名前の鏡
僕と彼は同じ名前だった。
苗字は異なった二人だった。
僕のほうの苗字は少し特殊だった。
でも、クラスのみんなは僕を名前で呼んだ。
入学当初は、彼とクラスが別々で特に気に留めなかった。
新学期、彼は生徒会に入った。
彼は優秀だった。
彼は下の名前を呼ばれる機会が多くなっていった。
次第に、僕を名前ではなく苗字で呼ぶ人が増えていった。
でも、数人の親友は僕を名前で呼び続けてくれた。
だから悩まなかった。
進級した。
彼と同じクラスになった。
楽しく親友と生活して、恋もした。
悩みなんてほとんどなかった。
彼が生徒会長に当選した。
圧倒的にその名は全校に知れ渡った。
僕の親友たちと恋人は、いつのまにか僕のことを苗字で呼んでいた。
それほどまでに彼は下の名前で呼ばれることが定着していたのだ。
校内に僕のことを名前で呼んでくれる人はいなくなった。
急に寂しく感じた。
劣等感を感じた。
絶望感を感じた。
そして、憎しみを覚えた。
皆から親しげに名前を呼ばれている彼に。
理不尽な憎しみだ。
そんな憎しみを持つ僕が憎い。
辛かった。
皆は変わらず笑顔を向けてくれた。
嘲られているようで辛かった。
成績が良くて先生に褒められた。
どこかで彼と比べられているようで辛かった。
未熟な僕には辛すぎて、胸が苦しい思いしかできなかった。
僕は壊れかけていた。
そんなとき、
彼が僕に話しかけてきた。
ファーストコンタクトだった。
今まで意図的に僕が避けてきたからだ。
はにかむ笑顔。優しいまなざし。包容力のある雰囲気。
彼の人望の深さに値する笑顔だった。
今までで一番の憎しみと憤りを覚えた。
ついに、ついに彼から蔑まされる。
哀れな僕を、傷ついた僕を、透明人間な僕を。
はるか高みから僕を嬲りに来る。
僕は身構えた。
そして、彼から出た一声目は、
僕の築いた寂しさの障壁を乗り越え、
僕の張った劣等感の罠を飛び越え、
僕の構えた絶望感の盾を弾き、
僕が身につけた憎しみの鎧を断ち切り、
僕の中の歪な鏡をかち割った。
今まで意図的に彼の名前を出すときは彼の苗字を使っていた。
それが僕にできた必死の抵抗だったのだ。
だけど、多くの人の波は押し返せなかった。
濁流にのまれた僕を救ってくれたのは彼の発した言葉だった。
彼は彼の名前を僕に向かって呼んだのだった。
その後の会話は覚えていない。
ただ、僕が作り、僕を苦しめた鏡はもう僕の中にはない。