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異次元からの亡命者


  7


 目が覚めると、私は家のベッドの上にいた。

「……。」

 昨日はひどい悪夢を見た気がする。

 夜中に外に出て漁船係留所まで行くと巨大な犬がいて、それに噛まれて死んでしまう夢。

 冷静に考えてみるとおかしな夢だ。いや、夢というのは大概が現実離れしているし、おかしくて当然なのかもしれない。

 青く光るUFOと赤く光るUFOを見つけてカメラで撮影した気もするが、これも夢の話だろう。

 夢だと確認するべく、私は枕元に置いてある携帯電話を手に取り、写真が保存されているフォルダを開く。

「ほーら、やっぱり。」

 そこには、私の寝顔をバックにして自画撮りしているお姉ちゃんが映っていた。口を半開きにしている私の寝顔のなんと情けないことか。自分で見ていても笑えてくる。

 ついでに現在の時間を確認すると、7時10分だった。もうちょっとすればいつも通り良人が迎えに来るはずだ。良人を待たせては悪いし、今日は早めに身支度をしよう。

 珍しくそう考えた私はベッドから降りるべく掛け布団を除ける。続いて動かない足をベッドから降ろすために膝下に手を引っ掛ける。

 ……と、私の手は空を切ってしまう。さらに、勢い余ってそのままバンザイの体勢でベッドに仰向けになって倒れてしまった。

 慌てて私は起き上がり、足元を見る。

 そこにはあるべきものがなかった。

「あ、あー!?」

 足が無いのだ。太ももから下が綺麗サッパリ消えてなくなっている。それどころか切り口の所に変な金属製の輪っかまで付いている。

 寝起きで低血圧で思考能力が低下しているせいか、私は壊れたおもちゃのように情けない叫び声を上げることしかできなかった。

 しばらく、驚いたまま呆然としていると、聞き覚えのある声が窓の外から聞こえくる。

 それは良人の迎えの声ではなく、夢の中で耳にした男性の声だった。

「なんだその反応は。足がなくなったんだからもっとショックを受けたらどうだ。」

「十分ショック受けてるよ!! って、お前は……!?」

 ほとんど反射的に言い返しながら、私は窓を見る。

 窓には学生服を着た男がいて、今まさに窓を乗り越えている最中だった。

 窓枠を乗り越えると、男は脱いだ靴を窓から外に出し、靴裏の汚れを丁寧に叩いて落とす。汚れが十分に落ちるとその革靴を再び部屋の中で履き、男はようやく私に顔を向けた。

 予想通り、その顔には赤い瞳の長い切れ目が二つ付いていた。今はメガネを掛けているが、間違いなく夢のなかで赤く光るコートを着ていた男だった。

「え? だってあれは夢で……」

「典型的な現実逃避をしている場合か岩瀬彼方。とりあえず両親と姉にはお前の無事な姿を確認させたから問題ない。色々と説明する必要があるから、今日は一日俺と付き合ってもらおう。」

 やはりというか、あの夜の出来事は全て現実だったようだ。

 犬の怪物に襲われてから記憶が曖昧だが、彼が怪我を治療してこの自宅の部屋に返してくれたのだろう。

 どうやって治しただとか、どこの病院に連れて行かれたのかとか、色々と疑問が浮かんできたが、今はすぐにでも説明して欲しいことがあった。

「これ、この足、私の足が無くなってるんだけど!?」

「ああ、そうだな。」

 私のキレ気味の質問を受け、彼はベッドまで近寄ってくると右手を太ももの上においた。続けて左手をベッドと太ももの間に差し込み、両手で渡しの太ももを挟んで持つ。

 その状態で彼はこちらに視線を向けて言う。

「……痛くないか?」

「いや、ちょっとじんじんする程度だから平気……じゃなくて!!」

 真面目に答えてしまった後で、私は彼の手を払いのける。

 当たり前のように太ももを触ったことを咎めようとすると、今度は玄関の方から幼馴染の声が響いてきた。

「カナター、起きてるかー?」

 その声に反応したのは私だけではなかった。

「む、……今この足を見られると都合が悪い。発見される前にこの家から離脱するぞ。」

「離脱って、いきなり何言って……うわっ!?」

 彼は問答無用で私をシーツで包み、造作もなく抱え上げる。そして、私が文句を言う前に部屋の窓に向かってダッシュし始めた。

 そのまま私を抱えた彼は家から飛び出し、外で待機していた車の後部座席に私を押し込む。

 すぐにエンジンが始動する音がし、シート越しに車の振動が伝わってきた。

 私は色々と諦め、どうやって学校に欠席の連絡をしようか、その方法を考えていた。


  8


 私を乗せた車は海岸に向かって市内を北上していき、現在は島と島を結ぶ大きな吊り橋に差し掛かっていた。

 一体私をどこに連れて行くつもりなのだろうか。車に乗ってから一言も喋らない赤い切れ目の彼に対し、私は質問をする。

「……で、この車はどこに向かってるの?」

「『アロウズ先端科学技術研究所』だ。名前くらい聞いたことがあるだろう、カナタ。」

 行き先を完結に述べ、彼は私を呼び捨てにする。

 私と同じく後部座席に座っている彼は、見たところ私より年上の男子学生だ。制服も見覚えがある、確かお姉ちゃんと同じ高校の生徒服だ。つまり、せいぜい私より2年か3年年上なだけだ。

 他人な上に歳もそんなに離れていない彼に、呼び捨てにされる覚えはなかった。

「ちょっと年上だからって呼び捨てにしないでよ。」

 不機嫌な態度をあらわにして文句を言うと、彼は苦笑し、感心したような口調で言う。

「普通こんな状況に置かれたら大抵の女子中学生は萎縮して何も喋らないか、喋っても相手の表情を窺うものだが、お前はそんな様子は全く見せないな。やはり度胸があるというかなんというか、怖いもの知らずなきらいがあるな。だからこそ俺もあの窮地から脱することができたわけだし、褒めておこう。」

 こんなやつに褒められても嬉しくともなんともない。

 このままだと彼のペースに引きこまれそうだったので、私は話をもとに戻すことにした。

「はいはいどうも。……それで、どうして私がそのアロウズの研究所に行かないといけないの?」

「だから、色々と説明する必要があると言っただろう。研究所に行けば説明が捗るから、連れて行くだけだ。」

「……。」

 アロウズとは、有津造船工業株式会社の略称だ。このあたりに住んでいる人はみんなアロウズと呼ぶ。発音は英語のARROWSではなく、アクセントは“アロウズ”の中の“ロウズ”の3文字に付く。

 それはともかく、アロウズの先端科学技術研究所は国内でも有名な研究施設だ。有津造船はここに多大な資金を注ぎ込み、結果として多くのすごい技術が生まれている。

 船の推進装置はもちろんのこと、ここ数年は航空機のエンジンや、戦争で使う兵器の装甲の素材の研究もやっているらしい。地方テレビのCMでさんざん流れているので、このくらいの知識は誰でも知っている事だ。

 なぜそこに私が連れて行かれるのだろうか。

 昨日の夜に見たこの世のものとは思えない物たちは、全部アロウズの秘密の兵器だったのかもしれない。だから口止めをするために私を連れ出してどこかに監禁して……。

 いや、そう考えるのはあまりにも馬鹿馬鹿しい。口止めをするくらいならあの時重傷を負った私を放置して事故死に見せかければ良かったのだ。何か別の理由があるのだろう。

 しかし、どうして高校生の彼がそんな研究所と繋がりがあるのか、私の頭では想像できそうにない。

 そのことで頭がいっぱいになった私は、無意識のうちに彼に質問していた。

「……一体何者なの?」

「俺は玖黒木亜澄くくろぎあずむだ。年齢は17歳、有津西高校の2年生だ。」

 玖黒木と名乗った彼は普通に自己紹介をする。その時になってようやく私は彼の名前を聞いていなかったことに思い至る。

 だが、私が知りたいのはそんなことではない。

「そういうことじゃなくて、何であの大きな犬の怪物と戦ってたわけ? そもそもあれって何なの? 宇宙人? 動物型のロボット兵器?」

 他にも、赤く光るコートや戦闘用だと思われる機械仕掛けのスーツ、そして、いとも簡単に空中を自在に飛び回るあの技術は、人智を遥かに超越していると言わざるを得ない。

 あと、私の切断された足の断面に取り付けられている薄い金属製のパーツも気になる。

 私が本気で質問したにもかかわらず、玖黒木は真面目に答えない。

「見かけによらず想像力が豊かだな。宇宙人なんて単語を耳にしたのは久しぶりだぞ。」

 玖黒木の人を小馬鹿にしたような態度に、私はとうとう手を出してしまう。

「真面目に答えてよ!! これ以上ふざけたら警察呼ぶわよ、警察!!」

 玖黒木のわき腹あたりをグーで何度も殴りながら半ば叫ぶようにして言うと、ようやく玖黒木はまともな答えを返してくれた。

「正直な所、俺達もアレが何なのか、正確に把握できていない。しかしだな、アレの目的は分かっているし、その目的を阻止できなければどういう結果になるのかも知っている。」

「遠回ししないで教えてよ。被害者なんだから知る権利はあると思うんだけど。」

「言った所で中学生が理解できるかどうか……。」

「理解できるように話せばいいでしょ。」

 自分がわがままなことを言っている事は自覚している。でも、このくらいしてでも何がどうなっているのか、正確な情報が欲しい。

 昨日は何とか助かったが、今後もあんなことがあれば死人がたくさん出る。その中にお父さんやお母さん、そしてお姉ちゃんや良人が含まれないとは限らないのだ。

 真剣な眼差しで玖黒木を見つめると、玖黒木は諦めたのか、ぽつぽつと説明し始める。

「仕方ない、簡単に説明する。……俺達はアレのことを『アグレッサー』と呼んでる。簡単に言うと異次元からの侵略者で、定期的に“こちら側”に現れて探索活動をしている。」

 異次元だとかアグレッサーだとか理解不能だったが、とりあえず1つだけ気になった言葉をそのまま言い返して質問する。

「探索活動?」

「そうだ。アグレッサーの目的は我々アロウズが所有している異次元からの“亡命者”を回収し、持ち帰ることだ。」

 話が飛躍しすぎて理解が追いつかない。でも侵略者なんて名前をつけているのだし、とても危険な存在であるのは確かなようだ。亡命者というのが何なのか分かりにくいが、その侵略者から逃げてきた人だと考えると辻褄が合う気がする。

 とりあえず無理矢理納得し、私は話を前に進める。

「えーと、その亡命者が回収されたら大変なことになるってことだよね? 例えば、地球が破滅するとか……?」

「いや、特に何もないな。」

「だったらさっさと回収させてあげればいいじゃん。あんなのが有津にたくさん来たら冗談じゃ済まされないくらいたくさんの人が死ぬよ。」

「そんなに単純な話ではない。その亡命者の名前は……『ラルフォス』と言うんだが、実はアロウズがここまで成長できたのは彼の知識のおかげだ。」

 玖黒木は口調を変えることなく、淡々と説明し続ける。

「つまり、アロウズとしては彼を、彼の持っている科学技術知識を手放すわけにはいかない。だから、何としてもこちら側にいて欲しいというわけだ。」

「そんな、会社の都合のために私達を危険に晒してたってこと!?」

「そんな言い方をしなくてもいいだろう。亡命は彼が望んでいることだし、アロウズへの協力を快諾してくれている。それに、ここまで有津市が発展できたのはアロウズのおかげだ。これからもアロウズの高度な科学技術は有津市を、有津の市民の生活を豊かにする。少しくらいのリスクを背負っても豊かになれば文句はないだろう。」

「あれが“多少のリスク”?」

 “地球が危ない”、とか、“アグレッサーの侵略から地域を守っている”、という理由があるならばまだ納得できる。しかし、そのラルフォスだとかを引き止めているせいで危険を招いているのは紛うことなき事実だ。

 玖黒木は否定しているものの、アウロスの利己的な理由によって、有津市が危険に晒されているのは明白だった。

 そんな事実に私はアロウズという企業に対し失望し、呆れてしまう。

 私のそんな様子を無視して、玖黒木は自信ありげに説明を続ける。

「リスクなんてあってないようなものだ。『CoATコート』があればアグレッサーも敵ではない。亡命者のラルフォスからもアグレッサーの情報を十分手に入れているし、対応策も十二分に検討できている。つまり、問題は全くないということだ。」

「あの、私死ぬところだったんだけど……」

 と、自分のことを事例にして短くツッコミを入れ、私は玖黒木の言う『コート』について訊いてみる。

「……というか、そのコートってあの赤く光るコートのこと? やっぱり特別な兵器だったんだ……。」

「そういうことになるな。正式名称は『Composite of Ambiguous Technologies』略して『CoAT』だ。まあ、開発当初からその見た目から単純にコートと呼ばれていたからな。この『CoAT』という名称は完全に後付名称だ。そんなことも含めて詳しくは到着してから話そう。実物を見たほうが説明しやすいし、お前も納得しやすいだろうからな。」

 玖黒木がそう告げると、私達を乗せた車は有津大橋に差し掛かり、橋の上をスムーズに移動し始める。

 有津造船の造船ドックやその他の精密機械の研究開発施設は瀬戸内海に浮かぶ様々な島に広く分散している。玖黒木の言う研究所とやらも、そのうちの何処かにあるのだろう。

 百聞は一見にしかずと言うし、こんな車の中で玖黒木の無駄な説明を延々と聞くこともない。研究所にいけばもっとまともに話してくれる人がいっぱいいるはずだ。コートや私の脚についてもその時にきちんと説明してもらったほうがいいに決まっている。

 そう思い、私は目的地に着くまで何も話すことなく、窓から見える景色を眺めていた。


  9


 車は順調に有津大橋を渡って行き、2つ目の島、伯方島に到着した。

 そこからさらに20分掛けて島の東側にある造船ドックまで移動し、ようやく車は停止した。

 伯方島は塩の生産で有名らしい。私の家でも伯方の塩を使っている。塩の味比べなんてしたことがないが、これだけ有名なのだし多分他の塩より美味しいのだろう。

 島の大きさは5キロ四方と言ったところだろうか。南側の沿岸部を移動している間、私はずっと海を見ていた。海はとても綺麗で、見ていて飽きなかった。

 ちなみに、この伯方島が有津造船の発祥の地だと学校では教えられた。

 車での移動中、『有津郵便局』だとか、『有津クリニック』だとか、そういう名称の看板をいくつも見たし、間違いない。

 本拠地にあるということは、玖黒木の言う研究所ではかなり重要な研究が行われているのだろう。今まで半信半疑だったが、この場所に連れて来られると、途端に現実味が増してくる。

「おいカナタ、早く腕に掴まれ。それとも車椅子をご所望か?」

 停まった車の中でぼんやりしていると、開いたドアの外から玖黒木の催促の声が聞こえてきた。玖黒木にはあまりいい印象を持っていないが、わざわざ車椅子を用意する時間も勿体ない。

 私は素直に玖黒木に運んでもらうことにした。

「よろしく。」

 差し出された腕を掴むと、玖黒木は慣れた手つきで私の体を抱き寄せ、右腕で背中を、左腕で腰を持って私の体をしっかりと固定する。

 今は足が綺麗サッパリなくなっているので結構軽くなってるはずだ。今の私の体重は35kgくらいだろうか、女子にとって体重が減ってくれるのは有難いことだが、私には嬉しくとも何とも思えなかった。

 玖黒木に抱かれて車の外に出ると、正面に大きな建物の集団を見つけた。

 集団は海岸からそう遠くない場所に建てられていて、内陸部に向かって長く伸びていた。小さな山の斜面は切り開かれ、緑の木々の代わりに人工物で覆い尽くされている。

 玖黒木がその建物の集団に向かって移動し始めると、私達を乗せていた車は何処かへ走り去っていった。それと入れ替わるように、建物の前にある大きな門がスライドして開き、私達を中に招き入れてくれた。

 敷地内部に入るとすぐに建物への入り口があり、私は玖黒木と共に自動ドアをくぐる。

 建物内のエントランスには受付嬢らしき人が座っていた。しかし、玖黒木はその人を無視して勝手にエレベーターに乗り込む。

「素通りしちゃったけど大丈夫?」

「ああ、本当のセキュリティゲートは地下にあるからな。」

 エレベーターは玖黒木の言葉通り、地下深くへと進んでいく。

 階数を表示するディスプレイに『B7』という文字が表示されるとエレベーターは停止し、扉が開いた。

 扉の向こう側にあった光景は、私の予想を遥かに凌駕していた。

「うわぁ……白い。」

 と言うより眩しい。

 パッと見た所では室内の雰囲気は大きな病院のそれに似ている。違うところがあるとすれば、窓がないところと、蛍光灯が天井だけでなく通路の四隅にも設置されていることくらいだ。

 そんな明るい光を浴びながら進んでいくと、青色系統の制服を着た男が2人ほど駆け寄ってきた。その手には少し大きめの銃が握られている。多分警備員だろう。

「IDの提示をお願いします。」

「はいはい、いつもご苦労様。……と、ちょっと持っててくれないか。」

 玖黒木は片方の警備員に私を預け、懐からカードらしき物を取り出す。そして、そのカードもう片方の警備員に提示した。

「……確認しました。どうぞお通りください。」

 警備員はIDカードを見るとすぐに銃を背中側に回し、道を開けてくれた。

 一連の確認作業が済むと私は警備員の腕を離れ、再び玖黒木の胸元に戻された。なんだかモノみたいに扱われるのは気分が悪い。

 そんな文句をいう暇もなく玖黒木は明るい通路をどんどん進んでいく。

 思った以上にこの地下の空間は広いみたいだ。

 しばらく進むと玖黒木はある部屋の前で立ち止まる。そのまま待っていると部屋の扉が自動的に開き、私は廊下から室内に入った。室内は暗く、冷たい空気が漂っていた。

 中に入ると間を置くことなく責め立てるようなセリフが飛んできた。

「やっと帰ってきたねククロギ。勝手に持ちだしたアレ、返してよ!!」

「そう焦るなラルフォス。きちんと説明してやるから。」

 いきなり出てきたのは……人の形をしたロボットだった。

 体は金属で構成されているのか、動くたびに軋む音が発せられている。体中金属のプレートで覆われており、顔面はのっぺりしていて目や鼻や口らしきものは見当たらない。

 その顔を激しく揺らしながらラスフォスと呼ばれたロボットは大声を上げている。軽くホラーである。

「いいからさっさと返してよ。アレがどれだけ貴重なモノなのか、ククロギも十分理解しているはずだろう?」

「ああもちろんだ。だが、もう返せそうにない。」

「あー!? もしかして“使った”!?」

「悪いなラルフォス、緊急事態だったんだ。」

 玖黒木と、ラルフォスというロボットは何やら話している。

 その内容は理解できなかったが、辛うじて私は“ラルフォス”という単語を覚えていた。

「ラルフォスって、玖黒木がさっき言ってた亡命者のこと?」

 何気なく思ったことを口に出してみると、今まで激しく動いていたロボットの頭の動きがピタリと止まり、その顔がこちらに向けられた。

 ラルフォスは玖黒木に抱かれている私をしばしの間見つめていたが、何かを悟ったようで、数秒もすると踵を返して部屋の奥へとぼとぼと歩いて行く。

「全部わかっちゃったよ……。『ネクタル』はその娘に使ったんだね。精製するのに10年以上かかる上に媒体にも限りがあるっていうのに、それを全部使っちゃったわけだ。呆れちゃうよ……。」

 ぶつぶつ言いながら、ラルフォスは部屋の奥に消えていく。室内には研究機材と思われる大きな機械がたくさん並んでいる。その影に隠れて見えなくなると、玖黒木はその後を追うように私を抱いたまま奥へと移動していく。

「ねえ玖黒木、あれが異次元からの亡命者?」

「その通りだ。驚いたか?」

「いや、あんまり……。」

 異次元という言葉を特別に考えていたせいか、ラルフォスの姿は私が想像していたよりも地味だった。というか、まるっきりロボットである。

 あれだけスムーズに動いて意思を持っているロボットというだけで驚くこともできただろう。しかし、車の中での玖黒木の説明を聞いたあとでは見劣りするのも仕方がない。

 奥に進むと、ラルフォスはガラス製のデスクの上に手をついて愚痴っていた。

「あれを使って戦力を強化するはずだったのに、何で僕に相談もしないで使っちゃうかなぁ。大抵の怪我ならどうとでも処置できたのに……。計画も大幅に修正しなくちゃ……あぁ、不安だ。」

 どうやら、玖黒木はラルフォスに無断で『ネクタル』という貴重な物を使って、私を治療したみたいだ。一体どんな物だったのだろうか、結構気になる。

 ある程度まで近付くと、玖黒木は背後からラルフォスに声をかける。

「もっと俺の戦闘能力を評価して貰いたいな。あんな奴ら束になって掛かってこようと余裕で対処できる。戦力の強化なんて必要ないだろう。」

「そんなこと言って、昨日はあの犬の怪物に負けそうになってたじゃん。私があの怪物の気を逸らしたお陰で……」

「嘘をつくな黙っていろ。」

 こちらの会話を聞いて、ラルフォスは小さく笑う。

「はは……。ネクタルについては別にもういいよ。そのおかげでこんな可愛いお嬢さんの命が救えたわけだし。……アグレッサーへの対処方法は他にないわけじゃないんだ。地道に考えることにするよ。」

 そう言うと、ラルフォスはガラス製の机から離れて、私に握手を求めてきた。

 私はその金属の冷たい手を握り返す。ラルフォスはその手をゆっくりと上下に動かした。

「ククロギから聞いたとおり、僕がこちらの次元に亡命してきたラルフォスだ。あいにく僕は自由に動ける体というものを持ち合わせていなくてね、不恰好ながらこの金属製の体を使っているというわけさ。」

「私は岩瀬彼方です。有津第二中学校の3年生です。」

 軽い自己紹介のあと、私は早速ラルフォスに問いかける。

「あの、ラルフォスさんは自分の次元に帰るつもりはないんですか? そうすれば変な怪物とかがこっちに来ることもないって聞いたんですけれど。」

「そのつもりはないよ。帰ったらどんなことをされるか分かったものじゃないからね。だから僕を守ってくれているアロウズには感謝してるんだ。ここでの暮らしにも満足しているよ。」

「そうなんですか……。」

 ラルフォスは私たちの安全に関して全く興味が無いらしい。

 アロウズもアロウズだ。わざわざ地元を危険にさらしてまでこいつから技術知識を得る必要はないと思う。そりゃあ、アロウズが儲かれば有津市も豊かになるけれど、大惨事になる可能性があるとみんなが知れば猛反対するはずだ。

 だいたい、このラルフォスはどんな技術知識を持っているのだろうか。先ほど話題に上がった『ネクタル』だって、何のことやらさっぱりわからない。そのおかげで私は死なずに済んだが、得体のしれないものを使用されるのは何だか気持ち悪い。

 そんな私の考えが伝わったのかは定かではないが、ラルフォスはそのネクタルについて話し始める。

「それにしても見事なまでに適合したみたいだね。ネクタルも君の命もどちらとも無駄にしなくて済んで良かったよ。テストではどの被験者ともマッチしなかったんだけど、ククロギっていう前例を鑑みると、やっぱり年齢とかが関係しているのかもしれないなぁ。」

 ラルフォスは握手をした状態で私の腕のあたりをつぶさに観察している。

「そのネクタルっていうのは何なんですか? 兵器を作るのに必要な部品なのに、人の体を治療できるなんて、普通に考えて有り得ないと思うんですけれど。」

「その通り、ネクタルはこっちの世界では存在し得ない物質だよ。僕らの世界では当たり前に使われている物なんだけどね。たくさんのエネルギーを勝手に異次元から集めて、それを使用者に付加してくれる、例えるなら血液みたいなものかな。今は君の体に同化したばかりで動作が不安定だけれど、すぐにサーキットが形成されて体中にエネルギーが行き渡ると思うよ。」

 要するに、ネクタルはRPGで言うHPとMPを全開させる薬以上に便利なものらしい。ずっと回復効果が持続する反則気味のアイテムと言ったところか。

 ……ということは、そのネクタルとかいう物質はまだ私の体の中に留まっていることになる。それどころか、さっきの言いようではこれからもずっと血液みたく巡り続けるようだ。

 そう思うと、何だか体がムズムズしてくる。

 ラルフォスの説明の後、玖黒木も私に補足説明をしてくれた。

「ネクタルは常に体内に留まり、宿主の体組織の一部として自然に振る舞う。それに、CoATを装備すればそれを通じて非常に大きな力を発揮することもできる。使用目的としてはこっちの方がメインってわけだ。」

 そう言った直後、玖黒木は私から視線を逸らしてラルフォスに向ける。

「そうだ、せっかく運よく手に入れた適正者だ。こいつにCoATを着せて戦わせればいい。」

「はい?」

 こっちは被害者だというのに、よくもそんな提案ができるものである。

 もちろん、頼まれた所で私はあんな変な怪物と戦うつもりはない。もしCoATを使えたとしても、わざわざ怪物と戦うことなんてしないで、ラルフォスを無理矢理敵側に引き渡してやるつもりだ。

 玖黒木の予想外の発言に驚いたのは私だけではなかった。

「ちょっとククロギ、いくらなんでもそれは無理があると思うよ。いくらCoATで守られてても危険なことには変わりないし、アグレッサーに立ち向かえるだけの精神力もあるかどうか……。とにかく、ただの女の子には無理だよ。」

 ラルフォスの指摘に対し、玖黒木は粛々と反論する。

「いいや、こいつは見た目以上に肝が座っている。アグレッサーに対しても逃げずに挑発のセリフを叫んだくらいだ。ちょっとやそっとじゃ動じないだろう。それに、歳は俺と2つしか違わないぞ。少し訓練すれば十分使える。」

 褒められて嬉しいような、勝手に戦力扱いされて悲しいような。

 どちらの感情を優先させたものか悩んでいる間にも、ラルフォスは否定的な言葉を続ける。

「もしそうだとしても、彼女は大怪我のせいで足がないんだよ? こんな事に巻き込まれて、僕らのせいで足を失ったのに、それなのに協力してくれるとは思えないよ。」

「あの、足は元々動かなかったのであまり執着はないと言いますか。」

 負傷についてはそこまで根に持っていない。むしろ、ネクタルのお陰で太もも辺りまでの感覚が回復している。あの時犬の怪物に足を噛み千切られていなければ、足も動いていたかもしれない。

 問題は、ラルフォスとアロウズの我儘のせいで有津市が危険に晒されていることである。

 科学技術が欲しいあまり、地域住民を危険に晒すなんて大企業としてあるまじき行為だ。利益を優先するために汚染物質を垂れ流しているどこぞの国と一緒だ。

 協力するつもりは毛頭なかったが、玖黒木は勝手に話を進める。

「足は大丈夫だ。CoATの脚部パーツを接続していればそれが義足になる。」

「なるほど、それを見越して足にジョイントパーツを付けてたのか……。」

「義足?」

 私はその魅力的な言葉に反応して上を向く。

 私の体を抱えている玖黒木は短い言葉に応じて顎を引いてこちらを向いた。

「そうだ。足を切断されたのは俺の不注意のせいでもあるわけだし、代わりの足くらい用意してやらないとな。……ラルフォス、ネクタルに合わせて新しいCoATを開発してたんだろ。持ってきてやれよ。」

「わかったよ……。」

 玖黒木に促され、ラルフォスは研究室の更に奥にあるドアを抜けていった。

 このまま玖黒木に抱えられたままだと気分も落ち着かないし、早く自分の足で立ちたい。

 ドアをじっと見ながら待っていると、すぐにラルフォスが戻ってきた。その両脇には二つの立派な機械製の脚が抱えられていた。

「はい、これが開発中のCoAT『シオンネイス』の脚だよ。」

 ラルフォスはその二本の脚を私の目の前の床に置く。頑丈そうな装甲に覆われている二本の機械製の脚は勝手に自立し、太ももの断面をこちらに見せた。

 断面部分には人の脚がすっぽり入るくらいのスペースがあり、これが単なるロボットの脚じゃなくて、人間が装備する物だということがよく理解できた。

「これをつければ……普通に歩けるんですか?」

「慣れが必要だけれど、ククロギのCoAT『ゲングリッド』と同じような動作はできるだろうね。それこそ走ったり跳んだり、全て装備すれば空だって自由に飛べるよ。まずは足を付けてみよう、話はそれからだ。」

 思いもよらぬ展開に私は胸が高鳴っていた。まさか、こんな場所で“足を使って歩く”という長年の夢が叶うとは思ってもいなかったからだ。歩くという感覚は既に完璧に忘れているし、もし義足を装着したとしてもスムーズに歩くのには長い訓練が必要だろう。

 義足を見つめながらそんなことを思っていると、玖黒木が何の合図もなしに私の両脇を抱えるように持ち直し、義足に向けてゆっくりと体を降ろし始めた。

 義足……CoATの脚部パーツが近付いてくると、足の先から赤い血管のうような物がにょろりと伸びてきた。それと同時に太もも辺りにくすぐったい感覚を覚える。

「ひゃあっ!?」

 そのムズムズとした感覚のせいで、変な声が出てしまった。

 慌てて私は口元を手で覆い、続いてそのくすぐったさを緩和するべく足を手で掴む。すると、手のひらを通じて何かが皮膚の下で蠢いている感触を得た。それは足の先から出ている赤い血管のようなものであり、私はこれがネクタルの一部であると理解した。

 私の足から伸びるネクタルの管はやがて脚部パーツの断面にくっつく。すると今度は縮み始め、私の脚と脚部パーツを縫い合わせるように接合していく。

 その作業も数十秒で終わり、やがて脚部パーツが完全に私の足にくっついた。

 接合の瞬間、金属のひやりとした感触が太ももに伝わった。しかし冷たかったのも一瞬だけで、すぐに暖かくなり、それどころか熱くなってきた。

 何かがおかしいと思った次の瞬間、予兆もなしに頭に激痛が走った。

 私はその痛みに思わず呻いてしまう。

「んん……」

 頭の激痛はやがて脚へと移行していく。完全に脚に移行すると、その痛みは痺れに変化し、痺れ自体も数秒で収まった。

 これでひと通りの手順は済んだらしい。今まで黙って様子を窺っていた玖黒木が発言する。

「よし、手を離すぞ。」

 玖黒木はそう言うと、私の両脇から手をゆっくりと離す。その動きに応じて私と一体化した義足は床に降りていく。

 やがて足の裏が床に到達したようで、床と義足が触れるコツンという小さな音が聞こえてきた。同時に、足の裏にも小さな衝撃を感じた。

 この足の裏への感覚は、長らく私が失っていた感覚でもあった。

「私、立ってる……。」

 今、私は二本の足で立っている。間違いなく自分の力だけで立っている。それが嬉しくてたまらない。自然と口元も弓なりになり、笑いが止まらなかった。

 試しに私は右脚を持ち上げてみる。

 右脚は私の意のままに動き、膝を曲げて持ち上がる。その動きと対応して、左脚はバランスを取るように踏ん張る。

 上げた右脚を少し前方に降ろすと、体が少しだけ前に移動した。

「歩ける……。」

 私は同じ要領で動作を続け、研究室の中をゆっくりと、本当にゆっくりと歩行する。

 車椅子という低い視点でしか移動していなかった私にとって、この感覚は何物にも代えがたいものだった。足を降ろすたびに感じる振動も心地いい。この義足を貰えるのなら、何だって言うことを聞いてしまいそうだ。

 たった数メートル歩いただけで、私の考えはまるっきり変わってしまう。

「……いいよ玖黒木。アグレッサーからラルフォスさんを守るの、手伝ってあげても。」

「当然だ。ネクタルを使用した挙句、ここまで詳しく事情を話したんだ。協力してもらわないと困る。」

「はいはい。」

 今の今まで私は科学技術を得るよりも、地元の人の安全が大事だと思っていた。しかし、この義足を装着して、そんなことは言えなくなってしまった。

 やっぱり科学は偉大だ。一生歩けないと医者から言われていたのに、科学技術の進歩のおかげでこんなすごい義足を付けられる。

 このアロウズの先端科学技術研究所に協力すれば、ずっとこの脚を付けていられる。ずっと自分の足で生活できる。一度得た足を手放すなんて選択は私にはできない。

 もはや他人のことなんてどうでもいい。私が足を使って快適に生活できる事のほうが重要なのだ。

 玖黒木の言う通り、CoATという兵装を使って戦えばアグレッサーを追い払えるのだし、そう深刻に考えることでもないだろう。いざとなれば裏切ってラルフォスを向こうに引き渡せばいいだけだ。それで安全は確保できる。

「協力してくれるのかい? 本当に大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。今まで玖黒木一人で大丈夫だったんだし、二人いれば絶対に大丈夫だと思いま……あっ!!」

 大丈夫という言葉を連呼しながら歩いていると、足同士を引っ掛けてしまい前に転倒してしまった。

 慌てて立ち上がろうと足に力を込めるも、なかなか立ち上がれない。

 床の上でじたばたしていると、少し遅れてラルフォスが手を差し伸べてくれた。

 ラルフォスは私を引っ張りあげながら注意を促す。

「さっきも言った通り、体内にサーキットが出来上がるまで慎重にリハビリを続けたほうがいいよ。歩きたい気持ちは分からないでもないけれど、今日一日は安静にしていたほうがいいかもね。」

「わかりました……。」

 すぐに脚部パーツを返せというわけでもないようだし、ここは言われた通りにしておこう。下手に動いて壊してしまったら、また車椅子の生活に逆戻りだ。

 この脚に慣れれば、家族にも、良人にも誰にも迷惑を掛けなくても生活できる。そう思うと嬉しさが込み上げてくる。嬉しすぎて死にそうだ。

 しかし、人間という生き物は欲深い生き物だ。目的の物を手に入れても、すぐに別のものが欲しくなってしまう。

 私の場合、別の欲しいものとは脚部パーツの外見に関する欲求だった。

「あ、でもこれだとゴツすぎるから、もっとスリムに改造して欲しいんですけれど。」

 私の義足となったCoATの脚部パーツはお世辞にも綺麗だとは言い難い。

 戦闘のために至るところに装甲が取り付けられ、踵やつま先にいたっては尖った形状のブレードすら見られる。こんな物騒な物を引っさげて学校には通えない。

 こんなゴツい脚を付けて行くくらいなら、代わりに物干し竿をくっつけた方がマシだ。

 そんな私の切実な要求を却下したのは玖黒木だった。

「そのくらい我慢しろ。昨日まで車椅子生活してた病人が偉そうに言うな。歩けるだけで幸せと思え。」

 このセリフが気に食わなかった私は強く言い返す。

「あーあ、せっかくCoAT着て戦ってあげようと思ってたのになー。アグレッサーとかいう怪物と戦うのも面倒くさそうだし、やっぱり協力するのやめちゃおっかなー。」

 語尾を伸ばしてわざとらしく文句を言うと、意外にもあっさりとラルフォスが折れてくれた。

「うーん、余計な装甲は全部剥がしてフレームだけにするよ。それなら普通の足に見えると思う。」

「それだけじゃ駄目。なんか柔らかい素材使って本物の足っぽくしてよ。モデルみたいに細くて長い足にしてね。」

「むぅ……わかったよ……。じゃあ装甲を取り外すから工房に行こう。」

 無理かと思えたが、ラルフォスは私のさらなる要求も承諾してくれた。

 その後、私はラルフォスと一緒に機械工具が並ぶ工房まで移動し、一日中脚のラインに注文をつけていた。


  10


「……か、かなちゃん!? そ、その足どうしたんだ!?」

 翌朝、部屋から颯爽と歩いて出てきた私を見て驚きの声を上げたのは良人だった。

 その視線は私の下半身、スカートからスラリと伸びている足に向けられている。普通の女子中学生なら、男子に足を見られて恥ずかしい気持ちを抱くだろうが、今の私はむしろもっと見て欲しいと思っていた。

「へへー、アロウズの先端科学技術研究から義足のテスターをするようにお願いされたんだ。リアルでしょ。ストッキング履いたら完全にばれないと思うんだけど、どう?」

「すげーなぁ……」

 まだ良人は私の足が切断されたことには気がついていないようだ。

 私の細かい注文によって改造された義足は理想的な脚線美を描いており、形状だけを見れば普通の足と見分けがつかない。そのため、素足に装着しているわけではないということが分かっても、私が足を失ったという考えに思い至らないのだろう。

 良人は玄関から身を乗り出して、私の義足をまじまじと観察していた。

 ……これを昨晩家族に見せたときはこんな反応では済まなかった。

 お母さんは奇跡が起きたことを神様に感謝し始め、お姉ちゃんは義足をべたべた触りながら笑い続け、お父さんに至っては混乱しすぎたせいか、なぜか私の両手を握って握手し続けていた。

 事前にアロウズの人が連絡をしたと聞いていたのに、あれだけリアクションを取れるのはすごい。それだけ、嬉しかったということだろう。

 家族の反応を思い返しつつ、私は玄関の土間の縁に腰掛け、お姉ちゃんが中学校まで履いていたローファーを履く。その様子を良人は固唾を飲んで見守っていた。

 靴を履くと私は勢い良く立ち上がり、外に出る。すると、足の裏を通じて地面の感覚が伝わってきた。

 同時に靴の裏面と地面の擦れる軽快な音も耳に届き、自然と笑みが溢れる。

 良人は玄関に置いてあった家の鍵でドアを施錠すると、その鍵を私に手渡す。

 今までは車椅子に座っていたせいで上から渡されていたのに、今日は良人の手が同じ高さにある。それも何だか嬉しかった。

 鍵を受け取ると、私は学校に向かって歩き始める。

「歩くって気持ちいいね。」

 私に少し遅れて良人も軒先から出て、私の隣を歩く。

「そうだな。こうやって並んで歩ける日が来るなんて、思ってもなかった……。」

 良人の視線はまだ私の足に向けられている。その表情はとても優しかった。

 いつまでも見ていたい表情だったが、こうやってじっと太ももを凝視されるのは何だか気まずい。今はまだ住宅地の人通りの少ない道を通っているからいいけれど、広い道に出ると他の生徒も通学している。

 その生徒たちにこの状況を見られるのは何としても避けなければならない。

「りょうくん、今の状況だと変態っぽいよ。」

「……おう。」

 指摘すると、良人は私の足から視線を外してこちらの顔を見る。

 すぐに前を向くだろうと思ったのに、なぜか良人は私の目を見たまま視線を逸らさない。

 そんな良人の気まぐれのせいで、私も久々に良人の顔を観察することができた。

 良人はスッキリとした顔立ちの持ち主で、鼻筋が通っている。瞳も綺麗な焦げ茶色で、純真さが滲み出ているように感じられる。そんな顔の上には金に染めた髪がある。中学校に入ると同時に染めたのでグレたかとも思ったが、聞いた話によれば、私がみんなとは違う金髪を気にしていたため、同じ色に染めてくれたみたいだ。

 本人の口から聞いていないし、お姉ちゃん情報なので定かではない。しかし、もしそうだとすれば感激だ。

 良人の視線は私の瞳を捉えていたが、やがてその表情は怪訝なものへと変化していく。

「ん……? 瞳の色がおかしくないか。ちょっと紫っぽい気がするぞ。」

「紫?」

 すぐに私は鞄からハンドサイズの手鏡を取り出し、確認してみる。朝洗面台の時には気が付かなかったが、よく見ると瞳の色は少し濃くなり、青色から紫っぽく変化していた。

「ほんとだ。よく気付いたなぁ……。」

 ――これもネクタルの影響だろうか。

 玖黒木も瞳の色が異常に赤かったし、ネクタルが体と同化しているというのは嘘でも冗談でもないようだ。

 良人には小さい頃にさんざん「青くて綺麗」と言われていたので、少しだけ勿体ない気分ではある。でも、色自体は良人やみんなと同じ暗い色に近付いたので、それはそれで良しとしよう。

「玖黒木め、もっと詳しく説明してよ……。」

「くくろぎ?」

「いや何でもない。こっちの話だから。」

 良人には玖黒木との事は話せない。変な怪物を退治する手伝いをすることになっただなんて、口が裂けても言えない。

 せっかく自由に歩けるようになったのだ。今後一切良人に迷惑を掛けるようなことはあってはならないのだ。

 その後、特に会話もなく通学路を歩いて行くと、学校の正門が見えてきた。

 周囲には同じ学校の制服を着た生徒が沢山登校している。今までは車椅子で目立っていたが、今の私はこの中に混じっても全く不自然じゃない。どこからどう見ても普通の生徒だ。

 ……と、言いたい所だが、やっぱり金髪と造りがだいぶ違う顔は多少目立つ。

 私は周囲からチラチラと向けられる視線を普段以上に多く感じていた。

 やがて私は靴箱に到達し、お古のローファーを自分の靴箱に入れる。その時、私は今まで一度も上履きを履いたことがないことに気が付いた。そもそも、靴を履いたのだって今日が初めてだ。

 仕方なく私は靴箱の端に置いてあった来客用の緑色のスリッパを履く。ラルフォスさんには指の一つ一つまで精巧に再現させているので、違和感はなかった。

 靴箱を抜けると私は階段の手前で良人を待つ。

 良人は間もなく私に追いつき、自然な所作で私の腰に手を回した。私を抱えて階段を移動するためだ。しかし、その手の感触を腰に感じた瞬間、私は自分が間違っていることに気付く。

「あ、自分で登るから、ありがと。」

 習慣というのは恐ろしい。

 良人も私の言葉で我に返ったのか、苦笑いしている。だが、手を差し出した以上後に引けないのか、強引に私の体を持ち上げ始める。

「ほら、いいからいいから。義足にもあんまり慣れてないんだろ?」

 ここまで言われると断るのも何だか悪い。良人にとってはいつもの習慣なのだし、筋トレを手伝うと思って今日だけ身を任せてあげよう。

「そう……だね。じゃあお願いする。」

 私は返事をした後、遠慮無く良人に体重を預ける。……が、何時まで経っても足が廊下の床から離れない。

「な、何だ……? 持ち上がらねぇ……。」

 良人は私の体を持ち上げようとしていたが、どんなに力を加えられても私の体は微動だにしない。そしてあろうことか、良人は私を抱えたままその場にしゃがみ込んでしまう。

 その際、ポキリという嫌な音が発せられた。

 私は慌てて良人から離れる。良人は膝をついて俯き、片手を腰に当てていた。

「ちょっと、……冗談だよね?」

「あ、マジでヤバイ。こ、腰が……。ほ、保健室……頼む。」

 それ以降、良人はうずくまったまま喋らなくなった。

 私はその言葉の通り、老人を案内する要領で良人を保健室まで誘導することとなった。


  11


「115kg……。」

 保健室に備え付けられた大きな体重計の上。そこで私は目盛りが指し示している数字を読み上げていた。

「あれだけ部品を外したのに、片方40kgもあるのね……。」

 予想よりも80kgも重い物を持ち上げたせいで、良人の腰に多大な負荷がかかったようだ。

 現在良人は保健室内のベッドでうつ伏せに寝て安静状態を保っている。腰の部分ははだけられ、白い長方形の湿布が見えていた。

 私はこの義足の重さよりも、これだけ重いのに私に重さを感じさせない義足の高性能さに驚いていた。流石は戦闘用に作られた脚部パーツだ。バランスがいいのだろう。

 ラルフォスの持つ科学技術はすごいとしか言い様がない。アロウズもラルフォスを手元においておきたいわけだ。

 ともかく、これ以上この数値を見ていたら気が滅入りそうだったので、私は体重計から降りて良人が寝ているベッドに近づく。

 私がベッド脇にある丸椅子に座ると、良人は俯いた体勢で首だけ90度回転させ、こちらに向けた。

 その視線の先にあるのはやはり私の義足だった。

「……その足、切断したのか。」

「やっぱり気づいてたんだ……。」

 足が無くなったのだ。誤魔化しきれるわけがない。良人の声は真剣そのものだった。

 私は続けて良人の言葉に応える。

「どうせ動かなかったし、新しい足を付けられるなら別にいいかなって。」

「未練はなかったんだな。」

「うん。」

 本当にこれでよかったと思っている。近い将来に新しい治療方法が発見されて足が動くようになる可能性もなかったわけではない。でも、人生は短いのだ。それならばいつ発見されるかも知れない治療方法を待つよりも、すぐに動く足を取り付けたほうがいい。それに、私の足は事故のせいで切断されたのだし、選択の余地はなかった。

 もちろん、この選択は私だけのためではない。良人のためでもある。

 私はその思いをベッドで寝ている良人に告げる。

「これでりょうくんに迷惑掛けずに済むね。もう、私のことなんて気にしないで学校生活を満喫できるよ。流石にこれから部活には入れないと思うけど、はは……。」

 重い話を少しでも軽くするように、私は笑ってみせる。しかし良人は全く笑わない。むしろその表情は深刻さを増していた。

「カナタはそれでいいのか?」

「……うん。」

 私の返事はとても小さかった。それは私の心情を言い表しているようでもあった。

 良人は今まで私に縛られていたように思う。でも、今日からは違う。私のことを心配することなく、良人が好きなように、自分のことだけを考えて学生生活を送れるようになる。

 それは良人にとっていいことだ。別に私との付き合いがゼロになるわけでもない。しかし、私はそれを心の何処かで寂しく思っていた。

 良人はそんな私の心情を正確に言い当てる。

「カナタ、安心しろよ。介助が必要なくても、今までどおり休み時間には会いに行ってやるから。」

「そっか……。」

 この言葉だけで私はとても安心することができた。

 こんなことで安堵できる単純な自分が情けない。また、変に悩んでいたことが馬鹿らしく思えてきた。

 良人は口調を和らげて語り続ける。

「この数年間、俺はずっとカナタを助けてきた。正直面倒だと思ったこともある。でもな、俺だってカナタに色々と助けられてたんだぞ? ……いや、色々と貰ってたって言ったほうが正しいかもな。とにかく、俺は好きでカナタと一緒にいたんだ。自由に歩けるようになったからって、そう簡単にカナタから離れられねーよ。むしろ付き合いが増えるかもな。自由に歩けるならどこにでも外出できるだろうし。」

 それは私にとって嬉しい言葉だった。良人もこんな青春ドラマみたいなセリフをいけしゃあしゃあと吐けるものだ。

 にやけそうになるのを我慢しつつ、私はそっけなく対応する。

「ふーん。そういうことならもう遠慮しないからね。」

「長い付き合いだ。これからもよろしくな。」

 良人はニカッと笑う。だが、その笑顔もすぐに苦痛の表情に変化する。やっぱり腰に受けたダメージは予想以上に大きいみたいだ。これからしばらくは逆に私が良人を手助けしなくてはならないかもしれない。

 ひとまずわだかまりが消えると、良人は突拍子もない事を言い始める。

「そうだ。明日、デートに行こうぜ。」

「うん。……んん!?」

 私は一度頷きかけた頭を持ち直し、目を見開いて良人を見る。

 良人は私の反応などお構いなしに話す。

「一緒に行きたかった場所があるんだ。土曜日はなんも予定ないだろうし、いいだろ。」

 ここで拒否すると、私が良人のことを気にしているように思われそうでなんだか嫌だ。

 私は平静を装ってその提案を受け入れる。

「別にいいけど?」

「じゃ、明日迎えに行くから待ってろよ。……それとカナタ、他にもちょっといいか?」

「何? まだ何かあるの?」

 良人は顔に向けていた視線を下げ、足のあたりを見る。

「こっからだと丸見えだぞ。」

「何が……?」

 何のことを言っているのか理解できず、私も良人と同じく視線を下に向ける。

 視線の先にはプリーツスカートから伸びている、黒いストッキングに包まれた義足が見えた。

 良人の位置からだと義足のパーツが見えるのだろうか。そんな風に真面目に考えていた私だったが、その予想はかなり外れていた。

「介助の時にチラチラ見えてたときはあんまり思わなかったけど、こう、スカートの隙間から見えるとまた趣が違うな。」

「……ッ!!?」

 理解した瞬間、私は股を閉じてスカートを手で押さえる。その時、義足同士がぶつかるゴツい音が保健室に響いた。いつも足が動かないので、スカートの中のことまで気が回らなかったようだ。これからは気をつけよう。

「もう、これだから男子は……。」

 最初に見られた相手がまだ良人でよかった。恥も最低限で済んだし、これからは見られぬように注意を払うことができる。

 だからと言って良人を許してはおけない。

 私は隣のベッドから枕を取ると、それを良人の後頭部に押し当てて視界を防ぐ。ついでに枕の上から数発ほどパンチを入れた。

 そのパンチが腰に響くのか、良人は呻いていた。いい気味である。

 それから間もなくして授業開始を告げるチャイムが鳴り、私は良人を放置したまま教室へと向かった。足取りは軽かった。


  12


「腰、大丈夫なの?」

「ああ、だいぶ良くなった。」

 放課後、私と良人は帰路についていた。この時間帯はまだみんな部活をしているので、道路に学生の姿は見当たらない。もっと夕方になれば部活を終えた学生で道が溢れかえることだろう。

 良人は軽く腰を捻りながら具合を確かめている。上半身が大きく回転するたび、こちらには湿布独特のにおいが漂ってきていた。

「はぁ、やっぱ運動してないと怪我しやすいって言うし、高校入ったら運動部にでも入るかな。」

「へー、何部?」

「有名なスポーツは小中と続けてる奴らが幅きかせてるだろうし、やっぱマイナーなのがいいかもな。高校からしかできない部活って何かあったっけ。」

「さあ? 高校にも依ると思うけど。」

 こちらの適当な質問に対し、珍しく良人は真剣に考えている。私の体重を支えられなかったのが余程ショックだったのだろうか。

 それから良人は信号を二つ越えても何も話さず黙りこくっていたが、歩行者用信号に捕まると女子高生のお姉ちゃんのことを話題に上げてきた。

「そういや比奈ねーちゃんは何部だっけ?」

「剣道部。」

 即答すると、良人は「そうだったなぁ」と呟いてまた黙ってしまう。

 ちなみにお姉ちゃんはそこそこ強いみたいで、市の大会では個人戦でベスト4に入っている。団体戦はあんまり強くないみたいだが、剣道の成績については尊敬してる。……ほんのちょっとだけど。

 しばらく部活について話しているとあっという間に家の前に到着した。登校した時も感じたが、5分くらい移動時間が短縮されているように思う。

「じゃあまた明日。昼過ぎあたりに迎えに行くからな。」

 良人はそう言うと軽く手を振り、2軒隣の家に入っていった。

 それを見届け、私もドアの鍵を開けて自宅に入る。

 慣れない手つきで靴を脱ぐと、玄関から一番近い位置にある自室の扉を開け、中に鞄と制服の上着を放り込む。そして、ブラウスとスカートだけを着た状態でリビングのソファーの上に転がり、ため息を付いた。

 やっぱり足があると便利だ。何をするにしても楽で早い。それに、ソファーみたいな少し高い場所に座っても転げ落ちる心配をしなくて済むのもありがたい。

 ソファーの前にはこたつ台があり、こたつ台の向こうには壁に掛けられたテレビがある。

 私はこたつ台の上にあるリモコンを取ると、それを操作してテレビの電源を入れた。すると他愛のない通販番組が画面に表示される。他にも適当にチャンネルを変えてみたが、ドラマの再放送だとか、幼児が見るような教育番組しかやってなかった。

 テレビを付けて10秒と経たずに電源を消すと、今度はテレビ画面の上、壁に飾られている写真が目に入ってきた。

 大小無数にあるそれはいわゆる家族写真というもので、自称色白美人のお母さんや、前髪が後退気味のお父さん、常に笑顔のお姉ちゃん、そして車椅子に座っている私が写っていた。

 集合写真の中で金髪碧眼の私は目立っている。と言うよりも浮いている。

「ま、当たり前だよね……。」

 なぜなら、私の両親は本当の親ではないからだ。親戚である。

 ……こうなったのには込み入った事情があった。

 私の生みの親は両親ともルーマニア出身で、造船関係の仕事に就いていた。父親は、日本人と国際結婚していた姉の紹介でアロウズにヘッドハンティングされ、夫婦一緒にこの有津市に移り住んだ。その後私が生まれ、姉家族とも仲良くしていたらしい。

 しかし、私の大怪我がきっかけで家族は崩壊してしまった。

 私が昏睡状態の間に母親は自殺し、ショックを受けた父親も私を病院に置いたまま帰国してしまったのだ。結局その後も連絡がつかず、父親の姉、つまり叔母にあたる人が私を養子に迎え入れてくれたわけだ。この叔母が今の私のお母さんである。

 ちなみに、叔母の結婚相手は日本人で、その間に生まれたのが従姉の比奈お姉ちゃんである。つまりはハーフだ。お姉ちゃんが美人なのはこういうのも関係しているのかもしれない。

 この生い立ちだとか両親の話を聞かされたときは幼いこともあり、あまりショックを受けることはなかった。むしろ幼くて良かったと思っている。今は普通に叔母のことをお母さんと呼び、伯父のことをお父さんと呼び、従姉のことをお姉ちゃんと呼んでいる。

 私にとって血縁だとかそういうのはあんまり関係ない。みんなも私のことを家族の一員として扱ってくれているわけだし、私もその様に振る舞えばいいだけだ。足が動かない厄介な少女を育てる覚悟を決めてくれたのだ。感謝以外の言葉も見つからない。

 妙に達観した気持ちでリビングでくつろいでいると、お姉ちゃんが帰ってきた。

「ただいまー、カナタいるー?」

「リビングにいるよー。」

 玄関からの呼び声に応じると、お姉ちゃんが駆け足でリビングに飛び込んできた。お姉ちゃんはそのまま勢いを落とさず私の隣に座り、何やら興奮気味に話す。

「どうして昨日教えてくれなかったのよカナタ。」

 お姉ちゃんはそう前置きし、若干早口で言葉を続ける。

「玖黒木君と知り合いなんだってね。義足を用意したのも玖黒木君の紹介のおかげだって聞いたわ。それ知ってたら今日お菓子でも持ってお礼言いに行ってあげたのに。」

「お姉ちゃん、玖黒木のこと知ってるの?」

「知ってるも何も、玖黒木君は『有津造船創設者のひ孫』ってことで学校じゃ有名よ。ルックスはもちろん頭もいいし部活でも活躍してるし、おまけに寡黙でクールでミステリアス。もう男女問わずモテモテなわけなの。……私はあんまりだけど。」

 あの玖黒木がモテモテだとはにわかには信じ難い。

 あいつはひたすら憎まれ口を叩く嫌な奴だ。命を助けてもらった事は感謝してやってもいいが、それはお互い様である。あの時私が注意を逸らしたおかげで反撃のチャンスを手に入れることができたからだ。

 それに、ネクタルや義足に関しては全部ラルフォスさんが開発したものだし、感謝するならばラルフォスさんにするのが正しい。

 私と同じく、お姉ちゃんも玖黒木の顔を思い出しているようだった。

「休み時間中にいきなり“妹さんの義足の調子はどうだ?”なんて話しかけてきてね、そこから玖黒木君が色々と手を回してくれたことを聞いたのよ。今度ちゃんと挨拶しておかないとね。ほんと、アロウズには頭が上がらないわ。」

「玖黒木は何て言ってた?」

「ん? 昨日アロウズの会社の人から電話で教えてもらった通りのことよ。義足のテスターとして選ばれて、下肢を切断してまで協力してくれてありがとうって。あ、脚の切断手術は事後承諾になってしまってごめんって謝ってたけど、追加の情報はそれくらいよ。」

「ふーん……。」

 制服が同じだったので玖黒木がお姉ちゃんと同じ高校に通っていることは知っていた。でも、玖黒木がその高校でモテモテだとは思ってもいなかった。来年は私もお姉ちゃんと同じ高校に通おうと思っているので、校内で玖黒木と会うこともあるかも知れない。

 考えるだけで気が滅入る……。

 その考えを振り払うように、私は別の話題をお姉ちゃんに持ちかける。

「ねえお姉ちゃん、今日は部活なかったの?」

 お姉ちゃんはソファーの上で靴下を脱ぎながら質問に答える。

「ん、今日は男子の練習試合で使えないから休み。……でも、いきなり何でそんな事聞くの? 今まで部活のことなんか話題にしたことなかったじゃない。」

「いや、剣道部ってどんなことしてるのかなと思って。良人も高校に入ったら部活したいって言ってたし、お姉ちゃん中学校からやってるから参考になると思ってさ。」

「なるほど、良人君絡みか……。」

 お姉ちゃんはいつものようにニタニタした笑顔を私に向ける。

「そうだなぁ、良人君と一緒に入れる部活って言ったら、文化系の部活になっちゃうわね。運動部はほとんど男女別々に練習してるし。剣道なんてその最たる部活よ。」

「別に私はりょうくんと一緒の部活に入りたい訳じゃ……」

 と、言いかけて私は口を噤む。一緒に放課後を過ごせるのならそれに越したことはないが、私の介助から開放されたわけだし、良人には好きなスポーツをやって欲しい。

 そんな事をうだうだと考えていると、お姉ちゃんが打開案を提示してきた。

「あ、案外弓道とかいいかもね。あれ、あんまり激しく動かないし。あれならカナタもできるでしょ。」

「弓道かぁ。」

 綺麗な弓道着は一度は着てみたいかもしれない。何となく自分が弓を引く姿を想像してみたが、袴から伸びている金属製の義足が目に障った。こればかりはどうしようもない。

「でもいいわねぇ。今から良人君と高校生活のことを計画してるなんて、お姉ちゃん羨ましいわ。私も幼馴染欲しかったー。」

 駄々をこねるように言って、お姉ちゃんは強引に私に抱きついてくる。足のことを気にしなくて良くなったこともあってか、今日のスキンシップはちょっと強めだ。

「そんな非現実的なこと言われてもどうしようもないよ。」

 お姉ちゃんが喉から手が出るほど欲しいその幼馴染と明日デートをするだなんて言ったらどんな反応をするのだろうか。見てみたい気もしたが、面倒を増やすだけだと考え、私はそれ以上良人について話すことはなかった。


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