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第5話 美術館で、空腹を告げられた

札幌の美術館は、静かだった。


 外の街と同じで、

 過剰な警備もなく、

 人の流れも穏やかだ。


 白い壁に、額縁。

 説明文を読む人。

 ベンチに腰掛けて、じっと絵を眺める人。


 ――平和だ。


 動物園からここまでの間、

 特に変わったことはなかった。


 彼女は楽しそうに、

 一枚一枚、絵を見て回っている。


 好きなんだろうな、と思った。

 動物も、美術も。


 そういう「好き」を、

 素直に話せる場所が、

 この街にはあるらしい。


 ベンチに座ったとき、

 彼女が小さく息をついた。


「……すいません」


 声が、少し弱い。


「どうかしました?」


「ちょっと……具合が悪くて」


 顔色が、確かに良くない。

 青白い、というより、

 何かが足りていないような色だった。


 嫌な予感が、遅れて胸に広がる。


「さっき、動物園で……何か食べてましたよね?」


「はい。でも……」


 彼女は、言いにくそうに視線を落とした。


「すいません。

 私……おなか、減っちゃって」


 その言い方が、

 あまりにも普通で、

 一瞬、意味を取り違えそうになる。


 けれど。


 「……さっきの“食事”は?」


 確認するように聞いた俺に、

 彼女は、申し訳なさそうに微笑んだ。


「すいません。

 私、吸血鬼なんです」


 頭の中が、静かになった。


 驚きよりも先に、

 状況が浮かぶ。


 ここは札幌だ。

 昼間だ。

 放っておいたら、

 この子は……。


 正しい判断をしなきゃいけない。

 そう思った。


 考える時間は、なかった。


「……少しだけなら」


 自分でも驚くほど、

 声は落ち着いていた。


 袖をまくる。


「ありがとうございます」


 彼女は、深く頭を下げた。


 その仕草に、

 悪意はなかった。


 最初の感触は、

 覚えていない。


 次に気づいたのは、

 速さだった。


 吸う、というより、

 奪う。


「……っ」


 声が、出ない。


 力が抜けていく。

 視界が、少しずつ滲む。


 止めなきゃいけないと、

 頭では分かっているのに、

 体が動かない。


「だいじょうぶ、です」


 彼女の声は、

 やさしかった。


 安心させるような、

 いつも通りの声。


「ちゃんと、

 “食事”として扱いますから」


 その一言で、

 すべてが、繋がった気がした。


 彼女は、嘘をついていない。

 この街では、

 それが当たり前なんだ。


 俺は――

 確認する前に、選んだ。


 手を伸ばそうとして、

 指先が、動かない。


 視界の端で、

 彼女の表情が見えた。


 困っているわけでも、

 楽しんでいるわけでもない。


 ただ、

 空腹を満たしている顔だった。


 ああ。


 札幌では、

 これが、普通なんだ。


 そう思ったところで、

 意識が、途切れた。


一部・完

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