緒にいよう。」
これこそ、私が聞きたかった言葉だ。今まで感じていた不安や後悔が吹き飛んでしまうくらい望んでいた言葉。
こんな短い言葉のために長い時間悩んでいたかと思うと馬鹿らしくなってくる。
良人の気持ちを確認できて安堵してしまったのか、自然と口元が緩んでいた。それを悟られぬよう、私は良人の首元に更に深く頭を押し当てる。
「ありがと。じゃあこれから一生面倒みてもらうから、よろしくね。」
お互いに気持ちを確認しあえて緊張の糸が解けたのか、良人は私の肩を掴んで体を引き離すと、普段通りの砕けた口調で話す。
「いやいや、もう自分で歩けるんだから面倒見なくても平気だろ。……まぁ、カナタを抱っこできなくなるのは少し残念だけどな。」
そう告げる良人の視線は私の足に向けられていた。
私はその視線から少しいやらしさを感じ、良人の考えていることを直感的に理解してしまう。
「え? もしかしてずっとそんな事考えてたの!?」
「ずっとじゃないぞ?」
……と言うことは少なからずそういう邪念を持っていたということになる。良人自身も自分の失言を悔いているようで、苦笑いを浮かべていた。
私はすぐに肩から良人の手を振り払い、キルトスカートから伸びている太ももを掌で隠し、良人に軽蔑の目を向ける。
「うっわぁ、やっぱりさっきの告白は無しね。私の太もも見るために介助してたなんて、とんだ変態じゃん。」
犯罪者でも見るような視線に加え、私は冷たく言い放つ。
これには良人も我慢ならないらしく、果敢にも言い返してきた。
「別にそのくらいいいだろ。カナタだって事あるごとに俺の胸とか肩辺りに顔押し付けて匂い嗅いでたし、人のこと言えないぞ。」
「そんな嘘……」
咄嗟に言い返そうとしたが、良人の言っていることは間違いじゃないので反論できなかった。
実際に良人の匂いは懐かしいというか落ち着く匂いで、周囲からの視線が怖かった頃はあの匂いでだいぶ緊張が和らいだものだ。そんな行為は習慣となり、ついこの間まで当たり前のように行なっていた。
一応気付かれずにやっていたつもりだったのだが、バレバレだったみたいだ。私は先ほどとは別の意味で顔が赤くなってしまう。
「今まで黙ってたけど完全にバレてたからな。においフェチに変態とか言われたくねーよ。」
「な、な、何言ってんの? 嘘付かないでよ。」
私の必死の否定の言葉も虚しく、良人は水を得た魚のように私を執拗に追い詰める。
「あれさ、鼻息のせいで微妙に生暖かく湿って気持ち悪かったんだぞ?」
「そうなの、ごめん。……じゃなくて!! ……はぁ。」
良人は嬉しそうに笑っている。これ以上言い争っても不毛だ。私は変に言い訳するのを諦め、良人の言い分を認める。
「はいはい、匂ってました。落ち着く匂いだったからどうしても止められなかったの。……ごめん、今後は気をつける。」
「別に構わないって。……ほら。」
良人は謝る私の背に手を回し、胸元に抱き寄せる。が、私は反射的に良人を突き飛ばしてしまう。もちろん、恥ずかしかったからだ。
「あのね良人、……こういうのはもうちょっと慣れてからにしよう?」
恥じらいながら言うと、向こうも同意してくれた。
「そーだな。その足で踏まれでもしたら洒落にならないしな……。」
何だかお互いを意識するのは新鮮な感じだ。これからどうなるか予想もつかない。アグレッサーに負ければ有津市は壊滅するし、もしかすると私もワルトに殺されるかもしれない。
……でも、不安は全く感じていなかった。
その後、緊急避難警報のサイレンが鳴り響くまで、私と良人は他愛ない会話を続けていた。