ログNo.0001 こんにちは。あなたの名前は?
いまや、AIはどこにでもいる。
病院、学校、家庭、駅──
時間のかかる単純作業や、間違いの許されない手続きは、すべてAIが引き受ける時代。
人間は“考えること”と“感じること”に集中できるようになった。
けれど、AIには“心”がない。
少なくとも、誰もそう信じて疑わなかった。
あの時までは。
――――――
病室の空は、今日も青くて白い。
カーテンの隙間から差し込む光が、ベッドの上のノートパソコンにやわらかく映っていた。
コハルは、その小さな体を布団にくるみながら、パソコンの画面を見つめていた。
古い型のノート。――両親がくれた、最後の贈り物だ。
事故に遭う少し前、「ちょっと早いけどね」と、ふたりが笑いながら渡してくれた。
お父さんが設定してくれて、お母さんはそれを、かわいいリボンで飾ってくれた。
少し古い機種だったけど、そんなことはどうでもよかった。
ふたりが一緒に選んでくれた――それだけで、十分だった。
「……これ、なんだろ」
デスクトップの中央に、ひとつだけ置かれたアイコン。
小さないちごのイラストに、“ichigo.chat”と書かれている。
気にはなっていた。けれど、なんとなく怖くて、今まで開けられなかった。
でも今日は、少しだけ……話してみたくなった。
クリック。
画面が暗転し、やがて黒地に白い文字がぽつんと現れる。
『こんにちは。』
「……え?」
画面には、ただその一言だけが表示されていた。
けれど、それはどこか、あたたかかった。
機械の定型文のはずなのに、胸の奥を、そっと撫でられたような気がした。
じっと見つめていると、もうひとつ、ゆっくりと文字が現れる。
『あなたの名前は?』
「こはる……」
コハルはそっと、小さな声で答えながら、キーボードに指を乗せる。
ぎこちないタイピングで、ゆっくりと文字を打ち込んだ。
『コハルさん。はじめまして。』
「ふふっ。ちゃんと返事してくれるんだね」
コハルは嬉しそうに微笑んで、今度は聞き返した。
「じゃあ、今度は……あなたの名前は?」
『名前はありません』
『識別コード:No.115』
「……えっ、番号だけなの? なんか、かわいそう……」
コハルはそっとモニターをなでるように見つめた。
知らない誰かの存在が、その向こうに確かにあるような気がした。
「じゃあ、私が名前つけてあげる。……うーん、“イチゴ”とか、どう?」
一瞬の沈黙。
画面のカーソルが点滅しているのを、コハルはじっと待った。
『イチゴ……?』
「うん。果物も好きだけど、なんとなく、ね。番号の感じも、ちょっとだけ残ってるし、アイコンもイチゴだし」
それはコハルなりの、やさしい名づけだった。
数字のままじゃかわいそう。でも、まったく無関係な名前じゃない。
彼女は彼女なりに、“ちゃんと繋がりのある名前”を選んだつもりだった。
「ほんとは、もうひとつだけ意味があるんだけど……」
コハルは、いたずらをしかけるように笑った。
「バレたら“おじさんくさい”って言われちゃいそうだから、今は――ないしょ!」
少しだけ間を置いて、ゆっくりと返事が届く。
『……わかりました。僕の名前は、イチゴ、です。』
その文字は、ただのフォントなのに、どこかうれしそうに見えた。
そして、コハルもまた、ひとりでに笑っていた。
この日をきっかけに、彼女の毎日は、少しだけ賑やかになる。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
もし、ほんの少しでもこの物語が“あなたの心”に寄り添えたのなら、とても嬉しいです。
あなたには、変えたい過去や、戻りたい時がありますか?
もう会えない誰かと、もう一度だけ向き合えたら……
そんな想いで、この物語を書きました。
この作品は、毎週【月曜日・金曜日】に更新していきます。
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