表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

運命の番を名乗るなら、脈拍くらい合わせてからにしてください

作者: 朝月アサ
掲載日:2026/04/10


「わたしこそが、シリウス殿下の《運命の番》です」


 王宮の春の夜会。白薔薇の香りに満ちた大温室で、自信に溢れた声が響く。


 月光を透かすガラス天井の下、王太子シリウスの隣に立っていた婚約者エレノア・フォン・アシュベリーへ、何百もの視線が一斉に突き刺さる。


 名乗り出たのは、神殿勤めの少女リリア・フェルナー。胸元で指を組み、いまにも泣き崩れそうな顔はいかにも可憐で、潤んだ瞳でしっかりと王太子殿下だけを見上げていた。


「王太子妃にふさわしいのは、そちらの氷の令嬢ではなく、《運命の番》であるわたしなんです」


 ――《運命の番》。


 それは女神が結ぶ唯一無二の縁。

 契約より重く、王族ですら逆らえない。


 出会った二人を引き離せば、衰弱してお互いに死んでしまう……と、されている。


 冷徹な公爵令嬢が、可憐な神殿の娘をいじめ、運命に敗れる――なんて受け入れられやすい物語か。

 実際、会場の雰囲気はもうすでに、「気の毒なリリア様」と「婚約者の座を奪われるエレノア様」になりつつあった。


 それだけ、《運命の番》という結びつきは強力だ。


 だが、当のエレノアは、泣きも怒鳴りもせず、ただ静かに扇を閉じた。

 一歩、二歩、とリリアへ歩み寄る。


「……失礼」


 華奢な手首を取り、彼女の脈を読んで微笑んだ。


「《運命の番》を名乗るなら、脈拍くらい合わせてからにしてください」

「……はい?」


 温室の空気が、ざわりと波打った。


「真に番であるなら、相手の近くでは脈が共鳴します。とくに、こうして本人の前でその名を口にするならなおさら。ですが、あなたの脈は殿下に向いていない」


 エレノアは手を離し、穏やかに続けた。


「殿下のお名前を呼んだときより、『王太子妃』という言葉が漏れたときのほうが、よほど弾んでおりましたもの」


 どこかで、小さく吹き出す声がした。

 リリアは真っ赤になる。


「そ、そんな……脈なんて関係ないでしょう。そんな話、聞いたこともないもの!」

「だとしても、ようやく向き合えた《運命の番》の前で恋に弾んでいないのは、おかしな話ではなくて?」

「脈なんて、緊張や走った後とかでも変わるし!」

「ですから、そういうことも含めて診ています」


 エレノアは微笑んだ。


 ――アシュベリー公爵家は代々、王家の医術顧問と魔力診断を担ってきた家系だ。なかでもエレノアの脈診は正確で、王宮医すら一目置くことは、多くの貴族が知っている。


「ちなみに、恋慕の脈と打算の脈は、驚くほど違いますわ」


 場がさらにざわつく。


 リリアは慌てて、胸元から一枚の証書を取り出した。金糸で縁取られた神殿の書面。封蝋付き。上位神官の署名まである。


「神殿の診断も出ています! わたしと殿下を引き離せば、互いの命が削られていくと……!」


 その言葉に、何人かの夫人が眉をひそめ、若い令嬢たちが息を呑んだ。

 けれどエレノアはまったく怯まなかった。


「その証明が本物なら、なおのこと真偽を確かめましょう」

「…………っ、神殿を疑うのですか?」

「ええ。女神の御心を語るのですから、その必要もありましょう。しかもそれが、王太子殿下にかかわることなら」


 会場の視線は王太子シリウスへ向かった。


 銀灰色の瞳を持つ王太子は、証書を受け取り、一瞥する。整った顔立ちはいつも通り静かだ。


 ――彼ならわかるはずだ、とエレノアは思った。

 自分が、こんな稚拙な嘘で取り乱す女ではないことも。目の前の少女の目が、恋ではなく欲に眩んでいることも。


 だが、彼はすぐには否定しなかった。


 その沈黙に、ほんの一瞬だけ、エレノアの胸の奥が冷えた。


「……そうしよう」


 低く、硬く、揺るぎない声に、会場が静まり返る。


「明日、大神殿で正式に確認する。それまでこの件について、誰も軽々しく口外するな」


 王太子の命令は絶対だった。


 夜会は再び音楽を取り戻したけれど、もう先ほどまでの華やかさではない。誰もが耳をそばだて、視線だけで噂を交わしていた。


 リリアはか弱そうな顔を作り直していたが、エレノアにはわかる。


 その脈は、少しも恋をしていない。

 あれは、賭けに出た人間の脈だ。


   ◇


 夜会のあと、王宮の回廊はひどく静かだった。


 月明かりが石床を白く照らし、窓辺の燭台が細長い影を落としている。


「エレノア」


 背後から呼ばれて、エレノアは足を止めた。


 振り返れば、シリウスが一人で立っている。護衛も侍従も連れていない。


「今夜は、すまなかった」


 開口一番、それだった。


「何についての謝罪でしょう。あの場で沈黙なさったこと? それとも、わたくしとの婚約を解消し、あの娘を選ぶこと?」

「前者だ」


 きっぱりと言い切る。


「後者については、考えたこともない」

「……ですが、ご自身の命が危ぶまれるかもしれないとなると、少しは心が揺れるのでは?」

「ない」


 静かだ。

 その声も、彼の脈拍も。


 シリウスは数歩エレノアに近づくと、声を落とした。


「……あの証書、前々から追っていた偽造文書と同じ匂いがした」

「偽造?」

「ここ半年、上級貴族の子息に《運命の番》を名乗る者が何人か現れている。どれも神殿の簡易診断書付きだ。婚約解消に至った例も、金銭を引き出された例もある。だが、表沙汰になる前に揉み消された」


 エレノアは黙って聞く。


「あの場で私が感情的に否定すれば、相手は泣いて逃げるだけだ。だから、あえて大神殿に持ち込む」

「大神殿で、何をなさるおつもりですの?」


 ――《運命の番》の認定には正式な手段があることは、王妃教育と家中での話の中でエレノアも知っていた。だが、仔細は王族のみが知るところだ。


「王家にのみ伝わる照合の魔具がある。女神の縁に関わる申告は、最終的にはそれでしか判定できない」


 エレノアはわずかに眉を上げた。


「王族でも知る者は少ない。大神官と次代の王、それにごく一部だけだ」

「では、彼女は――」

「知らないだろう。だからこそ、大神殿へ来る」


 なるほど。リリアは神殿の診断書ひとつで押し切れると思っている。王家側の切り札を知らないからこそ、堂々と罠に踏み込んでくるだろう。


 シリウスは苦く笑う。


「――もしそれで、本物だと認定されればどうなるのですか?」

「その時はその時だろう」


 なるほど、彼は王太子らしく冷静で、そして《運命の番》候補を無下にしない。


「――だが」


 続けられた言葉に、エレノアは小さく顔を上げる。


「私はどうしても、彼女がそうであるとは思えない」

「何故?」

「お前が言ったんだろう。《運命の番》を前にして、胸が弾まないのはおかしいと」

「――そうでしたわね」


 あの時のシリウスの脈は落ち着いていた。とても。

 エレノアは、シリウスの脈動をよく知っている。


 自分たちの婚約は政略だが、幼い頃から共に学び、共に失敗し、共に王宮の空気を吸ってきた時間があるのだ。


 ――十歳の春、初めて手を取られたときから。

 ――十五の冬、舞踏の練習で指先を重ねたときから。


 エレノアは知っていた。


 自分とシリウスの脈が、昔から不思議なくらい綺麗に合うことを。


 そして――《運命の番》の話を聞いた時は、もう疑いようもなかった。


 そのことを口にしたことはないけれども。


「――明日は私も参ります。番詐欺を暴くのでしょう?」

「頼りにしている」

「ええ、知っています」


 つんと返すと、シリウスの口元がわずかに緩んだ。

 そのあと、ふっと真顔になった。


「……信じてくれ。私が隣に立たせたいのは、お前だけだ」


 その一言は、深く刺さった。

 エレノアは胸の奥からじんわり熱くなるのを感じながら、優雅に一礼する。


「では、その言葉が嘘でないことを、明日見せてくださいませ」


   ◇


 翌朝、大神殿の最奥は朝の光に満ちていた。


 案内されたのは、普段は閉ざされ、王族でも立ち入れる者が限られる白い間。高い天井、磨き上げられた大理石、壁一面に刻まれた古い女神語。ひやりと澄んだ空気が、ここがただの礼拝室ではないことを物語っている。


 部屋の中央には、古い円形の魔具が置かれていた。


 白銀の盤。幾重にも銀紋が刻まれ、見つめているだけで心音まで聞かれそうな、不思議な圧を持つ。


「……《共鳴盤》」


 エレノアが小さく呟くと、傍らの大神官が頷いた。


「女神の縁に関わる申告を、最終的に照らすための王家秘儀の魔具です。知る者は多くありません」


 その言葉を聞いた瞬間、リリアが明らかに目を見開いた。


「……な、に、それ……」


 作った悲鳴ではなかった。喉から勝手にこぼれたような、生の怯え。


 エレノアはそこで確信する。


 彼女は本当に知らなかったのだ。神殿の証書ひとつで押し切れると思って、ここまで来てしまったのだと。


 立ち会うのは大神官、王宮監査官、シリウス、エレノア、リリア。そして証書へ署名した補佐神官ロベル。


 リリアの脈は朝から落ち着かない。けれどそこに、恋する者の熱は一滴もない。あるのは焦りと、逃げ道を探す打算だけだ。


「そして、脈と魔力の揺らぎを読む目を持つアシュベリー家のご令嬢にも立ち会っていただきます」

「……は?」


 リリアの脈は、今度こそ崩壊した。


「では、始めましょう」


 大神官の声が響く。


「リリア・フェルナー。あなたはシリウス殿下の《運命の番》であると申告していますね」

「……はい」

「盤の上へ。殿下の手を取りなさい」


 リリアはおそるおそる盤の上に乗り、シリウスの手を取った。


 だが、数秒経っても何も起こらない。


 盤は沈黙したまま、美しい飾り細工のようにそこにあるだけだった。


 大神官が眉をひそめる。


「もう一度。心を澄ませて」

「は、はい……」


 リリアは今度は強く握る。けれど《共鳴盤》はぴくりとも動かない。


 そのかわり、エレノアには見えていた。


 リリアの脈が跳ねたのは、シリウスを見たときではない。監査官の机に積まれた証拠書類へ視線が向いたときだ。


「……失礼」


 エレノアは一歩前へ出た。


「大神官様。わたくしからもよろしいでしょうか」

「申してみなさい、エレノア嬢」


 エレノアは頷き、まっすぐに顔を上げる。


「彼女の脈は、殿下ではなく状況に反応しています。恋慕でも共鳴でもなく、打算と恐怖の脈です」

「な……!」

「さらに申し上げます。提出された証書の封蝋は神殿本部のものではありません。外縁の花弁模様が一枚足りない贋作です」


 ロベル神官の肩が跳ねた。


 監査官が即座に視線を向ける。


「補佐神官ロベル。この証書はあなたが発行したものか」

「そ、それは……簡易検査の結果で……」

「簡易検査で《運命の番》認定はできません」


 大神官の声が鋭くなる。


「その権限は私にも、神殿長にもない。女神の縁は、最終的にこの盤によってのみ照らされる」


 ロベルの額から汗が伝う。


 そしてついに、リリアが叫んだ。


「だって、仕方なかったのよ!」


 可憐な悲劇の顔で。


「わたしには何もないもの! 神殿で清く正しく働いたって、一生末席のまま! でも王太子妃になれれば……!」

「リリア!」


 ロベルが慌てて制したが、遅い。


「あなたが持ちかけたのでしょう! ――運命の番商売は貴族相手に大儲けできる、って!」


 白い間の空気が凍った。


 監査官が深いため息をつく。


「……全員まとめて、朝から綺麗に自白してくださる」


 実に仕事が早くて助かる、という顔だった。


 ロベルはその場に崩れ落ち、リリアは泣きながらなおも喚く。


「だって本当に、殿下は優しかったの! わたしに声をかけてくださったし、花も褒めてくださったし……!」

「それは庭の植え替えについての会話だ。お前への恋情ではなく、私の礼儀の話だ」


 シリウスが冷たく言った。ばっさりだった。


「――補佐神官ロベル、及びリリア・フェルナーの身柄を預かります」


 監査官が部下に命じる。


 そのときだった。


 取り押さえられそうになったリリアが、最後の悪あがきとばかりに机上のインク壺を掴み、エレノアへ投げつける。


「この、冷徹女――!」


 黒い液体が弧を描く。


 その瞬間、シリウスがエレノアの腕を引き寄せる。

 インクは彼の肩口を汚しただけで済んだが――


 ふたりが入った瞬間、沈黙していた《共鳴盤》が、まばゆい銀光を放った。


 白い間いっぱいに、鈴を重ねたような澄んだ音が響き渡る。床の紋様が一斉に輝き、ふたりの手のあいだを銀の光が縫うように走った。


 誰もが息を止めた。


 シリウスの手は、ただエレノアを庇うために引き寄せただけのはずだったのに。


 エレノアの鼓動は、もう誤魔化せない。


 規則正しく、深く、温かく――そして強く。


 そしてその拍と、シリウスの脈がぴたりと重なっている。


「女神の共鳴……」


 大神官が静かに頭を垂れた。


「《運命の番》は、こちらでしたか」


 エレノアは目を瞬かせた。


 知っていた。かなり前から、そうかもしれないと思っていた。けれど、こんな形で王家の秘儀に暴かれるとは想定していなかった。


 隣のシリウスもまた、驚いたように自分たちの手を見つめている。


「……エレノア」

「ええ。まあ、そのようですね」


 平静を装って返したものの、頬が少し熱かった。


   ◇


 その日の夕刻。


 神殿の騒ぎがひとまず片付いたあと、王宮の中庭には静かな風が吹いていた。噴水の水音だけが、やけに澄んで聞こえる。


 シリウスは珍しく、言葉を探している顔をしていた。


「……お前は、知っていたのか」

「知っていた、というより、気づいてはおりました」

「いつから」

「十歳の春くらいから」

「もっと早く言ってくれ」

「嫌ですわ」


 きっぱり返すと、彼が少し傷ついた顔をする。


「わたくしは、番だから選ばれたかったわけではありません。あなた自身の意志で、わたくしを隣に置いてほしかったのです」


 シリウスはしばらく黙っていた。


 やがて、ふっと息を吐く。


「……敵わないな」

「いまさらですの?」

「ああ。本当にいまさらだ」


 夕暮れの光が銀の髪に落ちる。その顔は、昼間の王太子ではなく、ただ一人の男性のものに見えた。


「だが、これだけはいますぐ言える。私は、お前が番だから手放したくないわけじゃない」


 彼は一歩近づく。


「お前でなければ困る。お前でなければ、王座の隣に空いた席がただの椅子になる」


 少し不器用で、でも誠実な言葉だった。


 それが、ひどく彼らしい。


「昨夜も言いましたでしょう」


 エレノアは微笑む。


「嘘でないことを見せてくださいと」

「ああ。だから改めて言う」


 シリウスは彼女の前に立ち、ごく自然にその手を取った。あの《共鳴盤》がなくても、脈はもう隠しようがないくらい綺麗に揃っている。


「エレノア・フォン・アシュベリー。政治の都合でも、女神の気まぐれでもなく、私自身の望みとして、私の隣にいてほしい」


 王太子の正式な求婚としては、ずいぶん簡素だったが。

 余計な飾りが一つもないのも、エレノアには嬉しかった。


 エレノアはその手を握り返す。


「ええ、喜んで。ですが一つだけ条件がございます」

「聞こう」

「次から面倒ごとに巻き込むときは、先に説明してくださいませ」


 シリウスは一瞬目を丸くし、それから堪えきれずに笑った。


「肝に銘じる」

「よろしい」


 ようやく満足して、エレノアも笑う。


 王宮ではその後しばらく、


『偽の運命の番を名乗った娘が、王家秘儀の前で綺麗に自爆した話』と、

『王太子殿下が本物の番をずっと婚約者にしていたのに、本人だけ確信していなかった話』


 の両方が、大変にぎやかに語られた。


 ちなみに後者について、シリウスは非常に不本意だったらしい。


「言ってくれればよかったのにな」


 そう呟くシリウスに、エレノアは微笑んだ。


 言わなかったのは、政略だから、女神の定めだから、《運命の番》だから、で隣にいるのは嫌だったから。


 ちゃんと自分たちの意志で選んで、隣に立ちたかったから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
読んでくださってありがとうございます。
少しでもお楽しみいただけたら評価(⭐⭐⭐⭐⭐)を押していただけると嬉しいです!

▼▼▼▼▼

【新作長編】悪道貴族の愛娘は破滅ルートを回避したい〜婚約破棄されたので自由恋愛を求めて学園に行ったら、護衛騎士の執着が重すぎる件

▲▲▲▲▲
― 新着の感想 ―
確かに罪状は明らかにしてほしかったような気がします。普通に二人とも死刑でしょうが。
我儘を言ったら、詐欺師たちの末路まで少しでもいいので明確にしてほしいねぇ w 処刑か、監禁か、鉱山行きか
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ